第十七話《白い傷》
改行を整えました。内容は変えず、「……」の表記と途中で崩れていた一文のみ修正しています。
私の身体よりも太い指が、格納庫の床へ触れていた。
白い装甲は途中で割れ、一部が失われていた。裂けた隙間から、黒く乾いた人工筋束と巨大な関節部が覗いている。
五本の指は人間の手に似ていた。
ただし、厚く頑丈に作られているわけではない。
先端へ向かうほど細く絞られ、残された装甲も、受けた力を後ろへ流すように重なっている。
何かを支えるための手ではない。
前へ進み、その先にあるものを掴むための形だった。
白夜の右手。
昨夜、第二主層から運び込んだ装備の確認を続けているうちに、格納庫の壁際で眠ってしまったらしい。
床は硬い。
身体を起こすと、背中と腰が固まっていた。傷ではない。
眠る場所を間違えただけだった。
《マスターユーザーの覚醒を確認》
《睡眠時間――五時間二十七分》
《追加休息を推奨します》
「起きたからいい」
《推奨しません》
身体には外套が掛かっている。自分で掛けた記憶はなかった。
近くで停止している縫工守を見る。
「掛けた?」
《保温措置を実行しました》
「ありがとう」
外套を畳み、立ち上がる。
白夜は格納庫の中央で膝をついていた。
曲がった右膝へ巨体の重さを預け、損傷した左肩を低く落としている。
白い外装は各所で裂けていた。
胸部の一部は黒く焼け、腰から脚へ続く輪郭も、古い補修材と露出した骨格によって崩れている。
背部には、翼を引き千切られたような推進機構の基部が残っていた。
片側は外装ごと失われている。もう片方も焼け、先端が歪んでいた。
今の姿から、本来どのように展開するものだったのかは分からない。
それでも、鈍重には見えなかった。
残された腕と脚は細い。人間をそのまま大きくした形ではない。
装甲は先端へ向かって鋭く絞られ、関節の周囲にも余分な厚みがなかった。
地面へ立って、正面から力をぶつけ合うためだけの機体ではない。
敵が構えるより先に距離を奪う。
攻撃が届く前に角度を変える。
一瞬で懐へ入り、刃を届かせる。
そのために、人の形を細く、鋭く作り替えた兵器だった。
今は飛べない。
立つことさえできない。
けれど、損傷によって崩れた輪郭の奥には、前へ進むことだけを求めた線が残っていた。
「格好いい」
白夜は答えない。
床へ触れた右手も動かなかった。
足元には、昨日持ち帰った装備が並んでいる。
位相断層刃。偏向障壁発生器。四本の天杭。交換装甲。内部修理部品。専用整備工具。
持ち帰るだけでは足りない。
取り付けなければならない。
接触印へ意識を向けた。
「レオン」
少しして返事が届く。
《起きたか》
「起きた」
《昨日は帰ったと連絡したあと、返事がなかった》
「寝てた」
《どこで》
「家の中」
《それは分かっている》
白夜を見上げる。
「白いのの前」
《また床で寝たのか》
「外套は掛かってた」
《そういう問題ではない》
「ちゃんと五時間寝た」
《短い》
診断表示と同じことを言われた。
「これから直す」
《昨日持ち帰ったものをか》
「うん」
《何を直している》
「大きい設備」
《昨日、武器と言っていなかったか》
少し黙る。
「武器も設備」
《普通は分ける》
「ここでは一緒」
《どれくらい大きい》
白夜の全高は七十八・四メートル。
位相断層刃だけでも、上部都市の建物より大きい。
「かなり」
《説明になっていない》
「まだ言わない」
レオンの返事はすぐには来なかった。
問い詰められると思った。
《分かった》
「いいの?」
《良くはない》
「なら聞く?」
《話したくないことを無理に聞いても、さらに隠すだろう》
「うん」
《肯定するな》
少しだけ笑っているような声だった。
《危険になったら連絡しろ》
「分かった」
《それと、先に食べろ》
昨日の昼から、保存血以外を口にしていない。
「直してから」
《先に食べろ》
「まだ何もしてない」
《何かしてからでは遅い》
「分かった」
通信を切る。
白夜へ視線を戻す。
「食べたら直す」
返事はなかった。
