第八話 《台所》
灰森主の素材を持ち帰った翌朝、私は外部資源受入区画を確認した。
洗った枝角と外殻は、昨日置いた場所に残っている。
外殻は水分を逃がす台へ載せられ、枝角は倒れないよう壁際へ固定されていた。床へ落ちていた灰や腐敗物も、掃工守がきれいに処理している。
搬工守は保守休止へ戻し、代わりに掃工守を通常稼働させていた。
「ちゃんと残ってる」
《外部資源――保管状態正常》
家の外から、必要なものを持ち帰る方法はできた。
次は、持ち帰ったものを暮らしへ変える場所が欲しい。
私は家へ戻り、朝食の準備を始めた。
新しく覚えた《血刃》を短く形成する。
赤い刃を白い根へ入れると、以前より薄く、ほとんど同じ厚さへ揃えられた。硬く乾いた保存肉を切っても、簡易血刃のようにすぐ崩れない。
「包丁として優秀」
自分の血で作った刃を料理へ使うのは、少し変な気もする。
けれど、食べるのは私だけだった。
切った肉と根を石の器へ入れ、水を加える。香りの強い葉を一枚だけ千切り、火床へ載せた。
材料を切る台はない。
器を置く場所も狭い。
私は膝の横へ食材を並べながら、小さく息を吐いた。
煮込みが完成すると、石の器を布で包み、寝具まで運ぶ。
白いシャツの裾を整えて座り、器を膝へ載せた。
肉の脂。
根の僅かな甘み。
香りの強い葉が持つ、青い苦み。
以前よりは食べやすい。
それでも、何かが足りなかった。
「薄い」
もう一口飲もうとした時、膝の上で器が傾いた。
「あっ……熱い」
慌てて戻したが、温かい汁が白いシャツの裾へこぼれた。
布を通して、太腿へ熱が伝わる。
火傷するほどではない。
けれど、白い布には茶色い染みが広がり、寝具にも汁が飛んでいた。
掃工守がすぐに近づいてくる。
《液体汚染を確認》
「待って。まだ食べる」
器を守るように持ち上げる。
掃工守は寝具の前で止まった。
残った汁を飲み干し、空の器を床へ置く。濡れたシャツの裾を摘まむと、肉の脂が肌にもついていた。
「食べる場所が要る」
床へ座ること自体は嫌いではない。
それでも、寝る場所と食べる場所が同じなのは不便だった。
汁をこぼせば寝具が汚れる。
肉の欠片も落ちる。
火床の近くでは、布や長い髪へ煙の臭いが移る。
私は部屋を見回した。
寝具。
素材棚。
火床。
壁の絵。
暮らすためのものは増えた。
けれど、料理と食事のための場所はまだない。
「机が欲しい」
少し考え、付け足す。
「椅子も」
元の世界では、食事をする場所に机と椅子があることなど当たり前だった。
なくして初めて、その便利さが分かる。
私は管理壁へ尋ねた。
「料理する場所はある?」
《第七管理領域内を検索》
簡単な区域図が表示された。
ホーム。
洗浄区画。
作業個体管理区画。
外部資源受入区画。
その奥に、まだ入ったことのない区画が浮かぶ。
《生活調理区画》
《状態――停止》
「台所」
《類似用途を確認》
「見に行く」
その前に、身体を洗うことにした。
洗浄区画で汚れたシャツを脱ぐ。
濡れた裾が太腿へ貼りついており、剥がすと少し冷たかった。
温かい水を出し、肌についた脂と汁を流す。
ついでに黒髪も洗った。
食事をしただけなのに、火床の煙と煮込みの匂いが毛先まで移っている。
身体を拭き、替えの白いシャツへ袖を通す。
汚れた方は縫工守へ渡した。
「洗って。染みが残ったら教えて」
《衣類洗浄要求を確認》
「お願い」
《命令を受け付けました》
施設内とはいえ、向かうのは未確認区画だった。
《影蔵》へ水と保存肉を入れ、血液量にも問題がないことを確認する。
掃工守と管路守を連れ、生活調理区画へ向かった。
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扉が開くと、古い埃と乾いた油の臭いが流れてきた。
