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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第四部《奈落艦レムナ》

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第十八話《奪還》

《白夜修復工程――自動継続中》


《生体循環系統――試験送液を継続》


《管理者判断を要する異常――なし》


表示を閉じた。


白夜の修理は止まっていない。


管路守が循環圧力を監視し、薬工守が流れ込んだ循環液の状態を調べている。掃工守は古い管から漏れた液体を回収し、架工守と搬工守は次の交換箇所へ足場を組んでいた。


今のところ、私が見ていなくても進められる。


だから、生活区画へ戻ってきた。


湯を浴び、汚れた作業服を縫工守へ渡す。髪を乾かしたあと、新しい服へ着替えるつもりだった。


けれど、白いシャツを一枚着たところで面倒になった。


裾は太腿の半ばまである。


レムナの中には作業個体しかいない。困る相手はいなかった。


台所で保存血を小さな杯へ注ぎ、炉の上では昨夜のスープを温め直す。


加熱を終え、蓋を開けた。


湯気が顔へ触れる。


一瞬、曇った眼鏡を拭こうとした気がした。


けれど、視界は何も変わらない。


浮いた脂を匙で端へ寄せ、器へ注いだ。パンを一つ添え、食卓へ運ぶ。


保存血を先に飲む。


冷たい液体が喉を通り、身体の奥へ熱が広がった。


そのあと、スープへ匙を入れる。


少し塩が足りない。


追加するか考え、やめた。食べられないほどではない。


パンをスープへ浸す。外側が柔らかくなるまで待ち、噛んだ。


急いで食べる必要はない。


白夜を見に行く必要もない。


救難信号も届いていない。


何もしなくていい時間だった。


食べ終えた器を洗浄設備へ入れる。


寝台へ行くほど眠くはない。


長椅子へ横になり、まだ少し湿っている髪を背中から外へ逃がした。白いシャツの裾を引き、目を閉じる。


《休息状態への移行を確認》


「寝ない」


《休息と睡眠は同義ではありません》


「そう」


《照明を低下させますか》


「少しだけ」


室内の光が弱くなる。


視界の端には、白夜の修復表示だけを残した。


《第一修復工程――進行率一七%》


《第二生体循環路――安定》


循環圧力も、作業個体の配置も大きく変化していない。


待つことも作業だと、診工守は言っていた。


流れを戻した直後に次の管を開けば、異常が起きても原因を分けられない。


だから待つ。


目を閉じたまま、白夜の循環音を想像する。


第六主層は遠い。実際には聞こえない。


それでも、胸の中で何かが流れている姿は浮かんだ。


《救難対象を確認》


目を開けた。


表示が白夜の修復記録を押し退ける。


《登録済み地上座標周辺》


《救難座標精度――八八%》


《成人男性》


《生命危険度――中》


《右下肢損傷》


《自力移動――不能》


身体を起こす。


「今すぐ死ぬ?」


《現時点で生命反応は維持されています》


《継続出血を確認》


《放置時、生存率の低下が予測されます》


「収容して」


《直接収容――非推奨》


《対象周辺に大型異物を確認》


《収容実行時、右下肢損傷拡大の危険》


「挟まってる?」


《可能性――高》


表示された場所は、西門外に登録した地上座標の近くだった。


救難網が見られるのは、登録座標の周囲だけだ。今回の対象は、その狭い範囲へ偶然入っていた。


《推定生存可能時間――三時間二十六分》


着替える時間はある。


けれど、着替える必要があるとは思わなかった。


白いシャツの上から外套を羽織る。作業靴を履き、髪を紐でまとめた。


「現地派遣」


《対象周辺の安全確認を実行します》


《大型生命反応――なし》


《小型生命反応――複数》


《現地派遣を許可します》


白い光が足元へ広がる。


長椅子と食卓が薄れていった。


---


風の音がした。


足元には湿った土と草がある。


少し離れた場所に、横倒しになった荷車があった。片方の車輪が外れ、積み荷が道へ散らばっている。


パンだった。


布に包まれた丸いパンが、泥の上へ転がっていた。


荷車の下から声が聞こえる。


「誰か、いるのか」


「いる」


近づく。


中年の男が、倒れた荷台と地面の間へ右脚を挟まれていた。


上半身は動く。意識もはっきりしている。


ただ、顔色は悪かった。


「脚を見る」


荷車の横へしゃがむ。


木枠が太腿の上へ落ちている。


完全に潰れてはいない。けれど、無理に引き抜けば傷口が広がる。


血の匂いがした。


私の身体は、それを食べられるものとして認識した。


診断表示は、失えば死ぬものとして数えている。


同じ血を、身体と私は別の意味で見ていた。


《右大腿部裂傷》


《筋組織損傷》


《大腿骨――骨折なし》


《動脈損傷――なし》


《静脈性出血――継続》


「骨は折れてない」


「分かるのか」


「分かる」


血糸を伸ばす。


