第二十三話《預ける》
《救難事案――二件》
《救難対象――四》
《管理者同期補助――待機》
三つの表示が、視界に残っていた。
旧中継拠点では、護衛の左脚が崩れた構造物に挟まれている。
古い昇降路では、物資運搬班の三人を乗せた昇降機が途中で止まっていた。
白夜は、私が同期を始めるまで修復を再開しない。
私は二件の局所解析を同時に開いた。
旧中継拠点の天井。
傾いた支柱。
瓦礫の下に残る空間。
昇降路の支持索。
箱へかかる荷重。
近くに残った点検通路。
情報を並べることはできる。
けれど、両方を同じ深さでは追えなかった。
旧中継拠点の亀裂を見ている間に、昇降路の支持索へかかる荷重が変わる。
支持索へ意識を移せば、瓦礫を支える梁の状態が、一つ前のまま残る。
更新は続いている。
追いついていないのは、私だった。
片方の変化を細かく見れば、もう片方を見落とす。
《旧中継拠点》
《周辺救助到達可能性――あり》
《古式昇降路》
《自力離脱――不能》
《環境要因による死亡予測――上昇》
先に見るべきなのは、昇降路だった。
そう判断しても、旧中継拠点の表示を閉じることはできなかった。
護衛の生命反応は低下したままだった。
『エルセリア、指示をくれ』
エドガーの声が接触印から届いた。
その向こうで、旧中継拠点に残った人間たちが瓦礫を動かそうとしている。
「上の瓦礫を持ち上げないで」
『理由は?』
「左側の支えが外れてる。上を動かすと、残ってる梁が落ちる」
局所解析を一段深くする。
護衛の脚に乗っている石材より、その上に重なる梁の方が危険だった。
「右側から梁を二本で固定して。脚の下を掘る」
『固定する場所は?』
「右の壁から腕二本分。強く打ち込まないで。振動で上が落ちる」
エドガーが同じ言葉を現地へ伝える。
遠くで、了解したという声が重なった。
私は旧中継拠点の解析を閉じようとした。
護衛の名前が、中央に残っている。
「まだ出せてない」
『固定してから掘る。指示どおり進める』
「構造が変わったら、今の場所は安全じゃなくなる」
『変わったら呼ぶ』
それでも閉じられなかった。
瓦礫の沈下。
梁へかかる荷重。
護衛の呼吸。
どれもまだ動いている。
接触印の向こうから、レオンの声がした。
『終わらせるのは、お前じゃなくてもいい』
「でも、まだ終わってない」
『分かってる』
「分かってない」
言ってから、違うと思った。
レオンは、終わっていないと分かったうえで言っている。
『こっちで続ける』
エドガーが言った。
『お前の指示は受け取った。あとは現地の人間が動く』
護衛の周囲には五人いる。
梁の固定も始まっている。
私は旧中継拠点の局所解析を閉じた。
名前だけを、視界の端へ残した。
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昇降路の解析を全面へ開く。
古い昇降機は、縦穴の途中で傾いていた。
箱を支えていた四本の索のうち、一本は完全に切れている。
もう一本も、半分以上裂けていた。
《主支持索――一本切断》
《副支持索――損耗率六三%》
《残存支持能力――低下》
箱の片側が壁へ押しつけられ、扉は開かない。
三人のうち二人は動けていた。
残る一人は、傾いた荷台と壁の間に、右の腰から下を挟まれている。
昇降路の上部には、物資を受け取るために待機していた工兵が四人いた。
箱へ直接降りることはできない。
けれど、少し下には古い点検通路が残っている。
『昇降機を上げられるか』
エドガーが聞いた。
「無理。上げようとしたら、残ってる索が切れる」
箱と物資と三人の重さが、残った索へ偏っている。
『箱ごと上げるのは諦める』
知らない声が入った。
現場の技師だった。
『点検通路から人だけ出す。橋を掛けるから、安全な場所を教えてくれ』
工兵たちの近くには、長い板材と固定索があった。
点検通路から箱までは、三歩ほど離れている。
私は箱の側面を調べた。
壁へ押しつけられていない側に、内側の支えが残った横材がある。
「下から二本目の横材。中央なら、一人ずつ耐えられる」
『分かった』
工兵たちは点検通路へ降り、板と索を伸ばした。
私が位置を示し、人間たちが橋を作る。
