第二十二話《深淵潮汐》
《第一修復工程――進行率三四%》
《左肩内部骨格――支持処理を継続》
《第一帰還班――上方移動を確認》
白夜の左肩内部では、架工守が固定した支持材へ、縫工守が裂けた組織を結び直していた。
修復工程は止まっていない。
視界の端では、第一層へ入った人間たちの名前が、少しずつ上へ移動していた。
旧中継拠点へ残る研究員と護衛の反応だけが、途中で止まっている。
そのほかは、地上へ向かっていた。
レオン。
リノ。
ガレス。
エドガー。
ダリオの反応だけは、ほかより遅い。
それでも、両側には担架を運んでいる人間の反応があった。
生命反応も残っている。
私は連絡しなかった。
急がせても、地上までの距離は短くならない。
白夜の左肩へ視線を戻す。
架工守が支持材の位置を調整する。
縫工守が、その周囲を少しずつ閉じていく。
《左肩内部骨格――固定率七一%》
《追加管理者判断――不要》
私が見ていなくても、今は進められる。
それでも、視界の端から名前を消すことはできなかった。
ダリオ。
リノ。
ガレス。
エドガー。
レオン。
並び順は、地上へ近い順に変わっていく。
やがて、先頭の反応が第一層の外へ出た。
続いて二つ。
四つ。
担架を囲む反応も、ゆっくり地上へ到達する。
《第一帰還班――地上到達を確認》
名前は消えなかった。
地上へ戻っただけだった。
その直後、接触印が開いた。
『戻った』
レオンだった。
「見えてる」
『そうだったな』
周囲で、人が走る音がする。
担架を下ろす声。
治療院へ運べという指示。
『ダリオも生きてる』
「右脚は?」
『残せる可能性が高い。リノがそう言ってる』
レオンの近くで、リノの声がした。
『可能性が高いじゃなくて、残すのよ。勝手に弱めないで』
『本人に聞かせる言い方じゃないだろ』
『本人にはもっと強く言ったわ』
「意識はある?」
『ある。痛くて悪態をついてる』
「なら、大丈夫?」
『大丈夫にする』
リノの声は遠ざかっていった。
担架と一緒に治療院へ入ったらしい。
『白夜は?』
レオンが聞く。
「三四%」
『進んだな』
「救助してる間、二十七分止まった」
少しだけ間が空いた。
『助けたんだな』
「約束したから」
『白夜より優先するって?』
「うん」
『そうか』
責める声ではなかった。
修理を急がせたのはレオンだった。
それでも、救助を選んだことを間違いとは言わなかった。
接触印の向こうで、何か重いものを壁へ立てかける音がした。
剣かもしれない。
『ガレスもエドガーも戻ってる。重傷者はダリオだけだ』
「七人、怪我した」
『全員、生きて帰った』
数字は同じではなかった。
怪我をしていないことと、帰ってきたことも同じではない。
けれど、今日は帰ってきた方を数えるらしい。
「うん」
そう答えると、胸の奥に残っていたものが少し下がった。
なくなったわけではない。
名前が動いている間、そこにあったことへ気づいていなかった。
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『血のことも確認した』
地上の騒音が少し遠くなってから、レオンが言った。
「三つとも?」
『観測機構に入れた分は、旧中継拠点に残した』
「止めないの?」
『今は観測を続ける。研究員と護衛も残る』
旧中継拠点には、私の血が残っている。
その血を鍵にして、観測機構は第一層を通過する変化を見続ける。
「残りは?」
『二本とも未使用だ。一つは治療院の封印棚。もう一つは地上観測所で保管する』
「私に聞かずに使わないで」
『研究班にも伝える』
「開ける時も呼んで」
『分かった』
一本は奈落へ残った。
二本は地上へ戻った。
自分の身体から離れた血だった。
傷つけられても痛くない。
失われても、今の身体は死なない。
それでも、誰が触り、どこへ置くのかは知っておきたかった。
血だからなのか。
私のものだからなのか。
違いは分からない。
