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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第三部 《二十四時間の境界》

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第八話 《冷たい血の帰る場所》

「この人も、死なせない」


女の心臓が次の一度を打つまでに、長い間があった。


診工守の表示が赤く染まり、身体の中心温度と心拍の乱れを示す数値が次々に並ぶ。


《推定深部体温:29.1》


《心拍:著しい徐脈・不整》


《循環停止危険度:上昇》


身体を温めなければならない。


ただし、冷え切った手足を急に熱すれば、末端に滞留していた冷たい血が心臓へ戻り、かえって状態を悪化させる可能性がある。


「胸とお腹から。手足はあと」


炉工守が医療台の周囲へ温かな空気を送り、薬工守が乾いた布で女の首、胸、腹部を覆っていく。濡れた金髪は水を含んだまま頬へ張りついていたため、掃工守へ拭き取らせながら、私は首筋の血管を探した。


身体が冷えすぎて、血管は細く縮んでいる。


血糸で針を支え、頸部の太い静脈へ慎重に通すと、薬工守が加温した循環維持液を接続した。


《医療経路を確保》


《加温循環液を低速投与します》


温められた液体が、弱い血流へ少しずつ混ざっていく。


補助呼吸に合わせて胸が持ち上がるたび、左脇腹の傷が開き、血が滲んだ。外側の血管は器具で挟んだものの、診工守の走査では腹部の内側でも出血が続いている。


《脾臓損傷を確認》


《活動性腹腔内出血》


《循環状態の維持には止血が必要です》


「内蔵もやる」


血糸へ薬工守の細い器具を絡め、裂傷の奥へ進める。


皮膚と筋肉を越え、折れた肋骨を避けながら腹部へ入ると、血液感知の中に不規則な漏れが見えた。柔らかな臓器の一部が裂け、心臓が動くたびに血が溢れている。


診工守が損傷範囲を表示する。


《損傷組織の一部切除を推奨》


「切らないと駄目?」


《温存処置は可能です》


《再出血危険度:高》


切り取れば止血はしやすい。


けれど、残せるものなら残したかった。


レオンの脚を切らずに済ませた時と同じだった。治療のために失わせる必要がないなら、最初から諦めたくない。


「残す方」


裂けた部分の両側へ器具を通し、止血用の素材を当てる。


血糸を強く引けば組織そのものが裂けるため、わずかずつ力を加えた。一度目は位置が浅く、出血量がほとんど変わらない。二度目は血管まで締めすぎて、臓器へ向かう血流が弱くなった。


「違う」


糸を緩め、位置を下へずらす。


必要なのは、臓器へ流れる血を残しながら、外へ漏れている道だけを閉じることだった。


女の心拍がまた遅くなる。


《循環血液量:著しく不足》


《血圧低下》


「分かっている」


戻せる血がある。


薬工守が回収した容器には、水や泥へ触れる前に受け止めた血液が溜まっていた。濾過と汚染判定を終え、わずかな加温も施されている。


《回収血液》


《所有個体:現在の患者と一致》


《汚染:許容範囲》


《凝固:軽度》


《返血可能》


私は容器へ片手を添えた。


血の中に、はっきりと帰る場所を感じる。


この女の名前は知らない。


それでも、この血が誰のものなのかは分かった。


「《返血》」


容器の中の血が揺れ、接続した管へ流れ込む。


《返血対象を確認》


《血液所有個体:一致》


《低体温および心機能低下を確認》


《還流速度を制限します》


一度に戻せば、弱った心臓が耐えられない。


私は心拍を待った。


一度打つたびに、少しだけ血を送る。


長い間隔を空け、次の一度が来ればまた送る。


自分の血を試した時とは違い、戻る先があっても、受け入れる身体の力が足りていなかった。それでも、血は少しずつ女の体内へ戻り、首筋の血管に僅かな温かさが生まれていく。


