第四話 《レムナの鼓動》
白夜の内部へ血を流し終えたあと、私は一人で第七層まで戻れなかった。
血液量が戻るまで格納庫の足場で休んだが、立ち上がると視界の端が暗くなり、翼を広げても姿勢を保てなかった。
「飛ぶのは無理」
《マスターユーザー血液量――警戒域》
《飛行技能の使用を推奨しません》
「分かってる」
搬工守へ架工守を載せ、空いている背部へ私も身体を預けた。
人を運ぶための形ではないため、金属の突起が腹部と胸へ当たる。血糸を身体へ巻き、落ちないように固定した。
「ゆっくり戻って」
搬工守は一定の速度で歩き始めた。
白夜の足元を離れる。
格納庫の奥では、ゆっくりとした循環音が続いている。
私の血を受け入れる前にはなかった音だった。
《第一機動決戦兵装・白夜》
《生体循環系統――限定稼働中》
《急速な構造劣化――停止》
《循環基準維持可能時間――推定二十七日》
すぐに追加の血を入れる必要はないらしい。
白夜の内部を回っている血は消費されるのではなく、残った循環液を再活性化させながら繰り返し巡っている。
一日に必要な十二ミリリットルは、損傷箇所から失われる分や、生体組織の維持へ使われる分を補うための量だった。
「二十七日までに、来やすくする」
《第七主層―第六主層間昇降路は停止しています》
「それも直す」
搬工守の背中に揺られながら、第六層連絡通路へ入る。
帰り道は長かった。
重力のずれがある区間では、身体が搬工守から滑らないよう血糸を締め直す必要があった。崩れた通路を渡るたび、停止した架工守の重量で足場が軋んだ。
第七層へ戻った時には、出発からほとんど一日が過ぎていた。
治療室へ入る。
診工守がすぐに私の身体を走査した。
《マスターユーザー》
《急性血液量減少》
《循環状態――安定》
《活動継続――非推奨》
《休息および栄養摂取を推奨します》
「分かった」
肉を焼く力も残っていなかった。
保存していた食料を食べ、水を飲む。
血を作るために必要だと表示されたものを、味を考えずに口へ入れた。
そのまま寝台へ横になる。
目を閉じる直前、白夜の状態をもう一度確認した。
《生体循環圧――安定》
《異常なし》
「おやすみ」
白夜に言ったのか、レムナに言ったのか、自分でも分からなかった。
返事はなかった。
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目を覚ました時には、十八時間が過ぎていた。
身体を起こしても、視界は暗くならない。
指先の冷たさも消えていた。
《マスターユーザー血液量――安全域下限》
《再生継続中》
《軽作業――可能》
《長時間戦闘および大量出血を伴う技能使用――非推奨》
「今日は直すだけ」
白夜へ三リットル近い血を渡した。
人間なら死んでいたかもしれない。
再生できるからといって、同じことを何度も続ければいいわけではなかった。
次に白夜から大量の血を要求された時は、先に身体を整え、補給する血を少しずつ準備した方がいい。
「白夜の状態は?」
《第一機動決戦兵装・白夜》
《生体循環系統――限定稼働中》
《循環基準維持可能時間――推定二十六日》
《第六主層への供給電力――不安定》
《機体維持機能停止の危険性を確認》
「もう壊れないって言った」
《現在の供給状態が維持された場合に限ります》
《主層間電力分配系統の損傷により、第六主層への供給量が変動しています》
白夜の血は流れ始めた。
格納庫の温度と湿度も、限定的に戻した。
けれど、それを維持する電力が安定していない。
《第六主層供給電力》
《必要最低値――3.8%》
《現在値――2.9%から4.1%の範囲で変動》
《供給低下が六十秒以上継続した場合、生体循環制御設備が停止します》
「重力や救命転送網から取らないで」
《艦内重力軸安定機構は最優先維持対象です》
《広域緊急救命転送網は優先維持対象です》
《両機能からの継続的な転用は推奨されません》
「ほかから持ってくる」
《主層間電力分配系統の復旧を推奨します》
レムナの全体図が表示される。
第七層と第六層をつなぐ太い線の途中に、赤く点滅する箇所が三つあった。
《第七第六主層間主電力路》
《損傷率――48%》
《送電損失――41.3%》
《第六主層補助変換器――機能停止》
《緊急迂回路――過負荷状態》
第七層から送っている力の四割以上が、途中で失われている。
電力そのものを増やさなくても、失っている分を減らせば白夜の維持機能を安定させられる。
「これを直したら、昇降路も動く?」
《主電力路の復旧後、艦内昇降路への試験供給が可能です》
「先に道も直せる」
第六層へ毎回壊れた通路を通る必要がなくなる。
白夜へ血を補充する時も、作業個体や部品を運ぶ時も、安全に往復できる。
「どこにある?」
《主層間電力分配区画までの経路を表示します》
場所は、前回直した通信区画よりさらに外側だった。
第七層の端。
船体外壁に近い区画。
外部の岩盤から受けた圧力で、一部が大きく変形している。
推奨される作業個体は炉工守、管路守、搬工守。
