↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第三部 《二十四時間の境界》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/99

第十八話 《七つの棺》

七つの容器へ流れ込む赤黒い液体は、血によく似ていた。


けれど、人間の血ではない。


中央に吊られた巨大な心臓が収縮するたび、床の溝を通った液体が透明な管へ押し出され、容器の中にいる七人へ少しずつ注ぎ込まれている。


中の人間たちは全員、衣服を剥がされていた。


腕や脚には細い管が何本も刺さり、胸元には赤黒い線が血管に沿って広がっている。爪が黒く変わり始めている者もいれば、額や肩の皮膚が硬く盛り上がっている者もいた。


一番手前の容器には、壮年の女性が入っていた。


閉じていた瞼が僅かに動く。


「聞こえる?」


容器へ手を当てると、女性の目がゆっくり開いた。


瞳の色が左右で違っている。


右は茶色のままだが、左は血のような暗い赤へ変わっていた。意識は残っているらしく、私を見つけると指を動かし、透明な壁を内側から弱く叩いた。


一度。


少し間を置いて、もう一度。


声を出せる状態ではない。


それでも、助けを求めていることは分かった。


「今出す。でも先に調べる」


返事の代わりに、指先が壁へ触れたまま止まった。


容器へ《鑑定》を使う。


《血統転写器》


《対象個体へ指定血統因子を定着させます》


《転写元:深血心核》


《処理対象:人間種》


《現在の処理段階:血液および造血器官の置換》


《強制停止時、対象個体の循環機能が失われる可能性があります》


中央の巨大な心臓は、単に異物を注ぎ込んでいるだけではなかった。


すでに傷つけた造血器官や心臓の働きを補い、七人を生かしている。何も考えずに管を切れば、変質は止まっても、その場で死ぬ者が出る。


七人それぞれの状態を確認する。


《対象一》


《血統因子定着率:34%》


《自発循環:維持》


《対象二》


《血統因子定着率:21%》


《自発循環:維持》


《対象三》


《血統因子定着率:57%》


《循環補助依存:中》


《対象四》


《血統因子定着率:16%》


《自発循環:維持》


《対象五》


《血統因子定着率:68%》


《循環補助依存:高》


《対象六》


《血統因子定着率:42%》


《循環補助依存:低》


《対象七》


《血統因子定着率:29%》


《自発循環:維持》


五番目の容器だけは、すぐに開けられない。


中にいる若い男性の心臓は動いているものの、その力が弱く、深血心核から送られる血液によって循環を保っていた。


先に転写を止め、身体が自分で動ける状態へ戻す必要がある。


「心臓を止めないで、注ぐ方だけ止める」


床を走る溝を確認する。


中央の心臓から出た液体は、一度大きな円形の装置へ集められ、そこから七本へ分かれていた。装置の周囲には文字と複雑な術式が刻まれている。


施設の管理表示とは違う。


それでも、血の流れを制御する構造なら理解できる部分もあった。


私は右手を装置へ置き、《領域同化》を広げた。


冷たい金属の感覚が掌から腕へ入り、その奥にある血の流れまで意識へ重なる。


一度の鼓動で、七本へ送る。


戻ってきた液体を中央へ集める。


変質した血液から人間の成分を取り除き、再び深血心核へ戻す。


それを繰り返している。


《未知領域への接続を確認》


《血統適合性を照合します》


《照合失敗》


《深血因子との部分的親和性を確認》


《代替操作権限を検索します》


巨大な心臓の鼓動が、一度だけ強くなった。


喉の奥が熱を持つ。


《血統捕食》が、目の前にあるものを取り込めと強く訴えてきた。


人間の血を前にした時とは違う。


空腹ではなく、これを食べれば自分がもっと強い存在へ変われるという、身体の奥から湧き上がる確信に近かった。


「食べない」


掌へ意識を集中させる。


ここへ来たのは力を得るためではない。


七人を助けるためだった。


《代替操作権限を取得》


《転写流量の変更が可能です》


「維持に必要な分だけ残して、変質を止める」


流量を一気にゼロへはしない。


七人の心拍を《血液感知》で捉え、それぞれの身体が耐えられる範囲まで少しずつ下げる。


容器へ流れる赤黒い液体が細くなった。


中央の心臓は変わらず動いているが、血統因子の注入速度が大きく落ちていく。


《血統転写速度:低下》


《変質予測時間を再計算します》


《推定完全変質まで:算出不能》