《循環血液量:微増》


《血圧:上昇傾向》


血圧が戻ったことで、腹部の傷から新しい血が滲んだ。


返したそばから漏れていく。


止血が先でも、循環が止まれば死ぬ。返血だけを続けても、傷が開いていれば血を失い続ける。


私は片手で返血を制御しながら、もう片方の血糸で傷を寄せた。


「診工守、流れを重ねて」


《損傷部周辺の血流を表示します》


淡い線と、自分が感じる血の動きが重なる。


漏れている場所は一つではなかった。


太い流れの横から二本、さらに裂けた組織の奥から細いものが一本ある。一本ずつ塞ぐと、腹部へ広がっていた血の量が目に見えて減っていく。


最後の糸を少しだけ斜めに引いた時、漏れていた流れが止まった。


《脾臓損傷部》


《活動性出血:停止》


《臓器血流:維持》


《組織温存処置:成功》


私は返血の速度をわずかに上げた。


容器の底へ残った血が身体へ戻り、管の表面へ凝固しかけた部分が近づいたところで止める。


《返血完了》


《回収率:82%》


《異常反応:確認なし》


全部は返せなかった。


それでも、何もできなかったレオンの時より、失われる量は確実に減らせた。


「次は肺」


腹部の出血が止まっても、女はまだ自分だけでは十分に呼吸できていなかった。


吸引管を入れ直すと、濁った水と細かな泥が少量ずつ出てくる。肺の奥へ入ったものまですべて吸い出せるわけではないため、薬工守へ感染を抑える薬を準備させ、補助呼吸を続けた。


女の身体が一度大きく震えた。


湿った咳とともに水が吐き出され、閉じていた瞼が僅かに動く。


「聞こえる?」


反応はない。


唇だけが震え、声にならない音が漏れた。


私は顔を近づけた。


「何?」


もう一度、掠れた息が出る。


「ガ……レス……」


人の名前らしい。


「ガレス?」


眉が僅かに寄った。


それだけで再び意識は沈んだが、呼びかけへ反応する力は残っていた。


「その人に会いたのなら、生きて」


右前腕の骨を整復し、固定具をつける。胸腹部の裂傷を閉じ、肺へ残る水を排出しながら、低体温から戻る速度を調整する。


治療は、そのまま十四時間以上続いた。


体温が上がる途中で心拍が一度大きく乱れたため、加温を緩め、循環維持液の投与も止めた。安定を確認してから再開すると、深部体温は三十四度を越え、長く空いていた心拍の間隔も一定へ近づいた。


《深部体温:34.4》


《自発呼吸:回復傾向》


《循環状態:低値・安定》


《腹腔内出血:再発なし》


補助呼吸の力を少しずつ弱めても、女の胸は自分で上下を続けた。


濡れていた金髪も乾き始め、青白かった唇には僅かな赤みが戻っている。


首元に下がっていた銀色の板は、洗浄すると刻まれた文字が読めるようになった。


レオンに教わった文字と照らし合わせ、一つずつ声へ出す。


「リノ」


その下に続く文字は傷で欠け、読み取れない。


《患者識別名として仮登録しますか?》


「仮で」


《患者識別名:リノ》


《本人確認:未実施》


名前が登録された直後、リノの瞼が開いた。


青い目が白い天井をさまよい、透明な管と診工守の作業肢を追ったあと、私の顔へ止まる。


赤い目と白い肌を認めた瞬間、リノの呼吸が跳ね上がった。


「吸血鬼……?」


「うん」


リノは反射的に身体を起こそうとした。


左脇腹へ痛みが走り、途中で顔を歪める。それでも止まらず、固定された右腕を無理に引き寄せ、空いた左手で腰の辺りを探った。


武器を探しているらしい。


「動かないで」


私が肩へ触れようとすると、リノは身を捩って手を避けた。


「触らないで」


鋭い声とともに腹部の傷へ力がかかり、診工守の表示へ警告が現れる。


《患者の急激な運動を確認》


《腹腔内再出血の危険が上昇しています》


「傷が開く」


「近づかないで!」


「治療できない」


「私の体に何をしたの?」


リノは周囲を素早く見回した。


身体へつながる管、右腕の固定具、腹部を覆う布、医療台の周囲に並ぶ作業個体を順番に確認する。出口の位置まで探しているようだったが、身体が動かないため、視線だけが忙しく行き来していた。


