第八話 《横倒しの層》
《未登録生命反応――移動中》
《進行方向――第六主層境界》
《推定距離――1.8キロメートル》
艦内図の上で、小さな点がゆっくりと動いている。
第五層から第六層へ。
白夜のいる格納庫へ近づいていた。
「第六層の扉を閉めて」
《第六主層境界隔壁を閉鎖します》
《格納庫進入経路を封鎖》
《第一機動決戦兵装・白夜の維持機能――正常》
第六層へ続く隔壁が閉じた。
これで生命反応が第五層を通り抜けても、すぐに格納庫へは入れない。
「第五層から、ほかに入れる場所は?」
《第五第六主層間の正規経路は三箇所です》
《第一昇降路――停止》
《大型搬送路――閉塞》
《緊急連絡路――限定開放可能》
「今動いてるのは?」
《未登録生命反応は、緊急連絡路へ向かっています》
正規の通路を知っているように見える。
偶然、同じ方向へ進んでいるだけかもしれない。
それでも、外から入り込んだ魔物が白夜の血や魔力へ反応している可能性もあった。
「武器を持ってるか分かる?」
《監視機能の損傷により判別不能》
「大きさは?」
《推定体長――二・一メートルから三・八メートル》
人間かどうかも分からない。
四足の魔物なら、それほど珍しい大きさではない。
「第七層は閉じておいて」
《第七主層の外部隔壁を閉鎖します》
《救難転送による収容経路は維持します》
患者が来た時には受け入れられる。
それ以外は、簡単に入れない状態になる。
影蔵へ水と治療道具を入れ、腕と腰に固定帯を巻く。
第五層では重力軸制御が止まっている。
レムナは地面へ垂直に埋まっているため、本来の床へ立つことはできない。正規の床に対し、横方向へ自然の重力が働いている。
飛行を使えば移動できる。
ただし、狭い通路や瓦礫の多い場所では翼が邪魔になる可能性がある。
血糸も必要だった。
「第五層の空気は?」
《局所的な呼吸可能領域を確認》
《ただし、複数区画で有害物質および酸素濃度低下を検出》
「今いるものは息してる?」
《生命反応に周期的な変動を確認》
《呼吸様式との一致――不明》
余計に分からなくなった。
第六層へ移動する。
格納庫へ寄る前に、白夜の状態を確認した。
《生体循環系統――限定稼働中》
《格納庫隔壁――閉鎖》
《外部生命反応の侵入――なし》
「ここにいて」
白夜は動かない。
言わなくても動けない。
それでも一言残してから、第五層との境界へ向かった。
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緊急連絡路は、格納庫から離れた整備区画の奥にあった。
扉は上下ではなく、左右へ開く構造をしている。
今いる第六層では床が足の下にある。
けれど、扉の先では、その床がそのまま壁になる。
《警告》
《前方主層の艦内重力軸制御は停止しています》
《正規床面と外部重力方向の偏差――89.7度》
《扉開放後、非固定物体は外部重力方向へ落下します》
「向こうの右側が下?」
《現在位置を基準とした場合、右壁面方向へ落下します》
「ゆっくり開けて」
血糸を壁の固定具へつなぎ、翼を広げる。
白いシャツの背中を破ることなく、黒い翼が現れた。
《飛行 Lv.1》
扉が僅かに開く。
隙間から、冷たい空気が流れ込んできた。
次の瞬間、向こう側に積もっていた砂や小さな金属片が、扉の隙間を通って右へ落ちた。
第六層側へ飛び込んできたのではない。
扉の向こうで、正規の床から右壁へ向かって流れていった。
開口部が広がる。
その先には、長い通路が続いていた。
床には誘導線。
天井には照明。
両側には扉。
普通の廊下に見える。
ただし、すべてが横倒しだった。
机や収納箱、壊れた作業台は右側の壁へ積み重なっている。
天井から外れた照明器具も、右壁へ落下したまま砕けていた。
「入る」
《第五主層への進入を確認します》
血糸を縮めながら、扉の向こうへ身体を移す。
境界を越えた瞬間、身体が右へ引かれた。
翼で姿勢を整え、そのまま九十度回る。
第六層では壁だった面へ、足をつける。
今はそこが下だった。
顔を上げると、正規の床が左側の壁として立っている。
「変な感じ」
《外部重力方向は正常です》
「艦内が横向き」
