第二十一話《応答》
《第一修復工程――進行率三一%》
《左肩内部骨格――損傷範囲を測定中》
《右膝荷重支持機構――安定》
《地上登録者生命反応――観測継続》
白夜の左肩内部では、架工守が足場を伸ばしていた。
折れた支持骨格の間へ細い梁を渡し、診工守が亀裂の深さを測定している。縫工守は裂けた組織の端を固定し、搬工守が交換用の支持材を運んでいた。
今のところ、修理は止まっていない。
視界の端には、作戦隊の生命反応を表示してある。
レオン。リノ。ガレス。エドガー。
ほかにも、第一層へ入った人間の名前が並んでいた。
作戦参加者は、出発前に救難網へ登録してある。
救難網で分かるのは、登録者の大まかな位置と生命反応だけだった。奈落の干渉が強い場所では、表示が途切れることもある。
それでも、今のところ全員の反応は残っている。少しずつ、地上から下へ移動していた。
その中でも、連絡役のレオン、リノ、ガレス、エドガーには、一時的な接触印を与えてある。
救難網で位置と生命反応を確認し、必要な時だけ直接声を交わすためだった。
けれど、今は誰からも連絡がない。
作戦中なのだから、その方がいい。少なくとも、怪我人や異常を知らせる連絡は来ていない。
そう考えていると、接触印が震えた。
『エルセリアさん』
リノの声だった。
「いる」
『第一層へ入ったわ』
「怪我人は?」
『今のところ、自分で歩けない人はいない』
「レオンは?」
短い間が空いた。
『先行班にいる。生きてるわよ』
「聞いてない」
『聞く顔をしてると思ったから』
姿は見えていない。
「今、顔は見えない」
『見えなくても分かることはあるの』
リノの近くで、金属を床へ下ろす音がした。複数の声も聞こえる。
『観測機構を一度仮設するみたい。少し待って』
接触印が切れた。
視界の端で、作戦隊の反応が止まる。
旧中継拠点より手前。第一採取路へ入ったばかりの場所だった。
私は白夜の左肩へ意識を戻した。
《損傷範囲測定――六二%》
《支持材仮配置――継続》
まだ、私の判断は必要ない。
作業個体へ任せたまま、作戦隊の反応を見続ける。
しばらくして、別の接触印が開いた。
『エルセリア』
レオンだった。
「いる」
『観測機構が動いた』
周囲では、研究員が何かを読み上げている。声が遠く、すべては聞き取れない。
『上向きの生体移動を三系統で確認した。高密度の反応が、第一採取路の東側へ近づいている』
「どれくらい?」
『数は確定できない。少なくとも、今の先行班より規模が大きい』
視界へ、出発前に共有された第一層の旧地図を開く。
東側には、崩れた採掘路が記されている。西側には、狭い保守通路が残っていた。
封鎖前の地図だから、今も通れる保証はない。
「東へ行かないで」
『西は狭い』
「荷車は通らない。でも、人は通れるかもしれない」
『工兵に確認する』
連絡の向こうで、レオンが誰かへ指示を伝えた。
少しして、作戦隊の反応が二つに分かれる。工兵が先に西側を確認し、その後を先行班が進み始めた。
東側へ向かう反応はない。
『保守通路は残っていた。進路を変える』
「群れは?」
『まだ見えない』
「見えないうちに離れて」
『そのつもりだ』
接触印が閉じる。
数分後、再びレオンから連絡が入った。声の向こうで、研究員が何かを叫んでいる。
『高密度反応が、先ほどまで先行班のいた場所を通過した』
「どこへ向かってる?」
『上層側だ。こちらへの接近はない』
戦闘は起きなかった。
私の血が動かした装置が、誰かが魔物を見る前に危険を知らせた。
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《左肩内部骨格――損傷範囲測定完了》
《修復手順の選択を要求します》
表示へ、三つの案が現れた。
外側から固定する方法。内側の骨格を先に持ち上げる方法。破損した一部を切り離してから交換する方法。
それぞれに必要な時間と、組織への追加負荷が表示されている。
確認しようとした時、救難網に新しい信号が入った。
《救難対象候補を確認》
《登録名――ダリオ・メルク》
《所属――王国工兵隊》
《位置――奈落第1層・第一採取路》
《右下肢損傷》
《自力離脱――不能》
《周辺救助到達可能性――あり》
視界へ位置を開く。
作戦隊の後方。少し前まで複数の工兵がいた場所から、一つだけ反応が下へ落ちている。
ダリオは、床下に残った空間へ落ちていた。けれど、崩れた壁材と床に遮られ、通路側からは姿が見えない。
収容判定のために取得された周辺構造を、生命反応へ重ねて表示する。
精密に見えるのは、救難対象の周囲だけだった。
崩れた床。床下に残った空間。通路との間を塞ぐ壁材。横倒しになった太い柱。
ダリオの右脚は、その下に挟まれている。
《管理者判断を要する異常を確認》
《左肩内部骨格――修復手順を選択してください》
《判断待機により修復工程を停止》