「私の認識票は?」


私は医療台の横へ置いていた板を持ち上げる。


「これ?」


「返してほしい」


「動かないなら」


「先に返して」


リノは私の手元から目を離さなかった。


私は腕を伸ばし、左手で受け取れる場所へ板を置く。リノはすぐに掴み取り、胸元へ引き寄せた。


その動作だけでも痛みが走ったらしく、唇を噛んで息を止めている。


「ここはどこ?」


「私の家。治療室」


「つまり、奈落の外?」


「奈落の近くのはず」


「近くのはず?」


「施設の場所は知らない。私はここで暮らしてる」


リノはしばらく私の顔を見つめた。言葉の裏を探すような視線だったが、やがてわずかに眉を緩める。


少なくとも、場所を隠すために誤魔化しているのではなく、本当に何も知らないのだとは判断したらしい。警戒は残したまま、それ以上は問い詰めなかった。


「出口は?」


「ある。でも今のリノは歩けない」


まだ名乗っていないのに名前を呼ばれ、リノの目が細くなった。


赤い目と白い肌を認めた瞬間、リノの呼吸が跳ね上がった。


「吸血鬼……?」


「うん」


リノは反射的に身体を起こそうとした。


左脇腹へ痛みが走り、途中で顔を歪める。それでも止まらず、固定された右腕を無理に引き寄せ、空いた左手で腰の辺りを探った。


武器を探しているらしい。


「動かないで」


私が肩へ触れようとすると、リノは身を捩って手を避けた。


「触らないで」


鋭い声とともに腹部の傷へ力がかかり、診工守の表示へ警告が現れる。


《患者の急激な運動を確認》


《腹腔内再出血の危険が上昇しています》


「傷が開く」


「近づかないで」


「治療できない」


「もう何をしたの?」


リノは周囲を素早く見回した。


身体へつながる管、右腕の固定具、腹部を覆う布、医療台の周囲に並ぶ作業個体を順番に確認する。出口の位置まで探しているようだったが、身体が動かないため、視線だけが忙しく行き来していた。


