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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第三部 《二十四時間の境界》

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第十三話 《聖堂騎士 エドガー・ローディス》

診工守が示した傷は、現地で感じ取ったものより深かった。


黒い杭は肝臓の端を裂き、その奥で腸管まで傷つけている。血糸で主要な出血は止めたが、杭に付着していた汚れと魔物の体液が腹部へ入り込み、放置すれば高い確率で炎症を起こす状態だった。


《腹腔内汚染を確認》


《損傷腸管:二箇所》


《肝裂傷:閉鎖状態不完全》


《緊急洗浄および再閉鎖処置を推奨します》


「始める」


薬工守が麻酔薬を調整し、男の呼吸へ補助を入れる。現地で返した血だけでは循環が足りず、血圧は危険な値のままだった。


第六層から回収した循環維持液の基材は、すでに一本分だけ再精製が終わっている。


本当なら、次の重度失血患者へ備えて保存しておくはずだった。


今使わなければ、その次まで残る患者がいない。


「使って」


《循環維持液を投与します》


透明な液体が管を通じて体内へ入り始める。


心拍は速いままだが、一度ごとの動きが僅かに強くなった。


診工守が腹部の位置を示し、薬工守が洗浄液を準備する。私は現地で閉じた傷をもう一度開き、血糸を細く分けて内部へ進めた。


最初に見つかったのは、杭の突起によって裂かれた腸管だった。


傷口の周囲は押し潰され、強く寄せれば組織そのものが破れそうになっている。汚染された部分を取り除き、残った端を縫い合わせなければならない。


縫工守が医療用の糸と針を差し出す。


血糸は傷を探り、位置を支えるために使う。身体へ残す縫合は、時間が経っても安定する医療用の糸へ任せた。


切除する範囲を診工守と確認し、傷んだ部分だけを取り除く。


男の心拍が僅かに乱れた。


「まだ大丈夫」


聞こえているはずはない。


それでも、手を止めないために口にした。


一箇所目を閉じ、洗浄する。


二箇所目は細い傷だったが、見落とせば腹部の中へ内容物が漏れ続ける。診工守の表示を何度も確認し、血糸で傷の両端を持ち上げてから縫工守へ位置を渡した。


《腸管損傷部:閉鎖》


《漏出反応:なし》


次は肝臓だった。


現地で血糸を使って寄せた場所は出血を抑えていたものの、急いで処置したため一部へ力が偏っている。血圧が戻れば、また裂ける可能性が高かった。


血糸を一本ずつ緩め、診工守が示す血流を見ながら位置を変える。


流れを残す。


漏れだけを止める。


リノの脾臓を閉じた時と似ていたが、傷の範囲はこちらの方が広かった。


一度目は端から血が滲んだ。


二度目は強く締めすぎ、周囲の血流が低下したためやり直す。


三度目に太い糸と細い糸を組み合わせ、傷全体を面で支えるように固定すると、外へ逃げていた血が止まった。


《肝血流:維持》


《活動性出血:停止》


《閉鎖状態:安定》


腹部の中を洗浄し、汚染された液体を薬工守へ吸引させる。


一度では足りない。


透明になるまで何度も繰り返し、炎症を抑える薬を入れた。最後に体内へ残る血液と異物を確認し、外側の傷を閉じていく。


現地で回収できなかった血は多い。


施設へ転送されたあと、衣服や布へ染み込んでいた血の中から、まだ返せるものだけを薬工守が選別していた。


《回収血液:少量》


《汚染部分を除外》


《返血可能量:全血液量の3.8%》


少なくても、戻せるものは戻す。


「《返血》」


血が細い管を通って男の身体へ戻る。


循環維持液と合わせても、本来の血液量には届かない。それでも、身体が自分で血を作り直すまで生き延びるための時間は得られる。


返血を終える頃には、治療を始めて八時間以上が経過していた。


頭部の傷を閉じ、全身の擦過傷を洗い、長時間杭へ固定されていたことで傷んだ背中と肩へ処置を行う。


男は一度も意識を戻さなかった。


呼吸は補助され、心拍は診工守の管理下で一定の範囲に保たれている。


《主要損傷への処置を完了》


《感染予防薬を投与》


