表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奈落の底で、吸血鬼は人間をやめない ~転生TS吸血鬼は、死にかけた人間を救い、壊れた古代施設を家にする~  作者: 白峰ユラ
第二部《家を作ってみる》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/99

第五話 《マスターユーザー》

新しい部屋を家にすると決めてから、数日が過ぎた。


水袋。


保存肉。


石の器。


灰の森から持ち帰った皮や骨。


血糸で作った網。


必要なものを少しずつ運び、何もなかった部屋にも生活の跡が増えてきた。


壁には、石棺の部屋から見える範囲を描き直した地図がある。


石棺。


水場。


灰の森。


森の主。


トイレ。


洗浄区画。


調理区画。


縫工守と管路守の姿も、地図の端へ小さく描いた。


その隣には、以前よりさらに似ていないドラ○もんがいる。


下には、いつもの文字を添えてある。


ドラ○もん。


たぶん。


設備は少しずつ使えるようになった。


管路守が生活用の配管を巡回し、炉工守が補助供給設備と加熱設備を監視している。


縫工守は布と獣皮を整理し、傷んだ服や水袋を見つけると修理した。


搬工守は常に動かしておく余裕がないため、今は保守休止状態にしている。重いものを運ぶ必要がある時だけ、別の作業個体と交代で起こす予定だった。


暮らしやすくなっている。


それでも、寝る時だけは石棺の部屋へ戻っていた。


新しい部屋の床へ布を何枚も重ねてみたが、朝まで眠るには向いていなかった。


床から冷たさが伝わる。


寝返りを打つたびに布がずれる。


長い黒髪まで床へ広がり、起きた時には毛先に細かな埃がついていた。


石棺は硬い。


けれど、内側へ乾いた草と獣皮を詰めてある。


身体が収まる形をしているため、眠っている間に寝床が逃げない。


何より、目を覚ましてからずっと使ってきた。


横になると、妙に落ち着いた。


新しい家で眠りたい。


石棺も嫌いではない。


その二つは、同時に成り立っていた。



---


その日も石棺の中で目を覚ました。


身体を起こし、長い黒髪を背中へ払う。


火は夜の間に消えていた。


乾いた繊維へ火種を移し、細い枝を重ねる。炎が安定するまで待ってから、昨夜の残りの肉を平らな石へ載せた。


石の器には水を入れる。


薄く切った白い根。


肉の端。


香りの強い葉を一枚。


最近は、二枚入れると苦くなることを覚えた。


「今日は普通」


塩も味噌もない。


肉と根を煮ただけの汁だ。


それでも、焼いた肉だけを食べていた頃より、朝食らしいものにはなっている。


眠って起きたから朝。


実際の時刻がどうなっているのかは分からない。


今は、それで困らなかった。


食べ終えたあと、器を水場で洗う。


新しい家へ持っていく荷物を《影蔵》へ入れ、石棺の中に敷いていた予備の布も抱えた。


「今日は作る」


誰に言ったわけでもない。


新しい家へ戻ると、縫工守が壁際で布を畳んでいた。


私が近づくと、頭部の細い光が僅かに強くなる。


「おはよう」


返事はない。


それでも、毎日言うことにしている。


抱えてきた布を縫工守へ渡す。


「寝る時に使うものを作って」


縫工守は布を受け取った。


平らな作業板へ広げる。


しかし、それ以上は動かなかった。


「作らないの?」


反応はない。


布を指差す。


「これで、寝るもの」


縫工守の頭部が動いた。


布を見る。


私を見る。


再び停止する。


言葉が曖昧すぎるらしい。


「袋」


縫工守の作業腕が動き出した。


布の端を揃え、本当に大きな袋を作ろうとしている。


「違う」


作業が止まる。


私は布を床へ敷き、その上へ横になった。


白いシャツの裾が太腿の上へずれたため、片手で引き下ろす。


縫工守は私の格好には何の反応も示さず、布と身体の位置だけを確認しているようだった。


「こうやって寝る」


仰向けになる。


「柔らかくして。身体の下でずれなくて、床の冷たさが来ないもの」


縫工守は動かなかった。


私は横になったまま、頭部の光を見上げる。


「分からない?」


簡単な指示なら理解する。


布を切る。


縫う。


穴を塞ぐ。


指定した形の袋を作る。


けれど、目的を説明して、必要な形を考えてもらうことはできなかった。


私は身体を起こし、黒髪を背中へ払った。


「難しい」


縫工守が悪いわけではない。


私の説明が下手なのもある。


それでも、毎回すべての寸法や形を自分で決めなければならないなら、できることは限られていた。


