第四話 《暮らす》
戦うことは必要だった。
魔物の血と肉がなければ生きられず、探索を続ければ危険な生き物とも出会う。
それでも、戦うことだけを繰り返していると、生きているのではなく、死なないために動いているだけのように思えた。
私は目覚めた時より、少しだけ生活を整えられるようになっていた。
起きたら周囲の血液反応を確かめる。
水を飲み、火が残っていれば枝を足す。消えていれば、乾いた繊維と木を使って火を起こす。
保存している肉を確認し、食べられるものが減っていれば狩りへ出る。
帰ったら解体し、食べる分を焼き、余った分を保存する。
その間に身体を洗い、便所を使い、傷んだ布や寝床を直す。
外が見えないため、朝や夜が本当に合っているのかは分からない。
眠って起きたら一日。
私はそう決めていた。
最初に改良したのは、水を運ぶ袋だった。
獣の皮を洗い、血や脂をできる限り落とす。乾かしたあと、端へ穴を開け、細く裂いた筋を通して縫い合わせた。
一つ目は水を入れた直後に底が抜けた。
二つ目は縫い目から漏れた。
三つ目は持ち上げることには成功したが、拠点へ戻る頃には半分ほどしか残っていなかった。
「前よりはいい」
床へ落ちた水は戻らないが、両手ですくって往復するよりは遥かに多く運べる。
縫い目を細かくするため、筋をもっと細く裂く。
しかし、太さが一定にならず、途中で切れる。
作業を続けながら、私は血液操作で血を細く伸ばした。
刃とは違う。
薄く広げるのではなく、一定の太さを保ったまま長くする。
「糸みたいに」
血が細い線になる。
少し引くと、中央から千切れた。
新しい血を加え、今度は太くする。
皮へ開けた穴へ通し、両端を引く。
穴同士を一時的に閉じることはできた。
けれど、集中を解くと糸が液体へ戻り、縫い目が開く。
「惜しい」
形と強度を保つことができれば、筋を加工する必要がなくなる。
水袋を縫える。
衣服も直せる。
肉を吊るすことも、道具を結ぶこともできる。
戦う時には、相手の脚へ絡められるかもしれない。
私は水袋を作るたびに、血を糸状へ伸ばす練習を続けた。
《技能構造を確認》
《新規技能候補を生成》
《血糸》
《血液を極細の糸状に形成し、柔軟性および強度を維持する系統技能》
《必要SP――2》
「二もいる」
《現在の取得候補》
《血刃――1SP》
《血針――2SP》
《血糸――2SP》
《保有SP――0》
必要な技能だけが増えていく。
「血糸は、血刃より強いの?」
《用途が異なるため、単純な比較はできません》
「そう」
分かっていたが、聞きたくなった。
今すぐ取得できなくても、簡易的な血糸は作れる。
形を維持している間だけ縫い目を固定し、その上から筋を通す。補助として使えば、以前より細かく縫えるようになった。
完成した水袋は少し漏れた。
それでも、以前のものより長く水を保てた。
次に必要だったのは、食料の保存だった。
肉は放置すれば腐る。
最初は焼いた肉を石棺の近くへ置いていたが、数日後には臭いが変わり、表面へ色の違う部分ができていた。
食べる気にはなれず、生活区画から離れた場所へ捨てた。
元の世界で見た知識を思い出す。
乾燥。
塩漬け。
燻製。
塩はない。
風通しのいい場所へ肉を吊るすと、外側は乾いたが、内側から腐った。
火へ近づけすぎれば焼ける。
遠すぎれば煙が当たらない。
高さと距離を変え、薄く切った肉を何度も試した。
一度目は焦げた。
二度目は硬くなっただけで、内側に嫌な臭いが残った。
三度目で、ようやく数日経っても食べられる肉ができた。
噛むのに時間がかかり、味も良くない。
「でも、残る」
