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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第四部《奈落艦レムナ》

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第二十話《境界線》

作戦開始日の朝は、まだ暗かった。


《第一修復工程――進行率二七%》


《右膝荷重支持機構――固定完了》


《左肩内部骨格――固定処理を開始》


《第二生体循環路――安定》


《管理者判断を要する異常――なし》


昨夜のうちに、右膝の固定結果を確認した。


交換した支持材へ負荷をかけ、関節が白夜自身の重さに耐えられることも確かめてある。


左肩の修復も、今日一日分は指示した。


異常がなければ、架工守が内部へ足場を組み、診工守が損傷箇所を測定する。搬工守は指定した支持材を運び、縫工守が裂けた組織を固定する。


私がいなくても、修理は止まらない。


救難網の表示も、地上から確認できるようにした。


白夜の修理と、第一層の作戦。その両方に対応できる。


そう判断して、奈落へ入るための外套を着た。


---


西門前では、作戦隊が出発準備を終えていた。


作業灯の下に、武器や治療箱、工兵用の資材が並んでいる。荷車の底には、昨日ベルクの店から運んだ固焼きのパンが積まれていた。


レオンは探索者組合の入口近くにいた。


腰へ剣を下げ、背中には短い槍と荷物を固定している。私が近づくと、こちらの外套を見た。


「私も行く」


「駄目だ」


返事は、考えるより早かった。


「どうして」


「白夜を直せ」


周囲の音が、少し遠くなった。


荷物を縛っていたガレスの手が止まる。リノも、治療箱から顔を上げた。


「……今、何て言ったの?」


「白夜を直せ」


聞き間違いではない。


私はレムナへ意識を向けた。


「レムナ」


《待機しています》


「白夜の名前を、地上の人間へ伝えた?」


《否定》


《当艦所属情報の外部開示記録――該当なし》


「作業個体が話した可能性は?」


《地上人物との接触記録――該当なし》


通信を閉じた。


白夜という名前を知っているのは、私とレムナだけだった。地上の人間を第六主層へ連れていったこともない。


「誰から聞いたの」


「誰からも聞いてない」


「なら、どうして知ってる?」


レオンは答えなかった。


嘘を考えているようには見えない。けれど、本当のことをすべて話すつもりもない顔だった。


「白夜が何か知ってる?」


「お前が使うものだ」


「どこにある?」


「知らない」


「どんなものかも?」


「ああ」


場所も形も知らない。それでも、名前と役割だけは知っている。


「次の工程は指示してある」


私は言った。


「今日一日なら、私がいなくても修理は進む」


「今日だけの話じゃない」


「いつまで残るの」


「白夜が動くまでだ」


「最低限でも十日かかる」


レオンの指が止まった。


革手袋を締めていた手が、そのまま動かなくなる。


「十日では遅い」


「何に?」


答えはなかった。


「白夜の場所も、壊れ方も知らないのに?」


「知らない」


「それでも、十日では遅いと分かる?」


「分からないから急がせてる」


「分からない顔じゃない」


レオンが私を見る。


少しの間、視線が重なった。先に逸らしたのはレオンだった。


組合の壁際には、大きな金属箱が置かれている。研究員たちが周囲へ固定具を取りつけていた。


研究所で見た深淵調査装置。


以前は何度試しても起動せず、私が近づいた時だけわずかに反応したものだった。


「それを確かめるために、今日は第一層へ行く」


「白夜と、あれが関係ある?」


「可能性はある」


「奈落の下で起きてることにも?」


レオンの目がわずかに動いた。


「やっぱり、何か知ってる」


「その異変には、名前がある」


「何ていうの?」


「今は言えない」


「またそれ」


「説明できるだけの確証がない」


