第二十九話 《四人を返す》
四人の患者をつないだ血糸へ、帰還の光が順番に広がった。
礼拝所の前には、救援へ到着した騎士や神官、避難していた村人たちが集まっている。誰も武器を下ろし切ってはいなかったが、少なくとも私へ向けてはいなかった。
黒い翼を見上げる者。
地面へ倒れた灰甲獣を見る者。
礼拝所の中で生き残った負傷者へ駆け寄る者。
何十人分もの声が重なっていた。
「四人は治してから戻す」
従軍神官のマリエへ伝える。
「どれほどかかりますか」
「分からない。長くても数日」
「帰還先は、ここでよろしいでしょうか」
周囲を確認する。
魔獣の群れは撤退しているが、完全にいなくなったわけではない。血液感知を遠くまで広げると、山の斜面を移動する反応がいくつも残っていた。
ここへ戻すより、安全な治療拠点を指定した方がいい。
「もっと安全な場所」
「北部聖療院へ搬送します。明日の昼までには、負傷者全員を移せるはずです」
「なら、そこ」
「接触印を通じて位置情報を送ります」
マリエが銀の印へ手を触れる。
《帰還地点候補を登録》
《中央教会北部聖療院》
《医療設備:あり》
《武装反応:あり》
《患者受入態勢:準備中》
武装反応が多い。
けれど、今回の救助を知る者も向かうはずだった。突然現れても、すぐ攻撃される可能性は低い。
「治ったら連絡する」
「お願いいたします」
マリエは頭を下げた。
ほかの騎士や神官も、それに続いて頭を下げる者と、戸惑ったまま私を見る者に分かれた。
全員が信用したわけではない。
それでよかった。
患者を助けるために来ただけで、信じてもらうために来たわけではない。
帰還を実行する。
白い光が私と四人の患者を包み、山道と礼拝所が見えなくなった。
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第七層へ戻ると、診工守と搬工守がすでに処置台の周囲へ集まっていた。
《現地派遣からの帰還を確認》
《同行保護対象:4》
《重篤患者受入を開始します》
《現在の重篤患者数:4》
《登録済み自動停止条件を超過》
《広域緊急救命転送網を一時停止します》
「うん。止めて」
《新規救難対象探索:停止》
《緊急収容:停止》
《現地派遣:停止》
《現在収容中の患者治療を優先します》
前回なら、止めることを少し迷っていた。
今は四人を処置台へ運ぶ前に止めた。
助ける人数を増やすより、連れて帰った患者を確実に治す方が先だった。
四人のうち、最も危険なのは胸を角で貫かれた若い騎士だった。
現地で右肺の傷は閉じたが、折れた肋骨が内部へ残り、わずかな出血を続けている。血圧も低く、礼拝所から通常の馬車で運び出せば、途中で再び傷が開いていた可能性が高い。
二人目は腹部を裂かれた壮年の男性。
村人らしく武器も鎧も身につけていない。腹壁と腸の一部が傷つき、土や布の繊維が傷口へ入り込んでいた。
三人目は左脚を失った女性騎士。
現地では止血を優先し、断端の処置を途中までしかできていない。失血は《返血》で抑えたが、感染と組織の壊死を防ぐため、再び傷を開いて洗浄する必要があった。
最後は十歳ほどの少女だった。
灰甲獣に踏まれ、骨盤と右脚を折っている。腹部にも強い衝撃を受けていたが、内臓からの大きな出血はなかった。
「四人、同時に見る」
血液操作を広げる。
四つの心拍が、それぞれ別の位置から伝わった。
一人目の胸。
二人目の腹部。
三人目の切断された脚。
四人目の骨盤。
《血液操作 Lv.6》へ上げたことで、四人へ同時に血糸をつないでも、誰の血流なのかを意識し続ける必要はなかった。
傷を閉じる血糸。
血圧を支える血糸。
回収した血を分ける血糸。
診工守へ処置箇所を示す血糸。
それぞれが混ざらずに動く。
「診工守、一人目から詳しく」
《指示を確認》
《搬工守、患者二から四の循環監視を継続》
