第七話 《患者と侵入者》
「王国軍参謀局です」
ローデンの言葉が、崩れた観測塔の中へ落ちた。
血糸に包んだ座標杭は、淡い光を繰り返している。
《未登録座標固定術式》
《対象座標の取得を試行中》
《取得失敗》
《再試行まで――十二秒》
「何を命令されたの」
「あなたと接触したあと、観測塔の内部で杭を起動するよう命じられました」
「私の場所を調べるため?」
「正確には、あなたの周囲に存在する古代艦艇反応を捉えるためです」
「同じ」
ローデンは否定しなかった。
イレーナが壁へ手をつきながら立ち上がる。治療した右脚はまだ固定したばかりで、体重をかけるたびに顔が僅かに歪んだ。
「武器を置きなさい」
「調査官」
「今すぐです、ローデン」
ローデンは腰の剣を鞘ごと外し、床へ置いた。
予備の短剣。
小型の弩。
外套の内側に隠していた信号具。
一つずつ地面へ並べる。
「座標杭を渡された時の命令書は」
「携帯しています」
胸元から、王国軍の印が刻まれた薄い金属板を取り出す。
イレーナが受け取り、表面へ指を触れた。
古い文字ではなく、王国で使われている術式が浮かぶ。
《接触対象――通称・奈落の姫》
《対象との交戦を禁止》
《古代艦艇反応の捕捉を最優先》
《座標取得後、直接接触を避けて帰還せよ》
「捕まえる命令じゃない?」
「ありません」
「殺す命令も?」
「ありません」
「なら、家の場所を盗んでもいい?」
「王国にとって、正体不明の古代艦を放置することはできません」
「それは王国の都合」
「承知しています」
「承知して、やったの?」
ローデンの視線が僅かに下がった。
「軍人として命令に従いました」
「約束を破る命令でも?」
「私自身は、あなたと約束を交わしていません」
「イレーナが約束した」
「私は遺物院ではなく、王国軍の護衛です」
イレーナが命令板を握る指へ力を込める。
「私の調査隊として同行した以上、私の約束に従う義務があります」
「軍からは、あなたが調査を中止する可能性も想定するよう命じられました」
「だから私にも隠したのですか」
「はい」
言い訳はしなかった。
その態度が正しいわけではない。
ただ、自分のしたことを誤魔化すつもりもないらしい。
私は座標杭へ意識を戻した。
《再試行を開始》
《対象反応――取得不能》
《外部通信経路――未確立》
《位置情報流出――確認されず》
まだ見つかっていない。
杭が何度試しても、レムナの座標には届いていない。
「壊す」
イレーナがこちらを見る。
「お待ちください。それは参謀局の命令を証明する物証です」
「また動く」
「動力を切断した状態で封印します」
「嫌」
血糸を座標杭の隙間へ入り込ませる。
内部には、小さな制御核と何重にも折り畳まれた術式板が入っていた。
制御核を引き抜く。
術式板を切断する。
黄色い光が消え、座標杭から魔力の反応が失われた。
《座標固定術式――停止》
《再起動不能》
外殻だけは壊さず、イレーナの足元へ置く。
王国軍の紋章と製造番号は残っている。
「証拠はこれ」
「内部術式が失われれば、参謀局が自分たちの物ではないと否定するかもしれません」
「動くまま持って帰る方が嫌」
イレーナは壊れた外殻を拾った。
「分かりました。命令板とローデン本人もいます。これで追及します」
「イレーナが知らなかったって、証明できる?」
「できません」
すぐに返ってきた。
「では、私も疑ってください。信用しろと求めるつもりはありません」
「疑ったままにする」
「それで構いません」
ローデンは拘束するため、残っていた縄を取り出した。
しかし、イレーナが彼の両手を縛ろうとしたところで、床へ横たわっていたもう一人の護衛が大きく咳き込んだ。
口元から血が流れる。
「待って」
側へ膝をつき、胸部へ手を触れる。
呼吸が浅い。
先ほど閉じた肺の傷が、再び開いている。
血液感知を広げると、折れた肋骨の一部が内側へずれ、傷ついた肺へ触れていた。
胸の中にも血が溜まり始めている。
《対象生命反応――急速低下》
《右肺再損傷》
《胸腔内出血――進行》
《現地での継続処置では生存率が低下します》
「また出血してる」
イレーナが負傷者の側へ来る。
「最寄りの治療院まで、馬でも半日以上かかります」
「間に合わない」
「では、どうすれば」
「連れていく」
イレーナの目が私へ向いた。
「どこへですか」
「言わない」
「私たちも同行できますか」
「できない」
「彼だけを?」
「治療が必要なのは、この人」
技術者とイレーナも怪我をしているが、今すぐ死ぬ状態ではない。
移動に耐えられる程度には処置を終えている。
護衛だけは違う。