《転写処理:一時停止状態》


七人を蝕んでいた時間が止まった。


けれど、これで終わりではない。


すでに体内へ入った血統因子を取り除かなければ、変質はゆっくりと進み続ける。


一番手前の女性へ戻る。


容器の下部にある排出口を開き、内部の液体だけを少しずつ外へ出す。水ではなく、血液に近い液体だった。


女性の身体へ刺さっている管を確認し、血液回収容器へ接続する。


「少し血を抜く。あなたの血だけ戻す」


理解できたかは分からない。


それでも、女性は目を閉じずに私を見ていた。


管を通して、体内の血液を少量だけ回収する。


赤い血へ、黒い筋が混ざっている。


人間の血と深血心核の血が、一つの容器の中で絡み合っていた。


そのまま戻せば意味がない。


私は容器へ両手を添えた。


「《返血》」


血が小さく揺れる。


《返血対象:確認》


《対象固有血液を識別します》


管へ流れ始めたのは、女性自身の赤い血だけだった。


黒い血統因子は所有者として認識されず、容器の底へ残されている。


「分けられる」


すべてを一度に抜けば、血液量が足りなくなる。


少量を回収し、自分の血だけを返す。


再び回収し、また返す。


何度も繰り返すたび、女性の血液へ混じる黒い筋が減っていった。


代わりに、容器の底には深血心核の血だけが溜まっていく。


《対象一》


《血統因子定着率:34%》


《29%》


《23%》


《18%》


完全には消えない。


すでに骨髄や組織へ定着した分は、血液を入れ替えるだけでは取り除けなかった。


それでも、進行を大きく遅らせられる。


《血統因子定着率:12%》


《自発循環:安定》


《容器外での生命維持:可能》


「出す」


容器の固定具を外す。


透明な壁が左右へ開くと、中の液体と一緒に女性の身体が前へ倒れてきた。


私は両腕で受け止め、清浄布の上へ寝かせる。


女性は自分で呼吸している。


赤黒く変色していた血管も薄くなり、右目とは違う色へ変わっていた左目も、少しずつ本来の茶色へ戻り始めていた。


腕や脚へ刺さっていた管を抜き、傷を塞いでいく。


女性は唇を動かしたが、最初は息しか出なかった。


水で口元を濡らすと、ようやく掠れた声が漏れた。


「ほかの……人は」


「六人いる。今から助ける」


女性は容器の列へ視線を向けた。


「息子が……」


「どれ?」


震える指が、五番目の容器へ向けられる。


循環補助への依存が最も高い、若い男性だった。


「最後にしない。準備が必要なだけ」


女性は弱く頷いた。


意識を保つのも限界だったらしく、そのまま目を閉じる。心拍と呼吸は安定しているため、眠らせておいても問題はない。


《帰還可能まで》


37:21:08


礼拝室を出てから一時間近く経っていた。


二時間で戻ると約束している。


七人全員をここで解放する時間はない。ほかの六人へ同じ処置を行えば、何時間かかるかも分からなかった。


先に礼拝室へ戻り、ミレアたちへ状況を伝える必要がある。


その間に再び変質が進まないよう、転写流量を最低限へ固定する。中央の心臓が勝手に設定を戻さないよう、《領域同化》で操作権限を封じた。


《血統転写処理:停止》


《生命維持流量のみ継続》


《操作権限:代替管理者エルセリア》


《警告》


《深血心核の自律抵抗を確認》


《現在の制御維持予測時間:約3時間》


三時間しか持たない。


それまでに戻らなければ、深血心核が再び七人への転写を始める。


「急いで戻る」


救出した女性を抱き上げる。


一人増えたため、礼拝室にいる負傷者は五人になる。それでも、ここへ置いておくよりは安全だった。


扉へ向かおうとした時、背後で巨大な心臓が強く収縮した。


床の赤い溝が一斉に光る。


血液感知の中へ、自分以外の意識が触れてきた。


言葉ではない。


命令でもない。


長い眠りから目を覚ました何かが、私の血を嗅ぎつけ、こちらを見た感覚だった。


《深血心核の覚醒率が上昇しています》


《原因:高適合血統個体との接触》


《対象個体を新たな転写先として認識しました》


床の溝を流れていた赤黒い液体が、容器ではなく私の足元へ集まり始めた。


「私は患者じゃない」


血糸を床へ伸ばし、流れを押し返す。


赤黒い液体は止まらず、私の血糸へ絡みついてきた。触れた部分から冷たい力が入り込み、血糸の色が一瞬だけ黒く変わる。


私はすぐに糸を切った。


落ちた血糸は石床の上で蠢き、細い指のような形へ変わってから崩れた。


《警告》


《外部血統因子による侵食を確認》