男の傷口へは入れず、荷車の木枠へ巻きつけた。影も地面へ広げる。


荷台の下へ入り込み、沈んだ木枠を支えた。


「今から上げる」


「一人でか?」


「動かないで」


「いや、しかし――」


影を持ち上げる。


木材が軋んだ。


荷車の片側が、ゆっくりと浮いていく。


男の目が大きく開いた。


「今、脚を抜いて」


「動かすと血が――」


「止める」


男が両腕で身体を引く。


右脚が木枠の下から外れた。傷口から血が流れる。


すぐに血糸を周囲へ巻き、圧迫した。診断表示を見ながら力を調整する。


《出血量――低下》


《患部固定を推奨》


影で荷車を支えたまま、道へ散らばった布を一枚取った。


パンを包んでいたものだった。


泥のついていない内側を使い、脚へ巻く。


「痛い?」


「痛い」


「なら生きてる」


「そういうものか?」


「たぶん」


脚を固定する。


荷車をゆっくり地面へ戻した。


男は自分の脚より、道へ散らばったパンを見ていた。


「全部駄目になったな」


「半分くらい」


「それでも多い」


「パン屋?」


「ああ。西門近くの店だ。朝の分を詰所へ運んでいた」


「どうして倒れたの」


「前輪が外れた。坂で一気に横へ持っていかれてな。馬は逃げた」


周囲を確認する。


細い蹄跡が街の方向へ続いていた。


大型生命反応はない。馬はすでに遠くまで逃げたらしい。


「名前」


「トーマ。トーマ・ベルク」


《患者識別名――トーマ・ベルク》


《登録》


「今から運ぶ」


「街へか?」


「先に治療する」


「どこで」


「私の家」


「近くに家なんて――」


「収容」


白い光がトーマの身体を包む。


続いて、私も帰還を実行した。


---


トーマは治療台の上で、天井を見ていた。


「本当に家なのか」


「うん」


「家にしては、随分と……」


周囲では診工守と薬工守が動いている。


金属の腕。透明な管。壁へ並ぶ古い装置。


普通の家と違うことは分かっている。


「治療室」


「領主館の治療院より立派に見えるが」


「古い」


「そういう問題ではない気がするな」


診工守が傷口を洗い、入り込んだ木片を取り除く。


トーマが歯を食いしばった。


私は切れた血管を閉じ、裂けた筋組織を血糸でつないだ。


完全に元どおりにはできない。しばらくは歩かない方がいい。


《出血――停止》


《患部閉鎖を確認》


《右下肢への荷重を禁止》


「歩かないで」


「店へ戻らないと」


「駄目」


「明日の仕込みがある」


「他の人に頼んで」


「うちの若いのは、焼き色を見るのがまだ下手でな」


「脚より大事?」


「店をやっていると、たまにそう思う」


「駄目」


「分かった」


返事が軽い。


たぶん、本当には分かっていない。


「お酒も駄目」


「飲まない」


「本当に?」


「仕事の日は飲まない」


「今日は仕事の日?」


トーマが黙った。


「駄目」


「はい」


薬工守が鎮痛薬を用意する。


私は水差しから杯へ水を注ぎ、トーマへ渡した。


トーマは一気に飲み干した。


「パンは」


「半分は泥」


「残りは?」


「道」


「馬より先に誰かが拾ってくれるといいんだが」


「パンの心配ばかり」


「パン屋だからな」


トーマは空になった杯を置いた。


「代金は払えるのか」


「いらない」


「命を助けてもらって、ただというわけにはいかない」


「なら、次に行った時にパン」


「何がいい」


考える。


焼きたてのパンを食べたことは、この世界へ来てから何度かある。


保存食より柔らかく、少し温かい。


「温かいの」


「当たり前だ。パン屋で冷えたものを出したら怒られる」


「なら、それ」


「約束する」


トーマの生命反応は安定している。


地上へ戻しても問題ない。


接触印を開いた。


「レオン」


少しして返事が届く。


《何だ》


「怪我人を治した」


《どこで拾った》


「西門の外。荷車の下」


《所属は》


「パン屋」


治療台の上でトーマが手を上げた。


「ベルクの店だと言ってくれ。西門通りの角だ」


「ベルクの店」


《分かった。西門の治療所へ連絡する》


「今から戻す」


《こちらで受け取る》


「レオンが?」


《近くにいる》


普段なら、レオンは城壁警備か探索者組合にいる。


近くにいるという言葉に、少しだけ違和感があった。


「分かった」


トーマへ向き直る。


「地上へ戻る」


「助かった」


「まだ歩かないで」


「分かってる」


「お酒も」


「分かってる」


「パンは」


「焼いておく」


今度は信用してもいい気がした。


---


西門近くの地上座標へ派遣する。


先ほどとは違い、街側の治療所前だった。


白い光が消えると、担架を持った治療員が待っていた。レオンもいる。


二人でトーマを担架へ移した。


治療員が患部の状態を確認し、驚いたように私を見る。


「縫合まで終わっている……」


「歩かせないで」


「承知しました」


担架が治療所へ運ばれていく。


入口の手前で、若い男が駆け寄った。