《自発呼吸回復まで経過観察を継続します》


私はようやく医療台から離れた。


両手に付着した血を洗う。


この男の血も、人間らしい強い匂いがした。


現地では考える余裕がなかったが、治療室へ戻り、出血が止まったことで渇きが遅れて意識へ上がってきている。


飲みたいとは思う。


けれど、それ以上に眠かった。


「魔獣の血、持ってきて」


搬工守へ頼むと、保存容器が運ばれてきた。


男から離れた場所で器へ注ぎ、一度に飲み干す。人間の血の匂いが消えるわけではなかったが、自分の身体が求める量は少し落ち着いた。


そのまま椅子へ座り、診工守の表示を見続ける。


一時間。


二時間。


補助呼吸を弱めても、男の胸は自分の力で動き続けた。


血圧も少しずつ上がっている。


《自発呼吸:安定》


《循環状態:危険域を離脱》


《腹腔内出血:再発なし》


《感染兆候:現時点で確認なし》


夜か昼かも分からない施設の中で、さらに時間が過ぎた。


収容から十五時間後、診工守が治療完了の判定を出した。


《腹部貫通創:閉鎖》


《肝損傷:処置完了》


《腸管損傷:処置完了》


《腹腔内汚染:洗浄済み》


《重度失血:循環維持状態へ移行》


《頭部裂傷:閉鎖》


《現在の設備で実施可能な治療を完了しました》


《患者治療完了》


《SP+2》


《同一患者に対する治療報酬を確定しました》


《保有SP:2》


治療は終わった。


だからといって、すぐに帰せる状態ではない。失った血を自分で補い、腹部の傷が転送へ耐えられるようになるまで、数日は必要になる可能性があった。


私は男の金属札をもう一度確認する。


《エドガー・ローディス》


《聖堂騎士》


教会から来るかもしれない人間へ備えるため、飛行を取得した。


その直後に助けたのが、教会の騎士だった。


「起きたら面倒そう」


リノより警戒されるかもしれない。


武器を探して暴れる可能性もある。


それでも、杭に貫かれたまま置いてくるという選択はなかった。


私は医療台から少し離れた場所へ椅子を移し、壁へ背中を預けた。


短く休むつもりだった。


目を閉じると、意識はすぐに途切れた。


---


金属が医療台へ当たる音で目を覚ました。


顔を上げると、エドガーが左手で身体を起こそうとしていた。右手には治療器具が握られているが、武器として持ち上げるだけの力は残っていない。


「起きた?」


声をかけると、灰色の目がこちらへ向いた。


瞳の焦点は戻っている。


私の顔を見たあと、エドガーは治療室を確認し、自分の腹部へ視線を落とした。


杭はなく、身体は清潔な布と固定具で覆われている。


「ここは……」


「私の家。治療室」


腹部の痛みが強いのか、エドガーは息を止めるようにして身体を医療台へ戻した。握っていた器具も指から落ちる。


「杭は抜いた。傷も閉じた。動くとまた開く」


エドガーはすぐには答えなかった。


自分の呼吸と身体の状態を確かめるように目を閉じ、数秒後に再び私を見る。


「魔物は」


「倒した。大きいのからは逃げた」


「私を運んだのか」


「ここまで転送した」


記憶を探しているのか、エドガーの眉が寄った。


「翼……」


「見た?」


「黒い翼があった」


「今は出してない」


エドガーは私の背後へ目を向けた。


翼は完全に消えている。白いシャツの背中にも、何かが生えていた痕跡はない。


「あれも吸血鬼の力か」


「最近覚えた」


「最近というのは、どの程度だ」


「昨日」


エドガーは目を閉じた。


痛みに耐えているのか、聞かなければよかったと思っているのかは分からない。


「教会の人?」


首元に置いていた銀の印章を指すと、エドガーは左手でそれを確かめた。


取り上げられていないことに気づき、僅かに表情が変わる。


「聖堂騎士だ。エドガー・ローディス」


「知ってる。札に書いてあった」


「お前は」


「エルセリア」


名前を伝えると、エドガーは黙って私を見た。


赤い目。


牙。


白い肌。


首元から見える黒い刻印。


順番に確認している。


「私を殺すつもりなら、とっくに死んでる」


「その判断は正しい」


「なら武器探さないで」


