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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第三部 《二十四時間の境界》

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第十六話 《内陣の番人》

階段を下りるほど、石を引きずる音が近づいてきた。


壁に刻まれた爪痕は途中から床にも広がり、通路そのものが何度も削られている。裂口骸よりもはるかに大きな何かが、狭い地下道を無理やり通った跡だった。


《血液感知》の先には、二つの人間の心拍がある。


一つは強いが速い。


もう一つは弱く、間隔も乱れていた。


「まだ生きてる」


私は右手へ血刃を作り、左手の指先から血糸を伸ばした。


階段の天井は低く、《飛行》を使えば翼が壁へぶつかる。広い場所へ出るまでは、地上で進むしかなかった。


最後の段を下りると、暗闇の先が円形に開けた。


そこは、かつて内陣だったらしい。


中央には半ば砕けた祭壇があり、その周囲を太い石柱が囲んでいる。天井の一部は崩れ、上層から落ちた瓦礫が床へ積み重なっていた。


広間の最奥には、巨大な扉がある。


そして、その前に爪痕の主が立っていた。


四本の太い脚。


暗い灰色の甲殻。


前方へ長く伸びた胴体の上から、人間の腕に似た細い肢が何十本も垂れ下がっている。


目はない。


首から胸にかけて並ぶ六つの口だけが、呼吸に合わせてゆっくりと開閉していた。


《鑑定》


《葬殿守》


《旧地下聖堂封印守護個体》


《汚染状態:深刻》


《現在の敵対対象:内陣へ侵入したすべての生命》


《脅威度:高》


魔物として生まれた存在ではない。


内陣を守るために置かれていたものが、長い時間と奈落の汚染によって壊れている。


葬殿守の向こうに、探していた二人がいた。


一人は大柄な男で、片膝をつきながら大盾を構えている。左肩から腕にかけて甲冑が潰れ、隙間から血が流れていた。


もう一人は若い男だった。


祭壇の残骸へ背中を預け、両手で腹部を押さえている。足元には折れた剣と、広がり続ける血溜まりがあった。


大柄な男が、階段から現れた私に気づく。


「誰だ!」


盾から視線を外せないまま、鋭い声を向けてきた。


「エドガーに頼まれて来た」


「隊長は生きているのか」


「治療して置いてきた。ミレアとセイルも見つけた」


男の肩から、ほんの僅かに力が抜けた。


それでも盾は下ろさない。


「あなたがガルド?」


「そうだ」


「後ろがルーク?」


ガルドが答える前に、若い男が僅かに顔を上げた。


唇が動いたが、声は出ない。


腹部から内側へ血が流れ続けている。太い血管まで傷つき、心拍は今にも消えそうなほど弱かった。


先にルークを治療しなければならない。


葬殿守が六つの口を同時に開いた。


広間を揺らす低い音が鳴り、背中から垂れていた腕が一斉に持ち上がる。


新しく現れた私を、侵入者として認識したらしい。


「ガルド、横へ」


私は右手を葬殿守へ向け、指先から十本の血糸を放った。


赤い糸が太い前脚の関節へ巻きつく。


指を握り、全身の力で引いた。


止まらない。


逆にこちらの足が石床を滑り、葬殿守の方へ引き寄せられる。


私は血糸を切って横へ跳んだ。


直後、前脚が振り下ろされる。


石床が砕け、衝撃で身体が宙へ浮いた。


着地するより先に血刃を甲殻の隙間へ突き込んだが、刃は浅く食い込んだだけで止まる。


「硬い」


《血液感知》を向けても、体液の流れがほとんど分からない。


甲殻の内側には、血管や臓器の代わりに黒い泥のようなものが満ち、それ自体が全身を動かしている。