もう一度ここで胸を開いても、清潔な環境も器具も足りない。処置の途中で塔が崩れる可能性も残っている。
「連れていったあと、必ず帰してもらえますか」
「治ったら帰す」
「彼は王国軍の人間です」
「知ってる」
「あなたの居場所を探ろうとした組織の人間でもあります」
「この人が杭を持ってきたの?」
イレーナがローデンを見る。
ローデンは首を横に振った。
「密命を受けたのは私だけです。彼は知りません」
「なら、関係ない」
「関係があったとしても、治療するのですか」
「今は患者」
言い終えると同時に、救命転送網へ接続する。
《緊急収容候補を確認》
《対象は自力離脱不能》
《現地治療のみでは死亡する可能性が高いと判定》
《収容条件――成立》
「この人を収容」
《緊急収容を開始します》
護衛の身体を光が包む。
イレーナが名を呼んだが、返事はなかった。
胸部へ刺さった血糸を維持したまま、身体が光の中へ沈んでいく。
数秒後、護衛の姿は消えた。
血も、折れた装備の一部も残っていない。
「どこへ転送されたのですか」
「教えない」
「連絡手段は」
「セラフィナを通して伝える」
「分かりました」
イレーナは追及しなかった。
「治療が終わるまで、ローデンを遺物院の管理下へ置きます。命令板についても調査します」
「逃がさない?」
「逃がしません」
「軍に返さない?」
「少なくとも、事情を聞き終えるまでは」
完全に信用はできない。
それでも、ここに残ってローデンを監視することはできない。
負傷した護衛を治さなければならない。
「次に会うかは、治療が終わってから決める」
「承知しました」
私は現地派遣の終了を指示する。
身体を光が包む直前、ローデンがこちらを見た。
「参謀局では、奈落の姫は古代艦を守るためなら、王国の人間を切り捨てると説明されました」
「今は話さない」
「あなたは、私たちを敵と見なしているのではないのですか」
「約束を破ったから怒ってる」
「それでも、彼を助ける?」
「患者だから」
転送の光が視界を覆う。
最後に見えたのは、答えを失ったローデンと、壊れた座標杭を握るイレーナの姿だった。
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第七層へ戻ると、護衛はすでに重症治療台へ運ばれていた。
診工守が胸部を走査している。
《患者識別名――不明》
《右肺裂傷》
《胸腔内出血量――増加中》
《肋骨複数骨折》
《血中酸素濃度――低下》
《緊急処置を推奨します》
「服と装備を外して」
搬工守が鎧を切り離す。
胸当ての内側には、現地で見えなかった出血が広がっていた。
肺を閉じた場所だけではない。
落下した時に折れた肋骨がさらにずれ、別の場所を傷つけている。
「麻酔。呼吸を補助して」
《処置を開始します》
意識を完全に落とす。
胸部を開き、内部へ溜まった血を抜く。
回収した血のうち、異物や汚れの入っていないものだけを分離する。
《返血可能量――六百四十ミリリットル》
「先に戻して」
血糸を静脈へつなぎ、処理した血を循環へ返す。
血圧が少し上がる。
ずれた肋骨を元の位置へ戻し、傷ついた肺を確認する。
破れた箇所は二つ。
血管の損傷は四箇所。
現地で閉じた場所も、縫合部分の周辺が崩れていた。
「順番に閉じる」
血糸を細く分ける。
血管。
肺。
胸膜。
一本ずつ、流れを確認しながら閉じていく。
診工守が表示する数値が少しずつ戻る。
《胸腔内出血――減少》
《呼吸効率――改善》
《生命危険度――低下中》
肋骨を固定し、胸部を閉じようとした時、搬工守が外した装備から微弱な反応が出た。
《外部通信反応を検出》
「また?」
治療を止めず、反応の場所だけを表示させる。
護衛の軍服。
胸元の所属章の裏側に、小さな金属片が埋め込まれていた。
《王国軍個体識別具》
《機能――所属情報送信》
《機能――生命反応送信》
《位置情報送信――限定的》
《外部通信先――接続不能》
座標杭とは違う。
軍人が生存しているか、どの部隊に所属しているかを伝えるための装備らしい。
護衛自身が密命として持ち込んだものではない可能性が高い。
それでも、外部とつながるものを艦内へ入れたことには変わりない。
「遮断して。壊さなくていい」
《外部通信遮断容器へ隔離します》
診工守が識別具を収納する。
「これから患者を入れる時、外と通信するものを先に調べて」
《収容対象の装備検査項目を更新します》
《位置追跡》
《座標固定》
《遠隔観測》
《外部通信》
《該当機能を検出した場合、収容時に自動隔離します》
これで、同じ方法で家の場所を探られる危険は減る。