白夜は待てる。落ちた工兵は待てない。
「左肩の状態を保持して。全作業を停止」
《肯定》
《第一修復工程――待機》
接触印を開く。
「ガレス」
返事はすぐに来た。
『聞こえてる』
「後ろで工兵が一人落ちた」
『どこだ』
「今いる場所から戻って。崩れた足場の近く」
『こっちでは見えん』
「床下に空間が残ってる。壁材に塞がれて、通路からは見えない」
視界へ位置を重ねる。
ガレスの反応が戻り始めた。その後ろを二人が追っている。
「止まって」
『止まった』
「右側。崩れた床の近く」
『瓦礫しかないぞ』
「三歩下がって。床を叩いて」
鈍い音が、接触印の向こうから聞こえた。
一度。二度。三度目だけ、音が少し低い。
『下に空間がある』
「そこ。床を壊して」
『崩れないか?』
周辺構造を確認する。
空洞の上には、太い梁の残骸が横たわっていた。床の中央は薄い。端から壊せば、梁まで落ちる。
「中央だけ。広げすぎないで」
『分かった』
石を砕く音が続く。
その間にも、ダリオの生命反応が少しずつ弱くなっていた。
《呼吸状態――低下》
《胸部圧迫の可能性》
「急いで」
『やってる』
穴が開いたらしい。人の声が重なる。
『いたぞ!』
『脚が挟まってる!』
『縄を下ろせ!』
ガレスの声が近づく。
『エルセリア、下はどれくらいある』
「四メートルくらい。右側に崩れた柱がある。脚はその下」
『柱を持ち上げる』
「先に身体を固定して。急に動かすと落ちる」
『聞いたな! 腰へ縄を回せ!』
ガレス以外の返事が聞こえた。
救難対象の周囲へ、複数の反応が集まる。
一人が下へ降りる。二人が上から縄を支える。ガレスは穴の縁に残った。
『引くぞ』
「まだ」
『何だ』
「右脚の位置が変わってない。柱が残ってる」
『見えてるのか』
「位置だけ」
『なら、信じる』
石が擦れる音がした。誰かが呻く。
少しして、ダリオの反応が上へ動き始めた。
四メートル。三メートル。二メートル。
救助者たちの反応と重なる。
《周辺救助者との接触を確認》
《自力離脱不能状態――継続》
《死亡予測――低下》
「リノ」
『もう向かってる』
「右脚。胸も圧迫されてた」
『分かった。意識は?』
ガレスの向こうで、誰かが名前を呼んでいる。弱い返事が聞こえた。
「ある」
『なら、まだ間に合う』
視界の表示が変わる。
《周辺救助者による離脱を確認》
《環境要因による死亡予測――解除》
《緊急収容条件――不成立》
《現地治療を継続》
赤かった文字が、通常の白へ戻った。
息を吐く。
必要だったのかは分からない。今の身体は、息を止めても苦しくならない。
それでも、表示が戻るまで吸っていなかった。
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白夜へ意識を戻す。
《第一修復工程――二十七分間停止》
《左肩内部骨格――状態維持》
壊れてはいない。作業個体も、指定した位置で待っている。
「修復を再開する」
《修復手順を選択してください》
三つの案を確認する。
切断は追加損傷が大きい。外側から固定すると時間がかかる。
内側の骨格を先に持ち上げ、残った組織を後から固定する。
「第二案。内側から支えて」
《選択を確認》
《左肩内部骨格――支持処理を開始》
止まっていた架工守が動き始める。搬工守が支持材を運び、縫工守が固定位置へ移動した。
救助はできた。白夜も壊れていない。
けれど、一つを選んだ時間だけ、もう一つは止まっていた。
今日は一人だった。
救難信号が十件なら。百件なら。
同じようには進まない。
表示の端では、ダリオの生命反応が治療班と一緒に移動している。
白夜の修復率は、まだ三一%のままだった。
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第一層から次の連絡が来たのは、それから一時間ほど後だった。
『観測結果が更新された』
エドガーの声だった。
「何が分かったの?」
『複数の反応群が、近接したまま上方へ移動している』
後ろで研究員が表示を読み上げる。
『反応群が交差しても、大きな分散や長時間の停滞は確認できません。規模と移動速度の異なる反応が、ほぼ同じ方向へ進んでいます』
「追いかけてる?」
『その可能性はあります。ただ、一つの反応群がほかを追跡している動きには見えません』
先ほど報告された反応群を思い出す。
規模も、移動速度も違っていた。それでも、すべてが同じように上へ向かっていた。
「上へ行きたいんじゃない」
『どういうことだ』
「下から逃げてる」
接触印の向こうが静かになった。
別の声が入る。
『エルセリア』
レオンだった。
「いる」
『俺もそう思う』
「知ってた?」
少し間が空いた。
『こうなる可能性は知っていた』
「ここまで?」
『ここまで上へ広がっているとは思っていなかった』
