第十六話《戦略兵装庫》
翌朝、私は昨夜の煮込みを温め直した。
一晩置いた根菜は、匙を入れるだけで崩れそうなほど柔らかくなっていた。肉の脂が表面へ薄く浮き、冷えた汁の上で固まっている。
「弱く温めて」
《加熱出力を低下します》
炉工守が鍋の底へ熱を送る。
木の匙でゆっくり混ぜると、固まっていた脂が溶け、肉と根菜の匂いが生活区画へ広がった。
鍋の底を一度確かめる。
焦げていない。
器へ移し、昨日の残りのパンと一緒に食卓へ運んだ。
肉と根菜を交互に口へ入れる。
昨日より味が馴染んでいる。少し塩が強いが、パンを浸して食べるならちょうどよかった。
最後に残った汁もパンで拭い、全部食べた。
食器を洗浄設備へ入れたあと、風呂へ向かった。
髪を洗い、腰まで伸びた黒髪から水を絞る。布で何度か挟んでから、棚に置いた温風櫛を手に取った。
魔力を流す。
温かい風が出た。
昨日より少しだけ、使い方が分かる。
根元へ近づけすぎず、髪の内側へ風を入れる。上から毛先へゆっくり滑らせると、水を含んで重かった髪が少しずつ軽くなっていった。
乾いた部分を手ですくう。
熱くない。焦げてもいない。
「上手くなった」
《使用時間――前回比八%短縮》
「そういう意味じゃない」
それでも、前より早く終わったのはよかった。
今日は長くなるかもしれない。
白いシャツの上へ作業用の服を着る。腰と腕へ道具袋を固定し、予備の血液容器と水を確認した。
昼食には、肉と根菜を薄いパンへ挟んだ。
煮込みとは別に焼いておいた肉へ少しだけ塩を振り、布で包む。《影蔵》へ入れる前に、潰れない位置へ置いた。
血だけでも動ける。空腹で倒れることもない。
それでも、途中で食べた方がいい。
最近は、そう考えるようになっていた。
出発前に、接触印へ意識を向ける。
「レオン」
少し待つ。
《起きている》
「今日は白夜の武器を取りに行く」
《奈落の外か》
「レムナの第二主層」
《危険は》
「分からない」
短い沈黙があった。
《帰ったら連絡しろ》
「うん」
《必ずだ》
「分かった」
通信を切る。
以前なら、どこへ行く時にも誰かへ知らせる必要はなかった。
帰る時間が遅くなっても、待つ者はいない。怪我をして戻っても、気づくのは診工守くらいだった。
今は、帰ったことを伝える相手がいる。
それだけで、出発前の確認が一つ増えていた。
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第六主層の外縁区画には、巨大な搬送路が口を開けていた。
《戦略兵装用大型搬送軌道》
白夜の格納庫から第二主層まで、複数の主層を貫いている。
本来のレムナでは、巨大な兵装や交換装甲を水平に運ぶための設備だったらしい。
しかし、レムナは地中へほとんど垂直に突き刺さっている。
今では軌道の先は、暗闇の中へ伸びる巨大な坂になっていた。
幅は、白夜が横たわっても余るほど広い。
両側の壁には太い供給管と保守用通路が並び、そのすべてが遥か上方へ続いている。
前日までに、第三主層付近の損傷部は仮固定してある。
完全に直ったわけではない。
今日使えるよう、落ちた軌道材を搬工守が戻し、炉工守が仮設電力線を通しただけだった。
炉工守が制御盤へ接続する。
管路守は壁内の冷却管を確認し、搬工守たちは保守用搬送台の固定具を外していった。
《主搬送軌道》
状態:停止
《保守用搬送台》
駆動系:限定復旧可能
制動機構:不安定
緊急停止機構:応答なし
「動かせる?」
《低速運行に限定した場合、可能です》
「止まれなくなる?」
《駆動供給を遮断することで最終的に停止します》
「それは、すぐ止まる?」
《否定》
少し不安だった。
ただし、行きは上りだった。動力を止めれば、少なくとも第二主層方向へ勝手に進み続けることはない。
帰りに重量物を積む場合は、別の対策が必要になる。
「行きだけ使う。帰りは積載量を見てから決める」
《安全条件を更新します》
「動かす」
炉工守が電力を送った。
軌道の奥で、長く止まっていた機構が低い音を立てる。
最初は壁が震えるだけだった。
次に、床下で複数の歯車が噛み合うような音が続き、保守用搬送台が僅かに動いた。
黒い埃が床から浮く。
