第五話 《応答拒否》
主層間電力分配系統を直した翌朝、私は第七層と第六層をつなぐ昇降路の前に立っていた。
扉は開いている。
その奥には、治療室よりも広い箱型の空間があった。人間を数人運ぶための設備ではなく、搬工守や大型部品をまとめて移動させるためのものらしい。
壁と床には固定具が並び、天井には太い搬送腕が収納されている。
《第七第六主層間昇降路》
《試験運転が可能です》
《最大積載量――情報欠損》
《安全制御機能――61%》
「安全?」
《重大事故の発生確率は低いと推定されます》
「低いだけ?」
《完全な安全は保証できません》
少し迷う。
以前の連絡通路は、崩れた足場と重力のずれがある。そちらを使い続けるより、昇降路を試した方がいい。
「落ちそうになったら止めて」
《非常停止機能――利用可能》
搬工守と管路守を先に乗せる。
私も中央へ入り、血糸を壁の固定具へつないだ。
「第六層」
《第六主層へ移動します》
扉が閉じる。
低い振動とともに、昇降路が動き始めた。
身体が僅かに重くなる。
自然の重力ではなく、箱の移動による感覚らしい。表示される速度は読めなかったが、以前の通路を歩くより明らかに速い。
《主層境界へ接近》
《重力軸の切替を開始します》
「切替?」
答えを聞く前に、身体を引く方向が変わった。
床から斜めへ。
斜めから壁へ。
血糸で身体を固定していなければ、横へ倒れていた。
搬工守の脚部も一瞬浮き、壁の固定具が自動的に展開して機体を支える。
《第七主層基準重力から第六主層基準重力へ移行》
《重力軸偏差――十八度》
《九度》
《正常化》
身体の重さが再び床へ戻る。
「先に言って」
《重力軸切替を事前通知しました》
「直前だった」
昇降路は答えなかった。
作業個体と同じで、会話の相手には向いていない。
それでも、途中で止まることはなかった。
数分もしないうちに正面の扉が開き、第六層の通路が現れる。
《第六主層へ到着しました》
《試験運転――完了》
《重大異常――なし》
「次は重力をゆっくり変えて」
《利用者快適性設定を更新します》
言えば変えられるらしい。
最初からそうしてほしかった。
第六層の照明は、以前より安定していた。
まだ暗い区画は多いが、昇降路から格納庫までの誘導灯は途切れずに点いている。
白夜の状態を確認する。
《第一機動決戦兵装・白夜》
《生体循環系統――限定稼働中》
《登録血統――エルセリア》
《循環基準維持可能時間――二十五日》
《定期血液供給を推奨します》
「十二ミリリットル?」
《肯定》
昨日までに失った三リットルと比べれば、少ない。
それでも、毎日白夜へ血を渡すことになる。
格納庫へ入ると、白い巨体は膝をついたまま動いていなかった。
頭部の光も消えている。
けれど、以前とは違う。
血液感知を広げると、胸部の奥からゆっくりとした流れが返ってくる。
私の血を基準にして再活性化された循環液。
白夜の内部を巡り、生体組織へ魔力と維持成分を運んでいる。
巨大な患者みたいだった。
私は左脚の近くに新しく点灯した供給口へ手を触れる。
《生体鍵血液の定期供給を受け付けます》
手首を小さく切り、必要な分だけ血を流す。
《供給量――十二ミリリットル》
《循環基準の維持を確認》
《次回推奨供給まで――二十四時間》
傷を閉じる。
身体への影響はほとんどない。
「これなら大丈夫」
白夜から返事はない。
ただ、装甲の内側を走る赤い線が一度だけ淡く光った。
「今日は昇降路を試しに来ただけ」
言ってから、自分でも少し変だと思った。
白夜に意識があるとは確認されていない。
機体の状態を表示しているのも、白夜自身ではなくレムナの管理機能かもしれない。
それでも、血を渡したあと何も言わず帰るのは落ち着かなかった。
「また明日」
格納庫を出ようとした時、艦内表示が開いた。
《外部信号を検出》
足を止める。
昨日、レムナが一秒にも満たない艦艇識別信号を送った。
外部からの反応はないと思っていた。
《信号種別――識別照会》
