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奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第三部 《二十四時間の境界》

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第一話 《収容》

第三部


第一話《収容》


床が崩れた時、レオンは自分の身体が落ちていることに気づかなかった。


足元の石板が沈み、視界が傾く。


天井と床の位置が入れ替わった直後、背中を強く打った。


息が止まる。


続いて、右脚へ重い衝撃が走った。


「――ッ!」


声にならない空気が喉から漏れる。


砕けた石材が、膝から下へ乗っていた。


腕を伸ばして押す。


動かない。


腰を浮かせ、残った左脚で床を蹴っても、右脚は瓦礫の下から抜けなかった。


「レオン!」


崩れた穴の上から、仲間の声が落ちてくる。


数歩分ほど上に、五人の姿が見えた。


崩落した床の縁へ膝をつき、こちらへ手を伸ばそうとしている。


「降りるな!」


レオンは即座に叫んだ。


穴の周囲では、残った石板も音を立ててひび割れている。


誰か一人でも飛び降りれば、その重みでさらに崩れる可能性があった。


「縄を下ろす!」


「先に瓦礫をどかさないと抜けない!」


「だったら全員で――」


「駄目だ!」


強く叫んだ瞬間、胸の奥が痛んだ。


落下した時に肋骨を傷めたらしい。


息を吸うたび、胸の右側へ鋭い痛みが走る。


右脚の感覚は残っている。


残っているからこそ、瓦礫の下で骨が壊れているのが分かった。


無理に引けば、脚そのものが千切れかねない。


頭上から、乾いた石の音が続く。


崩落は終わっていなかった。


「上へ戻れ」


「何を言ってる!」


「深界瘴気が上がってきてる」


穴の底へ、薄い黒色の霧が流れ込んでいた。


遺跡のさらに下から染み出す、深界瘴気。


少し吸っただけなら、目眩や吐き気で済む。


濃度が上がれば、身体の内側から腐っていく。


穴の底にいるレオンの周囲では、すでに床が見えなくなり始めていた。


「ここに残れば、全員動けなくなる」


「まだ時間はある!」


「ない」


黒い霧の向こうから、硬いものを引きずる音がした。


石の上を爪が擦る。


一度。


二度。


こちらへ近づいている。


瘴気の中を動ける魔獣が、崩落音を聞きつけたのだ。


仲間たちにも聞こえたらしい。


穴の上で、武器を構える気配がした。


「魔獣を倒してから助ける!」


「何体いるか分からない」


「だからって置いていけるか!」


「五人なら帰れる」


レオンは瓦礫へ手を置いた。


力を込める。


やはり動かない。


右脚から流れた血が、黒い霧の中へ吸い込まれていた。


自分を助けるために一人が降りる。


瓦礫を動かしている間に瘴気を吸う。


魔獣が現れる。


さらに誰かが降りる。


逃げられなくなる。


その結末は考えるまでもなかった。


「私だけだ」


穴の上を見上げる。


「動けないのは、私だけだ。五人なら戻れる」


「レオン……」


「入口の封鎖を頼む。瘴気を上まで出すな」


「そんな命令、聞けるわけが――」


「帰れ!」


胸の痛みを無視して叫ぶ。


怒鳴った声が、崩れた遺跡の中へ反響した。


仲間たちが黙る。


その沈黙の向こうで、爪の音が近づいてきた。


黒い霧の中に、低い影が浮かぶ。


四本脚。


異様に長い前肢。


床すれすれまで裂けた口。


一体ではない。


さらに奥にも、赤い光が二つ、四つと灯っていく。


レオンは腰の剣へ手を伸ばした。


右脚を固定されたままでは、まともに振ることもできない。


それでも、何もしないで食われるつもりはなかった。


せめて時間を稼ぐ。


仲間たちが入口まで戻れるだけの時間を。


剣を抜いた時、視界の中央へ白い光が浮かんだ。


「……何だ?」


光は霧でも魔法でもなかった。


薄い板のようなものが、何もない空間へ広がる。


そこへ、見たことのない文字が刻まれた。


《外部救難信号を検出》


レオンは目を瞬いた。


文字は消えない。