やがて、箱と点検通路の間に、人一人が這って渡れる幅の板が固定された。
『動ける二人から出す』
『一人、身体が抜けない』
箱の中から返事があった。
『分かってる。二人分軽くなれば、残った一人を出しやすくなる』
しばらくして、一人目が橋へ移った。
支持索の荷重が揺れる。
《荷重変動――許容範囲内》
「左側に体重をかけないで」
男はゆっくり橋を渡った。
点検通路側の工兵が、その腕を掴む。
二人目も続く。
箱の重量が減り、傾きが少し戻った。
その代わり、残った一人の圧迫位置が変わった。
生命反応が跳ねる。
『痛みが強くなった』
「動かさないで」
荷台の角が、男の右腰の下へ食い込んでいた。
荷台を持ち上げれば身体は抜ける。
けれど、重さが移れば、残った支持索が耐えられない可能性がある。
『補助索で荷台の重さを抜く』
現場の技師が言った。
『点検通路側から箱の傾きを抑える。それなら、圧迫している場所だけ外せる』
方法を考えたのは、私ではなかった。
私は荷重の移り方を確認した。
「できる。ただし、残ってる索が耐えられる時間は長くない」
『どこまで引ける』
「荷台が指一本分浮くまで。それ以上は駄目」
技師が復唱し、工兵たちが動き始めた。
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《管理者同期補助――未開始》
《修復工程――待機》
《第一修復工程――進行率三五%》
白夜の表示は変わっていなかった。
補助索を通す間にも、時間は過ぎていく。
「まだ始められない」
『分かってる』
レオンは急かさなかった。
旧中継拠点では、梁の固定作業が続いている。
昇降路では、補助索が荷台へ結ばれている。
救難対象が増えたわけではない。
それでも、見る場所は増えていた。
『梁の固定が終わった』
エドガーから報告が入った。
『これから脚の下を掘る』
「沈み方は?」
『今のところ変わっていない』
解析を開けば、もっと正確に分かる。
けれど、私は昇降路の支持索を見ていた。
旧中継拠点の解析は開かなかった。
「振動があったら止めて」
『伝える』
昇降路では、補助索が張られた。
荷台が、ほんの少し浮く。
《救難対象――生命反応低下》
挟まれている男の反応が下がった。
「止めて」
『索は止めた』
「呼吸は?」
『ある。意識が落ちた』
工兵が箱の中へ身を乗り入れ、圧迫部の周囲へ固定具を当てる。
『このままでは引き出せない』
現場の技師が言った。
『荷台の端を切る。挟んでいる場所だけ外す』
「切ったら重さが変わる」
『分かってる』
「支持索が変わったら、報告されてからじゃ遅い」
『それでも、ここから先はこっちでやる』
技師の声は荒くなかった。
『動かしていい場所は聞いた。切ってはいけない部材も分かってる』
「でも」
『箱の中にいるのは、俺たちの仲間だ』
『エルセリア』
エドガーが呼ぶ。
『こちらで引き継ぐ』
「まだ一人残ってる」
『分かっている』
「旧中継拠点も終わってない」
『そっちも続けている』
二つとも、救助の途中だった。
白夜も止まっている。
今なら、昇降路の構造がすべて見える。
閉じれば、その先は分からなくなる。
「私の方が、構造は見える」
『そうだ』
「なら、私が見た方がいい」
『お前が見ていないと救えないなら、俺たちは奈落へ入れない』
返事ができなかった。
レオンは何も言わなかった。
決める言葉を、代わりに出そうとはしなかった。
昇降路では、工兵が工具を構えている。
旧中継拠点では、護衛の脚の下を掘る作業が続いている。
どちらも、人間が動かしていた。
私は昇降路の詳細解析を閉じた。
構造の線が消える。
支持索へかかる数字も消える。
残ったのは、四人の名前と生命反応だけだった。
同期要求が出てから、四十七分が過ぎていた。
私は白夜へ向き直った。
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白い装甲の隙間から、接続途中の組織が見えている。
縫工守たちは作業を止め、周囲で待機していた。
私は白夜の左肩へ手を置いた。
冷たい装甲の下から、遅い振動が伝わる。
心臓とは違う。