作業個体が動き始める。
患者を受け入れる場所を広げておいたことで、治療室に四人が来ても狭くはなかった。
薬も水もある。
清浄布も、患者ごとに分けた箱からすぐ出せる。
現地で足りなかった器具を探し回る必要もない。
準備したものが、ようやく使えた。
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最初の騎士は、胸を再び開いて折れた骨片を取り除いた。
右肺の縫合箇所は保たれている。
胸腔へ残った血を回収し、本人へ返せるものだけを《返血》で戻した。
《返血対象を確認》
《血圧および心拍に合わせて流量を補正します》
血がゆっくりと身体へ戻る。
私は肺と血管の処置へ集中したまま、返血の速度を考えなくてよかった。
二人目は、腹部の洗浄に時間がかかった。
傷へ入った異物をすべて取り除き、傷んだ腸管を閉じる。感染抑制薬を入れ、腹腔内へ洗浄液を流す。
三人目の女性騎士は、左脚を元へ戻せない。
切断された部分は礼拝所の外に残り、魔獣に踏み潰されていた。
失ったものを作り直す技能はない。
断端を整え、血管と神経を可能な限り傷つけずに閉じる。
「ごめん。脚は戻せない」
眠っている患者から返事はない。
助けられた。
けれど、元通りにはできなかった。
治療完了と、完全回復は同じではない。
最後の少女は骨を戻し、固定する。
身体が小さい分、力をかける位置を間違えれば成長途中の骨を傷つける。診工守の表示を見ながら、少しずつ位置を合わせた。
「痛い?」
鎮痛薬で眠らせる前、少女は一度だけ目を開いた。
「お母さん……」
「外にいた?」
「礼拝所に……」
現地で確認した生命反応を思い出す。
少女の近くには、ずっと手を握っていた成人女性がいた。
重傷ではなく、北部聖療院へ運ばれる側に含まれている。
「生きてる。あとで会える」
少女は安心したように目を閉じた。
薬工守が鎮痛薬を入れる。
眠りに落ちたことを確認してから、右脚と骨盤の処置を続けた。
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四人の状態が安定するまで、一日半かかった。
最初に意識を取り戻したのは、脚を失った女性騎士だった。
目を開けると、すぐに自分の左側へ視線を向けた。
布の下に脚がないことを確認し、しばらく何も言わなかった。
「どこまで残った」
声は落ち着いていた。
「膝より上」
「そうか」
「戻せなかった」
「命が残った」
女性騎士は天井を見たまま、ゆっくりと息を吐いた。
「礼を言うべきなのだろうな」
「無理に言わなくていい」
「脚を失って喜べるほど、できた人間ではない」
「うん」
「だが、生きていることまで恨むつもりもない」
その言葉のあと、目元を右腕で覆った。
私は少し離れ、薬工守に水を用意させた。
泣いているのかもしれない。
見ない方がいいと思った。
胸を負傷した騎士は、その日の夜に目を覚ました。
自分が知らない治療室へいることと、私の赤い目を見て警戒したものの、現地で治療を受けた記憶が残っていたらしい。
「礼拝所へ来た、翼の……」
「うん」
「仲間は」
「ほかの人は北部聖療院。ここには四人だけ」
「巡回隊長は?」
「名前、知らない」
騎士が何人かの特徴を説明したが、現地では負傷者全員の名前まで聞いていない。
「生きてる人は十九人、向こうへ任せた」
「全員、生きていたのか」
「帰る時は」
それ以降は分からない。
けれど、現地で死が迫っていた者の心拍は、すべて安定させてから離れている。
騎士は目を閉じ、小さく安堵の息を吐いた。
腹部を負傷した男性も、翌朝には水を飲めるようになった。
最後に少女が目を覚ます。
右脚と腰は固定されていて動けない。
少女は状況を理解すると泣き始めたが、母親が生きていると伝えると、少しずつ落ち着いた。
「お姉ちゃん、吸血鬼?」
「たぶん」