《領域同化により排除可能》


《長時間接触時の影響:不明》


七人を助けるためには、この心臓へ何度も近づかなければならない。


けれど、心臓の方も私を新しい入れ物として認識していた。


私は女性を片腕で抱え、もう片方の手を深血心核へ向けた。


「待ってて。あとで止める」


理解したのかは分からない。


巨大な心臓は、返事の代わりにもう一度強く脈打った。


私は扉を抜け、内陣へ戻る。


葬殿守の横を通り過ぎ、礼拝室へ向かって走った。狭い階段では飛行を使えないため、女性の身体が揺れないよう血糸で支えながら急ぐ。


約束した二時間を僅かに過ぎた頃、礼拝室の扉が見えた。


内側ではセイルが弩を構えていたが、私の姿と、腕に抱えた女性を認めてすぐに下ろす。


「戻りましたか」


「遅れた」


扉を開けると、ガルドとミレアが同時にこちらを見た。ルークもまだ眠っているが、呼吸は保たれている。


私は救出した女性を清浄布の上へ寝かせ、七つの容器と巨大な心臓について説明した。


行方不明者は七人全員が生きていること。


正体不明の血を入れられ、身体を変えられようとしていること。


一人は救出したが、残り六人のうち一人は心臓の補助なしでは生きられないこと。


そして、転写を止めていられるのは残り二時間ほどしかないこと。


ミレアは女性の変色した血管と瞳を確認し、首元に残った赤黒い術式へ触れた。


「この印は……古い教会のものです」


「知ってる?」


「形だけです。現在は使用を禁じられています」


ミレアは印章を握り、記憶を探すように目を閉じた。


「教会がまだ一つではなかった時代、人間へ神聖な血を与え、上位の存在へ変える研究があったとされています。成功した者は聖人となり、失敗した者は魔物になったと」


セイルが表情を曇らせた。


「教会の昔話ではありませんか」


「そう教えられています。ですが、あの印が実在するなら、話だけではなかったのかもしれません」


「神聖な血じゃない」


私が訂正すると、ミレアは顔を上げた。


「あれは人を変えて、食べる側の血。放っておいたら戻れなくなる」


ガルドは動かせる右手で剣の柄を握った。


「心臓を破壊すれば止まるのか」


「今壊したら、中の人が死ぬ。特に一人は心臓に頼ってる」


「なら、一人ずつ救い出すしかないか」


「うん。自分の血だけ戻して、混ざった血を減らす」


ガルドたちには、《返血》の仕組みを完全には理解できない。それでも、目の前の女性が容器から出たあとも生きていることが、その方法の証明になっていた。


「私も行きます」


ミレアが長椅子から身体を起こそうとした。


折れた左脚へ力がかかる前に、肩を押さえる。


「歩けない」


「転写を止める術式が教会のものなら、私にも読める部分があるかもしれません」


「運ぶ人が増える」


「彼女は正しい」


ガルドが私を見た。


「心臓を壊せず、制御する必要があるなら、古い教会術式を読める者がいた方がいい。私は動けないが、ミレアならお前が運べる」


「脚が折れてる」


「歩かせる必要はありません」


ミレアは痛みに耐えながら、左脚の固定具を確認した。


「あなたが一人で七人を治し、心臓まで制御するよりは、負担を減らせるはずです」


残された時間は二時間。


迷っている時間はない。


私はミレアを見た。


「痛くても途中で降ろせないかもしれない」


「構いません」


「心臓が私を狙ってる。近くにいたら危ない」


「それでも行きます。あの場所を封じたのが教会なら、私たちにも責任があります」


私はすぐには答えなかった。


教会が何百年前にしたことを、ミレアの責任だとは思わない。


けれど、術式を読める者が必要なのは事実だった。


「分かった。連れていく」


ミレアを抱き上げる前に、ガルドとセイルへ残る患者の状態を説明した。


ルークの呼吸が弱くなった場合。


救出した女性の血管が再び黒く変わった場合。


魔物が罠を越えた場合。


必要な対処を伝え、使える薬と循環維持液を手の届く場所へ並べる。


ガルドは私の説明を最後まで聞いたあと、短く頷いた。


「ここは守る。残りを頼む」


「全員連れて戻る」


今度は、そう言い切った。


ミレアを両腕で抱え、礼拝室を出る。


《帰還可能まで》


36:43:51


《深血心核制御維持予測》


1:47:26


帰還までは三十六時間。


心臓が再び動き始めるまでは、二時間も残っていない。


私はミレアを抱えたまま、七つの棺が並ぶ最深部へ走った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。