第十一話 《上へ、外へ》
第六層へ続く連絡通路は、緩やかな傾斜のまま上へ伸びていた。
第七層の通路よりも幅が広く、床の中央には人間が歩くための区画とは別に、何か大きな機材を運搬するための軌道が敷かれている。掃工守たちが浄化を終えた範囲には泥や瘴気の痕跡こそ残っていなかったが、壁の亀裂や潰れた配管までは直っていない。
一定の間隔で並ぶ照明も、三つに一つほどしか点いていなかった。
私は外套の内側で血針を指に挟み、《血液感知》を広げながら進んだ。
生き物の反応はない。
代わりに、壁や床の奥から弱い駆動音が伝わってくる。第七層から送られた動力が、止まっていた設備へ少しずつ流れ始めているらしい。
十分ほど進むと、通路の先に新しい隔離扉が現れた。
第七層側にあったものより大きく、左右へ開くだけではなく、厚い扉が壁の奥へ何層にも収納される構造になっている。
私が近づくと、扉の横にある表示が点いた。
《第六層》
《大型機材整備・格納区画》
《環境維持機能:一部復旧》
《主動力供給率:8.7%》
《マスターユーザーを確認》
《利用可能区域を開放します》
扉の内部でいくつもの固定具が外れ、重い金属音が重なった。
「格納区画」
何を保管する場所なのかは表示されていない。
扉が開くと、その先には第七層とは比べものにならないほど広い空間があった。
天井は照明が届かないほど高く、左右へ続く壁も暗闇の中へ消えている。床には何本もの運搬軌道が走り、その上へ巨大な台車や昇降機らしい設備が停止していた。
一番近くにある台車だけでも、レオンを寝かせていた医療台を数十台並べられるほど大きい。
「広すぎる」
声が返ってくるまでに、僅かな間があった。
第七層は、自分が生活する場所として少しずつ把握できるようになっている。治療室、生活区画、保管庫、作業個体の待機場所があり、歩けばどこへでも行けた。
第六層は、人間一人が使うための大きさではなかった。
壁際へ視線を向けると、大型の作業個体が何体も並んでいた。
搬工守より何倍も大きく、四本の太い脚で身体を支えている。上部には長い作業肢や吊り上げ用の鎖が折り畳まれていたが、どの機体も光を失い、表面へ厚い埃を積もらせている。
近くの一体へ触れる。
《大型整備作業個体》
《登録名:架工守》
《状態:停止》
《動力供給:なし》
《右側支持肢:損傷》
《復旧可能性:中》
「新しい子」
すぐに起こすことはできない。
それでも、修理できない状態ではなかった。
第七層の作業個体では動かせない設備も、架工守なら扱えるかもしれない。私は位置と損傷状態を管理記録へ登録し、後で管路守と縫工守に確認させることにした。
第六層の案内図を開く。
表示された範囲の大半が、灰色か赤色だった。
《東側整備区画:通行可能》
《資材保管区画:通行可能》
《中央格納区画:閉鎖》
《西側動力区画:損傷》
《上層昇降路:停止》
《第五層連絡経路:封鎖》
中央格納区画だけは、扉の先にさらに大きな扉があるらしい。
施設の記録を開こうとしたが、名称以上の情報は出なかった。
《中央格納区画》
《高負荷設備のため、主動力供給率が不足しています》
《格納対象情報:破損》
《開放条件を満たしていません》
「まだ駄目」
今は入れる場所から調べるしかない。
私は東側整備区画へ向かった。
第六層の通路は、途中で大きく崩れていた。
床が十メートル以上にわたって消失し、その下には底の見えない縦穴が続いている。向こう側には通路が残っていたが、橋や昇降設備は壊れたままだった。
案内表示によれば、資材保管区画へ進むにはここを渡る必要がある。
以前なら諦めるか、修理できるまで待つしかなかった。
私は外套を脱ぎ、《影蔵》へ入れた。
白いシャツ一枚になると、止まっていた《裸族》が再び起動する。
《裸族 Lv.1》
《発動条件を確認》
《技能効果を再開します》
身体が軽くなった。
通路の向こうまでの距離を確認し、縦穴の上へ立つ。
「《飛行》」
背中から黒い翼が形成された。
広い通路のため、完全に展開しても壁へ触れない。翼を一度下へ振ると、身体が床から浮き上がった。
縦穴の上へ進む。
下から冷たい空気が吹き上がり、白いシャツの裾と黒髪を大きく揺らした。
足元には暗闇しかない。