ガレスが立ち上がった。


「レオン」


声が低い。


「お前、何を知ってる」


「戻ったら話す」


「俺たちにもか?」


「話せる範囲ならな」


「それじゃ足りん」


「ああ」


レオンは否定しなかった。


ガレスはしばらく見ていたが、それ以上は追及しなかった。出発前に答えが出ないことを理解しただけだった。


私も納得していない。


「私が第一層へ行けば、死ぬ人は減る」


「分かってる」


「その場で治療もできる」


「ああ」


「白夜の修理は、今日なら止まらない」


「それでも残れ」


「理由は言えないのに?」


「言えないから、頼んでる」


命令ではなかった。それでも、譲るつもりがないことは分かった。


レオンは準備を続ける人々へ視線を向けた。


兵士、工兵、探索者、教会騎士、治療師、研究員。


「第一層へ行ける人間はいる」


「白夜を直せるのは私だけ」


「ああ」


「だから、私を残す?」


「そうだ」


「白夜は今すぐ必要じゃない」


「今すぐじゃないから急げ」


「知らないことばかり」


「ああ」


レオンは起動していない深淵調査装置を見た。


「それでも、今日が分かれ道だ」


「私が第一層へ行くか、白夜を直すか?」


「そうだ」


「どっちが正しいか分かってる?」


「分からない」


今度は、すぐに答えた。


正しい道を知っているわけではない。ただ、私に選ばせたくない方だけは決まっているようだった。


私は救難網を開いた。


今のところ、新しい信号はない。作戦隊の登録者は、すでに地上側の表示へ追加してある。


「救難信号が来たら助ける」


「ああ」


「第一層でも」


「届くならな」


「白夜より優先する」


「それでいい」


「レオンたちも同じ」


「助けろ」


少し考える。


白夜へ残ることと、救助を諦めることは違う。


作業個体では判断できない修復工程がある。それを進められるのは、私だけだった。


「なら、残る」


レオンの肩から、わずかに力が抜けた。その反応が、余計に分からなかった。


「ただし」


「何だ」


「戻ったら話して」


「話せるところまでなら」


「約束?」


「ああ」


本当に話すつもりがあるのかは、まだ分からなかった。


「それと、血を分けてくれ」


「今度は血?」


「ああ」


「飲む?」


「飲まない」


レオンは深淵調査装置を示した。


「古代装置がお前に反応したなら、姿や声以外のものを認識した可能性がある」


「血で動かす?」


「試したい」


推測としては不自然ではない。研究員でも思いつく内容だった。


けれど、レオンの言い方には迷いがなかった。


「動くと思ってる?」


「可能性は高い」


「試す時の顔じゃない」


レオンの眉がわずかに動いた。


「必要だと知ってる顔」


返事はなかった。


リノが私たちの間へ入る。


「採るなら、私がやるわ」


手には細い針と保存容器がある。


「どれくらい必要なの?」


「身体に影響が出ない範囲で、三つに分けてほしい」


レオンが答えた。


「三つ?」


「一つは装置へ。もう一つはリノが持っていてくれ。最後の一つは、後衛の研究員に持たせる」


「全部、奈落へ運ぶの?」


「ああ」


「同じ隊なら、分ける意味は薄いわ」


「持つ班を分ける。装置は研究班。お前は治療班。最後は後衛の予備部品箱へ入れる」


リノはレオンを見た。


「何に使うつもり?」


「装置が止まった時の再起動か、同じ認証方式の遺物を見つけた時のためだ」


「見つかると思っているの?」


「分からない」


「分からないもののために、エルセリアさんの血を持ち歩くの?」


「必要になってから採ることはできない」


私は第一層へ行かない。必要になっても、その場にはいない。


その点は正しかった。


リノはまだ納得していない。


「血は薬でも道具でもないわ」


「分かってる」


「用途を説明できないまま、採血量を決めることはできない」


「だから、決めるのはエルセリアだ」


レオンが私を見る。


私は自分の腕へ目を落とした。


