第二十五話 《受け入れる場所》
救命転送網を再開する前に、やることは決まっていた。
次に十一人が運ばれてきても、床へ寝かせず、水や食事が足りないまま二日間動き続けなくて済む場所を作る。
第六層へ続く資材昇降機には、搬工守を四体、炉工守を一体、管路守を二体乗せた。交換部品や工具を積んだ台車も三台並び、昇降機が動き始めると、狭い内部へ重い駆動音が響いた。
《広域緊急救命転送網:一時停止中》
《新規救難対象探索:停止》
《現在の安全受入可能患者数:3》
簡易寝台を並べるだけなら、もっと多くの人間を置ける。
けれど、診断、薬品供給、循環補助、清浄度の維持まで含めれば、今の第七層で安全に治療できるのは三人だけだった。
前回は十一人が同時に急変しなかったことと、私が眠らずに見続けたことでどうにかなった。
同じことを繰り返すつもりはない。
「最低、十人。できれば十五人」
搬工守たちは返事をせず、昇降機が止まると台車を押して第六層へ出ていった。
高い天井と広い通路の先には、動かない大型設備が並んでいる。
黒い観察窓の向こうに立つ巨大な白い人型も、以前と変わらず暗闇の中へ沈んでいた。
《識別不能設備》
《管理権限不足》
《接続経路:遮断》
今は調べない。
その手前にある中央区画で、大型作業個体《架工守》が横倒しになっていた。
太い四本の脚と二本の作業腕を持ち、背には重量物を支えるための支持架が畳まれている。人に似た形ではなく、大きな蜘蛛と運搬台を組み合わせたような姿だった。
《大型作業個体:架工守》
《主機構損傷率:38%》
《左前脚駆動部:破損》
《背部支持架:制御線断裂》
《動力管路:漏出》
《制御核:正常》
「直す」
管路守が内部の動力液を抜き、炉工守が固着した外装を熱で緩める。搬工守には本体を左右から支えさせ、私は壊れた左前脚を開いた。
大型設備用の固定具は、一本でも私の腕ほど太い。
搬工守二体では回せなかったため、複数の血糸を工具へ巻きつけ、一斉に引く。
《血液操作 Lv.6》へ上げたことで、別々の役割を持たせた血糸を同時に扱っても混乱しなくなっていた。
固定具を回す糸。
外した部品を落とさないよう支える糸。
漏れた動力液を受け止める布を動かす糸。
断裂した制御線を仮接続する極細の糸。
どれも自分の指を動かすように扱えた。
壊れた駆動軸を外し、保管区画から見つけた似た部品へ交換する。長さが僅かに違ったため、炉工守に接続部を削らせ、何度か取りつけ直した。
《接続誤差:2.4》
「まだ」
削る。
合わせる。
もう一度測る。
《接続誤差:0.5》
《許容範囲内》
背部支持架の制御線も一本ずつつなぎ直し、動力管路を交換する。
作業を始めてから六時間ほど経った頃、最後の外装を閉じた。
《架工守》
《主機構損傷率:8%》
《最低稼働条件を充足》
《再起動が可能です》
制御核へ手を触れる。
「起きて」
《マスターユーザー権限を確認》
《大型作業個体を再起動します》
架工守の内部で、低い駆動音が鳴った。
四本の脚へ順番に力が入り、重い身体がゆっくりと持ち上がる。左前脚は最初の一歩だけ僅かに揺れたが、倒れることなく姿勢を保った。
背部の支持架が展開し、二本の作業腕が左右へ伸びる。
《架工守:稼働》
《最大運搬重量:制限状態》
《連続稼働可能時間:4時間》
《完全修復を推奨します》
「動けばいい。第七層へ運ぶものがある」
架工守は返事をせず、私の後ろへついた。
最初に運んだのは、第六層の保管区画に残されていた大型寝台だった。
患者を固定する支持具と、循環補助用の管路接続部がついている。古い布や劣化した部品は交換が必要だったが、本体はまだ使えた。
架工守は四台をまとめて持ち上げ、昇降機まで運ぶ。
搬工守が一台ずつ運んでいた時とは比べものにならない速さだった。
第七層へ戻ると、物置として使われていた待機区画を空にした。
水と排水の管路が通り、換気設備も生きている。患者を置くための最低条件はそろっていた。
《未登録区画》
《用途変更が可能です》
《候補:軽症治療区画》
《候補:患者待機区画》
《候補:隔離区画》
「軽症治療区画」
《用途を仮登録します》
《最大設置可能寝台数:12》
十二台をすべて置くと、作業個体が通る場所も、患者の横へ立つ場所もなくなった。
常設は八台にする。
残る四台は予備として隣の区画へ置き、必要な時だけ運び込む。
管路守が水と排水を接続し、薬工守用の棚を設置する。清浄布、固定具、止血材、循環補助液を一人分ずつ箱へ分けた。
重篤患者用の処置台は三台。
軽症用寝台は八台。
予備寝台が四台。
最大十五人までなら、床へ直接寝かせず受け入れられる。
問題は消耗品だった。
《患者10名を3日間維持する場合》
《飲料水:不足》
《食料:不足》
《清浄布:不足》
《感染抑制薬:不足》