中は広かった。
壁際には腰ほどの高さの作業台が並び、その上へ洗浄槽と黒い加熱盤が埋め込まれている。中央には長い調理台があり、奥には机と椅子が整然と並んでいた。
「給食室みたい」
一人分の料理を作るための場所ではない。
以前は、大勢がここを使っていたのかもしれない。
「ここ、何人で使ってたの?」
《過去の利用記録――参照不能》
昔のことは分からない。
今は私しかいなかった。
「掃除して。分からないものは捨てないで」
《未分類物品を保留します》
掃工守が床の清掃を始める。
私は管路守へ洗浄槽の点検を任せ、作業台の収納を調べた。
中には、暗い銀色の鍋や浅い器、匙に似た道具が残っている。
石を削って作った器より軽い。
表面を洗えば、まだ十分に使えそうだった。
保存容器の多くは、中身が黒く崩れていた。
《長期保存食材》
《状態――腐敗》
「これは駄目」
掃工守へ処理を頼み、隣の容器を開く。
中には、白灰色の硬い塊がいくつも残っていた。
《長期保存用鉱塩》
《状態――使用可能》
《有害成分――検出されず》
表面を少しだけ削り、舌先へ触れさせる。
強い塩気が一気に広がった。
私は目を見開いた。
「塩だ」
もう一度、ほんの少しだけ舐める。
間違いない。
味をつけられる。
肉を、ただ保存するだけではなく、おいしく食べられるかもしれない。
箱ごと抱えて帰りたくなった。
背後で水の流れる音がした。
管路守が詰まりを取り除き、洗浄槽を復旧させている。
最初に出た水は僅かに濁っていたが、しばらく流すと透明になった。
鍋と匙を洗い、掃工守が清掃した調理台へ並べる。
残る問題は、加熱盤だった。
《調理用加熱盤》
《状態――停止》
「直せる?」
《炉工守による点検を推奨》
掃工守を低消費待機へ移し、炉工守を呼び出す。
通路の照明がいくつか消えた。
限られた力を、炉工守と調理区画へ回したらしい。
炉工守は加熱盤の外装を開き、隣の壊れた設備から使える部品を取り外した。
私は《血糸》で細い部品を支え、奥へ詰まっていた破片を引き出す。固着した部分には、短く形成した《血刃》を差し込んだ。
しばらくして、炉工守が外装を閉じる。
《調理用加熱盤――部分復旧》
黒い板へ触れると、薄い表示が浮かんだ。
《出力を指定してください》
「弱く」
板の中央が、ゆっくり温かくなる。
火は出ていない。
それでも、上へ置いた鍋の水には、やがて小さな泡が生まれた。
「IHみたい」
何の力で動いているのかは分からない。
使えるなら、今はそれでよかった。
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そのまま、最初の料理を作ることにした。
白い根と保存肉を《血刃》で薄く切り、鍋へ入れる。
香りのある葉を一枚。
最後に、鉱塩をほんの少しだけ削った。
入れすぎた塩は戻せない。
「少しずつ」
煮えるまで待ち、匙で汁をすくう。
息を吹きかけてから、口へ運んだ。
味が舌へ触れた瞬間、動きが止まった。
思わず、飲み込むことさえ忘れた。
「おいしい」
肉の味が、はっきり分かる。
根の僅かな甘みと、葉の苦みが、ばらばらではなく一つにまとまっていた。
塩を少し入れただけだった。
それだけで、薄い湯が料理へ変わった。
もう一口飲む。
「すごくおいしい」
特別な料理ではない。
元の世界なら、味の薄い肉と根のスープだったと思う。
それでも、今の私には十分だった。
《人間性――上昇》
《食生活の改善を確認》
「これは分かる」
生きるためだけなら、生の血と焼いた肉でも足りる。
それでも、おいしい方がよかった。
私は鍋の中身を最後まで食べた。
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食事のあと、奥の食堂を調べた。