服や水袋なら、完成した形を知っている。


寝具も元の世界にはあった。


ただ、今ある布、獣皮、獣毛で何をどう組み合わせればいいのかまでは分からない。


私は管理区画の方向を見た。


作業個体には、必要なことを判断する機能があるはずだった。


縫工守は、私より上手に服を直せる。


管路守は、私が理解できない配管の異常を見つけられる。


炉工守も、設備の熱や動力を自分で調整している。


けれど、私から複雑な目的を伝えることができない。


「聞く」


誰に聞けばいいのかは分からなかった。


それでも、管理壁なら何か答えるかもしれない。



---


洗浄区画へ寄り、身体を洗ってから管理区画へ向かった。


服を脱ぎ、温かい水を肩から受ける。


石棺の部屋で火を使ったため、肌と髪には薄く煙の臭いが残っていた。


腕。


胸。


腹。


脚。


順番に洗っていく。


今の身体にも、かなり慣れた。


胸や腰へ触れるたびに手が止まっていた頃とは違う。


自分の身体なのだから、自分で手入れする。


それだけだった。


長い黒髪へ水を含ませる。


濡れた毛先が腰より下まで伸び、背中と胸元へまとわりついた。


「やっぱり長い」


きれいではある。


ただし、洗うにも乾かすにも時間がかかる。


縫工守が作った布で髪を挟み、水分を取る。


肌を拭き、替えの白いシャツへ袖を通した。


下着もズボンも着けない。


家の中には、それを気にする者はいなかった。


白い布の下から脚だけが露出している。


元の世界でいう彼シャツに近い姿だが、借りた相手はいない。


自分のために作られた、自分のシャツだった。


「行く」


縫工守と管路守を連れ、管理区画へ向かった。



---


作業個体管理区画では、今日も多くの機械が眠っていた。


照明は入口付近しか点いていない。


暗闇の奥へ、作業個体の輪郭が何列も続いている。


管理壁へ近づくと、現在の状態が表示された。


《第七管理領域》


《復帰済み作業個体――4》


《常時稼働作業個体――3》


《保守休止作業個体――1》


《休眠作業個体――180》


現在、常時稼働しているのは三体だった。


縫工守。


管路守。


炉工守。


搬工守は、供給能力を超えないよう保守休止になっている。


必要になれば、稼働中の一体を止めて交代させる。


しかし、その交代操作さえ、今の私には自由にできなかった。


「聞きたい」


管理壁へ声をかける。


何も起きない。


手のひらを当てる。


「この子たちを、もっと言葉が分かるようにできる?」


反応はなかった。


軽く壁を叩く。


硬い音が返る。


少し強く叩く。


壁の奥で小さな音が鳴り、薄い光が走った。


《入力内容を処理できません》


「今、答えた」


《限定応答機能――稼働中》


「なら、質問する」


縫工守と管路守を指差す。


「どうしたら、目的を説明するだけで仕事を頼める?」


《作業個体の高度命令解析には管理権限が必要です》


「管理権限?」


《肯定》


「どうすれば取れる?」


《権限保有者による登録が必要です》


「権限を持ってる人は?」


《登録管理者を照会中》


少し待つ。


《応答可能な登録管理者を確認できません》


周囲を見る。


誰もいない。


百を超える機械が眠っているだけだった。


「ここにいない?」


《登録管理者との通信を確立できません》


「生きてる?」


《生存状況を確認できません》


管理者が別の場所にいる可能性はある。


けれど、私が目を覚ましてから、人間には一度も会っていない。


洞窟。


灰の森。


施設の入口周辺。


どこにも、自分以外の話す生き物はいなかった。


「管理者がいないなら、どうするの?」


《通常手順による管理権限の付与は実行できません》


「困る」


《回答不能》


少し腹が立った。


管理者がいなければ、権限をもらえない。


権限がなければ、作業個体へ十分な指示を出せない。


設備の状態も、分かる範囲が限られる。


今は温かい水が出る。


トイレも使える。


食事も作れる。


けれど、管路守が見つけている異常は増えている。


空調の大部分は停止したまま。


照明も、必要な場所へ僅かに点く程度。


何か一つ大きく壊れれば、今の暮らしは簡単に崩れるかもしれない。


私は壁へ向き直った。


「管理者はいない」


《登録管理者応答なし》


「でも、私がここを使ってる」


返事はない。


「縫工守を見つけたのも私」


《縫工守の外部復旧作業を確認》


「ほかの作業個体を起こしたのも私」