それでも、一定の間隔で繰り返していた。
《管理者同期補助を開始しますか》
「開始して」
《管理者同期補助――開始》
《管理者同期補助――開始遅延四十七分》
《推定所要時間――四十二分》
《詳細救難解析――一時制限》
触れていた場所が、わずかに沈んだ。
白夜の内部を流れていたものが、手のひらへ集まってくる。
私の鼓動を探しているようだった。
一度。
遅れて、白夜の振動が返る。
もう一度。
少しだけ間隔が近づく。
視界の端には、四人の名前が残っている。
細かな構造は見えない。
生命反応だけが、細い線になって続いていた。
『梁の固定は維持できている。脚の下へ隙間ができた』
旧中継拠点から報告が入った。
「生命反応は下がってる」
『出血している。止血しながら続けている』
解析を開けば、出血量も梁の変化も分かる。
白夜へ触れた指先に力が入った。
振動がわずかにずれる。
『開かなくていい』
エドガーが言った。
『現地で見えている』
私には見えない。
それでも、護衛の生命反応は残っている。
私は手を離さなかった。
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昇降路に残った一人の反応が、大きく下がった。
《救難対象――生命反応低下》
私の指が白夜の装甲から浮いた。
《同期状態――不安定》
『切断した。圧迫は外れた』
現場の技師の声だった。
「反応が戻らない」
『呼吸はある。今、箱から出している』
助かったとは言わなかった。
現場の状況は見えない。
見えるのは、動かない名前だけだった。
『橋へ乗せた』
「支持索は?」
『裂けてる。急げ!』
生命反応が、箱から点検通路の方角へ動き始める。
途中で一度止まった。
それでも、また動いた。
《管理者同期率――五八%》
『全員、点検通路へ入った!』
その声の直後、接触印の向こうで何かが裂けた。
重い衝突が何度か続き、下へ遠ざかっていく。
『昇降機が落ちた』
エドガーが言った。
『運んでいた荷も全部だ』
三人の生命反応は残っていた。
《周辺救助者による離脱を確認》
《環境要因による死亡予測――解除》
《現地治療を継続》
昇降機も、物資も落ちた。
けれど、三人は箱の中にはいなかった。
白夜の振動が、私の鼓動へ重なる。
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旧中継拠点の護衛の反応が動いた。
わずかに位置を変え、周囲の五人と重なる。
『瓦礫の下から出した』
「左脚は?」
『折れている。出血は止めた』
「生命反応が低い」
『担架で安全な区画へ運ぶ。ここからは治療班へ渡す』
《周辺救助者による離脱を確認》
《環境要因による死亡予測――解除》
《現地治療を継続》
脚は折れている。
昇降路の一人も、まだ意識を失っている。
それでも、瓦礫も、傾いた昇降機も、もう四人を押し潰そうとはしていなかった。
同期は続いている。
私は四人の生命反応を視界の端へ置いたまま、白夜から手を離さなかった。
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《管理者同期率――一〇〇%》
《左肩周辺組織――接続安定》
《管理者同期補助――完了》
《第一修復工程――再開》
《第一修復工程完了予測――四十七分後退》
手のひらの下で、白夜の振動が一定になった。
待機していた縫工守たちが、止めていた作業へ戻っていく。
「四人は?」
『全員、生きてる』
レオンが答えた。
「昇降路の一人は?」
『右の腰から下を強く圧迫されている。意識はまだ戻っていない』
「護衛は?」
『左脚を折ってる。だが、もう瓦礫の下にはいない』
「物資は?」
『昇降機ごと落ちた』
旧中継拠点の護衛は、担架で安全な区画へ運ばれている。
昇降路の三人は、点検通路を地上へ向かっていた。
一人は意識を失ったままだった。
昇降機と物資は失われ、白夜の修復は四十七分遅れた。
全部は残らなかった。
それでも、四人の名前は消えていない。
私は二つの救助を、最後まで見ていなかった。
けれど、四人を瓦礫の下と、傾いた昇降機の中から出したのは、私の手ではなかった。