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生活区画へ戻り、身体を洗った。
髪の中から灰色の水が流れ落ちる。
第二主層の埃。搬送軌道の油。格納庫の床。
昨日一日分の汚れだった。
温風櫛で髪を乾かし、新しい紺色の作業服へ着替える。
保存血を飲んだあと、残っていたパンへ乾燥肉と塩漬け野菜を挟んだ。
温かい料理を作る時間はあった。
けれど、白夜の状態を早く確かめたかった。
それでも立ったまま食べず、食卓へ運ぶ。
椅子へ座る。
向かい側の椅子は空いていた。
噛みながら、白夜の修理手順を考える。
人間なら、最初に呼吸を見る。心臓が動いているか確かめる。血が流れているか調べる。
白夜にも同じ順番があるはずだった。
食べ終え、水を飲む。
使った器を洗浄設備へ入れた。
「行ってくる」
《第六主層への経路を点灯します》
灯りが通路の奥へ続いた。
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格納庫へ戻り、作業個体を集めた。
「白夜を直す。できる子を呼んで」
《必要作業を分類します》
白夜の立体図が開く。
赤と黄色に染まった機体の周囲へ、作業内容が並んでいく。
《生体組織診断》
《循環路修復》
《人工筋束接続》
《内部骨格固定》
《動力及び温度管理》
《損傷部除去》
《大型部品搬送》
《作業足場構築》
それぞれの項目へ、作業個体が割り当てられた。
《診工守――二》
《薬工守――二》
《管路守――四》
《縫工守――六》
《炉工守――二》
《掃工守――三》
《搬工守――八》
《架工守――四》
「できる?」
《各作業個体に単独での決戦兵装修復機能は登録されていません》
「できない?」
《複数個体による分業であれば、限定修復が可能です》
「なら、みんなでやる」
《修復管理者を指定してください》
「私」
《マスターユーザーを修復管理者として登録します》
作業個体たちが一斉に動き始めた。
架工守が格納庫の壁面から古い整備橋を引き出す。
搬工守が交換用の補助ポンプを積み、白夜の足元へ運ぶ。
診工守の走査光が、白夜の全身を頭部から脚部まで通過した。
薬工守は、人工筋束の保存剤と生体循環液の状態を確認する。
炉工守が白夜の補助動力へ接続し、作業区画だけへ最低限の電力を送った。
照明が増える。
暗闇の中に沈んでいた白夜の輪郭が、少しずつ浮かび上がった。
《第一機動決戦兵装・白夜》
《機体構造劣化――停止中》
《生体循環系統――限定稼働》
《主動力――停止》
《補助動力――限定起動可能》
《緊急起動準備率――一二%》
《自立姿勢維持――不能》
《神経信号伝達率――九%》
《主感覚器――停止》
《左肩構造――重大損傷》
《右膝荷重制御――停止》
「順番は?」
《修復優先順位を算出します》
《第一工程――生体循環系統》
《第二工程――右膝荷重支持機構》
《第三工程――左肩内部骨格》
《第四工程――神経信号中継系》
《第五工程――感覚器系統》
《第六工程――背部推進系統》
《第七工程――外装及び兵装接続》
一番最後に、位相断層刃が表示された。
「先に剣を持たせる」
《自立不能機体への主兵装装着は非推奨です》
「持ってきたのに」
《立てません》
「知ってる」
《主兵装重量により、右肩及び脊柱構造の追加損傷が予測されます》
「なら最後」
位相断層刃の表示を閉じる。
最初は循環。
白夜の身体を流れるものを戻す。
「第一工程を始めて」
《不足資材を確認します》
表示が増えた。
《専用交換部品――充足》
《生体循環用補助ポンプ――充足》
《人工筋束――充足》
《循環管――充足》
《神経信号中継器――充足》
第二主層から持ち帰ったものだった。
続いて、赤い表示が並ぶ。
《清潔布材――不足》
《高濃度酒精――不足》
《一般機械用潤滑剤――不足》
《耐熱性封止材――不足》
《仮固定用金具――不足》
《部品保管容器――不足》
《携帯作業灯――不足》
《記録材――不足》
「部品はあるのに」
《専用部品交換に必要な補助資材が不足しています》
「レムナの中には?」
《使用可能在庫を検索します》