《複数作業個体の暫定復帰履歴を確認》


「管路守と一緒に水を直した」


《生活用給排水系統の部分復旧を確認》


「炉工守と動力も直した」


《補助供給効率の改善を確認》


「ここに住んでる」


表示が止まった。


私は続ける。


「ご飯を作って、身体を洗って、毎日戻ってきてる。壊れたところも探して直してる」


壁の光が一度消えた。


少し不安になる。


「聞いてる?」


返事の代わりに、床の奥から低い振動が伝わってきた。


天井へ細い光が走る。


作業個体が並ぶ列の上へ、弱い照明が一つずつ点いた。


暗闇の中に、百八十四体の輪郭が浮かび上がる。


四体は復帰済み。


百八十体は、まだ眠っている。


一斉に動き出したわけではない。


それでも、巨大な部屋の中で待ち続けていた機械たちの存在が、初めて端まで見えた。


私は反射的に血針を作りかけた。


その前に、新しい表示が現れる。


《緊急管理権限継承条件を照会》


手を止める。


《登録管理者――応答なし》


《区域管理機能――重大低下》


《生命維持設備の継続的利用を確認》


《長期居住実績を確認》


《施設復旧行動を確認》


《作業個体復旧実績を確認》


《生体適合情報を照合》


最後の項目だけ、表示に時間がかかった。


《緊急管理権限継承候補を確認》


《未登録個体》


「その呼び方、嫌」


《個体名称が登録されていません》


名前はある。


元の世界で使っていた名前。


家族や友人に呼ばれていた、男だった頃の名前。


忘れたわけではない。


捨てたつもりもない。


ただ、今の姿でその名前を名乗ることには、僅かな違和感があった。


長い黒髪。


赤い目。


血を飲む身体。


その名前で呼ばれていた頃の自分と、完全に同じだと言い切ることもできない。


私は答えなかった。


《名称登録は後から実行できます》


《緊急区域管理権限を継承しますか》


「何ができる?」


《第七管理領域内における設備命令権限を拡張します》


《作業個体判断情報の翻訳機能を利用できます》


《設備状態情報へのアクセス範囲を拡張します》


《一部制限区画への入室申請が可能になります》


「全部の扉を開けられる?」


《否定》


「全部の作業個体を起こせる?」


《供給能力および個体状態によって制限されます》


「この施設全部が私のものになる?」


《否定》


《継承対象は第七管理領域の緊急管理権限に限定されます》


施設全体の所有者になるわけではない。


今暮らしている区域を維持するための、非常用の権限だけだった。


それなら、少し安心できる。


危険がないとは言い切れない。


自分の身体の情報を、正体の分からない施設へ渡していいのかも分からない。


しかし、すでにここの水を飲み、設備を使い、毎日眠っている。


今さら無関係だとは言えなかった。


周囲を見る。


壊れた施設。


眠っている作業個体。


最初に直した縫工守。


水を流してくれた管路守。


重い素材を運んだ搬工守。


熱と動力を整えた炉工守。


そして、自分の布や道具が置かれた新しい部屋。


「ここ、今は誰が管理してるの?」


《有効な登録管理者を確認できません》


私は自分の胸元を指差した。


白いシャツの下で、心臓が動いている。


「じゃあ、私がやる」


《確認》


《第七管理領域を管理下に置きますか》


「うん」


《緊急管理権限の継承を開始》


足元へ淡い光が広がった。


驚いて一歩下がる。


光も一緒についてくる。


床から伸びた光が、足先から身体の輪郭をなぞるように上昇した。


白い脚。


シャツの裾。


腰。


胸元。


肩。


赤い目。


最後に、まだ少し湿っている黒髪の先までを包む。


《生体情報を取得中》


《既存種族情報との完全一致――なし》


《既存登録個体との照合――失敗》


「知ってる」


自分が何なのか分からないことは、今に始まったことではない。


《管理領域との生体適合率――規定値以上》


《長期居住情報を統合》


《代替個体識別情報を生成》


《緊急管理者登録》


《暫定マスターユーザー》


「マスター?」


《第七管理領域における最高権限保有者への暫定呼称です》


「偉い?」


《当該管理領域内においては、はい》


少しだけ口元が緩む。


「そう」


嫌ではなかった。


かなり。


《暫定マスターユーザー登録完了》


《管理者権限を確認》


《作業個体判断情報の翻訳を開始します》


管理区画の照明が、一斉に点いた。


すべてではない。


入口側から奥へ向かって、一列ずつ弱い白色の光が伸びていく。


損傷したもの。