架工守はまだ前回の稼働から回復していない。
「足場なしで行ける?」
《現存通路を利用可能です》
《ただし、構造安定性は保証されません》
「私が支える」
重い作業は搬工守に任せる。
崩れそうな場所は血糸で補助すればいい。
戦うわけではない。
大量に血を使う必要もないはずだった。
救命転送網の状態を確認する。
《現在の受入患者数――0》
《救難対象候補――0》
《広域緊急救命転送網――正常稼働中》
「収容はそのまま」
《復旧作業中も緊急収容機能を維持します》
《現地派遣機能は一時停止します》
準備を整え、三体の作業個体とともに第七層の外縁へ向かった。
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主層間電力分配区画へ近づくほど、壁の変形が大きくなった。
通路が横から押し潰され、円形だったはずの管が平らになっている。
重力軸安定機構によって床は下にある。
けれど、外から加わった力の跡を見ると、レムナが地中へ突き刺さった時の衝撃を想像できた。
《船体構造圧――基準値超過》
《周辺岩盤による継続的圧力を確認》
「今も潰されてる?」
《肯定》
《ただし、現時点で急速な崩壊は予測されていません》
「現時点って、どれくらい?」
《外部情報不足により算出不能》
あまり安心できなかった。
分配区画の扉は、中央で曲がっていた。
搬工守が隙間へ腕を入れ、左右へ押し広げる。
金属が大きく軋む。
私も血糸を扉の内側へ通し、曲がった部分を引いた。
ようやく人一人と作業個体が通れる幅が開く。
中は暗い。
照明具を浮かせると、部屋の中央へ巨大な円筒形の装置が見えた。
高さは治療室の天井より大きい。
装置から何十本もの太い管が伸び、第七層、第六層、さらに上の主層へ続いている。
上層側の管は、すべて暗かった。
第七層側だけが淡く光り、その一部が第六層へ流れている。
《主層間電力分配器》
《第七主層入力――正常》
《第六主層出力――不安定》
《第一主層から第五主層――供給停止》
《第六主層補助変換器――応答なし》
装置の右側が大きく潰れている。
内部では、青白い光が不規則に弾けていた。
「触ったら危ない?」
《高密度魔力流および電力流を確認》
《直接接触時、重大な身体損傷が予測されます》
「血糸も?」
《血液を介した伝導により、マスターユーザーへ損傷が及ぶ可能性があります》
血糸で直接触ることもできない。
炉工守に内部の停止手順を確認させる。
《第六主層出力のみを一時遮断可能》
《予測停止時間――最大八分》
《八分を超過した場合、白夜の生体循環制御設備が停止する可能性があります》
「八分で直す?」
《損傷部品の交換のみであれば、推定六分》
《周辺構造の変形により作業時間が延長する可能性があります》
失敗すれば、白夜の循環がまた止まる。
もう一度三リットルの血を入れれば済むとは限らない。
中の生体組織が壊れれば、今度は戻せないかもしれない。
「交換するものを先に全部用意して」
搬工守が必要な部品を並べる。
変換板。
導力管。
制御器。
固定具。
管路守が接続順序を確認し、炉工守が停止と再起動を担当する。
私は作業の邪魔になる潰れた外板を先に切り取る。
血刃を使うが、電力路へ触れないよう少しずつ進めた。
装置の内部が見える。
焦げた変換板が三枚。
裂けた導力管が二本。
その奥に、光を失った補助変換器があった。
「これだけ?」
《最低限の復旧対象は以上です》
「始める」
《第六主層への送電を一時遮断します》
白夜の状態表示を視界の端へ固定する。
《生体循環制御設備――非常蓄積電力へ移行》
《維持可能時間――八分》
炉工守が遮断器を落とす。
分配器の青白い光が消えた。
「今」
搬工守が焦げた変換板を引き抜く。
管路守が破れた導力管を外し、新しいものへ交換する。
私は潰れた外枠を押し広げ、作業個体が動ける空間を保つ。
《経過時間――一分》
最初の変換板が入る。
《二分》
二本目の導力管を固定。
《三分》
補助変換器の奥へ、曲がった金属片が食い込んでいることが分かった。
事前の走査では見えなかった部分だった。
「これを取らないと動かない?」
《補助変換器の回転部を阻害しています》
《除去が必要です》
搬工守の腕は入らない。
血糸では、電力を止めている今なら触れられる。
細い血糸を内部へ伸ばし、金属片へ絡める。
引く。
動かない。
船体が潰れた時に、奥深くへ押し込まれている。
《経過時間――四分》
「もう少し」
血糸を増やす。
一本ではなく、十本。
金属片の複数箇所へ巻きつけ、折らないよう均等に力をかける。
少しだけ動いた。
《五分》
白夜の表示が変わる。
《非常蓄積電力――残量37%》
《生体循環圧――低下開始》
「待って」
誰に言っているのか分からない。
白夜は答えない。
血糸へさらに力を入れる。
金属が軋み、内部から僅かに抜けた。
管路守が隙間へ作業腕を差し込み、反対側を押す。
《六分》
金属片が外れた。