「保管場所、忘れないで」
『忘れない』
レオンはすぐに答えた。
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それからしばらく、接触印は閉じた。
レオンたちは帰還後の報告と負傷者の処置を進め、私は白夜の修理を続けた。
左肩の支持材が固定される。
裂けていた組織の端が、縫工守の手で少しずつ寄せられていく。
《左肩内部骨格――固定完了》
《周辺組織の接続処理へ移行》
《第一修復工程――進行率三五%》
《左肩周辺組織――接続率一七%》
《接続率二〇%到達後、管理者同期補助を要求》
《同期補助推定時間――四十二分》
一%増えた。
あと三%で、私の補助が必要になる。
白夜の組織が私の生体反応へ合わせられるまで、接続を維持しなければならないらしい。
始めれば、四十二分は白夜から離れられない。
同期中も、救難信号そのものは受け取れる。
けれど、周辺構造を開き、現場へ細かな指示を出す余裕はなくなる。
救助で止まった二十七分がなければ、もう少し進んでいたかもしれない。
けれど、ダリオの右脚は残る。
両方を比べるための数字は表示されなかった。
白夜の内部から居住区へ戻ろうとした時、接触印が再び開いた。
『今、話せるか』
レオンだった。
さっきまでの騒音は聞こえない。
静かな場所へ移動したらしい。
「話せる」
『戻ったら話すと言ったな』
「うん」
短い沈黙があった。
言葉を選んでいる。
レオンは、話さないための言葉を選ぶ時にも、同じ間を置く。
『奈落の下から魔物が押し上げられている異変には、名前がある』
「何?」
『《深淵潮汐》だ』
知らない言葉だった。
「潮?」
『水が上がってくるわけじゃない』
「じゃあ、何が上がるの?」
『一つじゃない』
レオンはゆっくり話した。
『下にいた魔物が上がってくる。今まで通れた道が崩れる。地脈が乱れて、動いていた設備が止まる』
「全部、同時に?」
『最初は別々に起きる』
「そのうち重なる?」
『ああ』
第一層へ向かっていた反応群。
崩れた足場。
奈落下方から届いた認証要求。
別々に起きているように見えていた。
「最後は?」
接触印の向こうから、しばらく返事がなかった。
『奈落が、それまでの形を保てなくなる』
「崩れるの?」
『崩落だけじゃない。通じていた道が途切れる。地上に近い場所まで、下の変化が届く』
「地上も?」
『届く』
レオンの声は平らだった。
怖がらせないようにしているのではない。
怖がる部分を、もう通り過ぎた声だった。
「どこまで知ってるの?」
『仕組みは知らない。起きたあとにどうなるかを、一部知っている』
「どうなるの?」
『人間が住める場所が減る。最後には、救助が追いつかなくなるだろう』
「最後にどうなるかまで知ってる?」
『そこから先は話せない』
「..どうして?」
『お前が、まだ起きていないことまで自分の責任にするからだ』
「起きるって分かってるなら、準備した方がいいんじゃないの?」
『準備と、全部を引き受けることは違う』
レオンは何度も私を止めようとする。
白夜を直せと言った。
奈落へ行くなと言った。
救難信号には応じていいとも言った。
何をさせたくて、何をさせたくないのか。
まだ、全部は分からなかった。
修復中の白夜を見上げる。
「白夜は、深淵潮汐に必要なの?」
『必要になる可能性が高い』
「何ができる?」
『崩れた奈落の内部を移動できる。地上の人間だけでは届かない場所へ行ける』
「深淵潮汐を止められる?」
『分からない』
「分からないのに、直せって言ったの?」
『結果を知っていることと、解決方法を知っていることは同じじゃない』
その言い方が、少しだけ引っかかった。
「白夜があれば、何が変わる?」
『選べることが増える。お前が一人で選ばなくて済む。俺たちにも、選べることが残る』
「私が選ばなくて済む?」
白夜がなければ届かない。
白夜があれば、届くかもしれない。
