木
翌日。
私は自室の窓辺に座りながら、昨日の出来事を思い返していた。
婚約。
ユイト。
そして、変に引っかかる違和感。
考えれば考えるほど分からなくなる。
ユイトは行方不明だったはずだ。
少なくとも、私はそう認識していた。
だが使用人たちの話では違った。
廊下で偶然耳にした話によれば、ユイトが行方不明になったという話は聞いたことがないという。
さらに、彼は昔からあのような性格だったらしい。
丁寧で礼儀正しく、どこか他人と距離を取るような人。
玲は念のため鴻にも確認したが、返ってきた答えは同じだった。
誰もユイトの失踪など知らない。
まるで最初から存在しなかった話のように。
(じゃあ、私が覚えていることは何なんだろう)
そう、考えていると、窓が叩かれた。
ベランダに出てみるとカイだった。
「やぁ、」
「やぁ、じゃないでしょ。こないだも思ったけど、ここ屋敷の二階だよ?」
「あぁ、二階だ。ちなみにどうやって来たと思う?」
「壁から出てる部分を足場にして」
「あっ、そうかそっちからも行けたんだ」
「答えを知りたいかい?」
「まあ、答えを教えたげる。そこの木を使って上がって来た。」
(…)
カイが指をさしたのは。庭にある一本の木だった。その木は良くミア達とお茶をしたり遊んだ場所だった。 木の向こう側には湖も見える。
だがその木のベランダに通じる枝は細すぎて乗れないはず。
「そんな、変な目をしないでよ。」
「まあ、いいか。」
「俺は新たな情報が手に入ったんだ。」
「いつものカフェで待ってるよ。お昼ね。」
と言うと颯爽ときえていった。
その時。
部屋にノック音が鳴り。
少しビックとなったが。
「玲様。ユイト様がお見えになりました」
気持ちを切り替える為に私は小さく息を吐いてから、部屋を後にした。
応接室へ行くと、そこには既に鴻と彼の姿があった。
「来たか」
と鴻が短く言う。
ユイトは玲へ軽く会釈をした。
昨日と変わらない穏やかな笑み。
だが私には、その笑みがどこか空虚な感じがした。
席に着くと、鴻が口を開いた。
「今日は聞きたいことがあったから呼んだ。」
「さて、一つ聞きたい」
その視線がユイトへと向く。
「急に婚約者候補から正式な婚約になった理由を、お前は知っているのか?」
ユイトは少し考えるような素振りを見せたがその後、首を横に振った。
「申し訳ありません。私にも分かりません」
「そうか」
鴻はそれ以上追及しなかった。
部屋には短い沈黙が落ちる。
私はその間も、気づかれないように彼をこっそり、観察をしていた。
話し方も。
表情も。
仕草も。
特におかしなところはない。
それなのに。
やはり懐かしさは感じなかった。
昨日と同じく再会できて嬉しいという感情も湧いてこない。
むしろ胸の奥に小さな棘が刺さったままのようだった。
しばらくしてから。
鴻が立ち上がる。
「すまない。急用が入った」
そう言うと玲へ視線を向けた。
「玲。悪いが、少し相手をしてやってくれ」
「分かった」
私が頷くと、鴻は背を向けながら軽く手を降ってから部屋を後にした。
部屋に残されたのは私とユイトだけ。
気まずい沈黙が流れる。
やがてユイトが口を開いた。
「せっかくですし、少し庭を歩きませんか?」
私は了承し、二人で庭へと出た。
穏やかな風が吹いていた。
花々が揺れ、木々の葉がささやくような音を立てていた。
二人で並んで歩きながら簡単に言葉を交わす。
だが会話はどこかしら噛み合わなかった。
ユイトの話には聞き覚えがない。
逆に玲が覚えていることを話しても、ユイトは首を傾げる。
まるで同じ過去を共有していないようだった。
(やっぱり……私がおかしいのかな)
そんな考えが頭をよぎった時だった。
ユイトが不意に足を止める。
視線の先には一本の大きな木がある。
私も足を止めた。
その瞬間。
頭の奥で何かが揺れた。
眩しい木漏れ日。
遊んでいる。
それを見守っている誰か。
だが次の瞬間には霧に飲まれるように消えてしまう。
「……っ」
玲は小さく眉を寄せた。
何だったんだろう。
思い出せそうで思い出せない。
掴めそうで掴めない。
そんな感覚だけが残った。
ふと視線を上げると。
ユイトは木を見上げていた。
昨日までとは違う。
その横顔には確かに感情があるように見えた。
穏やかな感じでも。
懐かしむような。
何かを失った人のような。
そんな表情をしていた。
「どうしたんですか?」
と玲が聞いた。
するとユイトは、はっとしたように瞬きをした。
そして何事もなかったかのように元に戻り微笑む。
「いえ」
少しだけ首を傾げた。
「ですが、なぜでしょうか。気付けば眺めていました」
「何か思い出す事でもあったんですか?」
「いいえ」
ユイトは静かに首を振った。
「来た記憶などないはずだったのですが」
そう言って笑う。
だがその笑みはさっきまで、木を見つめていた時とは何かが違っていた。
昨日と同じ。
どこか感情の見えない笑み。
私は変な思い、感情になる。
あの一瞬だけ見えた表情は何だったんだろうか。
そして。
本当に、この人は彼なのだろうか。
私は答えの出ない思いを抱えたまま、木を見上げる彼を見ていた。
遅くなってしまいすみません。次の日になってしまいました。よい日をお過ごし下さい。