首元に銀色の板がないことへ気づくと、表情がさらに強張った。


「私の認識票は?」


私は医療台の横へ置いていた板を持ち上げる。


「これ?」


「返してほしい」


「動かないなら」


「先に返して」


リノは私の手元から目を離さなかった。


私は腕を伸ばし、左手で受け取れる場所へ板を置く。リノはすぐに掴み取り、胸元へ引き寄せた。


その動作だけでも痛みが走ったらしく、唇を噛んで息を止めている。


「ここはどこ?」


「私の家。治療室」


「奈落のどこ?」


「分からない」


「分からない?」


「施設の場所は知らない。私はここで暮らしてる」


「出口は?」


「ある。でも今のリノは歩けない」


まだ名乗っていないのに名前を呼ばれ、リノの目が細くなった。


「どうして私の名前を知ってるの?」


「その板に書いてあった」


「文字が読めるの?」


「少しだけ。前の患者に教えてもらった」


「患者?」


「あなたで三人目」


リノはすぐには何も答えなかった。


私の言葉を信じたのではなく、嘘の可能性を含めて記憶しているように見えた。


「前の二人は?」


「治して帰した」


「生きたまま?」


「死んだら治療失敗」


「吸血鬼が、人間を二人も治して解放したと?」


「一匹は魔物。もう一つのは男性の冒険者」


「その患者の名前は?」


試されている。


「最初は灰角兎。」


「人間の話をしてる」


「人間はレオン・アルヴェイン。奈落の探索者」


リノの表情が僅かに動いた。


名前を知っているのかと思ったが、すぐに警戒した顔へ戻る。


「聞いたことがないね」


「私も会うまで知らなかった」


「あなたのことも聞いたことがない」


「有名じゃない」


「それだけの力を持つ吸血鬼が、誰にも知られずに暮らしているの?」


「ずっと一人だったから」


リノは診工守の作業肢へ視線を向けたあと、私の指先と口元を見た。


牙を確認している。


「ガレスは?」


「分からない。でも、収容した時に近くでもう一人動いてたのは知ってる」


「本当に?」


「うん」


「姿を見たの?」


「生命反応だけ」


「それがガレスだという保証は?」


「ない」


リノの指が認識票を強く握りしめた。


「生きていたの?」


「動けてたから、たぶん」


「たぶん、ね」


「今はそれしか言えない」


リノは視線を伏せなかった。


衰弱しているのに、私の動きを一つも見落とさないようにしている。逃げられないからこそ、できる限り情報を集めようとしていた。


「私をここへ連れてきたのは、あなた?」


「施設」


「違いが分からない」


「私が選んだんじゃない。死にそうな人を施設が見つけて収容する」


「どうして助けているの?」


「....治療する場所だから」


「吸血鬼が管理しているのに?」


「今は私が使ってる」


「代価は?」


「ない」


「血も取らない?」


「取らない」


「眷属にもされない?」


「しない」


「魅了は?」


「使えない」


「...使えないと言えば、私が安心するとでも思った?」


リノの声には、まだはっきりと敵意が残っていた。


吸血鬼が友好的に振る舞い、警戒を解かせてから襲うという話を知っているのだろう。治療を受けた事実さえ、信用させるための手段だと疑っているようだった。


「安心しなくていい。今すぐ信じなくていい。でも動くとあなたは死ぬ」


リノは僅かに目を見開いた。


「脅してるの?」


「説明してる。お腹の中でも血が出てた。肺には水が入ってる。腕も折れてる」


「それを治したっていうの?」


「治療中。血は流れた分の一部を戻した」


リノの視線が、再び私の口元へ動く。


「血は飲んでない」


先に答えると、眉を寄せられた。


「教会では、吸血鬼は人の血を飲むものだと教えられる」


「魔物とか動物のは飲む。でも人間の血を飲んだことはない」


「今まで機会がなかっただけかもしれない」


「そうかも」


「否定しないの?」


「飲みたくならないとは言えないから」


リノの左手が僅かに動き、認識票を私との間へ置くように構えた。


何かの護符なのかもしれない。


「私の血も飲みたい?」


「いい匂いはする」


リノの顔が強張る。


「でも飲まない。血が足りないのに飲んだら死ぬでしょ?」


「治ったあとなら飲むの?」


「勝手には飲まない」


「許可を求めるつもり?」


「必要なら聞く。でも今はいらない」


「必要になることがあるの?」


「分からない」


「正直すぎて、余計に怖いんだけど」


「嘘は苦手」


リノは長い間、私を見つめていた。


警戒は消えない。


これだけの治療を受けている以上、目を覚ました直後に殺すつもりだったとは考えにくい。それでも、人間を生かしたまま利用する吸血鬼の話もあるのかもしれない。


リノは管を伝う液体を見た。


「これに、あなたの血は入ってる?」


「入れてない。私の血は人間に使えるか分からないから」


「私の血を戻したと言ったわね」


「外へ流れたばかりで、汚れてない分だけ」


「吸血鬼の術で?」


「《返血》」


「聞いたことがない」


「取ったばかり」


「何を?」


「技能」


リノは理解できないものを見る目をした。


「あなたは何者なの?」


「エルセリア」


「名前を聞いているんじゃない」


「吸血鬼。たぶん」


「たぶん?」


「施設は吸血鬼って出す。でも普通の吸血鬼とは違うとも出る」


「教会が聞けば、危険な変異種だと判断すると思う。だから教会、嫌いかも」


「まだ何もされていないでしょう」


「会ったら襲われそうでしょ?」


「...否定はできない」