待っている間、搬工守が古い補助ポンプへ固定具を取りつける。
掃工守は白夜の足元に溜まった金属片と乾いた循環液を集めていた。
《艦内在庫》
《清潔布材――必要量の一六%》
《高濃度洗浄剤――在庫なし》
《一般機械用潤滑剤――必要量の九%》
《耐熱性封止材――必要量の二四%》
《仮固定用金具――必要量の三一%》
《携帯作業灯――二基》
《記録材――必要量の一二%》
足りない。
第二主層に五千年前の兵装部品は残っていた。
けれど、それを取り付けるための布も、油も、灯りもなかった。
「地上で手に入るものは?」
《現行文明の物品情報が不足しています》
「レオンに聞く」
作業個体へ、上部都市で代用できる条件へ変換させる。
清潔な布。強い酒精。金属へ使える油。熱へ耐える樹脂。太い金具。鎖。木箱。明るい魔石灯。紙と筆記具。
特殊な古代部品ではない。
上部都市なら手に入る可能性がある。
「これがあれば始められる?」
《第一修復工程の開始条件を満たします》
五千年前の部品だけでは、白夜を直せなかった。
布もいる。
油もいる。
灯りもいる。
箱も、紙も、作業途中に食べるものも必要だった。
私は接触印を開いた。
「レオン」
《今度は何だ》
「上部都市へ行く」
《いつ》
「今から」
《急だな》
「布と酒精と油と金具と箱と灯りが欲しい」
返事が止まった。
《怪我をしたのか》
「してない」
《治療に使うのか》
「少し似てる」
《何を治している》
白夜を見る。
「大きいもの」
《生きているのか》
少し考える。
意識があるかは分からない。
けれど、生体組織は残っている。私の血を受け入れ、循環を続けている。
「一部」
《ますます分からない》
「上部都市で買える?」
《量による》
必要量を読み上げる。
布は大きな束で十以上。
酒精は樽。
油も複数。
木箱。
照明用魔石。
金具と鎖。
《店を回る必要がある》
「行く」
《西門外の林へ来い。迎えに行く》
「一人で行ける」
《知っている。俺が会いたい》
「買い物」
《案内もする》
「分かった」
現地派遣の準備を始める。
白夜の修復工程は、資材が届くまで停止させた。ただし、診断と足場構築は続ける。
「帰るまで、開けないで」
《第一修復工程の待機を確認》
「白夜も待ってて」
返事はなかった。
---
《現地派遣座標》
《奈落上部都市・西部郊外》
《派遣を実行します》
白い光が足元から立ち上がる。
視界が揺れ、格納庫の冷たい空気が消えた。
西門外の林へ現地派遣すると、レオンはすでに待っていた。
一人ではない。
その隣に、リノとガレスがいる。
足元には、空の荷車が二台置かれていた。
「……多い」
私が言うと、ガレスが眉を上げた。
「お前が樽と箱と鎖を要求したからだ」
「ガレスだよね」
「何だ」
「名前、覚えてた」
「リノから聞いたらしいが、だいぶ前だろう。今、レオンが呼んでいないから、それは本当に覚えていたらしいな」
「どうしてここにいるの?」
今度は三人を見る。
呼んだのはレオンだけだった。
リノが荷物の一覧から顔を上げる。
「はあ。レオンから、生きた組織を含む大きなものを直すために、酒精と清潔な布が必要だと聞いたの」
「言ってない」
「一部は生きている、と言ったそうね?」
「言った」
「それなら、薬品の扱いをあなた一人に任せるわけにはいかないでしょう」
「診工守と薬工守がいる」
「その診工守と薬工守が、現代の薬品を知っているとは限らないわ。扱ったことがないんでしょう?」
それはそうだった。
本当に忘れていた。
ガレスが空の荷車を軽く蹴る。
「俺は運搬役だ。お前、レオン一人で樽や金具を運ばせるつもりだったのか」
「レオンなら運べる」
「運べるかどうかではなく、人数がいた方が早いという話だ」
「頼んでない」
「レオンに頼まれた」
レオンが頷く。
「エルセリア。急いでるんだろ?」
「うん」
「なら、使える人間は使った方がいい」
「どうして?」
聞くと、レオンは少しだけ黙った。
「お前は、必要がなければ人を頼らない。これまで何度か付き合ってきて、よく分かったことだ」
「そうなの?」