長い机と椅子の多くは、床へ固定されている。
保管場所の隅には、小型の机が一つ残っていた。
《簡易食卓》
《状態――使用可能》
近くには、固定されていない椅子も重ねてある。
机を持ち上げる。
少し重い。
搬工守を起こした方が早いが、家まで運ぶだけなら自分でも持てた。
「これくらいはやる」
机を抱え、ホームまで運ぶ。
入口に近い場所へ置き、椅子を一脚だけ持ってきた。
座ってみる。
少し高い。
深く腰をかけると、裸足の踵が僅かに浮いた。
それでも、器を膝へ載せなくていい。
鍋も匙も、机の上へ置ける。
「いい」
満足しかけた。
けれど、保管場所にはもう一脚あった。
食事をするのは私だけだ。
縫工守たちは椅子へ座らない。
一脚あれば足りる。
「一個でいい」
そう言ってから、机を見る。
一脚だけ置かれた机は、食卓というより作業台に見えた。
元の世界で使っていた食卓には、向かい側にも椅子があった。
いつも誰かが座っていたわけではない。
それでも、最初から一人分だけを前提にした形ではなかった。
少し迷う。
結局、調理区画へ戻った。
二脚目を運び、机を挟んで向かい側へ置く。
位置を少し動かし、正面へ揃えた。
誰も座らない椅子だった。
「これで食卓」
《人間性――微増》
「椅子を増やしたから?」
《生命維持に必須ではない生活空間の形成を確認》
「使わないけど」
《使用予定の有無は判定条件に含まれません》
「そういうものなんだ」
向かい側の椅子を見る。
邪魔になれば、あとで片づけられる。
それでも今は、置いておきたかった。
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生活調理区画の部分復旧が記録された。
《功績達成》
《食生活基盤の確立》
《SP獲得――1》
《保有SP――1》
取得候補を開く。
《微火――1SP》
《解体――1SP》
《血液保存――2SP》
《闇幕――2SP》
私は《微火》を見る。
施設の加熱盤は便利だった。
けれど、家の火床や灰の森では使えない。
外で火種を失えば、また木を擦るところから始めなければならない。
最初に火を起こした時の苦労を、私はよく覚えていた。
「《微火》を取る」
《SPを1消費》
《保有SP――0》
《技能取得》
《微火 Lv.1》
右手を机の上へ出す。
小さな火を思い浮かべた。
指先へ赤い光が生まれ、爪より小さな炎へ変わる。
《微火 Lv.1》
《乾燥した着火材への点火が可能》
《戦闘用途――非推奨》
火床の灰へ残していた乾燥繊維へ、指先の炎を近づける。
すぐに火が移った。
息を吹きかけると、細い枝へ燃え広がる。
やがて、聞き慣れた薪の割れる音が部屋へ響き始めた。
「楽」
これまで何度も木を擦った。
指を痛め、煙だけが出て終わったこともある。
それが今は、一瞬だった。
便利になった。
それでも、最初に自分で火を起こしたことが無駄になったとは思わない。
あの苦労があったから、火のありがたさが分かる。
机へ戻る。
縫工守が、洗って乾かした白いシャツを運んできた。染みはほとんど残っていない。
掃工守は寝具へ飛んだ汁の跡を処理している。
管路守は調理区画の配管を確認し、炉工守は保守待機へ戻っていた。
机の上には、鍋と匙。
小さく削った鉱塩。
向かい側には、誰も座っていない椅子がある。
「台所もできた」
塩がある。
食卓がある。
小さな火なら、自分で作れる。
家は少しずつ、死なないためだけの場所ではなくなっていた。
食事を作り、おいしいと思える場所。
こぼさずに食べられる場所。
誰もいないのに、誰かが座れる場所。
誰かが来る予定はない。
この家の場所を知っている人間もいない。
空席は静かなままだった。
それでも私は、その椅子を片づけようとは思わなかった。




