第二十三話 《全員帰還》
十一人分の食事を作った翌朝、治療室には肉と根菜を煮込む匂いが再び広がっていた。
一度目は量を読み違え、ガルドの追加分が残らなかった。今度は大鍋の縁近くまで材料を入れ、患者十二人と自分の分まで確保している。
エドガーも食事を取れる状態へ戻っていた。
腹部を大きく切り開いた直後なので、ほかの者と同じ肉はまだ食べられない。薬工守が細かく潰した流動食を用意し、医療台の背を少しだけ起こして口から与えていた。
「自分で食べられる」
左手で匙を取ろうとしたものの、腕を伸ばしただけで腹部が痛んだらしい。エドガーは途中で動きを止め、何事もなかったように手を戻した。
「無理」
私が匙を持つと、彼は露骨に嫌そうな顔をした。
「聖堂騎士の隊長が、吸血鬼に食事を与えられることになるとは思わなかった」
「食べないなら管から入れる」
「食べる」
素直に口を開けたため、少量ずつ運ぶ。
隣の簡易寝台では、ガルドが二杯目を食べていた。前日の分が足りなかったことを覚えていたらしく、今日は最初から大きな器を選んでいる。
セイルはそれを見て呆れていたが、自分の器もきれいに空にしていた。
ミレアは腕の震えが収まり、自分で匙を持てるようになっている。ただし左脚は固定されたままで、寝台から降りることは禁止した。
地下聖堂から救出した七人も、少しずつ意識を取り戻していた。
深血因子によって筋肉が変質していたハンスは、身体の強張りがほとんど消えている。ほかの四人も自分の名前と家族のことを話せる程度まで回復した。
最も時間がかかったのは、ルークとニルスだった。
ルークには診工守による詳細な検査のあと、腹部の再処置を行った。
血糸で止めた出血箇所は保たれていたが、腸管に小さな裂傷が残り、周囲へ炎症が広がり始めていた。地下聖堂で無理に傷を探さなかったのは正解だった。
傷んだ部分を閉じ、腹部を洗浄し、感染を抑える薬を投与する。
再び目を覚ました時、ルークは自分を囲む聖堂騎士たちを見たあと、最後に私へ視線を向けた。
「本当に、吸血鬼……?」
「うん」
「隊長たちを助けたのも?」
「全員運んだ」
ルークはまだ状況を整理できないようだった。何かを尋ねようとしたものの、腹部へ力が入り、痛みで顔を歪めた。
「話はあと。寝てて」
「でも……」
「また開いたら、もう一回閉じる」
それを聞くと、ルークはすぐに黙った。
ニルスの心臓も、診工守と薬工守による補助を受けるうちに安定した。
深血心核の血によって長時間代行されていたため、心臓の筋肉そのものが弱っている。最初の一日は補助装置を外せなかったが、二日目の朝には自力で十分な量の血を送り出せるようになった。
意識を取り戻したニルスは、母親のエナがすぐそばにいることを確かめると、しばらく声も出さずに手を握っていた。
「ここは?」
長い沈黙のあと、ようやく出た声は掠れていた。
「治療室。私の家」
ニルスは私の赤い目と牙を見て身体を強張らせたが、エナが手を離さず、何度も首を横へ振った。
「この人が助けてくれたの。あなたの心臓が止まった時も、ずっと血を動かしてくれた」
「吸血鬼が?」
「吸血鬼。でも魔物じゃない」
先に訂正すると、ニルスは困惑したまま黙った。
すぐに信じる必要はなかった。
生きて帰り、自分で考えればいい。
その日の昼には、ニルスも少量の水を飲めるようになった。夕方には、肉を細かく潰した流動食を少しだけ口にしている。
エナはそのたびに泣きそうな顔をしたが、ニルスの前では笑おうとしていた。
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二日目の夜、診工守が十一人分の最終診断を開始した。
患者は一人ずつ光の中へ入り、現地で受けた傷と、深血因子による変化を確認されていく。
ガルドの左腕は正しい位置へ固定され、折れた肋骨も肺を傷つけていない。
ミレアの脚はしばらく地面へつけられないが、骨の位置は保たれている。
セイルの脚と脇腹も閉じ、感染の兆候はない。