「そうだ。そのお前が、何を直しているかすら隠したまま、それでも大量の物資が必要だと言った。それに、奈落を調べることができるみたいだしな」
レオンは荷車へ手を置く。
「なら、本当に必要なのだと思った」
リノも一覧へ視線を戻した。
「聖堂騎士のエドガーも手伝ってくれるそうよ。教会の備蓄を空にはできないけれど、余剰分なら提供すると言っていたわ」
「エドガーも?」
「裁判の時も、その前も、あなたには借りがあるからって言ってたわ」
何のことか、すぐには分からなかった。
助けた人間の数を、私は数えていない。
けれど、向こうは覚えていたらしい。
「本当に、ありがとう」
リノが荷物の一覧へ目を落とした。
「清潔な布、高濃度酒精、機械油、耐熱樹脂、固定金具、鎖、箱、魔石灯、紙」
「うん」
「治療と工房と建築の品が混ざっているわ」
「全部使う」
「何に?」
「……ごめん。言えない」
「そう言うと思った」
リノは折り畳んだ一覧を私へ返す。
「酒精と清潔布は、エドガーたちが中央教会から用意できるそうよ。ただし、医療用の備蓄を空にするほどは渡せない」
「足りる分だけでいい」
「油と金具は資材商。耐熱樹脂は鍛冶工房と魔導具工房を回る。魔石灯は教会か探索者組合ね」
「全部行きたい」
レオンが私を見る。
「ここにいられる時間は?」
《現地派遣継続可能時間――十一時間四十八分》
「足りる」
「荷物が影蔵へ入り切るか?」
「何回か来る」
ガレスが口を開いた。
「家まで運ぶとは言わないんだな」
「駄目」
ガレスがレオンを見る。
「お前も場所を知らないのか」
「ああ」
「それでよく、大量の物資を集める気になったな」
「必要だと言っている」
「何に使うか分からなくても?」
「エルセリアが必要だと言っている」
ガレスはしばらくレオンを見たあと、私へ視線を戻した。
「危険なものか?」
「危険になるかもしれない」
「お前はその危険を、この都市へ向けるつもりか?」
「向けない」
「なら、今はそれでいい。お前とレオンの会話を聞いていると、細かく聞くだけでこれから疲れそうだからな」
レオンが少し笑った。
「慣れたな」
「慣れたくはない」
四人で西門を通る。
上部都市の中へ入ると、人の視線が集まった。
裁判が終わってから、露骨に武器へ手をかける者は減った。
それでも、赤い目や白い肌を見て足を止める者はいる。
私は作業服の袖を引き、レオンたちの間を歩いた。
最初に向かったのは、中央教会の倉庫だった。
エドガー本人は職務中で不在だった。
代わりに、封印された木箱と短い伝言板が用意されている。
《清潔布材》
《高濃度酒精》
《照明用魔石》
《提供者:エドガー・――》
姓まで読む前に、リノが箱を開けた。
「中身を確認するわ」
「エドガーの名前」
「読めるの?」
「読める」
「では、最後まで読めばいいでしょう」
少し考える。
けれど、今は中身の方が重要だった。
清潔な布が何十枚も折り畳まれている。
酒精は密閉された容器へ分けられ、魔石灯も六つ入っていた。
「使える?」
リノが酒精の封を開け、匂いを確かめる。
「金属の洗浄なら十分。生きた組織へ直接使うなら、薄めないと駄目」
「生きてもいるし、金属でもある」
リノの手が止まる。
「本当に、何を直しているの」
「大きい設備」
「生きた組織もある設備?」
「うん」
「古代のもの?」
答えない。
いつか話さないといけないだろう。
だが、今ではない。
リノはそれ以上聞かなかった。
「薬品の使い方を間違えないで」
「診工守と薬工守が見る」
「なら、私より詳しいといいのだけれど」
箱を《影蔵》へ入れる。
すべては入らなかった。
布と魔石灯を先に収納し、酒精の一部は荷車へ残す。
次に、資材商へ向かった。
店の奥から、油の匂いがした。
棚には工具、縄、鎖、釘、金具、封止材が並んでいる。
店主へ一覧を渡すと、途中で顔を上げた。
「これは、一度に使う量ですか」
「うん」
「何を建てるので?」
「直す」
「建物を?」
「違う」
「船ですか」
少し近い。
「だいたいそんな感じ?」
店主がレオンを見る。
「アルヴェイン殿」
「俺も知らない」
「ご存じないのですか」
「聞いても教えない」