壁沿いに何層もの足場と配管が見えるが、どこまで続いているのかは分からなかった。第七層と第六層を結ぶ通路よりも、さらに深い場所へ伸びているように見える。
「下にも何かある」
今は降りない。
翼を傾け、向こう側の床へ進む。
搬送室で練習した時より風が強く、身体が横へ流されそうになる。右の翼を狭め、左を広げて向きを修正すると、崩れた通路の先へ両足を着けられた。
二歩ほど前へ進んだが、転ばずに止まる。
《飛行》を解除すると、翼は何も残さず消えた。
外套を取り出して着直す。
「便利」
人間の世界で見せれば、さらに魔物らしいと思われそうだった。
それでも、施設の探索には必要な技能だった。
資材保管区画の扉を開くと、内側には細長い棚が何列も並んでいた。
多くは空になっているか、容器が破損している。奥へ進むと、封印が保たれた区画がいくつか見つかった。
《医療用基礎素材》
《清浄布材:使用可能》
《固定具用樹脂:使用可能》
《循環維持液基材:劣化・再精製可能》
《薬剤製造用容器:使用可能》
「使える」
循環維持液を完成した状態で保管しているわけではない。
それでも、薬工守と炉工守で再精製できれば、レオンやリノへ使ったものを補充できる可能性がある。
別の棚には、作業個体を修理するための関節部品や小型動力部品が残っていた。第七層で不足していた規格と一致するものも多い。
私は保管庫の内容を登録し、搬工守たちへ運搬指示を送ろうとした。
《第七層との運搬経路が遮断されています》
崩れた通路を、搬工守は渡れない。
私が《影蔵》で少量ずつ運ぶことはできるが、すべてを一人で移すには時間がかかりすぎる。
周辺設備を調べると、資材区画の奥に小型の搬送昇降機があった。
第七層の保管区画まで直接つながっているが、途中で動力が途切れている。
《資材搬送昇降機》
《動力接続:断線》
《制御装置:軽度損傷》
《復旧可能性:高》
「直せる」
血糸で配線を持ち上げ、破断箇所を確認する。
専門的な構造までは分からなかったが、診工守と違い、設備側の管理表示が修理手順を示してくれた。
管路守へ遠隔で動力経路を切り替えさせ、私は血糸で細い接続部品を固定する。仮接続が成立したところで、炉工守へ補修用の素材を送らせた。
一時間ほどかかった。
《動力接続:復旧》
《制御装置:仮修復》
《資材搬送昇降機を低速運転します》
床の一部がゆっくりと沈み始める。
空の昇降台が第七層へ下り、しばらくすると搬工守を二体乗せて戻ってきた。
「来た」
搬工守たちは私を認識すると、指示された棚へ向かい、使える資材を昇降台へ積み始めた。
一度に運べる量は限られているが、これで第六層の資材を継続的に第七層へ送れる。
循環維持液の基材。
清浄布。
作業個体の部品。
どれも次の治療や施設の修理に使える。
「来てよかった」
中央格納区画の正体は分からない。
第五層へ進む道も、まだ封鎖されている。
それでも、第六層を開いた成果は十分にあった。
帰る前に、中央格納区画の扉だけを見ることにした。
資材保管区画からさらに奥へ進むと、通路の幅と高さが急に広がった。床を走る軌道も一本へ集まり、巨大な扉の中央へ続いている。
扉の高さは、灰の森で見た最も大きな木よりも高かった。
私が近づいても開かない。
表示されたのは、短い情報だけだった。
《中央格納区画》
《隔壁固定中》
《内部主機反応:停止》
《緊急維持動力のみ稼働》
《開放不能》
扉の脇には、厚い観測窓があった。
ほとんど黒く汚れていたが、一部だけ内部を見られる場所が残っている。
私は汚れを布で拭き取り、向こう側を覗いた。
最初は何も見えなかった。
暗闇の奥に足場があり、そのさらに向こうへ何か白いものが立っている。
壁ではない。
表面には金属の継ぎ目があり、周囲を何層もの足場が囲んでいる。
視線を上へ動かす。
白い構造物は、観測窓よりはるか上まで続いていた。
その一部が、人間の脚に似ていることへ気づくまで時間がかかった。
「大きい」
足元だけで、私の身体の何倍もある。
そこから上は暗闇へ消え、全体の形を見ることができない。人のような形をしているのか、それとも機材の一部が偶然そう見えるだけなのかも分からなかった。
記録を検索する。
《格納対象情報:破損》
《識別権限の照合に失敗しました》
《主動力復旧後に再確認してください》