搬工守が台の上へ乗り込み、四隅の固定具を確認した。
私はその中央へ立った。
「第二主層まで」
《低速運行を開始します》
搬送台が動き出した。
速くはない。人が歩くより少し速い程度だった。
それでも、壁面の灯りが一本ずつ下へ流れていく。上へ進むほど、第六主層の明かりが遠ざかっていった。
左右に並ぶ扉も、人間が使う大きさではない。
一つ一つが白夜の腕や装甲を運ぶための入口らしく、私から見れば建物の門より大きかった。
人間用の通路ではない。
白夜より大きな荷物を運ぶための穴だった。
第五主層を通過する。
第四主層へ入る。
壁の向こうには、以前歩いた兵站区画や集積区画があるはずだった。しかし搬送路からは、閉じた巨大扉しか見えない。
第三主層へ近づくと、軌道の振動が強くなった。
仮固定した部分だ。
搬送台が僅かに横へずれる。
影を床へ広げ、片側へ寄らないよう支えた。
《軌道接続部を通過します》
金属同士が擦れる音が、暗い搬送路へ長く響いた。
台は止まらなかった。
損傷部を越えると、振動は少しずつ弱くなった。
出発から二時間近くが過ぎた頃、前方に巨大な隔壁が見えた。
《第二主層接続隔壁》
状態:閉鎖
管路守が制御部へ接続する。
炉工守から送られた電力が壁の中へ流れ、隔壁表面の線が一本ずつ淡く光った。
《内部圧力差を確認》
《気密状態――不完全》
「汚染は?」
《有害汚染反応は確認されていません》
「開ける」
低い音とともに、隔壁が左右へ動き始めた。
五千年間閉ざされていた隙間から、冷えた空気が流れてくる。
埃。金属。乾いた薬品。
それから、長く使われていない部屋の匂い。
隔壁の向こうは暗かった。
炉工守が供給線を接続する。
天井近くで一つ、灯りがついた。
続いて、その隣。
さらに奥。
光は順番に広がり、巨大な空間の輪郭を浮かび上がらせた。
私は搬送台から降りる。
正面の壁へ、案内表示が現れた。
《第二主層》
《戦略兵装管制・火器保管区画》
その下に、さらに大きな表示が続く。
《登録決戦兵装――六》
「六」
表示が切り替わった。
《第一機動決戦兵装・白夜》
《第二戦略砲撃兵装・黒日》
《第三広域防護兵装・天蓋》
《第四自律群体兵装・星蝕》
《第五空間封鎖兵装・断界》
《第六重力固定兵装・鎮星》
名前を順に読む。
「砲撃、防護、群体、空間、重力」
どれも役割が分かりやすい。
黒日は、遠くを撃つ兵器。
天蓋は、広い範囲を守る兵器。
星蝕は、自律して動く多数の何かを使う。
断界は、空間そのものを閉じる。
鎮星は、重力で巨大なものを固定する。
白夜だけが分かりにくかった。
機動。
動くこと。
それだけなら、ほかの五つより弱く見える。
「白夜は何をする兵器?」
《第一機動決戦兵装の詳細記録へ接続できません》
「また壊れてる」
《記録領域の大部分が損傷しています》
六機の現在地を照会した。
表示が更新される。
《第一機動決戦兵装・白夜》
《機体反応――第六主層》
続いて、残りの五機。
《第二から第六決戦兵装》
《機体反応――取得不能》
《最終出撃記録――破損》
《帰還記録――確認不能》
「壊れた?」
《確認できません》
「なくなった?」
《確認できません》
区画の奥には、五機分の整備架が並んでいた。
残されているのは、機体本体ではない。
帰還後の交換を前提とした専用装備と、予備の構造部品だった。
黒く巨大な砲身。
折り畳まれた板状の構造物。
無数の小型格納器。
環状の装置。
床へ深く打ち込まれた杭のような部品。
どれも、持ち主が戻ればすぐに整備へ入れるよう固定されている。
壊れて捨てられているわけではない。
帰還を待っていた。
五千年間、一度も帰ってこなかっただけだった。
私はしばらく、空になった整備区画を見た。
残っている装備の大きさから、本体も白夜以上に巨大だったことが分かる。
今も奈落のどこかにいるのか。
もう形も残っていないのか。
ここに答えはなかった。
「今は白夜を直す」
白夜の表示に従い、第一保管区画へ向かった。
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白夜用の保管区画には、ほかの兵装区画より多くの保管架が並んでいた。
一つの機能に特化した装備ではない。
