仮面舞踏会本番
馬車は静かに夜道を進んでいく。
窓の外では、王都の灯りがゆっくりと流れていた。
橙色の光が硝子越しに揺れて、時折、玲の仮面を淡く照らす。
車内には小さく車輪の音だけが響いていた。
玲の向かい側に座る鴻は、腕を組んだまま目を閉じている。
だが完全には気を抜いていない様子。
僅かな揺れにも反応できるような、そんな空気がどことなくあった。
やがて。
「……着いたな」
低い声。
馬車がゆっくりと停止する。
外からは、遠く楽団の音色が聞こえていた。
笑い声。 グラスの触れ合う音。
夜もあいまって音は響いていた。
夜の華やぎが、扉一枚向こうに広がっている。
御者が扉へ近づく気配。
その前に。
「玲」
鴻が静かに口を開いた。
玲が顔を上げる。
鴻は片手に仮面を手にしたまま、こちらを見る。
「もう一度だけ確認する」
その声音は低い。
まるで護衛みたいな感じの声だった。
「一つ。酒は飲むな」
「..分かってる」
「二つ。危険な事はしない」
「…」
「お前は時々、妙な方向へ躊躇がない」
即答だった。
玲は少しだけ眉を寄せる。
だが鴻はそのまま続けた。
「三つ」
そこで僅かに目を細める。
「必ず、俺の視界にいろ」
空気が少し変わる。
玲は瞬きをした。
「…そんなに危ない場所?」
「今日は仮面舞踏会だ」
そう言って鴻は静かに片手に持っていた仮面を付ける。
黒を基調にした仮面。
端へ淡い青が溶けるように混ざっている。
控えめな端の金の装飾が、灯りを受けて鈍く光った。
「顔が見えないと、人は気や態度が大きくなる」
低い声。
「貴族も同じだ」
「……」
「今日は“大物”も来る。面倒事は避けたい」
玲は少し黙る。
それから小さく息を吐いて答えた。
「…努力する」
「努力じゃ困るんだ」
即座に返される。
玲は思わず小さく笑った。
その瞬間。
コンコン、と扉が叩かれる。
「到着いたしました」
外から声が響く。
鴻が先に降り、玲へ手を差し出した。
馬車の扉が開く。
夜風が流れ込んだ。
同時に、王宮の光が視界へ広がる。
コツリ。
低めのヒールが石畳を鳴らす。
その瞬間。
扉を開けた侍従が、一瞬だけ息を呑んだ。
深青のドレス。
夜を閉じ込めたような色彩。
白銀の仮面の奥で、深い青の瞳だけが静かに光を宿している。片目は髪がかかっていて見えない。
だが、流石は王宮の人間だった。
すぐに表情を戻し、恭しく頭を下げる。
玲は小さく息をふぅ。吐く。
そして仮面の位置を僅かに直した。
隣へ視線を向ける。
そこで初めて、鴻の姿をちゃんと見る。
黒を基調にした少し、落ち着いた雰囲気のする衣装。
裾へ淡い青と紫のグラデーション。
靴は黒いのに、光を反射すると銀にも見える不思議な色合いだった。
青い髪によく似合う。
玲は思わず数秒、じっと見てしまう。
すると。
「……何かついているか?」
低い声。
玲はその声ではっとする。
「いや、何にも」
「そうか」
鴻は特に気にした様子もない。
私は小さく視線を逸らした。
ここへ来るまで舞踏会の事ばかり考えていたから、鴻を見ていなかったそれに格好も、まともに見ていなかったのだった。
やがて二人は会場の入口へ辿り着く。
「招待状を」
玲が封筒を差し出す。その隣で鴻も差し出す。
確認を終えた門番が静かに頭を下げた。
「――では、今宵の夜をお楽しみ下さい」
ギィ……
と小さめの音を立て重厚な扉がゆっくりと開く。
中には、柔らかな金灯りが広がっていた。
豪華なのに、どこか静かで落ち着いていた。
夜に溶け込むような空間。
仮面を付けた貴族達が、音楽に合わせ優雅に談笑している。
誰が誰かは分かりにくい。
けれど。
(……何人か、分かる)
以前、ミアと参加したパーティー。
その時に見た仕草。
癖。
立ち方。
目の色。
完全には隠しきれない。
玲達が姿を現した瞬間。
周囲が僅かにざわめいた。
「誰だ……?」
「綺麗……」
「隣の方も素敵ね」
「まぁ、かっこいい」
「話してみたいわ」
声が小さく広がる。
だが玲は特に反応しない。
ただ静かに会場を見渡していた。
その時。
ふと、思う。
今日は仮面がある。
だから誰も、“悪役令嬢”として私を見ない。
では。
もし仮面が無かったら?
町の人々のように、怯えた目を向けるのか。
陰で囁くのか。
それとも――
「……」
玲は静かに目を伏せた。
考えるのをやめよう。
今日は、その為に来たわけじゃない。
――情報収集。
まずは、それを優先するべきだったな。