「信用なさっているのですね」
「そのつもりだが」
店主は納得していない顔のまま、在庫を書き出した。
機械油は三種類あった。
低温用。
高温用。
重い軸へ使う、粘りの強いもの。
どれが白夜へ使えるのか、私には分からない。
条件を表示する。
《必要潤滑条件》
《低温環境下での粘度維持》
《高圧荷重下での皮膜保持》
《生体循環液との接触時に有毒反応を生じないこと》
「全部少し」
店主が聞き返す。
「三種類すべてですか」
「試す」
「この量を試験用に?」
「合わなかったら使わない」
「随分と慎重なのか、大雑把なのか分かりませんな」
「分からないものを使わないのは慎重」
リノが横から言った。
「本当に大丈夫なのかしら」
油の小樽。太い鎖。大小の固定金具。耐熱性の樹脂。部品を分けて置くための木箱。記録用の紙。
買えるものを順番に集める。
ガレスが荷車へ積み、レオンが固定する。
私は影蔵へ入るものから収納した。
三軒目を出る頃には、一台目の荷車が埋まっていた。
「重い?」
ガレスへ聞く。
「お前が聞くな」
「私は持ってない」
「だからだ」
「ガレスが疲れた?」
「まだ平気だ」
「なら次行こ?」
「休憩を挟んでくれ」
「作業個体は休まない」
「俺はその作業個体じゃないぞ」
前にも似たことを言われた気がした。
「分かった。休も」
近くの広場で、買った保存食を開いた。
レオンとガレスは肉とパンを食べる。
リノは茶を飲みながら、集めた薬品の一覧を書き直していた。
私もパンを一つ受け取る。
「レオン」
「いる」
「リノ」
「何?」
「ガレス」
「今度は何だ」
三人がこちらを見る。
「確認」
「何をだ」
「呼んだら返事するっていう」
リノが眉を寄せる。
「そんなの当たり前でしょう」
「作業個体は名前を呼んでも、返事が同じ」
「その作業個体とは違って、私たちは人間だからね」
「うん」
レオンが私を見る。
「急にどうした? おかしいぞ、今日は」
「別に」
それ以上は説明しなかった。
三人がそこにいる。
名前を呼べば返事をする。
それを確かめたかっただけだった。
食事を終え、残りの店を回った。
すべてが理想どおりに揃ったわけではない。
耐熱樹脂は必要量の半分。
太い固定具は、規格が合わない可能性がある。
魔石灯も、白夜内部の魔力濃度に耐えられるか分からない。
それでも、何もないよりはいい。
夕方前には、荷車二台分の資材が西門外へ集まった。
《影蔵使用率――九七%》
これ以上は入らない。
残った酒精の容器と油樽を見た。
「一回帰る」
「戻ってこられるのか」
「今日中は無理だと思う。また連絡する」
現地派遣を終えれば、再使用までの制限がある。
レオンが残った荷物を見る。
「分かった。預かっておく。次に来た時に渡そう」
「なくさないでね」
「なくさないさ」
「使わないでよ」
「酒精を全部飲むと思っているのか?」
「レオンなら少し飲むかなって」
「否定できないのが困るな」
「駄目だよ?」
「飲まない。美人な吸血鬼に誓ってな」
ガレスが油樽を荷車へ固定する。
「次は、もう少し軽いものを頼め」
「次は大きい金具」
「……聞かなかったことにする」
リノが私へ紙束を渡した。
購入した品と、代用品として使える条件が書かれている。
「いい? 分からない薬品を、いきなり使わないこと」
「診断する」
「あなた自身にも使わないでね?」
「気を付ける」
「世話が焼ける子ね」
リノがため息を吐いた。
実家のお母さんみたいだった。
西門の林まで戻る。
現地派遣の残り時間は、三時間を切っていた。
レオンが隣へ立つ。
「いいか、帰ったら連絡しろ」
「昨日もしたでしょ?」
「そのあと、寝る時にもしてくれ」
「……覚えてたら」
「覚えろ」
「分かった」
「本当に?」
「たぶんする」
「不安になる返事だな」
帰還を実行する。
白い光が足元へ広がった。
西門外の林が薄れていく。
最後まで、レオンはその場に立っていた。
---
第七主層へ戻る。
周辺生命反応を確認する。
《追跡反応――なし》
《外部座標固定信号――なし》
《艦体座標――秘匿状態を維持》
もしかしたらと心配していたが、荷物に仕掛けはないようだった。