血を少し失っても、身体は修復できる。保存血を飲めば、失った分も補える。


三つに分けても、量は多くない。


「身体に影響が出ないならいい」


「エルセリアさん」


「私が決めた」


リノはしばらく黙っていた。


やがて、小さく息を吐く。


「少しでも異常が出たら止めるわ」


---


組合の奥にある処置室へ入った。


椅子へ座り、左腕の袖を捲る。リノが腕を消毒し、針を刺した。


透明な管の中を、赤い血が流れていく。


自分の身体から離れた血は、戻ってこない。


小さな容器が満たされるたび、リノが新しいものへ交換した。


「気分は?」


「変わらない」


「目眩は?」


「ない」


「喉は?」


「まだ渇いてない」


レオンは扉の近くに立っていた。


採血される私を見ている。白夜の名を口にした時より、表情が硬い。


「そんなに気になる?」


「必要にならない方がいいと思ってる」


「でも持っていく」


「ああ」


「矛盾してる」


「知ってる」


三本目の容器が満たされる。


リノが針を抜き、布を当てた。


《微小損傷を確認》


《再生を開始》


針の傷は、すぐに閉じた。


採取した血の一つが、深淵調査装置へ運ばれる。二つ目は、リノの治療箱へ収められた。


三つ目は研究員が受け取り、後衛班の予備部品箱へ入れる。ほかの器具に紛れないよう、内側へ赤い札がつけられた。


三つとも、私の手元には残らない。


研究員が装置中央の受け皿へ、一滴だけ血を落とした。


赤い液体が、細い溝に沿って広がる。


何も起きない。


研究員の一人が装置へ顔を近づけた。


「反応なし」


その直後、低い音が鳴った。


装置の内部へ、白い光が走る。


一つ。二つ。


止まっていた表示板へ、古い文字が浮かび上がった。


《生体鍵を確認》


《認証照合――開始》


《適合》


《旧式深淵観測機構――起動》


研究員たちが一斉に動き始める。


「起動した!」


「観測盤を開け!」


「出力が上がっている。固定具を締めろ!」


エドガーも装置の前へ来た。


「血液だけで認証したのか……」


私は表示ではなく、受け皿へ残った血を見ていた。


自分の身体から離れた血は、もう私の命を支えていない。触れても、痛みは伝わらない。失われても、私の身体は傷つかない。


それでも古代装置は、それを私だと認識した。


研究員が観測機構の外装を開く。


内部で複数の環が回転し始め、表示が切り替わった。


《奈落下方より上向きの生体移動を検出》


《複数階層にて移動方向の一致を確認》


《移動原因――不明》


《発生源――観測範囲外》


室内の声が止まった。


中層種が第一層へ流れ込んでいる。それだけではなかった。


さらに下の階層でも、同じ方向へ生物が移動している。


下から上へ。


何かから離れるように。


研究員たちが表示を書き写し始める。


「複数階層って、どこまでだ?」


「範囲が確定できない。下限が観測外だ」


「第一層の流入だけではないのか?」


エドガーの表情が硬くなる。


装置が起動した時より、観測結果が表示された時の方が、レオンははっきり驚いていた。


「レオン」


呼ぶと、こちらを見る。


「何?」


「今、驚いた」


「この結果なら誰でも驚く」


「装置が動いた時は、驚かなかった」


「動く可能性があると思っていたからだ」


「これは?」


レオンは表示へ目を戻した。


「分からない」


今度の答えは、本当にそう聞こえた。


---


深淵観測機構は、厚い輸送枠へ固定された。


研究班が装置を管理する。リノは治療箱を背負った。三本目の血を入れた予備部品箱は、後衛の研究員が持っている。


同じ入口から奈落へ向かう。けれど、別の班が運ぶ。


一つを失っても、残りがある。


作戦隊が西門を出始めた。


昨日、名簿に並んでいた人たちが、それぞれの装備を持って列へ加わっていく。


私は通りの端に立った。


「リノ」


呼ぶ。


リノが振り返る。


「いるわ」


「ガレス」


「聞こえてる」


「エドガー」


「ここにいる」