リノは少しだけ息を吐いた。


呼吸の速さは収まりつつあるが、力が抜けたわけではない。


「あなたは、エルセリアっていうのね?」


「うん」


「エルセリア……」


二人目の人間が私の名前を呼んだ。


レオンとは違い、その声には確認だけでなく、危険な存在の名を覚えておこうとする響きがあった。


「何」


「聞いたことがない名前ね」


「有名じゃない」


「私が帰ったら、少しは有名になるかもしれないわね」


「困る。静かに暮らしたい」


「そう言いながら、人間を連れ込んで治しているの?」


「死にそうだったから」


「人間を助ける理由は?」


「死んでほしくない」


「それだけ?」


「ほかに必要?」


リノは答えなかった。


私の手元と牙、背後にいる診工守を何度も見比べる。何かがあれば抵抗するつもりは捨てていないらしい。


「少なくとも、今すぐ私を襲うつもりがないことは分かった」


「襲わない」


「話が通じることも分かった。でも、それだけで信用はしない」


「いいよ」


「治療を受けたからといって、あなたが安全だと決まったわけでもない」


「うん」


「ずいぶん簡単に認めるのね」


「私もリノを知らないから」


「私があなたを襲うかもしれないとは思わないの?」


「今は動けない」


「治ったあとよ」


「襲われたら止める」


私が答えると、リノは初めて少しだけ困った顔をした。


「魔物にしては、ずいぶん友好的なのね」


「魔物じゃない」


思ったより強い声が出た。


リノが意外そうに私を見る。


「吸血鬼でしょう?」


「吸血鬼。でも魔物じゃない」


「教会の分類では魔物よ」


「教会や国が決めても、私は違う」


「人間ではないのに?」


「人間だった記憶がある。今も考えて、話して、自分で決めてる」


「それなら、自分を何だと思っているの?」


「...まだ分からない。でも魔物ではない」


リノはすぐには頷かなかった。


私の言葉を否定もせず、しばらく考えるように見つめている。


「分かった、とはまだ言えない」


「そう」


「ただ、あなたが自分を魔物だと思っていないことは覚えておく」


「うん」


「今すぐ敵だとも決めない。治療を受けている間は、あなたの言葉を保留にする」


「それでいい」


信じてもらえたわけではない。


けれど、最初から討伐対象としてしか見られないよりはよかった。


リノは少し呼吸を整えたあと、認識票から指の力を緩めた。ただし、手放しはしなかった。


「お願いがある。ガレスを探して」


「今は範囲外」


「お願い。あの人は私を助けようとして残ったの」


「何があった?」


リノは私を警戒したまま、それでも必要な情報だけを選ぶように、途切れ途切れに話し始めた。


二人は奈落内部の古い排水路を調べていた。奥に残っていた水門が崩れ、溜まっていた水と木材が一気に流れ込んできた。


ガレスはリノを高い場所へ押し上げようとしたが、崩れた橋材に身体を挟まれ、そのまま水位が上がった。


「私は逃げろって言った。でも、あの人は木を動かそうとしてた」


「収容された時、もう一人は動いてた」


「水路から出られたと思う?」


「分からない」


「なら今すぐ帰らせて」


「今は無理」


「転送できるんでしょう?」


「できても、今帰れば腹の中でまた血が出る。肺も悪くなる」


「ここに残れば安全だという保証もない」


「少なくとも治療は続けられる」


「あなたを信じろと言っているのと同じよ」


「信じなくても、身体は治せる」


リノは唇を噛んだ。


「ガレス...」


「リノが死んだらガレスにも会えない」


「それでも、ここで何をされるかは分からない」


「帰りたいなら判定はする。でも、今は転送に耐えられないと思う」


「私の意思を無視するの?」


「死ぬ転送はしない、できない。」


「施設が?」


「私も」


リノの目に反発が浮かぶ。


それでも、身体の状態が自分の想像より悪いことは理解しているらしい。認識票を握る指に力を入れたまま、視線を伏せた。


「起きたら帰れるか調べる」


「本当に?」


「治療が進んだら」


「勝手に何かをしない?」


「治療はする」


「それ以外」


「しない」


「血も飲まない?」


「飲まない」


「魅了も、眷属化も?」


「しない」


「約束して」


「約束する」


リノはそれでも完全には納得していなかった。


けれど、痛みと疲労が限界へ近づき、瞼が何度も落ちかけている。


私は薬工守へ鎮痛薬を少量入れさせた。


リノは管へ視線を向ける。


「何を入れたの?」


「痛みを弱くする薬」


「眠らせるためじゃない?」


「...眠くはなる」


「先に言って」


「今言った」


「入れる前に」


「次から言う」


リノは最後まで私を睨んでいた。


「目を覚ました時、まだここにいたら……帰還を調べて」


「分かった」


「ガレスも探して」


「できる範囲で」


「曖昧ね」


「できないことを約束したくない」


「本当に、変な吸血鬼」


「私は吸血鬼を私しか知らない」


「だからあなたを基準にはしない」


「そう」


薬が効き始め、リノの指から少しずつ力が抜けていく。


それでも認識票だけは胸元へ抱えたままだった。


「ガレスを置いてきたくなかった」


「置いてきたんじゃない。死ぬところから来た」


「同じでしょう?」


「生きて帰れば違う」


リノは返事をしなかった。


完全に眠りへ落ちる直前まで、青い目は私の姿を追い続けていた。


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