患者を助けるために収容するたび、服をすべて捨てさせるわけにはいかない。
けれど、通信具だけは別だった。
治療へ戻る。
胸部を閉じ、血流と呼吸を確認する。
《患者の生命危険状態を解除》
《継続的な呼吸補助を推奨します》
《推定覚醒時間――十六時間後》
「終わり」
手についた血を洗う。
現地派遣を含めれば、ほとんど一日動き続けていた。
それでも、眠る前にレムナの状態を確認する。
《外部座標固定信号による位置情報流出――確認されず》
《艦艇識別系統――手動停止状態》
《艦体座標――秘匿維持》
「見つかってない?」
《肯定》
ようやく息を吐く。
患者の呼吸音が安定していることを確認し、隣の軽症用寝台へ横になった。
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護衛が目を覚ましたのは、翌日の昼だった。
私は治療台の横で、白夜へ供給する血液量を確認していた。
「ここは……」
「動かないで」
護衛が身体を起こそうとする。
胸部の固定具が反応し、警告が表示された。
《患者の起き上がりを制限します》
「観測塔は」
「イレーナたちは生きてる」
「ローデンは?」
「拘束された」
護衛は天井を見た。
「ここは、どこですか」
「言わない」
「奈落の地下ですか」
「それも言わない」
「王国内では」
「聞いても答えない」
護衛は周囲を見ようとしたが、治療室には窓がない。
扉も閉じている。
レムナの名前を示す表示はすべて消してある。
第七層という呼び方も、彼の前では使わない。
「あなたが治療したのですか」
「うん」
「なぜ」
「死にそうだったから」
「王国軍は、あなたの居場所を探ろうとしました」
「杭を持ってきたのはローデン」
「私は知りませんでした」
「そう聞いた」
「信じるのですか」
「まだ決めてない」
信じることと、治療することも別だった。
護衛は少し黙ったあと、胸へ触れようとして手を止めた。
「傷が、ほとんど痛まない」
「中はまだ治ってない。二日は動かないで」
「本当に、帰すつもりですか」
「治ったら」
「尋問は?」
「しない」
「レムナについても聞かないのですか」
名前を聞いても、反応しないようにする。
「知らないから」
「参謀局は、あなたとレムナが関係していると考えています」
「勝手に考えればいい」
「中央教会も、同じものを探している可能性があります」
「教会からは聞いてない」
「軍が恐れているのは、古代艦だけではありません。教会があなたを通して、それを先に手に入れることです」
「私は教会のものじゃない」
「王国のものでもない」
「うん」
「今は、それを信じます」
「今は?」
「目を覚ました時、私は生きていました」
護衛は閉じられた胸部を見下ろす。
「もしあなたが教会の命令で動いているなら、王国軍の人間をここまで治療する必要はありません」
「患者だったから」
「イレーナ調査官から聞いていた話と同じですね」
「何を?」
「あなたは、敵であっても治療すると」
「敵かどうかは、治ってから決める」
護衛は初めて、僅かに笑った。
すぐに胸が痛んだらしく、顔をしかめる。
「笑わないで」
「善処します」
「今は寝て」
「分かりました」
目を閉じるまで待ち、私は格納庫へ向かった。
白夜へ十二ミリリットルの血を渡し、すぐに治療室へ戻る。
患者がいる間は、長く離れられない。
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二日後、護衛の肺は正常に膨らみ、胸腔内の出血も止まっていた。
固定していた肋骨も、移動へ耐えられる状態になっている。
《患者の治療完了を確認》
《個別治療報酬――SP+2》
《保有SP――18》
「帰せる」
「観測塔へですか」
「違う」
観測塔の周囲には、王国軍の別部隊が来ている可能性がある。
帰還の瞬間を観測されれば、転送の性質を調べられるかもしれない。
セラフィナを通じて、教会が管理する治療院を一つ指定してもらった。
王国と教会の双方が立ち会えるが、周囲へ大規模な追跡術式を展開できない場所だった。
「イレーナとセラフィナが待ってる」
「ローデンは」
「イレーナが連れてる」
「私も事情を聞かれるでしょう」
「それは治療じゃないから知らない」
「そうですか」
護衛へ軍服を返す。
外部通信機能を持つ識別具は、遮断容器へ入れたまま別に渡すことにした。
「これ、外とつながる」
「所属識別具です」
「私の場所を調べられるかもしれないから、止めた」
「軍の規定装備です。私も、位置を送る機能までは知りませんでした」