ルークの腹部は再処置後も安定していた。
救出した七人からは、血統変質を再開させる量の深血因子が検出されなかった。
ニルスの心臓も、自力で循環を維持している。
《新規患者群:11名》
《生命危険状態:全対象で解除》
《重篤患者:0》
《転送耐性:全対象で充足》
《現在の設備で実施可能な治療を完了しました》
続いて、治療を終えた患者の情報が順番に表示される。
《ガルド・ヴェイン:治療完了》
《ミレア・セイン:治療完了》
《セイル・ロウ:治療完了》
《ルーク・フェイン:治療完了》
《地下聖堂救出対象7名:治療完了》
《新規患者11名の治療完了を確認》
《個別治療報酬:SP+22》
《同一患者への重複報酬は発生しません》
《エドガー・ローディス:報酬確定済み》
《保有SP:24》
十一人全員を治した。
エドガーを含めれば十二人だったが、彼の治療報酬は以前に受け取っている。帰還後に再び診断や処置を行っても、同じ患者から二度SPを得ることはなかった。
「二十二」
今まで一人を治療するたびに得ていた量とは違う。
これだけあれば、治療技能も戦闘技能も複数伸ばせる。救命転送網や施設の機能へ使える可能性もあった。
けれど、選ぶのは全員を帰したあとでよかった。
《広域緊急救命転送網》
《安全点検:完了》
《任意帰還機能:使用可能》
「帰る場所、探す」
その言葉に、治療室の空気が変わった。
救出された村人たちは互いに顔を見合わせ、聖堂騎士たちはエドガーへ視線を向ける。
エドガーは医療台の背を起こしたまま、地下聖堂周辺の映像を確認した。
「旧聖堂の地上入口から東へ半日ほど進んだ場所に、教会の監視拠点がある。調査隊との連絡が途絶えた以上、救援隊も集まっているはずだ」
「村の人も、そこに行けば帰れる?」
「行方不明者の家族も呼ばれている可能性が高い。少なくとも、治療と護衛は受けられる」
エナたちもその場所を知っていた。
地下聖堂周辺で人が消え始めてから、村人は監視拠点へ何度も相談に行っていたらしい。
私は帰還先を検索する。
エドガーとミレアの記憶。
銀の印章に残された移動記録。
地下聖堂から地上へ続く経路。
それらを重ねると、目的地の候補が一つ見つかった。
《帰還地点候補》
《旧聖堂東部監視拠点》
《人間種生命反応:63》
《教会所属者と推定される生命反応:28》
《武装個体:19》
《負傷者受入設備:あり》
《同行保護対象の家族と推定される反応:複数》
「武器、多い」
エドガーは表示を読むことができないが、私の表情で何かを察したらしい。
「救援隊なら当然だ」
「私が行ったら攻撃される?」
「黒い翼を広げて突然現れれば、かなり高い確率で」
「翼は出さない」
「それでも目と牙は隠せないだろう」
「全員だけ帰して、私は行かない」
もともと患者を帰すだけなら、それでいい。
直接会って説明する必要はなかった。
エドガーは少し考え、教会への報告について自分から口を開いた。
「地下聖堂で起きたことは、報告しなければならない。深血心核も、七脈聖成式も放置できるものではない」
「私の家は言わないで」
「場所を知らない以上、伝えようがない」
「私が吸血鬼なのも?」
「隠すとは約束できない」
エドガーはそこで一度言葉を止めた。
「ただし、我々十二人が治療を受けた事実も報告する。お前が人間を襲ったという形へ変えさせるつもりはない」
「教会が討伐に来たら?」
「少なくとも私が動ける間は、何の確認もなく武器を向けさせない」
完全な安全の約束ではなかった。
それでも、嘘をついて安心させるより信用できた。
「武器を持って来たら、入れない」
「それでいい。こちらも、場所すら分からない相手へ攻め込むほど愚かではないと信じたい」
セイルが小さく首を傾けた。
「信じたい、なのですね」
「教会も一枚岩ではない」
「隊長がそれを患者の前で言ってよいのですか」
「全員、すでに巻き込まれている」
ガルドもエドガーの言葉へ反対しなかった。
ミレアだけは少し不安そうに銀の印章を握っていたが、最後には私へ頭を下げた。