《肯定》
背後の扉が閉じる。
目の前には、壁面へ積もった瓦礫の山と、その上へ横倒しになった通路が伸びていた。
人間が歩くために作られた床は使えない。
現在の足場になっている壁面には、扉や換気口、配管が並んでいる。
場所によっては、足を置く隙間すらなかった。
翼を小さく動かし、瓦礫の上を越える。
《未登録生命反応》
《推定距離――1.4キロメートル》
「まだ動いてる?」
《移動速度――低下》
《第六主層境界へ接近中》
先回りする必要がある。
私は壁面を蹴り、通路の中央を飛んだ。
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第五層の照明はほとんど消えていた。
第六層から流れ込む僅かな電力によって、非常灯が一定間隔で明滅している。
進むたび、通路の構造が変わった。
横倒しになった研究室。
割れた透明容器。
壁へ落ちて固まった黒い液体。
固定具から外れ、現在の床へ突き刺さった金属腕。
何を研究していた場所なのかは分からない。
部屋の中には、人間用とは思えない大きさの作業台もあった。
「ここは何をする層?」
《第五主層の詳細情報を取得できません》
《部分記録を検索します》
《技術研究》
《兵装製造》
《生体素材加工》
最後の表示だけ、少し遅れて出た。
「生体素材」
白夜の内部にあった、筋肉のような組織を思い出す。
機械構造と生体構造を組み合わせた兵装。
第五層は、それを作るための場所だった可能性がある。
《未登録生命反応――停止》
「止まった?」
《移動を停止しています》
《距離――七百八十メートル》
生命反応がある方向へ進む。
瓦礫の量が増えていた。
現在の床となっている壁面に、巨大な棚が何段も積み重なっている。
飛び越えようとした時、その奥から金属が擦れる音が聞こえた。
一度。
少し間を空けて、また響く。
何かが重いものを引きずっている。
血液感知を広げる。
人間の血はない。
魔物に近い反応が一つ。
ただし、普通の魔物よりも流れが遅い。
体内の一部では、血ではない液体も巡っている。
「いる」
壁へ血糸を固定し、翼を閉じる。
通路の角へ近づく。
音はその先から聞こえる。
金属が擦れる。
荒い呼吸のような振動。
何かが瓦礫を押す音。
角から僅かに顔を出した。
最初に見えたのは、黒い脚だった。
長い爪が現在の床へ食い込み、身体を引いている。
四本ではない。
六本。
前方の二本は獣の脚に近い。
中央の二本には、金属製の把持具が埋め込まれている。
後方の二本は細く、壁へ吸いつくような構造をしていた。
全身は淡い灰色の外皮に覆われ、その上から黒い金属骨格が組み合わされている。
獣と機械を縫い合わせたような姿だった。
大きさは、頭から尾の付け根まで三メートルほど。
細長い頭部には目が四つある。
そのうち二つは閉じ、残りも濁っていた。
生き物は、口に太い帯を咥えていた。
帯の先には、人間一人ほどの大きさがある黒い円筒がつながっている。
それを引きずりながら、第六層へ向かっていた。
「魔物?」
《照合中》
《該当生物なし》
《艦内製造個体データベース――損傷》
私の声に気づき、四つの目がこちらへ向いた。
生き物が低い声を出す。
前脚を広げ、円筒を背後へ隠すように立った。
攻撃する構えに見える。
けれど、右前脚が不自然に曲がっていた。
腹部からも暗い血が流れている。
「止まって」
伝わるとは思わなかった。
それでも、生き物は飛びかかってこなかった。
低い唸り声を出しながら、その場を動かない。
《対象生命反応――低下》
《循環機能の一部停止》
《右前肢骨格損傷》
《腹部外皮断裂》
《継続移動による死亡の可能性――高》
侵入者。
そう思って追ってきた。
けれど、目の前にいるものは傷つき、倒れそうになっている。
「それを運んでるの?」
生き物は円筒の前へ身体を置いたまま離れない。
血液操作を広げ、身体の状態を調べる。
流れている血には、深淵因子に近い成分が混じっていた。
それだけではない。
体内を巡る黒い液体には、白夜の人工循環液と似た反応がある。
生き物ではある。
けれど、自然に生まれたものではない。
「レムナの中にいた?」