「人を食べる?」
「食べない」
「血は?」
少し迷う。
「飲むことはある。でも勝手には飲まない」
少女は私の牙を見つめたあと、自分の腕を胸元へ抱えた。
「私のは駄目」
「飲まない」
「本当に?」
「患者の血は飲まない」
少女はようやく安心し、水を少し飲んだ。
「名前は?」
「エルセリア」
「私は、リシェ」
「分かった。リシェも治ったら帰す」
「お母さんのところ?」
「うん」
「いつ?」
「二日くらい」
「長い」
「骨が動いたら、もっと長くなる」
リシェはすぐに身体の力を抜いた。
「動かない」
「いい子」
そう言うと、少しだけ不満そうな顔をした。
子供扱いされたくなかったらしい。
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三日目の朝、四人の最終診断が終わった。
《患者一》
《胸部損傷:安定》
《自発呼吸:正常》
《転送耐性:充足》
《患者二》
《腹部損傷:安定》
《感染兆候:なし》
《転送耐性:充足》
《患者三》
《左下肢切断部:閉鎖》
《生命危険状態:解除》
《転送耐性:充足》
《患者四》
《骨盤および右下肢固定:良好》
《内臓損傷:なし》
《転送耐性:充足》
《新規患者4名の治療完了を確認》
《個別治療報酬:SP+8》
《保有SP:12》
影蔵を強化できる量まで増えた。
現地へ持ち込める物資が足りなかったことを考えれば、すぐに使ってもいい。
けれど、四人を帰してから決める。
北部聖療院の状況を確認する。
《帰還地点候補》
《人間種生命反応:214》
《救助対象関係者:確認》
《武装個体:46》
《敵対行動準備:検出なし》
《帰還対象の受入態勢:完了》
少女の母親と思われる生命反応も、聖療院の中にあった。
四人を簡易寝台と椅子へ乗せ、治療記録と薬を渡す。
脚を失った騎士には、傷が完全に閉じるまでの注意を書いた板を用意した。外の治療師が義足を準備する可能性もあるため、断端の状態も詳しく記録している。
帰還用の光が広がる。
リシェは母親へ会えると分かり、落ち着かない様子で身体を起こそうとした。
「動かない」
「もう帰るからいいでしょ」
「帰る途中で骨がずれたら戻す」
「またここに来るの?」
「治すためなら」
リシェはすぐに寝台へ背中を戻した。
胸を治療した騎士が、私へ頭を下げる。
「北部巡回隊を代表する立場ではないが、救援へ来てくれたことに感謝する」
「要請が来たから行った」
「教会の要請へ、必ず応じる義務はなかったはずだ」
「助けられたから」
それ以上の理由はない。
光が強くなる。
《任意集団帰還》
《帰還対象:4》
《目的地:中央教会北部聖療院》
《帰還を実行します》
四人の姿が治療室から消えた。
監視映像が開く。
北部聖療院の広い中庭へ、四人が現れる。
周囲には神官と騎士だけでなく、礼拝所から救助された村人も集まっていた。
リシェの寝台へ、一人の女性が走ってくる。
娘を抱きしめようとして、固定具に気づき、代わりに顔と手へ何度も触れていた。
リシェも泣きながら母親の腕をつかんでいる。
ほかの三人にも、仲間や家族が駆け寄った。
現地で出会ったマリエもいた。
彼女は四人の状態を確認したあと、空中の何もない場所へ向かって深く頭を下げる。
映像のこちら側が見えているわけではない。
それでも、私も少しだけ頭を下げた。
《帰還対象の安全を確認》
《現地医療従事者への引き渡しを確認》
《転送経路を切断します》
映像が閉じる直前、中庭の誰かが私について話している声がわずかに届いた。
黒い翼。
吸血鬼。
奈落の治療者。
いくつもの言葉が重なっている。
その中で、聞き慣れない呼び方が一度だけ混ざった。
「奈落の姫が、連れ帰ったらしい」
映像が消える。
「姫?」
誰のことかは、考えなくても分かった。
「違う」
訂正する相手は、もう第七層にはいなかった。