葬殿守の背中から、細い腕が何本も伸びてきた。


私は床を蹴り、間を抜ける。


一本を避けても次が来る。


狭い地上で避け続ければ、いずれ捕まる。


天井の崩れた場所を見上げた。


広間全体で翼を広げるのは難しいが、中央の吹き抜けなら飛べる。


「《飛行》」


背中へ黒い翼が形成された。


翼の先が石柱へ触れたものの、そのまま強く羽ばたいて上昇する。葬殿守の腕が足元を通り過ぎ、背後の壁へ突き刺さった。


ガルドが一瞬だけこちらを見上げた。


「翼……?」


「あとで」


翼を傾け、葬殿守の背後へ回り込む。


上から見ると、甲殻の中央に円形の窪みがあった。古い術式が刻まれているが、その大半が黒い汚れに覆われている。


《鑑定》


《制御核接続部》


《封印命令の破損を確認》


《外部からの停止操作:可能性あり》


殺さなくても止められるかもしれない。


私は窪みへ向かって降下した。


葬殿守が身体を大きく振り、背中の腕をまとめてこちらへ伸ばす。


翼を畳んで腕の間を抜け、右手を窪みへ伸ばした。指先から放った血糸を術式の溝へ押し込むと、視界へ管理表示に似た文字が浮かんだ。


《守護個体制御系統》


《登録施設との規格差異を確認》


《侵食により命令経路が破損しています》


《停止命令を送信できません》


「汚れを取れば?」


《制御核の汚染除去後、再試行可能》


黒い汚れは、表面へ付着しているだけではなかった。


術式の奥まで染み込み、命令そのものを書き換えている。


血ではないため、《血液操作》では動かせない。


それでも、《領域同化》なら触れられるかもしれなかった。


葬殿守が再び身体を揺らした。


血糸が切れ、私は背中から放り出される。


翼を広げて姿勢を戻した時、ガルドの盾が砕ける音が響いた。


葬殿守の前脚を受け、大柄な身体が祭壇の近くまで弾き飛ばされる。ガルドはすぐに起き上がろうとしたが、傷ついた左腕へ力が入らない。


六つの口が、倒れたガルドへ向いた。


「こっち」


私は掌を浅く切り、空中へ血を撒いた。


飛び散った血を何十本もの針へ変え、開いた口へ一斉に撃ち込む。内部の黒い肉が裂け、葬殿守の注意が私へ戻った。


伸びてきた腕を避け、もう一度背中の窪みへ向かう。


翼を大きく広げると、葬殿守の甲殻全体へ私の影が落ちた。


石柱と瓦礫の影までつなぎ、背中の腕や脚の関節へ絡ませる。


完全には止められない。


それでも、動きが僅かに遅くなった。


制御核へ両手を押し当て、《領域同化》を広げる。


冷たいものが、腕から身体へ流れ込んできた。


意味の失われた命令。


長い時間の中で積み重なった汚染。


扉を守り続け、近づくものを敵として殺し続けた記憶。


守れ。


侵入者を殺せ。


扉を開けるな。


敵を殺せ。


守れ。


同じ命令だけが、何度も意識へ流れ込んでくる。


「もう壊れてる」


汚染を自分の領域から押し出す。


取り込まず、制御核の外へ逃がすため、両手から伸ばした血糸を排出口のようにつないだ。


黒い泥が術式から剥がれ、血糸を伝って石床へ流れ落ちる。


葬殿守が激しく暴れ始めた。


影の拘束が破られ、背中の腕が脇腹へ当たる。


骨が軋み、身体が制御核から引き剥がされそうになった。


「まだ」


翼の片方を甲殻へ押しつけ、両手を離さない。


別の血糸を周囲の石柱へ伸ばし、自分の身体を葬殿守の背中へ固定した。


《制御核汚染率:73%》


《64%》


《51%》


背中の腕が翼の膜を貫いた。


鋭い痛みとともに飛行が不安定になる。それでも技能を解除すれば、制御核から離れてしまう。


血糸を締め、残った翼を甲殻へ押しつけた。


《制御核汚染率:36%》


《21%》


《9%》