反応はない。
一歩近づく。
生き物が口を開き、牙を見せた。
襲う前に影を伸ばす。
《影縛 Lv.1》
足元の影が六本の脚へ絡みついた。
生き物が身体を揺らす。
傷ついているとは思えないほど強い。
影が僅かに引き伸ばされた。
「暴れないで。治すだけ」
血糸を腕から伸ばし、腹部の傷へ近づける。
生き物は牙を鳴らしたが、影縛から逃れられない。
診断表示を開く。
《対象個体への詳細走査を実行》
《人工生体組織を確認》
《機械補助骨格を確認》
《旧式識別核を検出》
《識別核――損傷》
「やっぱりレムナのもの?」
《識別情報の復元を試行します》
《第五主層》
《壁面走行型生体搬送個体》
《個体番号――判読不能》
《登録状態――消失》
侵入者ではなかった。
第五層で作られ、艦内を移動するための搬送個体。
重力制御が停止した区画でも、六本の脚で壁や天井へ張りつき、物資を運ぶための生き物だった。
「何で今まで動かなかったの?」
《推定》
《休眠状態からの復帰》
《起動要因――第六主層生体兵装維持要求》
白夜を直した時、レムナの内部へ維持要求が流れた。
第五層で眠っていたこの個体は、それを受けて動き出した。
壊れた身体で円筒を引きずり、第六層へ向かっていた。
「それ、白夜に持っていくもの?」
《搬送物を走査します》
《第六主層用生体兵装維持素材》
《内容物――生体循環液基礎触媒》
《残存量――14.2%》
白夜の人工循環液を作るための素材。
第五層の製造設備が停止しているため、新しく作ることはできない。
それでも円筒の中には、少量だけ残っていた。
「先に自分を治さないと、死ぬ」
搬送個体は意味を理解していない。
白夜へ素材を届ける。
その命令だけで、壊れた脚を引きずってきた。
「影、外す。噛まないで」
警告してから影縛を弱める。
搬送個体はすぐには動かなかった。
私を見たまま、荒い呼吸を続けている。
血糸を腹部へ触れさせる。
攻撃してこない。
傷口を開き、内部を確認する。
外皮の下には筋肉がある。
その間を金属製の骨格と細い導力管が通っていた。
肉だけを縫えば、内部の管がずれたまま残る。
先に導力管を戻し、折れた補助骨格を血糸で固定する。
破れた血管を閉じ、流れ出していた血を集める。
血液は暗い紫色だった。
人間とは違う。
それでも、返せる場所は分かる。
「戻す」
回収した血を浄化し、体内へ返す。
《対象循環量――回復》
《生命反応――安定化》
右前脚の骨格も直す。
人工骨の一部は砕けていたため、完全には戻せない。
それでも歩く程度なら支えられるように固定した。
傷口を閉じる。
搬送個体は一度も噛みつかなかった。
「立てる?」
影を完全に外す。
六本の脚が動く。
右前脚へ体重をかけた瞬間に身体が傾いたが、倒れはしなかった。
《対象個体》
《生命危険状態――解除》
《右前肢機能――41%》
《自力移動――可能》
搬送個体は私を見た。
それから円筒へ顔を向け、再び帯を咥えようとする。
「まだ運ぶの?」
止めても理解しない。
私は円筒へ血糸を巻き、持ち上げた。
重い。
人間一人よりも重いが、引きずる必要はない。
「私が持つ」
搬送個体は帯を離さなかった。
「一緒に持つ?」
返事の代わりに、帯を咥えたまま動き始める。
命令を取り消す機能が壊れているのかもしれない。
私は円筒の重量を血糸で支え、搬送個体の後ろを進んだ。
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第六層境界までの道は、通ってきた場所よりも狭かった。
横倒しになった連絡路の中を、搬送個体は壁面の突起へ脚をかけながら進む。
重力方向が変わっても関係ない。
現在の床が途切れれば、正規の天井や反対側の壁へ移る。
その動きを見ていると、この姿が第五層のために作られたことがよく分かった。
私は翼と血糸を使って後を追う。
途中、搬送個体が壁へ顔を近づけた。
金属骨格の一部が淡く光る。
停止していた扉が僅かに開いた。
《旧式艦内権限を検出》
《第五主層経路情報を部分回復》
艦内図へ、これまで表示されていなかった通路が追加される。
《第五主層》
《技術研究・兵装製造区画》
