待ち合わせ
ややこしいですが65話の続きです。
私は、しばらくその場から動けなかった。
夕陽が沈む。 石畳の赤が、少しずつ黒に飲まれていく。
カイの姿は、いつの間にか消えていた。
残ったのは、 胸の奥に沈んだ、ひどく重たい感覚だけ。
(……何やってるんだろ)
とぼんやりと思う。
足が動く。 どこへ向かっているのかも、ちゃんと考えていない。
ただ、ただ歩いていた。
街は夕暮れから夜へ変わり始めていた。 屋台の灯り。 笑い声。 遠くで鳴る楽器の音。
誰かが生きている音がする。
なのに私の中だけ、 妙に空っぽだった。
(手を組んだ)
あんな男と。
名前しか知らない。 信用もできない。
それなのに。
(……断れなかった)
何でだろう?
頭の奥が鈍く痛む。
“世界が認識を歪めている”
その言葉が、ずっと離れなかった。
まるで。 自分の中にあった違和感へ、 直接触れられたみたいな感じだった。
私はふと立ち止まる。
店の窓ガラスに、 自分の姿が映っていた。
深い青の瞳。片目を隠す少し長めの髪型。 自分で思うのも何だけど整った顔立ち。悪役令嬢。
けれど。
(……私、何なんだろ)
ふと、 そんな考えが浮かぶ。
この世界で、 自分だけが浮いている感覚する。
まるで別の生き物。
自分の記憶。 原作。 ミア。 世界の歪み。
何が本当なのか、 もうよく分からない。
私は小さく息を吐くと、 再び歩き出した。
屋敷へ戻った頃には、 夜も深くなっていた。
廊下は静かだった。
使用人たちも、 必要以上に声を出さない。
私は部屋へ入ると、 そのまま椅子へ腰を落とした。
沈黙。
やがて。
「……はぁ」
小さく息が漏れる。
そこでようやく、 頭が冷えてきた。
(いや待って)
私は片手で自分の額を押さえる。
(私、何で了承したの)
今さらだった。
怪しい。 どう考えても怪しい。
突然現れた男。 妙に世界の事情を知っている。 しかも、 “原作”という言葉まで口にした。
危険人物以外の何者でもない。
(普通に駄目だろ)
冷静になればなるほど、 自分の判断が終わっている気がする。
私は机へ突っ伏した。
「……あぁ……」
(やらかしたな)
低い声が漏れる。
けれど。
否定しきれなかった。
カイの言葉は、 確かに核心を突いていたから。
自分だけが感じていた違和感。
ミアを忘れた世界。
聖女だけが知っている理由。
そして、 この世界そのものが、 何かを“隠そうとしている”感覚。
一人では、 辿り着けない。
そんな予感があった。
それにミアのことを覚えている。
世界の歪みを理解している。
それだけで。
自分だけじゃなかったと思ってしまった。
私はゆっくりと顔を上げる。
窓の外は真っ暗だった。
夜風がカーテンを小さく揺らしていた。
「……最悪だったら、まぁ、その時考えればいいか」
小さく呟く。
投げやりみたいな声だった。
五日後。
王都の中央広場。
噴水の周囲には人が集まり、 昼前だというのに賑やかだった。
私は人混みの端に立ちながら、 軽く帽子の位置を直す。
今日は少しだけ変装をしてきた。
魔法で色を変えた茶髪。 普段より地味な服装。
貴族の令嬢には見えないように。
……少なくとも、 本人はそのつもりだった。
「いや普通に目立つな」
突然、横から声が落ちる。
私は振り向く。
そこには、 黒い外套姿の男。
カイがいた。
(いつの間にいたんだ)
相変わらず、 人を食ったみたいな笑みを浮かべている。
「……いたの」
「いたよ。さっきから」
「気づかなかった」
「それはお前が考え込みすぎ」
カイは肩を竦める。
それから、 私の髪を見て笑った。
「茶髪か」
「変?」
「いや」 カイは目を少し細め、言う。
「案外似合う」
私は無言で視線を逸らした。
何となく、 調子を狂わされる。
「とりあえず立ち話も何だし」
カイは顎で通りを示す。
「入るか」
視線の先には、 小さなカフェがあった。
店内は静かだった。
昼前だからか、 客は少ない。
窓際の席へ座ると、 店員が水を置いて去っていく。
しばらく沈黙後。
先に口を開いたのはカイだった。
「改めて自己紹介」 軽く手を上げる。
「カイ。職業は秘密」
「胡散臭い」
「知ってる」
即答だった。
「次は君の番だ。」
私は小さくため息をつく。
「……玲」
「それは知ってる」
「じゃあ聞くな」
「冷たいなぁ」
カイは笑う。
その軽さは相変わらずだった。
でも前より少しだけ、 空気に慣れた気がした。
「で?」 私はコップの水へ口をつけながら言う。
「これからどうするの」
カイの目が細くなる。
空気が少しだけ変わった。
「まず確認したいことがある」
「聖女について?」
「あぁ。それと」
カイは指先で机を軽く叩く。
「“世界の修正”について」
私の眉が僅かに動く。
「修正?」
「お前も感じただろ」 カイは静かに言う。
「世界が無理やり辻褄合わせしてくる感じ」
私は黙る。
否定できない。
ミアの存在が消された時、 確かにそんな感覚があった。
「たぶんこの世界は」 カイは止めず、続ける。
「原作から外れたものを、消すか、歪める」
「……それに実際、消えた奴を見たことがある」
(え…)
店の窓から、 外の光が差し込む。
人々の笑い声が遠くからも聞こえた。
なのに。
この席だけ、 別の世界みたいに静かな雰囲気だった。
私はゆっくり目を細める。
「……じゃあ、原作を壊したらどうなるの」
カイは少しだけ笑う。
でもその笑みは、 今までよりずっと薄かった。
「そこを調べるのが」 低い声。
「俺たちの目的だよ」