最後の汚染を引き抜いた瞬間、制御核の術式が白く光った。


《制御核の浄化を確認》


《停止命令を送信できます》


「止まって」


《守護個体停止命令を送信》


葬殿守の身体が大きく震えた。


振り上げられていた脚が途中で止まり、背中の腕も力を失って垂れ下がる。六つの口が一つずつ閉じ、巨大な身体がゆっくりと石床へ沈んだ。


《葬殿守:機能停止》


《再起動には制御核の修復が必要です》


私は血糸を解き、動かなくなった背中から飛び降りた。


《飛行》を解除すると、傷ついた黒い翼は跡を残さず消える。脇腹には打たれた痛みが残ったが、骨は折れていなかった。


ガルドが砕けた盾を支えに立ち上がろうとしている。


「ルークを先に見る」


ガルドは一度だけ頷き、再び膝をついた。


「頼む」


ルークは祭壇の残骸へ倒れたまま、意識を失っていた。


腹部を押さえていた手はすでに力を失い、指の間から流れた血が衣服を広く濡らしている。


刃は左脇腹から入り、腹部を斜めに切り裂いていた。太い血管の一部が傷つき、内側への出血も続いている。


心拍は弱い。


呼吸も浅かった。


「聞こえる?」


瞼が僅かに動いたが、返事はない。


私は《影蔵》から血液回収容器と止血器具、清浄布を取り出した。


近づこうとしたガルドを手で止める。


「座ってて。左腕も折れてる」


「私はあとでいい」


「だから待ってて」


ガルドは一瞬だけ反論しそうになったが、ルークを揺らす危険を理解したのか、近くの瓦礫へ身体を預けた。


私は傷を押さえていた手を外し、流れ出す血を容器で受ける。


石床へ落ちた血は戻せない。


けれど、今から流れる分なら汚染される前に回収できる。


伸ばした指先から血糸を出し、傷の奥へ進めた。


最も太い血管を見つけ、一時的に圧迫する。


その奥にもう一本あった。


二本目を閉じると、外へ流れる量は大きく減った。それでも、腹部の内側へ細い出血が残っている。


血液感知を一点へ集中させる。


腸管の位置。


脾臓。


周囲を巡る血流。


細い漏れを一つずつ追い、脾臓に近い場所で裂けた血管を見つけた。


血糸を深く通し、周辺の組織ごと支える。


一度目は緩く、血が滲んだ。


二度目は強すぎ、正常な血流まで弱くなったため、すぐに緩める。


三度目に糸を二本へ分け、傷の両側から面を支えるように引くと、ようやく漏れが止まった。


「止まった」


容器に溜まった血を確認する。


魔物の体液や石の粉は混じっていない。凝固もほとんど始まっていなかった。


「《返血》」


ルーク自身の血が、管を通じて身体へ戻っていく。


名前はガルドの言葉で分かっている。


けれど《返血》に必要なのは名前ではなく、血の持ち主が目の前にいることだった。


《返血対象:一致》


《循環状態に合わせて還流します》


弱かった心拍が、僅かに強くなる。


一度打てば少し流し、次の鼓動を待つ。


血圧が上がっても閉じた場所が再び開かないことを確認しながら、回収分を戻した。


《返血完了》


《循環反応:改善》


腹部の傷を洗い、清浄布と固定具で覆う。


完全な治療ではない。


診工守のいない場所では、見つけられていない損傷が残っている可能性もある。それでも、今すぐ失血で死ぬ状態からは離れた。


ガルドが、処置の終わったルークを見た。


「助かるのか」


「まだ分からない。でも今は死なない」


「それで十分だ」


ガルドは長く息を吐き、砕けた盾から手を離した。


私は次に彼の左腕を確認する。


肩に近い骨が折れ、潰れた甲冑の破片が筋肉へ刺さっていた。脇腹にも強い打撃を受けており、肋骨が二本折れている。


命に関わる出血はない。


甲冑を血刃で切り開き、食い込んだ破片を取り除く。骨の位置を戻し、左腕を胸の前へ固定した。


