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二つの仮面

私は静かに会場を歩く。

楽団の旋律。 笑い声。 硝子の触れ合う澄んだ音。

華やかで少し賑やかな空間の中で、私はできる限り、自然に人の輪へ入り込みながら情報を聞き、それを拾っていく。


「知ってます?最近、騎士団の動きが妙なんだそうですよ」 「えぇ、聞きました。夜の巡回が増えたとか」 「聖女様関連では?」


言葉を選びながら。

聞き役に回り。

必要な情報だけを静かに頭の中で繋げていく。


その時だった。

――ぞくり。

背筋を冷たいものが撫でた。

私は反射的に振り返った。


(……っ)


鋭い視線、刺すような。

そんな冷たい視線を、一瞬だけ感じた。


だが。

振り返った先には、談笑する貴族達しかいない。

誰もこちらなど見てはいなかった。


「……」


私は僅かに眉を寄せる。

気のせいか? いや。


(……違う)


何かがおかしかった。

確かに感じたんだ。 視線を。


だが、その違和感の正体を掴めない。

すると近くの婦人が不思議そうに声を掛けてきた。


「どうかなさいました?」


私はすぐに表情を戻す。


「いえ、何でもありません」


柔らかく微笑む。


だが、頭の隅では気になる。

笑えてるか。


「そう。」


婦人は安心したように笑った。

私は軽く会釈してから。


「少し失礼しますね」


そう言って、その場を離れた。

人の流れを抜けながらも、私は無意識に周囲へと視線を巡らせた。


だが、やはり何も見つからない。

残るのは妙な胸騒ぎだけだった。


そして。

別の場所へ移動したところで、一人の男性が声を掛けてきた。


「失礼」


私が視線を向ける。

金の装飾が施された仮面。 整えられた礼服。 でも、どこか軽薄そうな笑み。


男は私へ軽く頭を下げた。


「もしよければ、あちらで少しご一緒しませんか?」


男が示した先には、数人の貴族の青年達がいた。


「皆、貴女と話してみたいようで」


「……私と?」


「えぇ」


男は少し笑う。


「入って来られた瞬間、綺麗な方だなと思いまして」


周囲の男性達もこちらを気にしているのが見えた。

私は少し考える。


(……他の視点の話も聞けるかもしれない)


女性達の会話だけでは偏る。

男性側の考え。 貴族達の空気。 噂。見え方。

それを知る機会でもあるな。


私は静かに頷いた。


「少しだけなら」


「ありがとうございます。ではこちらへ」


男は嬉しそうに笑った。


私はその輪へ加わる。


最初は他愛のない話だった。

音楽。 舞踏会。 王都の流行。

だが次第に、話題は噂へと変わっていく。


「そういえば知ってるか?」


一人の男が酒を揺らしながら言った。


「最近話題の、“玲 ソラノ ホープ”」


その名前に。

私の指先が、ほんの僅かに止まる。

だが表情は崩さない。


「あぁ、知ってる知ってるよ」


別の男が笑う。


「あいつ、近くにいると思うだけでゾッとするわ」


「分かる」


「家族も可哀想だよなぁ。使用人まで酷い目に遭ってるって噂なんだぜ?」


「俺が身内なら耐えられないな。逃げ出したい」


笑い混じりの声。

軽い調子。


まるで、どこか遠い誰かの話をするみたいに。

私は静かにグラスを持ったまま聞いていた。


誰も気付かない。

目の前にいる少女こそが、その“玲ソラノホープ”本人だとは。


その時。

別の男が思い出したように口を開く。


「そういや、特徴知ってるか?」


「特徴?」


「あぁ」


男は声を潜める。


「オッドアイらしいぞ」


それを聞いた一瞬、空気が変わった。


「何だって?」


「オッドアイ?」


「マジかよ」


驚きと嫌悪が混じった声。


そして。


「ますます不気味で恐ろしいな」


誰かが吐き捨てるように言った。


「この国じゃオッドアイは悪魔の印だろ」


「生きていちゃいけない存在って昔から言われているしな」


「なんでそんな奴がいるんだ?」


「気味が悪い」


私は黙って聞いていた。

その時一瞬、笑顔の筋肉が引き攣る感覚がした。

今、自分が上手く笑えているかも分からない


だが仮面の下の表情は崩れない。

微笑みすら消えていない。


けれど。

胸の奥が、確かに静かに冷気にあてられたようにスゥと冷えていく。


(……あぁ)


そうか。

原作が戻ろうとしている。

世界が。 流れが。


“玲は悪役令嬢でなければならない”と、そう修正しようとしている。


だから周囲も変わっていく。

嫌悪。 恐怖。 拒絶。

本来の“玲”へ戻そうとするみたいに。


あぁ…。分かっていたんだ。だが実際に目の当たりにして聞くと何だろ… 


(……感情を上手く表せないや)



(…嫌だな)


心の奥で、小さく思う。


まるで。

人から遠ざかっていくみたいだった。

今まで身近にあったものが。


手を伸ばしても。


掴もうとしても。


少しずつ。 少しずつ。


世界の向こう側へ離されていくような、一歩また一歩と離れていくような。

そんな感覚だけが、胸の隙間に静かな重みが残った。


その時だった。


――コツ、……コツ。


静かな足音が響いた。


楽団の音の合間を縫うように。 ゆっくりと、階段を降りてくる音。


一人。 また一人と会話が止まっていく。


そして。


まるで引き寄せられるように、会場中の視線が同じ方向へ向いた。


私も視線を上げる。


大階段。


そこに、一人の少女が立っていた。


会場の光を受け所々、淡い色に見える金色の髪。 白を基調としたドレス。 柔らかな灯りを纏った姿は、まるで月光が人の形を取ったみたいだった。


聖女。


その存在を認識した瞬間、空気が変わる。


さっきまでのざわめきが一瞬で吸い込まれるように静まり。 誰もが無意識に息を呑んだ。


彼女は仮面をつけていなかった。


当然だった。


それは。

“聖女は誰から見ても聖女でなければならない”。


その存在を隠すことなど許されないこと。


なんたって、明日への光の道なのだから。


少女はゆっくりと一段ずつ階段を降りてくる。


ふわり。 ふんわりと。


まるで床を歩いていないみたいに中に浮いているみたいな軽い足取り。


微笑みも柔らかい。


誰が見ても、美しいと、明るいと思うのだろう。


誰が見ても、清らかだと思うのだろう。


……なのに。


(…なんだろう)


私は静かにその姿を見る。


神々しく眩しい。


確かにそうだ。


けれど同時に、妙な上手く言葉に出来ない違和感があった。


まるで。


“聖女”という役を完璧に演じるために、それようの仮面を被っているみたいな。


笑顔も。 仕草も。 空気も。


綺麗すぎて。


整いすぎている。


本物なのに、本物ではないような。


まるで何かを覆い隠すような。


そんな不思議で奇妙な感覚。


私はなぜか、無意識に指先に力が入る。


すると近くの男達が小声で囁いた。


「聖女様だ……」


「やはり、美しいな」


「まるで天使のごとく神々しい」


称賛の声。


憧れの視線。


会場中が、一瞬で聖女へと色が塗り替わっていく。


私はその光景を静かに見つめていた。


まるで舞台を見ているみたい、とふと思う。


皆が聖女を見て。 皆が聖女を信じて。 皆が思い。“そうあるべき姿”を求めている。


そして聖女もまた。


その期待へ応えるように、完璧な微笑みを浮かべながら一歩また一歩と歩いていた。

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