「親方!」


トーマが片手を上げる。


「店を頼む。明日の生地は奥の棚だ」


「何があったんですか」


「車輪が外れた。あと、パンが半分死んだ」


「親方より先にパンの話をするんですか?」


「俺は生きてるからな」


治療所の扉が閉じた。


荷車が倒れ、脚を挟まれた。


それだけだった。


それでも、放っておけば死んでいたかもしれない。


今は治療所の中で、明日の仕込みを心配している。


「その格好で行ったのか」


レオンが言った。


外套の前を閉じる。


下には白いシャツしか着ていない。


「着替える必要があると思わなかった」


「思え」


「見えてない」


「見えるかどうかの問題ではない」


治療所の前を、大勢の人間が行き交っていた。


探索者らしい武装をした者。大きな箱を運ぶ商人。教会の印が入った鎧を身につけた騎士。


荷車には保存食と水樽が積まれ、鍛冶工房からは剣や杭を載せた台車が運び出されている。


通りの店は開いていた。


けれど、棚の空いた店が増えている。


薬材店では、価格を書いた板の数字が上から書き直されていた。煙の出ていない工房もある。


奈落から素材を運ぶための荷車は、道の端へ並べられたまま動いていなかった。


「奈落第1層へ入る準備?」


「ああ。今日、正式に決まった」


「第一採取路を取り戻すの?」


「まずはそこからだ」


一台の荷車が届かなければ、明日のパンが減る。


奈落から上がってくる荷車は、もう何日も止まっていた。


「閉じたままだと、街がもたないから?」


「もう影響が出ている」


「取り残された人も探す?」


「もし生存者がいればな」


レオンと並び、探索者組合へ向かう。


入口前には人が集まり、壁へ新しい紙が何枚も貼られていた。


人混みの中に、エドガーがいる。


聖堂騎士の装備を身につけ、部下らしい者へ荷物の指示を出していた。


私たちに気づき、近づいてくる。


「エルセリア殿」


「エドガーも行くの?」


「招集を受けた。治療班の護衛と、作戦区域の安全確保を命じられている」


エドガーが、組合の壁へ貼られた地図を指す。


奈落入口から第一採取路を通り、旧中継拠点へ至る経路が太い線で記されていた。


以前は、採取した鉱石や薬材を集め、探索者が休息するために使われていた場所らしい。


今は、その経路を横切るように赤い印が並んでいる。


印の一つには、《中層種》と書かれていた。


「まだ上がってきてる」


「ああ。上層種との縄張り争いも続いている。中層側から押し上げられているという見方もあるが、原因は分かっていない」


以前の地図に記された生息域は、もう信用できない。


安全だった場所に巣を作っている可能性もある。


「今回は第一層だけ?」


「ああ。入口から第一採取路までの経路を確保し、旧中継拠点を奪還する。第二層への進入は、その結果を見て判断する予定だ」


上層全体を一度に取り戻す作戦ではない。


以前は日常的に使われていた最初の道を、一つずつつなぎ直す。


エドガーの視線が、通りの向こうへ向いた。


止まった工房。空の荷車。値札を書き換える商人。


「第一層から入っていたのは、希少な遺物ばかりではない。道具に使う鉱石、薬の材料、灯りや炉を動かす魔核だ」


人間が普通に暮らすためのものだった。


「このままでは、奈落へ入らなくても生活できなくなる者が出る」


奈落へ入れば、死ぬ人間が出るかもしれない。


入らなくても、生きられなくなる人間がいる。


どちらも危険だった。


「いつ行く?」


「二日後の夜明けだ」


エドガーは別の騎士に呼ばれ、そちらへ戻っていった。


レオンが壁の紙を見る。


《奈落上層限定奪還作戦》


《作戦区域――奈落第1層》


《対象――第一採取路及び旧中継拠点》


《第一目標――進入経路の確保》


《第二目標――旧中継拠点の奪還》


《作戦開始――二日後・夜明け》


《参加人員――王国軍、工兵隊、教会騎士団、治療班、指定探索者》


その下には、参加予定者の名前が続いている。


知らない名前が多い。


軍人。騎士。工兵。治療師。探索者。


その中に、覚えている名前があった。


レオン。ガレス。リノ。エドガー。


地下聖堂で見た騎士たちの名前も並んでいる。


ミレア。セイル。ガルド。ルーク。


「レオンも指定探索者?」


「ああ」


「断れる?」


「正当な理由があればな。断れば、今後の依頼や探索許可にも影響する」


完全な命令ではない。


けれど、簡単に拒めるものでもなかった。


「正当な理由はある?」


「ない」


「作る?」


レオンがこちらを見る。


「作らない。断るつもりもない」


「どうして」


レオンは名簿ではなく、組合前へ集まった探索者たちを見た。


装備を確かめる者。地図を囲む者。荷物を分ける者。


「この奈落で食ってきた人間が、俺も含めて多すぎるんだ」


掲示された名簿へ目を戻す。


覚えている名前が、同じ紙の上へ並んでいた。


その右側には、全員同じ作戦区域が記されている。


《奈落第1層・第一採取路》


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