今度の声には、迷いがなかった。知らないことを、知らないと言っている。
近くで研究員が声を上げた。
『東側の支路を下れば、移動の起点へ近づける可能性があります』
別の男が応じる。
『予定にはない。第一採取路を確保する方が先だ』
レオンだった。
研究員が食い下がる。
『原因を調べなければ、また流入します』
『今日の目的は原因の特定じゃない』
『ですが――』
『第一採取路と旧中継拠点を確保する。下には行かない』
「調べないの?」
私が聞く。
『今はな』
「原因があるかもしれない」
『あるだろう』
「なら」
『原因を見つけるために、帰る人間を減らすつもりはない』
短く言い切った。
『調べるなら、帰って準備してからだ』
「レオンは行かない?」
『今は行かない』
言葉の前に、ほとんど間がなかった。
何かを確かめることより、戻ることを選んでいた。
接触印の向こうで、エドガーが指示を引き継ぐ。
『第一採取路の障害物を撤去する。旧中継拠点まで進み、予定どおり仮設灯を設置する』
作戦隊の反応が再び動き始めた。
下ではなく、前へ。最初に決めた目的へ向かって。
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日が高くなる頃、旧中継拠点から連絡が入った。
『拠点内部を確保した』
エドガーの声に、周囲の騒音が重なっている。
木材を打つ音。石を移動させる音。誰かが仮設灯へ魔力を流している。
『負傷者は七名。重傷者はダリオ一名だが、生命に危険はないとリノが判断している』
「歩ける?」
『今日は無理だそうだ。担架で運ぶ』
ガレスが二つ用意していたうちの、一つを使うらしい。
『第一採取路の一部を通行可能にした。旧中継拠点へ治療班と物資を置ける』
「作戦は終わり?」
『最低限の目標は達成した。残りは帰路の確認と観測機構の移設だ』
誰かが帰るための場所を確保した。
まだ、奪還と呼べる範囲は小さい。それでも、封鎖されていた奈落へ一つ灯りが戻った。
荷物を動かす音が続く。
『仮設していた観測機構を、旧中継拠点へ移す。ここなら俺たちが撤収したあとも観測を続けられる』
レオンの声だった。
「血も残すの?」
『装置を動かしている分は、そのままだ』
「予備は?」
『リノが持っているものと、研究班の箱に入れたものは持ち帰る』
三つに分けた血のうち、一つだけが奈落へ残る。残りの二つは、作戦隊と一緒に地上へ戻る。
しばらくして、研究員の声が聞こえた。
『観測機構を固定する』
金具を締める音が続く。
『生体鍵認証、継続。観測出力、安定』
次の瞬間、白夜の内部で警告音が鳴った。
《外部認証照合要求を受信》
《要求元――識別不能》
《要求された認証鍵――管理者生体情報と部分適合》
《応答許可――待機》
「レムナ」
《待機しています》
「何が起きてる?」
《外部設備より、生体認証照合要求を受信しています》
「第一層の装置?」
《否定》
《要求発信位置――観測可能範囲外》
同時に、接触印の向こうで研究員が声を上げた。
『表示が増えた!』
『読み上げろ!』
『生体鍵認証は継続。外部生体照合要求を検出。要求元、複数』
エドガーの声が入る。
『複数とはいくつだ』
『数を確定できません。位置は観測範囲外。要求内容も解析不能です』
私の血を入れた観測機構が、奈落の下から何かを受け取っている。
レムナ側にも、同じ要求が届いていた。
「どこから来てるの」
《奈落下方》
「第一層より下?」
《肯定》
「どのくらい下?」
《測定不能》
表示には、応答許可の選択が残っている。
許可。拒否。保留。
何が待っているのか分からない。
白夜の名前を知っていたレオンも、今の奈落の状態までは知らなかった。未知の設備を起動させる理由はない。
「まだ応答しないで」
《肯定》
《外部認証照合要求――保留》
けれど、表示は消えなかった。
《外部認証照合要求――継続》
第一層側の観測機構も、同じ要求を受信している。
『エルセリア』
レオンの声だった。
「いる」
『そっちにも届いたのか』
「届いてる」
『応答したか?』
「してない。保留にした」
『そのままでいい』
「知ってるもの?」
短い沈黙。
『知らない』
その答えも、本当のように聞こえた。
『血を入れたことで、下にある設備が反応した可能性がある』
「私の血を探してる?」
『分からない』
「レオンにも分からない?」
『ああ』
「そう」
接触印は切れなかった。
互いに話さないまま、別々の場所で消えない要求を見ていた。
レオンたちは第一層にいる。私は白夜の内部にいる。
その間には、地上からでは測れない深さがある。
私の代わりに奈落へ向かったのは、血だけだった。
その血が観測機構を動かし、人間を危険から遠ざけた。今度は、さらに下にある何かが、その血へ応えている。
《外部認証照合要求――継続》
私は応答を許可していない。
それでも、奈落の下から届く要求は消えなかった。