《送信経路――古代中継設備》
《送信元登録――不明》
《照会内容》
《艦名》
《艦種》
《艦籍》
《現在位置》
《管理権限保持者》
「誰?」
《送信者情報は登録されていません》
《外部中継設備から自動照会を受信しています》
相手が人間なのか、古い設備なのかも分からない。
「答えたらどうなる?」
《艦籍照会へ応答します》
《現在位置および管理状態を外部へ送信します》
「場所も?」
《肯定》
それは嫌だった。
教会との接触は、私が受け入れるかどうかを決められる。
接触印にも、位置を探る機能はなかった。
今届いている照会は違う。
レムナがどこにあるのか。
誰が管理しているのか。
それを知らない相手が、外から調べようとしている。
「断る」
《艦籍照会への応答を拒否しますか?》
「うん。場所は教えない」
《応答拒否を実行します》
《外部への位置情報送信――なし》
照会表示が消えた。
けれど、数秒後にもう一度開く。
《外部信号を検出》
《識別照会を再受信》
「また?」
《同一中継設備からの信号です》
「断って」
《応答拒否》
三度目。
四度目。
同じ照会が一定の間隔で届く。
艦名。
艦種。
位置。
管理者。
相手は返事がないから繰り返しているのかもしれない。
「ずっと来る?」
《送信設備が停止するまで継続する可能性があります》
「受け取らないようにできる?」
《該当送信元からの照会を遮断可能です》
「遮断」
《外部中継設備からの識別照会を遮断します》
表示が消える。
今度は戻らなかった。
ただし、別の警告が残った。
《注意》
《応答を拒否した場合でも、複数地点からの信号観測によって発信源を推定される可能性があります》
「こっちから何も送ってない」
《艦艇識別信号の残留波形が観測されている可能性があります》
昨日の一秒未満の信号。
それだけでも、何度も測ればおおよその方向は分かるらしい。
「完全に消せる?」
《すでに外部へ到達した信号を消去することはできません》
「これからは?」
《艦艇識別系統は手動停止状態です》
《マスターユーザーの許可なく送信しません》
これ以上、自分から知らせることはない。
けれど、すでに見つかった反応までは戻せない。
誰かが奈落の下にレムナがあると気づいた。
正確な場所までは知らない。
それでも、探そうとしている。
白夜を見上げる。
全高も、力も、用途も分からない巨大兵装。
これを欲しがる人間がいるかもしれない。
第七層の治療設備も、救命転送網も同じだった。
患者を助けるために使いたい人だけが来るとは限らない。
「勝手に入れる?」
《現在、外部から艦内へ直接侵入可能な正規経路は確認されていません》
「壊れたところは?」
《艦体全域の損傷情報を取得できません》
《未確認の外部接続箇所が存在する可能性があります》
以前使った洞窟。
壊れた船体の隙間。
岩盤の亀裂。
私が外へ出られたということは、外から入れる場所もあるかもしれない。
「誰か入ってきたら分かる?」
《第七主層および第六主層の一部では、生命反応を検出可能です》
《第一主層から第五主層では、監視機能が停止しています》
上から入られれば、近くまで来るまで分からない。
今まで救助することばかり考えていた。
誰かが第七層を探しに来る可能性は、教会の収容命令が止まってからあまり考えていなかった。
けれど、レムナを見つけたのは教会とは限らない。
「家に入るなら、先に言ってほしい」
白夜は動かない。
レムナも答えない。
私は艦内図を開く。
第七層。
第六層。
その上にある、何も見えない五つの主層。
どこが壊れ、どこが外へつながっているのか。
まず知らなければならなかった。
「船体の傷を調べるには?」
《船体損傷診断機能の復旧を推奨します》
《関連設備》
《第三主層――主機関・推進動力統制区画》
《第四主層――兵站搬入・物資集積処理区画》
どちらも、今は応答していない。
すぐには行けない。
なら、今できる範囲で守るしかない。