最後にレオンを見る。


「レオン」


「戻る」


まだ、聞いていなかった。


レオンはそう答えてから、少しだけ眉を寄せた。


「戻るか聞くつもりだった」


「分かってる」


「どうして」


「顔に書いてある」


「書いてない」


「なら、俺が先に言いたかっただけだ」


レオンは隊列へ戻ろうとして、足を止める。


「救難網を見ていてくれ」


「ずっと見る」


「白夜も直せ」


「分かってる」


「それと、寝ろ」


「必要なら」


「必要でも寝ろ」


「戻ってきたら考える」


「俺たちが戻るまで直し続けるつもりか?」


「白夜が動くまで」


レオンが何かを言いかける。


けれど、結局は言わなかった。


「戻ったら話す」


「約束した」


「ああ」


朝日が、城壁の向こうから昇り始めた。


武器も、薬も、私の血も奈落へ向かった。


私だけが、白夜のもとへ戻った。


---


レムナへ戻ると、通知が表示された。


《地上受取地点に搬入物を確認》


《登録者――レオン・アルヴェイン》


「搬入物?」


《複数の資材を確認》


地上受取地点の映像を開く。


登録した場所に、大量の荷物が積まれていた。


耐熱布、封止材、固定具、滑車、牽引用の縄、酒精、潤滑油、照明用の低級魔核。


以前、白夜の修理用に集めたものと似ている。けれど、まだ私が集めていない種類も混ざっていた。


「誰が置いたの」


《搬入記録上の手配責任者――レオン・アルヴェイン》


出発前に運び込ませていたらしい。


「搬工守を地上受取地点へ」


《指示内容を確認します》


「荷物を地上搬入区画へ運んで。生活区画には入れない。種類ごとに分けて」


《肯定》


《搬工守三体を派遣します》


映像の中で、待機していた搬工守が動き始めた。


受取地点へ続く搬送路が開き、積まれていた荷物が一つずつ内部へ運ばれていく。


私も地上搬入区画へ向かった。


すべてが使えるわけではなかった。


固定具は大きさの合わないものが多い。封止材も、白夜の循環管には使えない種類が混ざっている。


用途の分からない道具もあった。


「診工守と薬工守を一体ずつ呼んで」


《肯定》


作業個体が到着する。


「白夜の修復工程と照合して。使えるものと、使えないものに分けて」


《実行します》


診工守が固定具を測定し、薬工守が封止材の成分を調べ始める。


私は積まれた資材の間を歩いた。


布の束。金属環。滑車。縄。


どれも古代兵装専用の部品ではない。地上で集められる、普通の資材だった。


しばらくして、照合結果が表示された。


《現工程で使用可能――六一%》


《規格不適合――二四%》


《用途未確定――一五%》


全部が合っているわけではない。


白夜の内部を知っているなら、不要なものは混ざらない。それでも、半分以上が使える。


《不足資材の一部解消を確認》


《第一修復工程――推定完了時刻を更新》


《従来予測より二日短縮》


二日。


十日では遅いと、レオンは言った。


二日縮まっても、まだ八日ある。


「使えるものは第六主層へ運んで」


《肯定》


「用途未確定のものは、ここへ残して。規格が合わないものも捨てないで」


《肯定》


指示を受け、搬工守が資材を台車へ積み始めた。


接触印を開く。


返事はない。すでに奈落へ入ったあとだった。


視界へ、地上側の反応を表示する。


レオン。リノ。ガレス。エドガー。


複数の生命反応が、登録座標から下へ移動している。


《奈落第1層への進入を確認》


その中に、私の血もある。


身体から離れたあとも、古代装置が私だと認めた血。


私は第六主層へ向かった。


レオンは白夜の修理方法を知らない。今の奈落で何が起きているのかも、すべて知っているわけではない。


それでも、私が不足に気づくより先に、必要になるものへ手を伸ばしていた。


その手が正しいものを掴む保証は、どこにもない。


それでも、レオンは私が選ぶより先に動いていた。


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