すべてを狩った日に食べ切らなくていい。
血が不足した時のために、血を残した肉も分けて保存する。
少しずつ、明日のために残せるものが増えていった。
身体を洗う方法も変えた。
最初は水場で布を濡らし、顔や腕を拭くだけだった。
しかし、狩りや解体を続ければ、血や脂の臭いが髪や肌へ残る。
血を飲む身体になっても、自分から古い血の臭いがするのは嫌だった。
水場へ行き、身体へ巻いていた布を外す。
周囲に血液反応がないことを確認してから、肩へ水をかけた。
冷たい。
最初の一度は息が止まった。
「お風呂が欲しい」
当然、どこにもなかった。
水を火の近くまで運ぶには量が多すぎる。
そこで、水場の近くにある大きなくぼみを使うことにした。
火の中へ石を入れ、熱くなったものを木の枝で転がして水へ落とす。
一つ目の石は、水へ入れた瞬間に割れた。
鋭い破片が飛び、頬の近くを通った。
「危ない」
使う石の種類を変える。
一気に冷やさず、少量の水へ入れて確かめる。
割れなかったものだけを選び、大きなくぼみへ運んだ水の中へ入れる。
一つではほとんど温まらない。
何度も火と水場を往復し、熱した石を追加した。
水は冷たさを失い、少しずつぬるくなった。
全身を伸ばせるほど広くはない。
膝を曲げ、身体を小さくすれば肩の下まで入れた。
「温かい」
それだけで、しばらく動けなかった。
元の世界では、風呂へ入ることに特別な意味はなかった。
蛇口をひねれば湯が出る。
浴槽を洗い、湯を張り、身体を沈める。
毎日のように繰り返していた。
ここでは、水を運ぶだけで何度も往復し、火を起こし、割れない石を探して温めなければならない。
それでも、自分で湯を作った。
湯の中で膝を抱えていると、理由も分からないまま目の奥が熱くなった。
怖かったからではない。
悲しいだけでもない。
失ったものの一部が、ほんの少し戻ってきたような気がした。
《人間性――上昇》
《入浴習慣の再獲得を確認》
「お風呂で上がった」
《肯定》
「これは、分かる」
入浴が生存に不可欠かと聞かれれば、たぶん違う。
身体を冷たい水で拭くだけでも汚れは落とせる。
それでも、時間と手間をかけて湯へ入る。
人間性が測っているのは、そういう行動なのだと思う。
身体を洗い、長い黒髪も水へ浸した。
洗うのは大変だった。
乾かす方法もなく、布で何度拭いても毛先から水が落ちる。
「切った方が楽」
簡易血刃を作り、髪の一部を手で持つ。
腰まで伸びた髪は、探索中には枝や岩へ引っかかり、洗えば乾くまで時間がかかる。
残す理由はなかった。
それでも、すぐには切れなかった。
水面へ顔を近づける。
揺れる水の中に、赤い目をした女の顔が映っていた。
白い肌。
細い輪郭。
長い黒髪。
最初に目覚めた時は、身体の形を確かめるだけで精いっぱいだった。
自分の顔をきちんと見るのは、これが初めてだった。
「……誰」
知らない顔だった。
元の自分とは、何一つ似ていない。
けれど、水面の顔は私が動けば同じように動く。
頬へ触れれば、指の感触がある。
唇を動かせば、映った顔も動く。
「私なんだ」
まだ、自分の顔だと思えるほど馴染んではいない。
それでも、他人の身体だと拒み続けても、この場所で動く身体は一つしかなかった。
私は血刃を消した。
髪を残すことに、はっきりした理由はなかった。
邪魔だと思っている。
手入れも面倒だった。
ただ、今切るのは違う気がした。
自分の意思で何かを変えるのは、この身体をもう少し知ってからでいい。
風呂から上がり、髪の水分を何度も布で取る。
完全に乾くまで、火の近くへ座って待った。
生活に余裕ができると、食事も少しずつ変わった。