刃。障壁発生器。固定兵装。交換装甲。内部部品。
状況に合わせて装備を付け替え、異なる役割を担うことを前提としているらしい。
正面には、巨大な刃が横たわっていた。
長さは白夜の身長に近い。柄だけでも、私が暮らす部屋より大きい。
刃は白銀ではなく、光の当たり方によって輪郭が僅かにずれて見えた。
《第一機動決戦兵装専用主兵装》
《位相断層刃》
《兵装循環路――部分損傷》
《最大出力――使用不能》
《限定出力――使用可能》
「切れる?」
《限定出力時、位相差形成機能を使用可能です》
「どうやって?」
《刃周辺へ局所的な位相差を形成し、接触対象の構造結合を分断します》
刃の鋭さだけで切るものではないらしい。
刃が通過する周辺へ僅かな位相差を作り、硬い外殻や装甲の結合そのものをずらして断つ。
遠くにあるものを切れるわけではない。
白夜自身が近づき、刃を届かせる必要がある。
しかも、最大出力は使えなかった。
完全な状態ではない。
位相断層刃の隣には、腕部へ装着する装置が残されていた。
《偏向障壁発生器》
《右側発生器――使用可能》
《左側発生器――保管記録なし》
攻撃を正面から止める壁ではなく、進む方向を変えるための装置だった。
受け止めれば壊れる衝撃でも、横へ逸らせば耐えられる。
残っているのは一つだけだった。
そのさらに奥には、黒い杭が複数並んでいる。
一本だけでも、白夜の腕ほど太い。
《戦略固定兵装・天杭》
《残存数――四》
《対象座標および空間構造の一時固定に使用》
「敵を止める?」
《運用記録へ接続できません》
「名前は杭なのに」
地面か、巨大生物へ打ち込むものに見えた。
使い方は、白夜を直してから調べればいい。
壁沿いには、交換装甲が並んでいた。
左肩外装。胸部追加装甲。腰部安定装甲。脚部耐圧装甲。頭部感覚器保護板。
表面には補修跡が残っている。
新しく作られたものではない。
一度使用され、損傷し、再び使えるよう直された予備品だった。
白夜を何度も戦わせることを前提に保管されていたらしい。
装甲の先には、さらに多くの修理部品があった。
私から見れば小さいだけで、一つ一つが人間より大きい。
《生体循環用補助ポンプ》
《人工筋束》
《神経信号中継器》
《関節駆動器》
《出力変換器》
《兵装接続端子》
《循環管》
《感覚器部品》
私は武器より先に、修理部品へ近づいた。
「これがあれば、立てる?」
《機体修復率の上昇が見込まれます》
「戦える?」
《限定戦闘起動へ移行できる可能性があります》
可能性。
それでも、今までよりはずっと近い。
白夜を立たせられる。
白夜が歩ける。
そうなれば、レムナの外へ出すこともできるかもしれない。
私は位相断層刃の柄へ触れた。
その瞬間、指先へ鋭い痛みが走る。
「痛い」
手を引こうとしたが、柄の表面から伸びた細い針が皮膚へ刺さっていた。
赤い血が一滴、装置の内部へ吸い込まれる。
《生体鍵を検出》
《第一兵装操縦者規格との一致を確認》
《搬出権限――暫定承認》
針が戻った。
指先の傷を舐めず、血糸で閉じる。
「白夜だけじゃなく、武器も私を知ってる?」
《肯定》
「どうして?」
《上位兵装記録へ接続できません》
また同じだった。
施設。白夜。専用兵装。
どれも私の血を、正式な鍵として認識している。
偶然ではない。
それでも、理由だけが残っていなかった。
「全部持って帰る」
《搬送量が保守用搬送台の標準積載量を超過します》
「何回か運ぶ?」
《主搬送架を使用した場合、一度の搬送が可能です》
「動く?」
《限定復旧が必要です》
「直す」
ここまで来て、武器だけを置いて帰るつもりはなかった。
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搬出作業には時間がかかった。
搬工守が兵装の固定具を一つずつ解除する。
炉工守は主搬送架へ電力を送り続け、管路守が位相断層刃と偏向障壁発生器の冷却路を一時接続した。
天杭は専用の架台へ固定する。
交換装甲と修理部品は、大型搬送個体が順番に積み上げていった。
位相断層刃が固定架から持ち上がった時、区画全体が低く震えた。
重さで搬送架が片側へ傾く。
私は影を広げ、刃の下へ何本も伸ばした。