埃をかぶったもの。


外装が失われたもの。


それでも、百を超える機械が長い間そこにいた。


作業個体の頭部へ小さな光が順番に灯り、すぐに消えていく。


《登録作業個体への管理者情報共有完了》


縫工守と管路守が、同時にこちらへ身体を向けた。


私は少し驚く。


「分かる?」


縫工守の頭部へ光が灯る。


同時に、今まで感じ取れなかった情報が、視界へ短い言葉として浮かんだ。


《管理者を確認》


《作業要求を受け付けます》


私は縫工守の前へ移動する。


「寝る時に使うものを作ってほしい」


一度言葉を切る。


今度は、目的を順番に伝えた。


「床が冷たくないもの。寝返りを打っても下から布がずれないもの。身体を伸ばして眠れるくらいの大きさで、できるだけ柔らかくして」


縫工守は数秒静止した。


《寝具製作要求を確認》


《使用可能な布材、獣皮および充填材を選定します》


目を少し見開く。


「分かった?」


《肯定》


縫工守の頭部へ両手を置く。


冷たい外装だった。


「すごい」


縫工守はすぐに材料の保管場所へ向かった。


以前なら、私が布の形も縫う場所もすべて指定しなければならなかった。


今は、目的を伝えるだけで必要なものを考えている。


次に管路守を見る。


「配管の異常が大きい場所から調べて。でも、トイレと洗浄区画と調理用の水は止めないで」


《生活設備を優先対象として登録》


《点検順序を再設定します》


「話が通じる」


人間のように会話をしているわけではない。


それでも、細かな動作を一つずつ命令しなくても、目的に合わせて方法を選んでくれる。


かなり違った。


管理壁へ向き直る。


「作業個体を交代させることもできる?」


《可能》


《現在の稼働構成を表示します》


《縫工守――通常稼働》


《管路守――通常稼働》


《炉工守――通常稼働》


《搬工守――保守休止》


《補助供給出力――18%》


《常時稼働可能作業個体数――3》


炉工守は今、補助供給設備の状態を常時監視している。


動いていないように見えても、稼働枠には含まれていた。


掃除を担当するらしい掃工守も見つけている。


しかし、今の三枠では同時に起こせない。


「炉工守を止めたら危ない?」


《補助供給設備の監視機能が低下します》


「必要な時だけ起きるようにはできる?」


《管理者権限による待機方式の変更が可能です》


すぐに変えることもできる。


けれど、炉工守を起こしたばかりで、動力設備も完全には安定していない。


今日はそのままにしておくことにした。


「明日考える」


《設定変更を保留します》


返事があるだけで、かなり使いやすかった。



---


管理区画を出たあと、炉工守へ別の頼み事をした。


新しい家では、調理設備を使える。


それでも、火も残しておきたかった。


肉を炙る。


煙を当てる。


火種を保存する。


調理板だけではできないこともある。


何より、炎を見ていると落ち着いた。


「新しい部屋で、安全に火を使える場所を作りたい」


炉工守の判断情報が返ってくる。


《居住区画内における燃焼設備の設置要求を確認》


《換気経路および耐熱床面を調査します》


炉工守は新しい家へ移動し、床と壁を調べ始めた。


部屋の隅に、ほかより色の濃い床材がある。


《鑑定》すると、耐熱性の高い作業用床面と表示された。


その上へ、施設内で見つけた浅い金属容器を置く。


周囲に燃えやすい布を置かないよう範囲を決め、壁の古い排気口を管路守に確認させる。


完全な暖炉ではない。


現代日本でいうなら、工場用の耐熱皿を使った小さな囲炉裏に近かった。


薪を置き、火を起こす。


煙の多くは壁際の排気口へ吸い込まれていく。


「これなら使える」


《居住区画内燃焼設備として暫定登録します》


火を完全に機械任せにするつもりはなかった。


自分で火種を作る。


薪を選ぶ。


料理や保存肉に使う。


そういう作業は残しておきたかった。


炉工守には、危険な温度になった時だけ止めてもらえばいい。


新しい家に、初めて炎が灯った。


照明とは違う橙色の光が、壁へ揺れる影を作る。


描き直した森の主。


似ていないドラ○もん。


縫工守と管路守の絵。


すべてが火の光に照らされていた。


「家っぽい」


《居住環境評価の変更を確認》


「今のは独り言」


施設は答えなかった。



---


夕方と呼んでいる時間まで、私は新しい家の整理を続けた。


実際に夕方なのかは分からない。


眠くなり始める前を、そう呼んでいるだけだった。


壊れた棚を部屋の端へ移す。