《循環補助液:充足》
「場所だけあっても駄目」
翌日から、食料と薬の原料を集めた。
地上へ出て魔獣を狩り、根菜や食べられる実を探す。
一頭目は血針で脚を止め、血刃で首を切った。
二頭目が逃げようとした時は、足元へ自分の影を伸ばす。
「《影縛》」
魔獣の四肢へ影が絡みつき、地面へ縫い止めた。
大型の身体を完全には止められず、脚が地面を削りながら少しずつ前へ進む。それでも数秒あれば十分だった。
頸部へ回り込み、血刃を振り下ろす。
殺さずに止めるために取った技能だが、魔物相手なら攻撃の隙を作ることにも使える。
人間へ使う時は、もっと弱くする。
狩った魔獣を《影蔵》へ入れ、残る隙間へ薬草と根菜を詰めた。影蔵の容量は以前のままで、二頭入れるとほとんど余裕がない。
「次は影蔵も上げる」
今はSPがない。
次の患者を治してから考えればいい。
数日かけて必要な物資を集め、第五層に近い保管区画から清浄布も追加で見つけた。薬工守も素材から感染抑制薬を作り、飲料水の容器を満たしていく。
救命転送網は、その間ずっと停止したままだった。
止めている間にも、どこかで誰かが死んでいるかもしれない。
そう考えるたびに再開したくなったが、準備を途中で投げ出せば、次の患者へ同じ失敗を繰り返す。
一週間後、第七層は以前より広い治療施設になっていた。
《重篤患者対応数:3》
《軽症患者対応数:8》
《緊急簡易収容数:4》
《最大同時受入目安:15》
《患者10名を3日間維持可能》
最後に、救命転送網の自動停止条件を設定した。
重篤患者が三人を超えた時。
全患者数が十二人を超えた時。
薬、水、清浄布のいずれかが三日分を下回った時。
私の反応速度、判断精度、血液量、連続覚醒時間が治療可能な基準を下回った時。
《重大な治療事故が予測される場合、警告後に救命転送網を強制停止します》
「私が続けるって言っても?」
《マスターユーザーの判断能力低下が認められる場合、指示を無効化します》
少し不満だった。
けれど、前回の私は停止する判断が遅れた。
「分かった」
《自動停止条件を登録しました》
治療室の中央へ立つ。
診工守、薬工守、搬工守、縫工守、管路守、炉工守、掃工守。
修復した架工守も待機位置についている。
寝台がある。
水と食料もある。
薬と清浄布もある。
私の身体にも異常はない。
「救出機能、再開」
《広域緊急救命転送網を再起動します》
停止していた施設の奥から、低い駆動音が戻った。
床と壁の管路へ光が入り、第七層全体へ広がっていく。
《新規救難対象探索:再開》
《緊急収容:待機》
《現地派遣:待機》
《受入可能患者数:15》
「今度は大丈夫」
準備したものが一度も使われなければ、それが一番いい。
そう考えていたが、探索を再開して数分後、治療室の表示が赤へ変わった。
《救難対象候補を検出》
《人間種生命反応:1》
《重篤》
《自力離脱:不能》
《同行者による救助可能性:低下中》
《推定所属:中央教会》
続けて、見慣れない警告が現れる。
《対象はマスターユーザーに対する敵性指定を保有しています》
「会ったことない」
《対象個人との接触履歴はありません》
《所属組織による第一級敵性指定を確認》
教会の誰かが、私を敵として登録したらしい。
対象は地下にいた。
崩落した通路へ取り残され、腹部と左脚に重い損傷を負っている。周囲には深血心核に近い反応があり、体内へ異物も入り始めていた。
《推定死亡まで》
00:47:18
《収容条件の確定を待機しています》
周囲には十七人の生命反応があった。
そのうち十二人は対象から離れていく。四人だけが残り、崩落物を動かそうとしていた。
まだ仲間が助けようとしている。
「助けられるなら、その方がいい」
診工守を空いている処置台へ待機させ、薬工守には循環維持液を用意させた。
時間が減る。
四人は崩落物を除こうとしたが動かせず、一人が負傷者の傷へ布を押し当てている。
やがて、少し離れていた一人の反応が地下通路の奥へ走った。
直後、負傷者を囲むように大きな術式が起動する。
《周辺隔離術式を検出》
《対象周辺の通路が封鎖されます》
残っていた三人が離れ始めた。
一人だけはしばらく留まっていたが、閉じていく隔壁から逃れるように後退する。
対象の生命反応だけが、隔離術式の内側へ残された。
《同行者による救助行動:終了》
《同行者による救助可能性:0%》
《自力離脱:不能》
《周辺環境の致死性:確定》
《救難対象として認定します》
《収容可能》
「収容」
処置台の上へ白い光が集まる。
最初に現れたのは、血に濡れた白銀の外套だった。
続いて、鎧を身につけた女性の身体が処置台へ落ちる。長い灰色の髪が血と埃で頬へ張りつき、顔の左半分には割れた仮面が残っていた。
右脇腹には黒い金属片が深く刺さり、左脚は膝の上で不自然に曲がっている。