支えきれる重さではない。
それでも、横揺れを抑えることはできる。
「ゆっくり」
《主搬送架速度を低下します》
巨大な刃が少しずつ移動する。
五千年間置かれていた床から完全に離れ、搬送架の上へ収まった。
固定具が閉じる。
《第一機動決戦兵装専用主兵装》
《搬送状態へ移行》
一つ運ぶだけで、かなりの時間が過ぎた。
すべてを積み終えた頃には、昼を過ぎていた。
作業はまだ続けられる。
作業個体たちにも疲労はない。
私は布に包んだ昼食を取り出した。
位相断層刃の固定架の下へ座る。
城壁より大きな刃の下で、パンを食べた。
肉が少しずれて、指へ油がつく。
布で拭き、残りを口へ入れた。
五千年前、この場所で食事をした人間がいたのかは分からない。
兵器を整備する者たちが、作業の途中で座り、同じように何かを食べたのかもしれない。
それとも、休まず動き続けたのかもしれない。
搬工守が次の固定具へ向かう。
「止まって」
搬工守の脚が止まった。
《作業継続が可能です》
「私が食べ終わるまで休む」
《非効率です》
「知ってる」
返事はない。
炉工守も、管路守も、搬工守も、その場で動きを止めた。
静かな兵装庫で、私がパンを噛む音だけがした。
食べ終わったあと、水を飲む。
布を畳み、道具袋へ戻した。
「続ける」
作業個体たちが同時に動き始めた。
積載量を計測すると、予想どおり警告が表示された。
《現在積載量では、既存制動機構による下降速度の維持が困難です》
「このまま戻れない?」
《安全基準を満たしません》
第二主層の保守記録を検索する。
近くの保守庫に、交換用の補助制動器が残されていた。
搬工守が二基を運び、主搬送架の左右へ取り付ける。炉工守が電力線を接続し、管路守が内部の冷却経路を確認した。
しばらくして表示が変わる。
《補助制動機構――限定稼働》
《最大下降速度――通常運用時の八%》
《緊急停止機能――使用不能》
「遅くてもいい」
今日中に持ち帰れれば、それでよかった。
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夕方近くになって、主搬送架は第二主層を離れた。
来た時よりも、遥かに重い。
位相断層刃。偏向障壁発生器。四本の天杭。交換装甲。内部修理部品。専用整備工具。
白夜用の保管架は、ほとんど空になっていた。
主搬送架が巨大な坂を下り始める。
補助制動器が低い音を立て、速度を抑えている。
炉工守が供給を細かく調整し、管路守が各駆動部の温度を監視する。
私は位相断層刃の横へ立ち、影で横揺れを抑え続けた。
第三主層へ入る。
仮固定した軌道接続部を越えた直後、右側の固定具が一度外れかけた。
影を巻きつけ、刃が傾く前に止める。
搬工守が固定具へ取りつき、締め直した。
《固定状態を再確認》
「続けて」
第四主層。
第五主層。
壁面の表示が一つずつ上へ流れていく。
第六主層へ戻った頃には、外は見えなくても夜に近い時間だった。
白夜の格納庫が開く。
膝をついた白い機体が、暗い格納庫の中央で待っていた。
損傷した左肩。
動かない腕。
深く俯いた頭部。
その前へ、失われていた装備が戻ってくる。
主搬送架が指定位置へ停止した。
《第一機動決戦兵装専用主兵装》
《帰還座標――第六主層第一格納区》
《対応機体を確認》
《白夜》
位相断層刃の固定架が反応した。
白夜の右腕付近で、眠っていた接続端子へ淡い光が灯る。
続いて、白夜の頭部にも一瞬だけ光が走った。
私は巨大な刃と、傷ついた白い機体を見比べた。
「持って帰った」
白夜は答えなかった。
それでも、床へついていた右手の指が僅かに動いた。
見間違いではない。
もう一度は動かなかったが、反応はあった。
「待ってて」
次は装甲を交換する。
内部へ入り、傷ついた部品を直す。
白夜を立たせる。
作業個体へ運搬物の確認を任せた時、視界へ新しい表示が現れた。
《広域受動観測情報を更新》
《深淵航鯨――深度変化を確認》
《上方移動――微増》
以前にも観測されていた巨大生物だった。
今はまだ、進路も目的も分からない。
上昇量も僅かだった。
私は表示を閉じ、白夜へ視線を戻した。
白夜を直す時間は、まだあると思っていた。