ガルドは処置中も、ルークから視線を外さなかった。


「隊長は、本当に生きているのか」


「生きてる。腹を杭で貫かれてたけど、抜いて閉じた」


「よく生きていたな」


「血も戻したから」


「戻した?」


「本人の血を回収して、本人へ返した」


ガルドはそこで初めて、私の顔を正面から見た。


戦っていた時は翼や動きへ意識を向けていたのだろう。今度は赤い目から白い肌へ視線を移し、最後に唇の間から覗く牙で止まった。


「その目と牙……お前、吸血鬼か」


「うん。でも魔物じゃない」


ガルドの身体が僅かに強張った。


武器へ手を伸ばそうとはしなかったが、警戒が戻ったことは分かった。


「吸血鬼が、聖堂騎士を助けたのか」


「患者だったから」


「ミレアとセイルも?」


「治療した。二人とも生きてる」


私の返答を聞いても、すぐには納得しなかった。


それでも、横たわるルークと、自分の固定された左腕を見れば、今ここで敵だと決めつけることもできなかったらしい。


「名前を聞いていなかった」


「エルセリア」


「エルセリア……」


ガルドは一度だけ名前を繰り返した。


「私はガルド・ヴェインだ。今さらだが、助力に感謝する」


「まだ終わってない」


「そうだな」


ルークをミレアたちのいる礼拝室まで運ばなければならない。


私は《飛行》を使って一人ずつ運ぶつもりだったが、ガルドは右腕でルークを背負おうとした。


「腕も肋骨も折れてる」


「右腕は動く」


「途中で倒れる」


「お前一人で二人を運べば、戻るまでに消耗する」


それは正しかった。


帰還まで、まだ四十時間近く残っている。


飛行も血糸も治療も、使い続ければ自分の血を消費する。ここで無理をすれば、礼拝室へ戻ったあとに全員を守れなくなる。


「無理になったら言って」


「分かった」


ガルドは右腕だけでルークの身体を支える。


私は腹部へ力がかからないよう、血糸を胸と腰へ回し、ガルドの背中へ固定した。脚も揺れないように留めれば、傷口への負担は減らせる。


その時、内陣の奥から低い音が響いた。


停止した葬殿守の背後で、巨大な扉の術式が変化している。


白い線が中央から左右へ広がり、閉じていた扉に細い隙間が生まれた。


《内陣封鎖機構:停止》


《最深部への経路が開放されました》


隙間の向こうから、冷たい風が流れ込む。


同時に、強い血の匂いがした。


人間のものではない。


裂口骸や葬殿守とも違う。


もっと古く、濃く、私の身体の奥へ直接触れるような匂いだった。


喉が熱を持つ。


《血統捕食》が反応した。


《未知の高位血統因子を感知》


《摂取による適応可能性:不明》


《危険度を判定できません》


地下聖堂から魔物が溢れ、人間が消えていた原因は、あの扉の向こうにあるのかもしれない。


ガルドも隙間を見ていた。


「何かいる」


「分かるのか」


「血の匂いがする」


ガルドの表情が険しくなる。


「今は入らない方がいい」


「うん。先に戻る」


負傷者を連れたまま、正体の分からない場所へ進むつもりはなかった。


扉の向こうを調べるとしても、四人を安全な場所へ集めてからになる。


私たちは来た通路へ向かう。


ガルドはルークを背負い、私は血糸で二人の身体を支えながら、その隣を歩いた。


振り返ると、停止した葬殿守が巨大な扉の前へ横たわっている。


その奥から流れる血の匂いは、離れても消えなかった。


《帰還可能まで》


39:07:26


四人全員を見つけた。


全員、まだ生きている。


けれど、施設へ帰れるまでには三十九時間以上残っていた。


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