「第七層と第六層で、知らない人を見つけたら教えて」
《未登録生命反応の監視を開始します》
《救難転送による患者および承認済み接触者は除外します》
《未登録侵入反応を検出した場合、マスターユーザーへ通知します》
「攻撃はしないで」
《現在稼働中の自動防衛機能は確認されていません》
「それならいい」
安心したような、しないような答えだった。
今は動いていなくても、上層を直した時に防衛機能まで起きる可能性がある。
何を復旧させるかは、もっと慎重に決めなければならない。
昇降路で第七層へ戻る。
今度は重力軸がゆっくり切り替わった。
身体が少し斜めへ引かれただけで、壁へ倒れることはない。
《利用者快適性設定を適用しました》
「最初からこれでよかった」
第七層へ戻ると、銀色の接触印が光っていた。
送信者はセラフィナ。
《中央教会外部からの問い合わせを確認》
《王国の古代遺物院が、奈落地下で観測された艦艇信号について情報を求めています》
「もう教会にも来た」
王国。
教会とは別の組織が、レムナを探し始めている。
私は短文を返せない接触印を見つめたあと、対話要請を送った。
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王立古代遺物院の地下観測室では、同じ照会が五度目の失敗を記録していた。
《艦籍照会――応答なし》
《再照会――拒否》
《送信経路――遮断》
若い観測官が表示を見つめる。
「拒否、ですか」
隣に立つ遺物院の調査官は、照会記録を何度も読み返していた。
白髪の混じった女性だった。
名を、イレーナ・ヴァルツという。
「機能が死んでいるなら、拒否という結果は出ない」
「では、誰かが操作している?」
「少なくとも、判断できる管理系統が残っている」
机の上には、北部で広がっている噂の記録も置かれていた。
奈落から現れる黒い翼の女。
死にかけた者を連れ去り、治療して帰す吸血種。
《奈落の姫》。
教会は詳細を公開していない。
ただし、第一級収容命令が停止され、仮接触規約が結ばれたことだけは王国側にも伝わっている。
「同じものだと思いますか」
観測官が尋ねる。
イレーナはすぐには答えなかった。
《レムナ》
古代の記録に一度だけ現れる艦名。
用途も、所属も、建造年代も分からない。
残っているのは、滅びた都市の石板へ刻まれた短い一文だけだった。
――レムナは白き夜を収め、終わりの空へ向かった。
意味不明な神話として扱われてきた言葉。
それと同じ名前が、奈落の地下から返ってきた。
「同じでなければ、偶然が多すぎる」
イレーナは記録板を閉じた。
「照会は拒否された。これ以上、同じ方法を続けるな」
「調査を中止しますか」
「逆だ」
壁に表示された奈落周辺の地図を見る。
信号の継続時間は短く、正確な位置までは分からない。
それでも、観測された方向は絞られている。
「古代中継設備を現地で調べる。照会を拒否した理由も確認する」
「調査隊を送るのですか」
「武装した軍隊を送れば、教会との約束まで壊しかねない」
イレーナは地図上に残る古い遺跡を指した。
奈落北西部。
すでに放棄された地下観測塔。
今回、艦籍照会を送った中継設備が眠る場所だった。
「少人数で行く。遺物院の技術者と護衛だけだ」
「艦へ近づける保証はありません」
「近づく必要はない。まず、向こうが何を嫌がったのかを知る」
照会記録には、位置と管理権限を要求した直後から拒否が始まったと残っている。
イレーナはその部分へ指を置いた。
「名前を尋ねたから拒否したのではない」
「位置を聞いたから?」
「おそらくな」
誰かが、そこを隠そうとしている。
遺跡ではない。
無人の兵器でもない。
自分の居場所を知られたくないと思う、何かがいる。
イレーナは調査命令書へ署名した。
「奈落の姫に会えるとは限らない」
ペンを置き、もう一度の文字を見る。
「だが、あちらが扉を閉めたのなら、まずは外から声をかけるべきだ」
王国は、奈落の底にある船を探し始めた。