「持って帰っていい。でも、転送が終わるまで動かさない」
「承知しました」
帰還を起動する。
《患者帰還地点》
《中央教会管理・北西治療院》
《指定座標周辺に追跡術式なし》
《帰還を開始します》
「もう怪我しないで」
「努力します」
「杭を持ってくる人とも一緒に来ないで」
「それは、私だけでは約束できません」
「なら来ないで」
護衛は一瞬困った顔をしたあと、頭を下げた。
「助けていただき、ありがとうございました」
転送の光が身体を包み、護衛の姿が消える。
視界の一部へ、帰還地点の映像が短く表示された。
治療院の中庭。
杖を持ったセラフィナ。
足を固定したイレーナ。
その後ろには、両手を拘束されたローデンが立っている。
護衛が現れると、イレーナがすぐに駆け寄ろうとして、傷めた脚を押さえた。
『聞こえますか』
接触印を通じて、イレーナの声が届く。
「聞こえる」
『彼を治療し、帰還させてくださったことに感謝します』
「患者だったから」
『ローデンは現在、古代遺物院の監視下にあります。参謀局からの命令板も確保しました』
「軍に返したら、また来る?」
『少なくとも、調査が終わるまでは返しません』
セラフィナが続ける。
『王国軍参謀局から教会へ、正式な説明要求を送った。今回の座標固定について、教会も許容しない』
「王国の問題じゃないの?」
『お前との仮接触規約には、治療拠点の捜索を行わないという内容も含まれている。王国軍の行動でも、見過ごすことはできない』
イレーナが記録板を開いた。
『今後の接触条件を、王国側の正式記録として残したいと思います』
「条件?」
『あなた自身、治療を受けた者、または転送経路を追跡しない』
『位置固定術式を使用しない』
『《レムナ》への艦籍照会を行わない』
『あなたとの対話が必要な場合は、私かセラフィナ審問官を通じて要請する』
「王国の全員が守る?」
『私一人で、王国に属する全員の行動を保証することはできません』
「また同じ」
『ただし、正式な取り決めとして記録します。今後これを破る者が出た場合、知らなかった、事故だったという主張は認められません』
「破ったら?」
『あなたとの取り決めを承知したうえでの、明確な敵対行為として扱われます』
完全に安全になるわけではない。
それでも、次に同じことをする人間は、約束を知らなかったとは言えなくなる。
「分かった」
『条件を受け入れていただけますか』
「一回だけ」
『一回だけ、とは』
「もう一度破ったら、王国とは話さない」
イレーナは僅かに目を伏せた。
『受け入れます』
「イレーナも疑ったまま」
『それも受け入れます』
通信を切る。
治療院の映像が消え、第七層へ静けさが戻る。
王国との問題が終わったわけではない。
ローデンを拘束しても、命令を出した人間は王都にいる。
座標杭を一つ壊しても、同じものがほかに存在する可能性はある。
「家の場所は?」
《外部座標固定信号による位置情報流出――確認されず》
《艦体座標――秘匿状態を維持》
「よかった」
表示を閉じようとすると、新しい報告が開いた。
《外部座標固定信号への受動反応を確認》
「反応した?」
《信号送信は実行していません》
《停止中の船体監視設備が一時的に再起動しました》
艦内図が表示される。
第七層。
第六層。
その上に並ぶ、情報の失われた五つの主層。
今まで黒く塗り潰されていた第五層の一部に、細い線が浮かんでいる。
《第五主層》
《部分監視機能――一時復旧》
《艦内重力軸制御――停止》
《正規床面と外部重力方向の偏差――89.7度》
第五層では、本来の床がほとんど垂直になっている。
レムナが地中へ突き刺さった姿勢のまま、自然の重力だけが働いているためだ。
廊下を歩くことはできない。
壁が床になり、本来の通路は巨大な縦穴のようになっている。
《外殻損傷――複数》
《非正規外部開口部――三箇所》
「外につながってる?」
《肯定》
エルセリアがこれまで使っていた出入口とは別に、三つの亀裂がある。
そのうち一つから、細い反応線が内部へ伸びていた。
《未登録生命反応を検出》
「人?」
《判別不能》
《登録個体との一致――なし》
《救命転送による収容記録――なし》
生命反応は一つ。
第五層の横倒しになった区画を、ゆっくりと移動している。
《未登録生命反応――移動中》
《進行方向――第六主層境界》
《推定距離――1.8キロメートル》
王国の調査隊ではない。
転送した患者でもない。
いつから入り込んでいたのかも分からない。
表示の上で、生命反応を示す小さな点が再び動いた。
下へ。
白夜のいる第六層へ近づいている。
「誰か、家に入ってる」