今の説明で分かったのは、それだけだった。
「十日では遅いって言った」
『言った』
「どうして?」
『最初の上向き移動が第一層へ届いた時点で、もう待てる段階ではない』
「どれくらい残ってる?」
『分からない』
「十日より短い?」
『その可能性が高い』
「理由は?」
『第一層へ出ている反応の規模が大きすぎる。俺が想定していたより、進行も早い』
「何と比べてるの?」
返事が止まった。
接触印は切れていない。
「レオン」
『それには、まだ答えられない』
それ以上、同じ聞き方をしても答えないと思った。
「八日で直せる予定」
『予定は変わる』
「救難信号が来たら止める」
『分かってる』
「止めないでとは言わない?」
『言えない』
今度は、すぐに答えた。
『白夜を直してほしい。だが、目の前の人間を見捨てろとは言えない』
「困る?」
『困ってる』
「私も」
二人とも、解決する言葉を持っていなかった。
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「下からの要求は?」
私は視界に残していた表示を開いた。
《外部認証照合要求――継続》
《応答状態――保留》
『応答しないままでいい』
「白夜を直すのに必要かもしれない」
『必要だとしても、正体を確かめる前に触るな』
「私の血を求めてる」
『だから危険なんだ』
「私を知ってる設備かもしれない」
『お前を知っていることと、お前のために動くことは同じじゃない』
レムナも、私の血を管理者のものとして認識した。
観測機構も同じだった。
奈落の下にある何かも、同じ鍵を求めている。
そのすべてが、私を助けようとしているとは限らない。
『白夜を直す』
レオンが言った。
『観測を続ける。要求には応答しない』
「今は?」
『今は、それでいい』
答えが足りているとは思わなかった。
けれど、今ある情報で選べる範囲は、それしかなかった。
「分かった」
『エルセリア』
「何?」
『話せなくて悪い』
少しだけ意外だった。
「話した」
『全部じゃない』
「前よりは話した」
接触印の向こうで、短く息を吐く音がした。
笑ったのかもしれない。
『そうだな』
接触印を閉じようとした時、別の印が重なった。
『旧中継拠点から緊急報告だ』
エドガーだった。
声の向こうで、研究員が観測結果を読み上げている。
『観測機構の環境測定部でも反応を確認。第一層で広域振動が発生しています。複数地点で構造変位を検出』
「場所は?」
『細かな位置までは取れません。振動の起点も特定できていません』
複数地点が、ほとんど同時に動いた。
偶然にしては、近すぎる。
その直後、救難網が警告を出した。
《新規救難信号を受信》
《救難事案――二件》
《発生地点――別地点》
視界へ最初の事案が開く。
一つは、旧中継拠点へ残った護衛だった。
《救難対象――一》
生命反応が急激に低下している。
救難信号に伴い、周辺構造の局所解析が始まる。
《上部構造崩落》
《左下肢圧迫》
《周辺救助到達可能性――あり》
もう一つは、古い昇降路を地上へ向かっていた後続の物資運搬班だった。
《救難対象――三》
三人の生命反応が、同じ場所で止まっている。
《昇降機構停止》
《支持索損傷》
《自力離脱――不能》
《環境要因による死亡予測――上昇》
救難情報を確認している間にも、白夜の接続処理は進んでいた。
《左肩周辺組織――接続率二〇%》
《管理者同期補助を要求》
《推定所要時間――四十二分》
《補助開始まで修復工程を待機》
二件の救難事案。
四人の救難対象。
一つの同期工程。
どれも、私の判断を待っていた。
『エルセリア』
レオンの声が聞こえた。
「見えてる」
『これが深淵潮汐の影響なら、これから増えるのは魔物だけじゃない』
「何が増えるの?」
『助けを求める人間だ』
二つの救難信号と、停止した修復工程が視界に残った。
白夜は待てる。
けれど、今度は一人ではなかった。