《周辺生命反応――六》


《自力離脱可能――五》


《自力離脱不能――一》


「遺跡の……機能?」


返事はない。


代わりに、新しい表示が現れた。


《救難対象候補を確認》


《生命状態――重篤》


《致死性環境汚染――進行中》


《捕食性生体反応――接近》


黒い霧の奥で、魔獣が身を低くした。


飛びかかる直前の姿勢だった。


レオンは剣を握り直す。


「助けられるなら、早くしてくれ」


その声に応えるように、白い文字が一度だけ強く光った。



---


救難管制区画の表示壁が、突然明るくなった。


低い警告音が室内へ響く。


《現在救難信号を受信》


私は椅子から立ち上がった。


待機へ入ってから、まだ長い時間は経っていない。


それでも、何も届かない可能性も考えていた。


直した経路が、外まで届いていないかもしれない。


救難信号そのものが、もう使われていないかもしれない。


けれど、表示壁には今までとは違う光が走っている。


過去の記録ではない。


現在進行中の反応だった。


《周辺生命反応――六》


《自力離脱可能――五》


《自力離脱不能――一》


表示の中央へ、一つの反応だけが浮かぶ。


輪郭は何度も乱れ、消えかけていた。


《対象状態――危篤》


《右下肢――重度挫滅》


《胸部損傷――あり》


《出血――継続》


《致死性環境汚染――進行中》


《捕食性生体反応――接近》


「一人だけ動けない?」


《肯定》


周囲には五つの生命反応が残っている。


けれど、その五つは上方へ移動できる状態だった。


中央の反応だけが、同じ位置から動かない。


第十三話で決めた条件どおり、救難網は最初に届いたその命を追っていた。


《単一対象固定を開始》


表示が大きく乱れる。


対象の輪郭が薄くなった。


《外部接続――不安定》


《対象情報――一部欠損》


《固定精度――低下》


「消えそう」


《肯定》


「切り替えないで」


《固定対象の変更は行いません》


さらに大きな雑音が走る。


対象の生命反応が、一瞬だけ表示壁から消えた。


胸の奥が冷たくなる。


二千八百六十四件。


失敗。


信号消失。


生命反応途絶。


あの記録と同じ言葉が、頭をよぎった。


「離さないで」


管路守が接続経路へ入り、炉工守が救難系統へ動力を集める。


生活区画の照明が消えた。


温水が止まり、家の中の動作音が一つずつ途切れていく。


診工守は隔離受入室へ移動した。


薬工守が洗浄液と生命維持補液を確認する。


搬工守は第二隔壁の前で待機した。


表示壁の中央へ、消えていた反応が戻る。


細い。


けれど、まだ残っている。


《単一対象固定を継続》


《接続経路を再構成》


《対象固定率――上昇》


光が何度も震えた。


消えかける。


戻る。


また弱くなる。


私は表示壁の前へ手をついた。


この向こうに誰かがいる。


何に襲われているのか。


どんな顔をしているのか。


人間なのかさえ分からない。


それでも、今も血が流れている。


今も呼吸している。


まだ、生きている。


《単一対象固定――成功》


私は息を吐いた。


《緊急救命条件を確認》


《対象の現位置での生存継続――困難》


《収容方式――使用可能》


「ここへ連れてこられる?」


《隔離受入区画への収容が可能です》


《実行成功率――算出不能》


《転送経路途絶の可能性があります》


《対象周辺物質の一部を同時収容する可能性があります》


保証はない。


途中で経路が切れるかもしれない。


患者だけでなく、瓦礫や汚染まで一緒に来るかもしれない。


だから、隔離受入室を作った。


失敗する可能性があるから、二枚の隔壁を閉じた。


何が来ても治療を始められるよう、診工守と薬工守を起こした。


この時のために、家を作り変えた。


「連れてきて」


《収容を承認》


《転送経路を生成します》


表示壁から伸びた光が、隔離受入区画へつながっていく。


遠くで、床が低く震え始めた。


《収容開始まで――十》



---


白い文字が変わった。


《収容を開始します》


《十》


「収容?」


意味は分からなかった。