使えそうな部品と、用途の分からない破片を分ける。


火を使う場所の周囲から布や乾いた繊維を遠ざける。


壁へ描いた地図へ、管理区画と作業個体待機区画を書き足した。


縫工守の絵の隣に、管路守も描く。


細い身体。


何本もの管。


完成した絵を見ても、管路守にはあまり似ていなかった。


「二番目」


何となくそう呼んだ。


本当に二番目に起こしたのは搬工守だった気もする。


順番は少し曖昧だった。


「まあいい」


自分しか見ない絵だった。


夕食は、新しく作った火床で肉を炙った。


石の器には水と根を入れ、調理板で煮込む。


火と設備を両方使う。


少し効率が悪い。


それでも、焼ける肉の匂いと、煮込みの湯気が同時に部屋へ広がるのは悪くなかった。


食べ終え、器を自分で洗う。


そのあと洗浄区画へ向かった。


白いシャツを脱ぐ。


火の近くで作業したため、布にも髪にも煙の匂いがついていた。


温かい水を出し、肩から浴びる。


濡れた黒髪が背中と胸元へ張りつく。


指で分けながら洗い、肌に残った埃も流した。


何も着ていない姿を水面へ映す。


白い肌。


赤い目。


濡れた黒髪。


この身体を見ても、以前ほど驚かなくなった。


きれいだとは思う。


それが自分の身体だということも、少しずつ受け入れている。


「慣れたのかな」


答える者はいない。


身体を拭き、洗って乾かしてあった白いシャツへ袖を通した。


柔らかな布が、まだ少し湿った肌へ触れる。


前を閉じ、長い袖をまくる。


裾は太腿の上まである。


人前なら気になる格好かもしれない。


今は、作業個体しかいなかった。



---


新しい家へ戻ると、縫工守が入口近くで待っていた。


足元には、大きな布の塊が置かれている。


厚い布の中へ、柔らかな獣毛と細い繊維が均等に詰められていた。


床へ触れる側には、滑りにくい丈夫な獣皮が縫いつけられている。


身体を横たえる側には、比較的柔らかな布が使われていた。


頭を置く部分だけ、少し厚く膨らんでいる。


全体の形は、現代日本の薄い敷布団と寝袋を組み合わせたようだった。


ただし、身体が収まる中央は僅かに窪み、寝返りを打っても外へずれにくく作られている。


「これ?」


《寝具製作要求に基づき作成しました》


靴を脱ぎ、寝具の上へ寝転ぶ。


身体が柔らかく沈む。


床の冷たさが伝わってこない。


仰向けになる。


腕を伸ばす。


脚も自由に動かせる。


石棺のように身体を囲まれる安心感はない。


それでも、床へ布を重ねただけの寝床とはまったく違った。


左右へ何度か寝返りを打つ。


寝具はほとんどずれない。


白いシャツの裾だけが少し上がったため、片手で引き下ろす。


長い髪は、頭の下に作られた柔らかい部分から左右へ流れた。


「すごくいい」


《要求への適合を確認しました》


短い返事が返る。


私は寝具の上へ横向きになり、縫工守を見る。


「ありがとう」


《作業完了を確認》


礼に対する返事ではない。


それでも、今はそれでよかった。


管路守が点検から戻ってくる足音が聞こえる。


炉工守は入口近くへ移動し、補助供給設備の監視を続けている。


縫工守は余った布を畳み始めた。


火床には、小さな炎が残っている。


以前は、自分が手を止めれば、家の中から音が消えた。


今は、横になっていても誰かが動いている。


静かではない。


それでも、不思議と落ち着いた。


「私の家」


管理壁から、すぐに表示が返る。


《現在地を暫定マスターユーザーの居住拠点として登録しますか》


目を開く。


部屋を見回す。


火を使う場所。


描き直した地図。


森の主。


似ていないドラ○もん。


最初の子と、二番目の絵。


自分で作った石の器。


古い水袋。


森から持ち帰った素材。


新しく作られた寝具。


「登録する」


《居住拠点を登録》


《登録名――ホーム》


表示された言葉を見つめる。


ホーム。


元の世界でも知っている。


家。


帰る場所。


私は寝具へ頬をつけた。


「うん」


石棺の部屋を捨てたわけではない。


あそこも、今まで私を守ってくれた場所だった。


けれど、今夜からはここで眠る。


火がある。


水がある。


自分の残したものがある。


私以外に動くものもいる。


施設から名前を与えられたから、家になったわけではない。


食事を作り、身体を洗い、道具を運び、眠る場所を整えた。


自分で帰ってきたいと思える場所にした。


だから、ここは家だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