「今は見せないってこと?」
答えはない。
扉を壊して入るつもりもなかった。
あれほど大きなものが倒れれば、第六層そのものが崩れるかもしれない。何より、治療や生活に必要な設備とは思えなかった。
私は観測窓から離れた。
今は資材と作業個体の修理を優先する。
中央格納区画については、動力が戻ってから調べればいい。
第七層へ戻るため、再び崩れた通路を《飛行》で渡った。今度は風に流されることもなく、狙った場所へ着地できた。
飛行を解除し、連絡通路を下る。
第六層の隔離扉を通過したところで、背後の扉を完全には閉めず、作業個体が通れる状態に設定した。
資材搬送昇降機が動き始めたことで、搬工守たちは連絡通路を使わなくても行き来できる。それでも、私が再び向かうための道は残しておきたかった。
第七層へ戻ると、薬工守がすでに運ばれた基材を調べていた。
《循環維持液基材》
《再精製可能》
《推定製造数:小容量4》
「四つ作れる」
レオンの時には一つしかなく、リノの時には残っていた小容量の容器まで使った。
四つあれば、次の重度失血患者へも対応できる。
第六層の浄化と探索は、無駄ではなかった。
私は運び込まれた資材を確認し、作業個体へ分類を命じた。
その作業を続けているうちに、時間が過ぎていった。
《広域緊急救命転送網》
《次回転送可能まで》
00:03:18
再充填の完了が近い。
私は資材整理を止め、治療室へ向かった。
新しい患者が必ず見つかるわけではない。
何も起きなければ、その方がいい。
それでも医療台の布を確認し、返血用の容器と管を使える位置へ置く。第六層から見つかった新しい固定具も、薬工守の近くへ並べた。
数字が減る。
00:00:03
00:00:02
00:00:01
《広域緊急救命転送網》
《再充填完了》
表示は一度消えた。
すぐに警告が出なかったため、私は僅かに息を吐く。
その直後、治療室の照明が赤く変わった。
《新規救難対象を確認》
「もう?」
《対象生命反応:1》
《自力離脱:不能》
《外部救助到達可能性:なし》
《死亡予測:確定》
《緊急救助条件を満たしています》
いつもの収容判定が始まる。
しかし、表示は途中で赤く点滅した。
《対象周辺に空間固定術式を確認》
《収容経路の接続に失敗しました》
《対象の転送:不能》
「連れてこられない?」
《代替救助方式を検索します》
治療室の床には光が現れない。
代わりに、遠くの景色が空間へ映し出された。
崩れかけた石造りの部屋。
床と壁を走る青白い術式。
その中央で、一人の人間が柱へ身体を縫い止められている。腹部を黒い杭のようなものが貫き、足元へ血が広がっていた。
周囲には、人間とは違う生命反応が複数動いている。
一体が暗闇から姿を現した。
細長い四肢。
骨のような外殻。
顔の代わりに縦へ割れた口だけを持つ魔物だった。
対象へ近づいている。
《収容不能》
《現地救助が必要です》
表示が切り替わった。
《救助方式》
《現地派遣》
《マスターユーザーを救難地点へ転送します》
《現地滞在可能時間:最大24時間》
《期限内に対象の死亡予測を解除してください》
「私が行く」
《現地派遣を実行しますか?》
映像の中で、魔物が柱へ縫い止められた人間へ腕を伸ばす。
迷っている時間はなかった。
「実行する」
《現地派遣準備を開始します》
私は外套を脱いだ。
衣服を増やしたままでは《裸族》が止まり、身体と魔力の制御が鈍る。初めて行く場所で力を落とす方が危険だった。
白いシャツ一枚のまま、《影蔵》の中身を確認する。
保存した魔獣の血。
血液回収容器。
薬。
固定具。
水と少量の食料。
第六層から回収した清浄布も入っている。
診工守や薬工守を連れていくことはできない。現地では、自分で診断し、自分で治療しなければならない。
《派遣地点を確定》
《帰還経路を一時形成します》
《残り時間》
23:59:59
治療室の床へ光が広がる。
私は指先へ血針を作った。
映像の中では、魔物の腕が患者へ届こうとしている。
「《飛行》」
黒い翼を展開する。
転送直後に床の状態が分からなくても、空中へ逃れられるようにしておく。
《現地派遣開始まで》
3
2
1
白い光が視界を埋めた。
足元の感覚が消え、次の瞬間には冷たい空気と濃い血の匂いが全身を包んだ。