けれど、足元へ白い光が広がり始める。


黒い瘴気を押し退けるように、細い線が円を描いていく。


「レオン、何が起きてる!」


穴の上から声が落ちてきた。


「分からない!」


《九》


魔獣が走り出す。


低い身体が、黒い霧を裂いた。


レオンは剣を横へ振る。


刃が前肢へ当たった。


硬い音が響く。


浅い。


魔獣は止まらなかった。


《八》


穴の上から光が飛んだ。


仲間の放った魔法が魔獣の肩へ当たり、身体を横へ弾く。


「今助ける! その光が何でも、時間を稼ぐ!」


「降りるな!」


二体目が霧の奥から飛び出した。


《七》


レオンは剣を突き出す。


口の中へ刃が入った。


噛み砕かれる前に、柄から手を離す。


魔獣が暴れ、突き刺さった剣ごと床を転がった。


右脚へ振動が伝わる。


潰れた骨が擦れ、視界が白くなった。


《六》


「ぐ……ッ」


意識が遠のく。


ここで気を失えば、終わる。


唇を噛む。


血の味がした。


足元の光は強くなっている。


けれど、右脚を押さえる瓦礫までは囲みきれていなかった。


《五》


白い線が石材の表面をなぞる。


何かを測っているように、何度も位置を変えていく。


魔獣が剣を吐き出した。


赤い目が、もう一度レオンへ向く。


《四》


穴の上から次の魔法が飛ぶ。


魔獣の前脚が弾かれた。


別の一体が壁を蹴り、上にいる仲間たちへ向かおうとする。


「戻れ!」


レオンは叫んだ。


「私を待つな! 入口を閉じろ!」


「まだ終わってない!」


「五人で帰れ!」


《三》


白い光が右脚の周囲へ集まった。


瓦礫の下まで潜り込むように、細い線が走る。


押し潰された部分に強い熱を感じる。


痛みではない。


身体の形を、外側から確かめられているような感覚だった。


黒い霧が胸元まで上がってくる。


息を吸うたび、肺の奥が焼けた。


《二》


魔獣が飛びかかる。


裂けた口が開く。


並んだ牙の間から、黒い涎が落ちた。


レオンは身を捻ろうとした。


右脚が動かない。


逃げ場もない。


それでも、穴の上では仲間たちがまだ魔法を構えていた。


「行け!」


最後に叫ぶ。


白い光が視界を埋めた。


《一》


魔獣の牙が、目前まで迫る。


音が消えた。


痛みも。


黒い霧の臭いも。


仲間たちの声も。


すべてが、一瞬で遠ざかる。


次の瞬間。


レオンの身体は、崩れた遺跡の底から消えていた。


---


最初に感じたのは、冷たさだった。


背中に触れているのは岩ではない。継ぎ目のない、平らで硬い床だった。


黒い霧の臭いも消えている。


代わりに、知らない薬品と金属の匂いがした。


レオンはゆっくり目を開けた。


白い天井。


透明な管。


関節の多い金属の腕。


どれも見たことがなかった。


身体を起こそうとした瞬間、右脚と胸へ強い痛みが戻り、息が止まる。


「動かないで」


近くから女の声がした。


視線を動かす。


腰まで伸びた黒髪が、女の動きに合わせて肩から流れている。


赤い目。


血の気がないほど白い肌。


簡素な白いシャツを着た女が、レオンの傍らへ膝をついていた。


整いすぎた顔立ちは人間のものに見えるのに、その瞳だけが、暗闇に潜む魔獣よりも鮮やかな赤色をしていた。これまでに見てきた旅芸人や舞踏家、貴族の娘、女神をかたどったという神殿の像。そのどれよりも、目の前の女は美しかった。


だからこそ、ひどく異様だった。


人の姿をしているのに、人ではないものを見ているような感覚が、遅れて背筋を這い上がる。赤い瞳と、指先から伸びる血の糸を見た瞬間、レオンの本能が警鐘を鳴らした。


逃げなければならない。

そう思ったが、指一本動かす力も残っていなかった。


女の指先から、細い赤い糸が伸びる。


血だった。


その糸は生き物のように宙を動き、レオンの胸元へ近づいてくる。


恐怖より先に、意識が薄れ始めた。


女は傷へ視線を落とし、短く言った。


「今、閉じる」


赤い糸が視界を横切った。


それを最後に、レオンの意識は途切れた。


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