肉を焼くだけではなく、石を削って深い器を作る。
中へ水を入れ、火の近くで温める。
肉と、見つけた根を少量だけ加える。
根に毒があるかは分からない。
小さく切った欠片を口へ含み、すぐには飲み込まずに待つ。
痺れや苦みが強ければ捨てる。
問題がなければ、ごく少量だけ食べる。
その日はそれ以上口へ入れず、身体に異常が起きないか確認する。
安全だと思えるまで、何日もかかった。
初めて作った煮込みは、肉と根を湯で柔らかくしただけだった。
塩も香辛料もない。
味は薄い。
それでも、焼いた肉とは違う匂いがした。
石の器から湯気が上がる。
一口飲む。
「おいしい」
温かい食事だった。
血を飲めば身体は動く。
肉を食べれば腹は満たされる。
けれど、料理を作り、それをおいしいと思う感覚は、生命維持とは少し違った。
《人間性――微増》
表示を見てから、もう一口飲んだ。
暇な時間には、壁へ絵を描くようになった。
火を起こしたあとに残る炭を使い、石壁へ線を引く。
最初に描いたのは、拠点と水場までの簡単な地図だった。
次に火、水袋、洞窟鼠を描いた。
自分の顔も描こうとしたが、目と髪の位置がおかしくなり、別の生き物のようになった。
「違う」
消そうとしても、炭の線は薄く広がるだけだった。
その横へ、元の世界で知っているものを描く。
丸い頭。
大きな目。
短い手足。
腹の前にある袋。
少し離れて見る。
「ドラ○もん」
似ていなかった。
下へ文字を加える。
ドラ○もん。
たぶん。
一人で少し笑った。
そのあと、火の前へ戻る。
笑い声が消えると、広い部屋には火が燃える音しか残らなかった。
「一人なんだ」
今さらのように口へ出す。
目覚めてから、誰とも話していない。
表示へ質問することはできるが、あれは会話とは違う。
鼠も黒い獣も、私を食べようとしただけだった。
普通なら、もっと寂しくなるものかもしれない。
私は一人でいることに、思っていたより耐えられている。
「平気すぎない?」
答えはなかった。
今すぐ困ることではない。
それでも、小さな違和感として残った。
おそらく一か月ほど経った。
正確な日付は分からない。
眠った回数と、壁へ残した印から数えただけだった。
目覚めた時と身体は変わっていない。
けれど、その身体の動かし方には慣れてきた。
長い髪を結ぶ方法を覚えた。
血の匂いだけで、近くにいる生き物のおおよその大きさも分かるようになった。
水袋。
保存肉。
石の器。
簡易浴槽。
便所。
寝床。
壁へ描いた絵。
どれも粗末だったが、ここで暮らすために私が作ったものだった。
血液操作の練習も続けている。
その夜は、火の前で血の針を飛ばしていた。
壁へ狙いを定める。
一投目は右へ外れた。
二投目は壁へ当たったが、刺さらず潰れた。
三投目。
血の量を少し減らし、先端へ硬さを集中させる。
射出する方向だけを意識する。
赤い針が飛び、石壁へ浅く刺さった。
「できた」
《新規技能候補》
《血針――2SP》
候補一覧を開く。
《血刃――1SP》
《血針――2SP》
《血糸――2SP》
《保有SP――0》
「全部欲しい」
候補だけが増え、取得するためのSPはない。
それでも、以前は一滴を浮かせることしかできなかった。
今は不安定でも刃を作り、糸へ伸ばし、数メートル先へ針を飛ばせる。
十分に強くなったとは思わない。
黒い獣より強い生き物が現れれば、今の私では勝てないかもしれない。
だから練習する。
誰かに命じられたからではない。
褒める者も、止める者もいない。
ここで明日も暮らすために、私は新しい血の針を作った。
「次」
今度は、さっきより深く石へ刺さった。