「教会がどのような判断をしても、私は見たことをそのまま伝えます。あなたが私たちを救い、深血因子を取り除いたことも」
「うん。少なくしなくていい」
「以前は少なく報告してほしいと言っていませんでしたか?」
「無理って言われたから」
ガルドが僅かに笑った。
「諦めが早いな」
「話が通じない相手に何度も言わない」
「それはお互い様だろう」
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帰還準備には一時間ほどかかった。
ガルド、ミレア、セイル、ルーク、エドガーの五人は、監視拠点にいる教会関係者へ引き渡す。
エナ、ニルス、ハンスを含む七人も同じ場所へ送り、家族と村へ帰るための護衛を受ける。
歩けない者は簡易椅子と医療台ごと転送することになった。
薬工守が数日分の薬を分け、診工守が一人ずつ治療記録を作成する。外の治療師でも読めるよう、ミレアへ内容を確認してもらい、この世界の文字へ書き換えた。
私は十二人へ、帰ったあとの注意を繰り返した。
腹部を切った者は歩かない。
骨折の固定具を外さない。
熱や強い痛みが出た場合は、すぐに治療師へ見せる。
深血因子を受けた七人は、血管の変色、異常な渇き、爪や牙の変化が現れた場合、教会へ隠さず伝える。
「私たちは魔物になるのですか」
ニルスが不安そうに尋ねた。
「変わる原因は取った。今は大丈夫。でも分からないことも残ってる」
「戻る可能性は?」
「低い。でも絶対ないとは言えない」
エナは息子の手を握りながらも、私の答えを受け入れた。
「何か起きたら、ここへ来られますか」
「救命転送が選べば来るかもしれない。でも自分では場所が分からない」
「もう一度会う方法はないのですね」
「今は」
エナは少し寂しそうにしたが、それ以上は求めなかった。
十二人を帰還範囲へ配置する。
エドガーは移動用の椅子へ座り、四人の仲間を見回していた。全員がそろっていることを、今でも確かめずにはいられないらしい。
ガルドが右手を軽く上げる。
「世話になった」
「治るまで動かないで」
「帰った直後に報告がある」
「寝ながらして」
「善処する」
また守らない返事だった。
セイルは最初に私へ矢を撃ったことを覚えていたらしく、帰還直前になってから謝った。
「敵だと判断していました。申し訳ありません」
「肩は治ったからいい」
「そういう問題ではないと思いますが」
「次は撃つ前に聞いて」
「可能であればそうします」
ミレアは胸元の印章へ触れ、静かに頭を下げた。
「あなたが何者なのか、今も分かりません。それでも、救ってくださったことは忘れません」
「私も分からない」
「ご自分のことを?」
「うん」
ミレアは何かを尋ねようとしたが、エドガーが止めた。
「それは我々が今聞くことではない」
最後にルークが、腹部を押さえながら小さく手を上げた。長く話せる状態ではないため、言葉はなかった。
私も同じように手を上げる。
《任意集団帰還》
《帰還対象:12》
《目的地:旧聖堂東部監視拠点》
《全対象の転送耐性を確認》
《帰還を実行しますか?》
「実行する」
白い光が十二人の足元へ広がった。
監視拠点の映像が開く。
広い石造りの中庭には、鎧を着た騎士や神官が集まり、壁際には大勢の村人が待っていた。何日も捜索が続いていたらしく、疲れ切った顔をしている者も多い。
転送先を中庭の中央へ合わせる。
数字が減り始めた。
エナはニルスの手を握り、私を見た。
「エルセリアさん」
「何?」
「息子を返してくださって、ありがとうございました」
「もう心臓、止めないで」
ニルスは困ったような顔をした。
「自分で止めたわけではありません」
「なら、変な心臓に近づかないで」
「それは約束します」
残り三秒。
エドガーが最後に私を見た。
「報告が落ち着けば、再び接触する方法を探す」
「怪我しないで来て」
「できる限り努力する」
「武器も置いてきて」
「それは検討する」
「置いてきて」