《局所管理情報を復元しました》
第五層の正式な用途が表示された。
研究。
製造。
生体素材加工。
白夜を含む兵装の部品や維持素材は、ここで作られていた。
さらに、三箇所の非正規外部開口部も詳しく表示される。
《外部開口部一》
《岩盤による閉塞率――96%》
《生物通行可能性――低》
《外部開口部二》
《完全閉塞》
《外部開口部三》
《狭小空間を経由し、外部洞窟へ接続》
《中型生物の通行可能性――あり》
外から入れる場所は一箇所残っている。
今回の搬送個体は、そこから入ったわけではない。
第五層内部の休眠区画から動き出しただけだった。
それでも、次に入ってくるものがレムナの一部とは限らない。
「あとで塞ぐ」
《外部開口部三を監視対象へ登録します》
緊急連絡路の扉へ到着する。
「開けて」
《第五第六主層間緊急連絡路を開放します》
扉が開く。
第五層側の瓦礫が外部重力方向へ流れ、第六層の境界で固定される。
私は先に円筒を血糸で送り、搬送個体を通す。
境界を越えると、重力の向きが変わった。
搬送個体の六本の脚が床へ着く。
一瞬だけ姿勢を崩したが、そのまま円筒を引いて歩き始めた。
「格納庫には入れない」
《対象個体の旧式権限を確認》
《格納庫進入権限――あり》
「私が一緒の時だけ」
《権限条件を更新します》
《マスターユーザー同行時のみ、格納庫への進入を許可》
白夜の存在を守るため、誰であっても勝手には入れない。
レムナの中で作られた生き物でも同じだった。
隔壁が開く。
格納庫の中央で、白夜が膝をついている。
搬送個体は白い巨体を見ても止まらなかった。
円筒を引きずり、左脚近くの整備区画へ向かう。
そこには、今まで開かなかった収納設備があった。
搬送個体が頭部を近づけると、設備の表面に光が走る。
《第五主層搬送物を確認》
《生体循環液基礎触媒を受領》
《維持素材残存量――14.2%》
《第一機動決戦兵装・白夜》
《循環液再生成機能の限定使用が可能です》
「血はいらなくなる?」
《生体鍵血液は循環基準として引き続き必要です》
《基礎触媒の使用により、残存循環液の劣化速度を低下できます》
《定期血液供給量の再計算》
《一日あたり十二ミリリットル》
《一日あたり八ミリリットル》
少しだけ減った。
白夜の中を私の血が流れることは変わらない。
けれど、人工循環液そのものが壊れる速度は遅くなる。
「運んでくれてありがとう」
搬送個体は収納設備の前へ伏せた。
傷ついた右前脚を床から浮かせている。
動力が切れたわけではない。
長い移動を終え、ようやく休んでいるだけだった。
《壁面走行型生体搬送個体》
《識別核の再登録が可能です》
「登録したら、どうなる?」
《艦内個体として監視および維持対象へ追加します》
《名称または個体番号を設定できます》
名前は思いつかなかった。
作業個体と同じように、役割が分かれば十分かもしれない。
「搬送個体でいい」
《登録名――搬送個体》
《第五主層壁面走行型生体搬送個体を再登録しました》
《維持対象へ追加》
格納庫の端へ、搬送個体が休める場所を指定する。
水に近い維持液と、人工組織用の栄養材も供給できるらしい。
白夜のための設備を少し転用し、最低限の処置を続ける。
《対象個体の推定回復期間――十二日》
「治るまで運ばなくていい」
搬送個体は目を閉じた。
理解したのか、単に眠ったのかは分からない。
白夜へ近づき、脚部の供給口へ八ミリリットルの血を流す。
《生体鍵血液の定期供給を確認》
《循環基準――維持》
白い装甲の内側を、赤い光が走る。
その近くでは、第五層から来た搬送個体が静かに呼吸していた。
侵入者ではなかった。
長い間、重力を失った第五層で眠り、白夜の維持要求を受けて目を覚ましたレムナの一部だった。
家に誰かが入ったのではない。
眠っていた家の中で、まだ動けるものが一つ起きただけだった。
第五層への経路は分かった。
外へつながる亀裂も見つけた。
次は、そこを塞がなければならない。
私は横倒しになった第五層の図を見ながら、三つ目の外部開口部へ印をつけた。
レムナの中には、まだ知らないものが残っている。
それがすべて味方だとは限らなかった。