「習慣だ」


「治るまで禁止」


エドガーは反論しようとしたが、腹部へ力がかかる前に諦めた。


今の身体では、医療台から降りることもできない。


「血を飲んだか」


「飲んでない」


「私の血はかなり失われていた」


「拾える分は返した」


「返した?」


「あなたの血を、あなたに戻した」


エドガーは理解できないという顔で腕を見た。


返血用の管はすでに外しているため、傷跡が僅かに残っているだけだった。


「吸血鬼が血を返したのか」


「うん」


「なぜだ」


「治療だから」


「なぜ私を治療した」


リノにも似たことを聞かれた。


同じように答える。


「死にそうだったから」


エドガーは私の言葉を聞いたあと、しばらく何も言わなかった。


嘘を探しているのかもしれない。


「お前は、自分を魔物ではないと考えているのか」


「考えてるんじゃない。魔物じゃない」


「吸血鬼は教会の分類では魔物だ」


「リノにも言われた」


「リノ?」


「前に治した人」


エドガーの目が僅かに細くなる。


「人間をほかにも収容したのか」


「二人。二人とも帰した」


「眷属にしたのではなく?」


「してない」


「魅了は」


「できない。たぶん」


「たぶんで答えるな」


「使ったことないから分からない」


エドガーは疲れたように息を吐いた。


長く話せる状態ではない。声は保てているが、呼吸が少しずつ浅くなっている。


「もう寝て」


「まだ確認していないことがある」


「起きてから聞く」


「仲間がいる」


その言葉で、私は診工守へ向けていた視線を戻した。


エドガーは痛みに耐えながら、白い外套の一部を左手で握った。


「私を含めて五人で地下聖堂へ入った。裂口骸の巣を調査していたが、内部で分断された」


「ほかの四人は?」


「分からない」


声が弱くなる。


エドガーは続けようとしたが、診工守から警告が出た。


《患者疲労度:上昇》


《心拍数:増加》


《会話を中断し、休息させてください》


「今は探せない。転送網も使ったばかり」


「時間がない」


「エドガーも死にかけてる」


「私は助かった」


「まだ治りきってない」


エドガーは私を睨んだが、起き上がる力はない。


薬工守が睡眠を促す薬を準備する。


「薬を入れる。眠くなる」


先に伝えると、エドガーは僅かに眉を動かした。


「拒否したら?」


「話を続けて傷が開く」


「答えになっていない」


「寝て。仲間は起きてから一緒に探す」


エドガーはすぐには了承しなかった。


けれど、私が仲間を探さないとは言っていないことに気づいたのか、握っていた外套から指を離した。


「約束できるのか」


「見つけられるなら探す。でも、生きてる保証はできない」


「それでいい」


薬工守が管から薬を入れる。


エドガーの呼吸が少しずつ緩やかになり、警戒を残していた灰色の目も閉じていった。


眠りへ落ちる直前、彼は小さな声で尋ねた。


「エルセリア。お前は教会を恐れないのか」


「少し怖い」


「それでも、聖堂騎士を助けたのか」


「患者だったから」


それ以上の返事はなかった。


エドガーは眠りに落ち、心拍も安定した範囲へ戻る。


私は医療台の横で、残された銀の印章を見た。


教会の人間。


地下聖堂。


行方の分からない四人の仲間。


救命転送網の再充填には、まだ二十時間以上かかる。


それまでに、エドガーの記憶と現地派遣の記録から、四人の生命反応を探す必要があった。


私は治療室の管理表示へ、先ほどの派遣地点を呼び出した。


崩れた石室の周囲に、地下へ続く通路が何本も伸びている。


その一つから、弱い反応が返ってきた。


《現地派遣記録を再解析》


《人間種と推定される生命反応:1》


《生死判定:不能》


《位置:地下聖堂深部》


四人ではない。


一人だけだった。


私は眠っているエドガーへ視線を向けた。


「生きてるかもしれない」


次に転送網が使えるようになるまで、残り二十時間。


それまで、その反応が消えずに残っている保証はなかった。


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