エドガーは僅かに笑った。
「分かった」
光が十二人を包む。
次の瞬間、治療室から人間の姿がすべて消えた。
監視映像の中庭へ、十二人が同時に現れる。
最初に動いたのは騎士たちだった。
武器へ手をかけたものの、転送された者がエドガーたちだと気づき、すぐに駆け寄ってくる。
村人の中からも何人もの人間が飛び出した。
エナとニルス。
ハンス。
ほかの行方不明者たち。
名前を叫ぶ声が重なり、中庭は一気に騒がしくなった。
医療台の周囲へ神官が集まり、エドガーが動かせる左手で何かを指示している。ガルドとセイルも、武器を向けないよう周囲へ伝えていた。
ミレアは騒ぎの中で一度だけ振り返った。
こちらの映像が見えているのか、私には分からない。
それでも胸元へ手を当て、静かに頭を下げた。
ほかの者たちも、それに気づいて次々にこちらを向く。
私は手を上げた。
《帰還完了》
《全対象の生命反応を確認》
《現地の医療従事者への引き渡しを確認》
《転送経路を切断します》
映像が消える。
治療室へ静けさが戻った。
医療台。
簡易寝台。
大量に使った食器。
十二人分の清浄布と、空になった薬の容器。
人の姿だけがなくなっている。
《地下聖堂緊急集団救助》
《救出対象:12》
《新規治療完了対象:11》
《全対象の安全帰還を確認》
《個別治療報酬:SP+22》
《緊急集団救助達成報酬:SP+10》
《追加報酬の支給を完了しました》
《保有SP:34》
「三十四」
一度に得たSPとしては、今までで最も多かった。
治療技能を増やせる。
血液操作も伸ばせる。
影や飛行を強化し、教会が来た時へ備えることもできる。
施設の設備へ使える技能が見つかる可能性もあった。
けれど、今は選ばなかった。
二日間ほとんど休まず、十二人を治療し、水を与え、食事を作り続けた。患者が帰ったことで緊張が切れ、身体の疲れが一気に表へ出ている。
「先に寝る」
そう口にしたところで、救命転送網の表示が視界に残っていることへ気づいた。
安全点検は終わり、次の救難対象を探す機能がすでに動き始めている。
この状態で新しい患者が見つかれば、また収容判定が始まる。
けれど、今の私は二日間ほとんど眠らず、十二人の治療と世話を続けた直後だった。血は魔獣のもので補えても、集中力も身体も限界に近い。
患者が運ばれてきても、正確な治療を続けられる保証がない。
「救出機能、止められる?」
《広域緊急救命転送網の一時停止が可能です》
《停止中は新規救難対象の探索、収容および現地派遣を実行しません》
《現在、救難対象として確定済みの生命反応はありません》
《一時停止を実行しますか?》
一瞬だけ迷った。
機能を止めている間にも、どこかで誰かが死ぬかもしれない。
それでも、すべてを救おうとして次の患者まで失敗すれば意味がない。私が動けなくなれば、すでに直した治療室も、これから運ばれてくる患者も守れなくなる。
「指示があるまで停止」
《再開条件を指定してください》
「私が起きて、再開するって言うまで」
《マスターユーザーによる手動再開へ設定します》
《広域緊急救命転送網を停止します》
《新規救難対象探索:停止》
《緊急収容:停止》
《現地派遣:停止》
《任意帰還受付:停止》
《救出機能の一時停止を確認しました》
治療室の上部で淡く点灯していた表示が消え、低く続いていた駆動音も静かになった。
「これで寝られる」
診工守には第七層とエドガーたちの治療記録を保存させ、搬工守たちには使用済みの医療台を片づけるよう命じた。掃工守も、十二人がいた床の清掃を始めている。
私は生活区画へ戻る前に、患者の記録が並ぶ壁へ新しい板を置いた。
《四人の聖堂騎士》
《七人の村人》
《全員帰った》
少し考え、最後にもう一行だけ加える。
《ご飯が足りなかった》
次に大勢来た時は、最初からもっと多く作ればいい。
今は次の患者を待たない。
まず眠り、身体と頭を戻す。
板を置き終えると、私は静かになった第七層を歩き、生活区画へ向かった。




