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禁書庫のミラ  作者: 戸辺ブラシ
禁書庫の幽霊
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1-4・呼吸と足音


本の頁をめくる音が、呼吸のように響いていた。


王立図書館は、今日も静かだ。分厚いカーテンの隙間から夕陽の光が射し込み、空気の中の埃を金色に染めている。その中で、ミラは黙々と本を整頓していた。


「……よし。これで、今日はおわり。」


彼女の声は柔らかく、少し儚げだ。この図書館で働き始めてから、彼女は周囲の職員に馴染めず、毎日ひとりで雑務をしていた。同僚たちは楽しそうに雑談をしながら、ミラを素通りして自宅や寮へ帰ってゆく。


ランタンに掃除用具。先日と同じ持ち物を抱え、地下への石畳の階段を下りる。重い扉の取っ手の金属は冷たい。ぎぃ、と音を立て、扉を押し開く。冷たく湿った、暗闇の空気。


(……あの亡霊さん、またここに来るのかしら。)


ミラは、先日出逢った亡霊に対して、恐怖よりも好奇心が上回っていた。


この暗く冷たい禁書庫で、独りぼっちなの?

暗闇に引きずり込むって、ほんとう?

どうしてこんなところに、いるの?


そんなことを妄想しながら、本棚の間と間に目を凝らす。入口からの光が届かなくなりそうな通路まで進んだところで、ランタンを灯した。整然と立ち並ぶ鎧たちの銀の躰が、ランタンの光をぼんやりと反射する。


何気なく。


ただ、表紙の色味と文字が美しかったから。

この子を、綺麗にしてあげたい。

そんな理由で、埃だらけの本棚から、一冊を、そっと引き抜いた。




そのとき、獣が唸るような、低い振動が響く。

天井や本棚から埃が降り注ぎ、舞う。

驚いたミラは、ランタンを掲げて周囲を見渡した。


埃の向こうから、金属がこすり合う鈍い音が近づく。

『鎧』が動き出した。

魂を持たぬ守り人が、禁書に触れた者を敵と見なし、携えていた剣を抜く。


「な、なに……!?」


四方を取り囲まれる。

後退るも、本棚が背にぶつかる。

剣が、ランタンの光でぎらりと光った。

ミラは顔を逸らし、強く目を閉じる。

剣が振り下ろされる直前。


ミラの躰が宙に浮いた。


拍子に本を取り落としそうになったが、慌てて抱える。ミラは、あの黒衣の亡霊に抱きかかえられながら、暗闇の中に浮いていた。

真下で、鎧たちの剣が床を叩く音が響く。禁書庫の天井はこんなにも高かったか。ミラが亡霊の顔を見上げるが、亡霊はミラの視線には反応しない。彼は鎧たちを見下ろしている。


「下がれ。」


亡霊が言い放つと、鎧は即座に剣を鞘に納め、あるべき立ち位置へと歩み戻ってゆく。智識という宝、本棚という城壁を守るため。最後の金属音が鳴り終わる。はじめからなにもなかったのだと、暗闇と静寂が空間を覆う。

亡霊は音もなく降り立ち、抱えていたミラを降ろした。ミラは呆然とし、男を見つめる。


「あ、あの……。」

「…………。」


亡霊はミラをじっと見つめる。

そして、おもむろに彼女の髪に触れた。彼の、生気のない白い顔が近づく。ミラは咄嗟に振り払い、一歩下がった。それは反射的だったが、恐怖からの行動ではなかった。亡霊は、彼女から突き放された節くれだった手を、黒衣の下に隠す。


「……やはり、お前は……。……いや。」


亡霊は首を横に、軽く振る。同時に、ミラのランタンの灯が揺れた。


佇む男女。

沈黙。


それに耐えられなくなったのは、ミラのほうだった。


「あの、ありがとう……、ございます。助けて下さって。」


亡霊は答えなかったが、髪の隙間から見え隠れする漆黒の瞳はミラを見据えている。


「……あのひとたちは、本を守っているんですか?」


数拍置いて、男が口を開く。


「人ではない。ここに縛られているだけの、器だ。」

「……。」

「帰れ。貴様とて、魔力を帯びた剣で斬られてはただではすまないぞ。」


魔力。本の中でしか見たことのない言葉。

背を向けた亡霊に、ミラは再び声をかける。


「あの……。」

「なんだ。」

「掃除を……。」


したいんです。そう続けようとしたが、とどまった。

目の前の亡霊が振り向き、信じられないようなものを見るように、目を見開いていたからだ。そして……亡霊は、その節くれだった手で目頭を押さえながら、大笑いした。


「貴様……、ははは……。」


禁書庫の暗闇に響く、低い笑い声。


「馬鹿だとは思っていたが、ここまでとは……。」


笑い続ける亡霊にミラは戸惑い、抱えていた本を思わずぎゅっと抱きしめた。笑い声に共鳴するかのように、ミラの手元のランタンの灯が震える。


「構わん、良いだろう。やれるものなら、やってみせろ。この禁書庫は広大だぞ……。」


禁書庫の亡霊から直々に、掃除の許可を貰えた。その奇妙な状況に困惑しつつも、ミラは喜んだ。


「あ、ありがとうございます…!」

「ただし、禁書庫の扉まで来たら、私が現れるまで待て。私と行動を共にすれば、鎧は貴様を襲わない。決して独りにはなるな。」

「はい、わかりました。」

「そして、書籍の持ち出しは禁止だ。」


亡霊が指を振るうと、ミラが抱えていた本が宙に浮く。本は暗闇を漂い、元居た本棚の一画へと収められた。


「あ……。」

「名前は。」

「え?」

「貴様の名前を聞いている。」

「あ、えっと……。ミラ・テイラーです。ミラとお呼び下さい。」


ミラは名乗り、小奇麗な所作でお辞儀をする。


「見てくれは見窄らしいが、教養はあるようだな。」


亡霊は鼻で笑い、肩をすくめて言う。


「生前の名を名乗りたくない。好きに呼べ。」

「えっ……。」


急に言われても困る、という返事を飲み込む。

ミラは、黒衣の亡霊を、頭からつま先までを見つめた。


「………真っ黒。黒……、は、昔の言葉で『メラン』と言いますから……。」


彼の目を見る。


「『メラ』……なんて、どうでしょう。」

「メラ。」


亡霊は、与えられたばかりの名を、口の中で転がすように呟いた。


「……まあ、いいだろう。」





禁書庫から立ち去り、地上階の図書館の廊下を進む。廊下はとっくに消灯されているが、窓から差し込む月明かりによって、ランタンの灯は必要なかった。


噂の亡霊と会話を交わして、掃除をしてもいい許可をもらった。こんな不思議な出来事は、本のなかの物語でしか起きないものだと思っていた。ミラは浮足立つ気持ちを抑えられず、誰も見ていないのをいいことに、長い長い廊下を駆け抜けた。


図書館に、彼女の足音だけが響いていた。



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