勢いよく飛び出した破片を、搬工守が受け止める。
「交換して」
補助変換器の回転部を炉工守が調べる。
《回転障害――解除》
《制御器交換が必要です》
《経過時間――六分三十九秒》
搬工守が古い制御器を外す。
新しいものを入れる。
固定具が一つ合わない。
外枠が歪み、接続位置がずれている。
「押すから、つけて」
血糸で外枠を引き、元の位置へ近づける。
管路守が固定具を差し込む。
一本。
二本。
最後の一本が途中で止まった。
《経過時間――七分二十二秒》
《非常蓄積電力――残量11%》
「それ、なくても動く?」
《固定不足により再損傷の危険性があります》
「入れて」
血糸を締める。
歪んだ外枠が数ミリ動いた。
管路守が固定具を最後まで押し込む。
《固定完了》
《経過時間――七分四十六秒》
「送って」
炉工守が遮断器を戻す。
一瞬、何も起きなかった。
分配器の内部で青白い光が点く。
新しい導力管を通り、補助変換器へ流れ込む。
低い回転音が始まった。
《第六主層への送電を再開》
《生体循環制御設備――外部電力へ復帰》
《第一機動決戦兵装・白夜》
《生体循環圧――回復》
《維持状態――安定》
「間に合った」
血糸の力を抜く。
外枠は固定具によって位置を保っている。
補助変換器の回転音も乱れていない。
《第七第六主層間主電力路》
《送電損失――41.3%》
《18.7%》
《9.4%》
《8.1%》
第六層へ届く力が増えていく。
《第六主層供給電力――4.6%》
《環境維持機能――安定》
《生体兵装循環制御設備――安定》
《艦内昇降路への試験供給が可能です》
「全体の力は?」
《補助動力実効出力を再計算します》
《6.2%》
表示が僅かに揺れる。
《6.4%》
「少し増えた」
新しい力を作ったわけではない。
途中で失っていた分を、使えるように戻しただけ。
それでも、レムナ全体から見れば、眠っていた機能が一つ戻った。
床の奥から、低い振動が伝わる。
白夜の循環音とは違う。
もっと遠く。
船体全体を通して届く、重く長い振動だった。
第七層で艦籍情報が戻った時と似ている。
《主層間電力分配系統――限定復旧》
《第六主層維持電力――安定》
《第七第六主層間昇降路――試験起動》
遠くで、巨大なものが移動する音がした。
長い間閉じていた昇降路の扉が、少しずつ開いている。
これで第六層へ安全に行ける。
白夜のところへ毎日通う必要があっても、壊れた連絡通路を使わずに済む。
「次は昇降路を確かめる」
立ち上がった時、壁の表示が赤く変わった。
《未登録機能の起動を確認》
《艦艇識別系統――一時再接続》
「何?」
《残存艦籍情報との同期を実行》
《艦艇識別信号を送信》
「外に?」
《肯定》
「止めて」
《送信を停止します》
表示はすぐに消えた。
《艦艇識別信号――停止》
《送信継続時間――0.83秒》
「届いた?」
《外部環境情報を取得できません》
《受信対象の有無――不明》
一秒にも満たない。
けれど、何も届かなかったとは限らない。
「次から勝手に送らないで」
《艦艇識別系統を手動停止状態へ移行します》
《マスターユーザーの許可なく再送信しません》
信号は止まった。
外から返ってくる反応もない。
私は電力分配器を見上げる。
白夜を壊さないために、電力を直した。
昇降路も動くようになった。
レムナの使える力も少し増えた。
それだけのはずだった。
けれど、死んだままだった船が僅かに力を取り戻したことで、外へ自分の存在を知らせてしまった。
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王国北部、王立古代遺物観測所。
夜番の観測官は、机へ伏せたまま眠りかけていた。
壁に並ぶ観測器は、百年以上まともな反応を示していない。
奈落周辺で大規模な魔力変動が起きた時だけ警報を出すが、そのほとんどは魔獣の移動か、地下で発生した小規模な崩落だった。
その夜、最も古い観測器が一度だけ光った。
短い音が室内へ響く。
観測官は顔を上げ、表示板を見る。
「何だ?」
古代文字が一列だけ残っている。
すぐに消えそうなほど弱い信号だった。
それでも、観測器は確かに情報を受け取っていた。
《識別信号を検出》
《発信源――奈落地下》
《信号継続時間――一秒未満》
《分類照合中》
観測官は隣で眠っている同僚を起こした。
「奈落から反応だ」
「魔獣か?」
「違う。識別信号だ」
二人で古い記録を開く。
観測器が復元した分類情報は、遺跡や転送設備のものではなかった。
表示板に、一つの判定が浮かぶ。
《艦艇識別信号》
観測官はしばらく文字を見つめた。
「艦艇?」
奈落の地下に海はない。
地底湖も、確認されている範囲には存在しない。
それでも観測器は、別の判定を出さなかった。
「上へ報告する」
「誤作動かもしれないぞ」
「誤作動なら、それを確かめるのが上の仕事だ」
記録板が封印され、夜明けを待たずに王都へ送られた。
百年以上眠っていた観測器には、最後まで一つの文字が残っていた。
《レムナ》