右手には銀色の短剣が握られていた。
意識はほとんどない。
それでも女性は薄く目を開き、私を見ると、短剣を持ち上げようとした。
「吸血……種……」
腕は処置台から数センチも上がらなかった。
「武器、離して」
血糸で短剣を抜き取り、袖と腰に隠されていた小さな刃もすべて外す。
「診工守。診断」
《患者情報を取得》
《セラフィナ・レイヴェル》
《人間種・女性》
《所属:中央教会異端審問局》
《腹部穿通創》
《肝損傷》
《右腎損傷の疑い》
《腹腔内大量出血》
《左大腿骨開放骨折》
《骨盤亀裂》
《失血性ショック》
《異種血統因子侵入》
《生命危険度:極めて高い》
「処置する」
鎧を切り開き、金属片の位置を確認する。
《血液操作 Lv.6》によって、腹部の中を流れる血が以前より明確に分かった。
傷ついた肝臓。
切れかけた血管。
腹腔へ溜まる新しい血。
金属片から広がる深血因子。
それぞれを別々に認識しながら、同時に血糸を動かせる。
腹腔へ溜まった血液を回収し、金属の汚れや異物が混じったものを分ける。
「《返血》」
《返血対象:セラフィナ・レイヴェル》
《異物混入血液を除外》
《流量補正を開始》
本人へ戻せる血だけが、心拍と血圧に合わせて体内へ戻っていく。
その間にも別の血糸で肝臓の出血を押さえ、金属片を少しずつ抜いた。
動かすたびに新しい出血箇所を塞ぐ。
止まったことを確かめてから、さらに抜く。
黒い金属片が完全に外れた瞬間、傷口から赤黒い液体が溢れた。
《深血因子の活動を確認》
《患者血統への侵入率:8.3%》
「それも取る」
《深血適合》で因子を従属させ、患者の血液から引き離す。
黒く染まった血糸の先だけを切り離し、隔離容器へ落とした。
《患者血統への侵入率:5.1%》
《2.6%》
《0.8%》
変質を起こす危険域を下回ったところで、肝臓と右腎の傷を閉じ、腹腔を洗浄する。
左脚の骨を戻し、樹脂と固定具で動かないよう支えた。
処置が終わるまで、四時間以上かかった。
《患者セラフィナ・レイヴェル》
《腹腔内出血:停止》
《循環状態:安定傾向》
《異種血統因子:危険域以下》
《生命危険状態:解除》
武器と所持品を調べると、銀色の命令板が見つかった。
《中央教会異端審問局》
《第一級収容命令》
《対象:未登録高位血統個体》
《識別名:エルセリア》
《推定種族:吸血種》
《生存状態での確保を最優先》
《抵抗時、四肢および飛行器官の破壊を許可》
《古代施設への経路確保後、対象を教会管理下へ移送すること》
「翼、普段はないのに」
命令を書いた者は知らないらしい。
彼女は私を捕らえるために地下へ入り、仲間に隔離区画へ置き去りにされた。
それでも、患者の治療をやめる理由にはならない。
命令板を武器と一緒に箱へ入れ、蓋を閉じた。
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セラフィナが目を覚ましたのは、それから五時間後だった。
処置台から布が擦れる音がした。
右目だけを開き、最初に周囲を確認する。次に腹部と固定された左脚を見て、腰へ手を伸ばした。
武器がないと分かると、袖の内側を探す。
「全部外した」
セラフィナの目が私へ向いた。
すぐに身体を起こそうとする。
「動かないで」
「未登録……高位血統個体……」
腹部へ力が入り、閉じた傷から血が僅かに滲んだ。
「また開いてる」
「中央教会異端審問局、第一審問官セラフィナ・レイヴェル。貴様を拘束し、この施設を教会の管理下へ――」
最後まで言い切る前に呼吸が乱れた。
それでも処置台の縁をつかみ、起き上がろうとする。
私は彼女の下へ落ちる影へ、自分の影を重ねた。
「《影縛》」
処置台の上にある影が固定され、セラフィナの腕と身体が動かなくなった。
傷つけない程度の弱い拘束でも、今の彼女には十分だった。
「離せ」
「動いたら、また縫うことになる」
「なぜ私をここへ運んだ」
「死にそうだったから」
「私が何者か、分かっているはずだ」
「教会の人」
「お前を捕らえるために来た」
「命令書は見た」
セラフィナは私の顔を見つめた。
嘘や迷いを探しているようだった。
「なら、なぜ助けた」
「死にそうだったから」
「私は敵だぞ」
「今は患者」
薬工守が次の鎮痛薬を準備する。
セラフィナはまだ何か言おうとしていたが、声を出すほど腹部が痛むらしく、唇を強く結んだ。
「眠って。治ってから敵に戻って」
影縛を残したまま薬を入れる。
セラフィナは最後までこちらを睨んでいたが、やがて目を閉じた。
《患者セラフィナ・レイヴェル》
《治療継続中》
受け入れる場所を作って、最初に来た患者は私を捕らえようとしていた。
それでも、空けておいた処置台を使う理由としては十分だった。