「よかった」
影蔵から資材を出す。
布、酒精、油、樹脂に固定具。
そして鎖、箱、魔石灯に紙。最後に保存食。
地上で作られたものが、レムナの床へ並んでいく。
搬工守へ積み、第六主層まで運ぶ。
格納庫へ着いた時には、外部時刻では夜になっていた。
古代の交換部品の横へ、上部都市で買った木箱が並ぶ。
白夜を造った文明の名前は残っていない。
それでも、今を生きる人間が織った布と、精製した油と、蒸留した酒精が、五千年前の兵器を直すためにここまで来た。
「始める」
《不足資材の一部充足を確認》
《第一修復工程――開始可能》
《生体循環系統修復班を展開します》
格納庫が動き始めた。
胸部へ三本の整備橋が伸びる。
架工守が白夜の左肩と胸部へ支持具を固定する。
搬工守が新しい補助循環ポンプを吊り上げる。
掃工守が装甲の隙間へ入り、固着した循環液と金属片を吸い出していく。
管路守は古い循環管の位置を確認し、交換箇所へ印をつける。
縫工守が束ねられた人工筋束を運ぶ。
薬工守は上部都市で集めた酒精と艦内薬剤を混合し、洗浄濃度を調整していた。
炉工守が作業区画ごとの電力を管理する。
診工守の立体図へ、作業個体の位置が一つずつ表示された。
工事現場に似ている。
手術室にも似ていた。
巨大な一つの身体へ、何十体もの作業個体が取りついている。
私は中央の管理台へ立った。
《第一循環路――閉塞》
《第二循環路――圧力低下》
《第三循環路――破断》
「第三から」
《第二循環路の回復を先行した場合、残存組織への供給を維持できます》
「なら第二。第三は止めたまま」
《指示を反映します》
管路守が白夜の胸部へ入る。
古い管を切り離す前に、掃工守が周囲の黒い液体を吸い取る。
地上から持ち帰った布が、装甲の隙間へ敷かれていく。
酒精で洗浄された接続部へ、新しい循環管が運ばれた。
規格は合っている。
ただし、白夜の内部骨格が歪んでいるため、固定位置が僅かにずれていた。
《接続角度――不適合》
《強制接続時、循環管損傷の危険》
「動かせる?」
《内部骨格の一時牽引が必要です》
血糸を伸ばす。
白夜の胸部内へ入り、歪んだ骨格へ巻きつける。
私一人では動かせない。
架工守の支持具と、搬工守の牽引器へ接続する。
「一緒に引く」
《牽引を開始します》
巨大な白い骨格が軋んだ。
ほんの数センチ。
それだけ動けばよかった。
《接続角度――許容範囲》
「今」
管路守が新しい管を差し込む。
固定具が閉じる。
縫工守が周囲の人工筋束と柔軟な支持膜を接続していく。
薬工守が洗浄を終え、補助循環液を満たした。
《第二生体循環路――再接続》
《漏出――なし》
《補助循環ポンプとの接続を確認》
「流して」
《試験送液を開始します》
白夜の内部から、低い音がした。
鼓動ではない。
液体が太い管を通り、乾いていた人工筋束へ流れ込む音だった。
立体図の一部が、赤から黄色へ変わる。
《右上肢人工筋束への循環供給を確認》
《組織活動率――上昇》
《機体構造修復率――四一・八%から四三・一%》
《緊急起動準備率――一四%》
まだ低い。
立てない。
戦えない。
それでも、流れは戻った。
白夜の右手を見る。
昨日、僅かに動いた指は、床へ触れたままだ。
今度は関節が動いたわけではない。
指の隙間から露出している黒い人工筋束へ、暗い赤色の光がゆっくり走った。
乾いていた束が僅かに膨らむ。
白い指先が、格納庫の床へ深く沈んだ。
立ち上がろうとしたのではない。
まだ、そのための脚も、肩も、神経も戻っていない。
ただ、白夜の中へ力が戻った。
「痛くない?」
《意識活動は確認されていません》
「聞いただけ」
作業個体たちは修理を続けている。
胸部の魔石灯が白く光る。
その下で、地上の布を使い、地上の油を使い、五千年前の循環管が交換されていく。
レオンたちは白夜を知らない。
白夜も、レオンたちを知らない。
それでも、彼らが集めた灯りが、白夜の胸の中で点いていた。
私は管理台へ手を置く。
「続けて」
《第一修復工程を継続します》
格納庫へ、低く、ゆっくりとした循環音が響いた。




