空っぽなまま
その日、私は屋敷を出た。
誰にも告げずに。
理由は、自分でもよく分からなかった。
壊すと決めた。
この世界を。
“原作”を。
なのに。
何をすればいいのか分からない。
誰を変えればいいのか。
どこまで壊せばいいのか。
そもそも私は、本当に壊したいのかすら曖昧だった。
ただ、あのまま屋敷にいると駄目になる気がした。
それに、屋敷の空気が少し苦しくて。
部屋にいると、息が詰まりそうで。
だから外へ出た。
風に当たりたかった。
少しでも、頭の中の靄が晴れる気がして。
けれど実際は、何も変わらなかった。
空っぽのまま、私は歩いていた。理由は、自分でもよく分からなかった。
壊すと決意したのにどうすれば良いのか分からなくなった。
風に当たれば、何か変わる気がしたのかもしれない。
……いや。
たぶん、何も考えていなかった。
(思考停止状態)
町は静かだった。
人の声がする。
笑い声もある。
馬車の音。
露店の呼び込み。
なのに全部、全部、遠かった。
薄い膜を一枚隔てた向こう側みたいに。
私だけ、そこに混ざれていない。
歩くたび、人の流れが不自然に避けていく。
視線が刺さった。
言葉も聞こえてきた。
オッドアイ。
異物。
悪役令嬢。
その視線や言葉を受けても、何も思わない。
……思えない。
怖いとか。
悲しいとか。
腹が立つとか。
そういう感情が、うまく浮かばなかった。
空っぽのまま歩いてる感覚だけがあった。
私は歩きながら考える。
(原作では)
この辺りで、露店の菓子屋が騒いでいた。
子供が盗みをして。 玲はそれを見ても通り過ぎる。
理由は簡単。
“悪役令嬢だから”。
優しさを見せる必要がない。
……いや。
見せてはいけない。
世界が、それを望まない。
私は立ち止まる。
路地裏から、鈍い音がした。
「っ……!」
子供の声。
殴打音。
短い悲鳴。
私の視線が、そちらへ向く。
(……違う)
原作と少しだけ違う。
でも。
似ている。
“弱い者が踏み潰される場面”。
私は一歩だけ進む。
けど、すぐ止まる。
──
(通り過ぎればいい)
そう。
原作通りに。
何もしない。
私は視線を前へ戻す。
歩こうとした。
――けれど。
気づけば。
足は、路地裏へ向かっていた。
「……え」
自分で、自分が分からない。
私は別に、助けたいわけじゃない。
でも。
見捨てる理由も、思いつかなかった。
男が怒鳴っている。その怒鳴り声は耳をつんざいた。
「だから逆らうなって言ってんだろ!」
小さな少年の髪を掴み、 無理やり引き上げる。
細い腕。 痩せた身体。
殴られるたび、 少年の肩が小さく跳ねる。
私は、その光景を見ていた。
感情は、ない。
怒りも。 焦りも。
ただ。
胸の奥に、ひどく嫌な感覚だけが残る。
(……ミアなら)
そこで思考が止まる。
ミアなら。
きっと。
飛び出していた。
私の口が、少しだけ動いた。
「……やめなさい」
男が振り返る。
「あ?」
私を見た瞬間。 男の顔が歪む。
嫌悪。
恐怖。
そして安心。
“叩いていい存在を見つけた”顔。
「無表情かよ……気味悪ぃ」
周囲の視線も集まる。
ざわざわと。
「悪魔……」 「何でここに」 「子供に近づくな」
私は瞬きをした。
──
(助けようとしてるんだけどな)
そう思った。
少しだけ、なぜかおかしかった。
だから笑おうとした。
ふと、昔はどうやって笑っていたんだっけ、と考える。
口角を上げればよかったか。
でも、うまく動かない。
引きつった頬だけが、変に熱かった。
男が顔をしかめた。
「っ、なんだその顔!」
拳が振り上がる。
私は、それを見る。
ゆっくり。
よく見えた。
(拳ってこんなにゆっくりなんだ)
攻撃は逸れる。 当たらない。
でも今は違う。
“原作に近づいている”。
だから分かる。
(当たる)
直感でそう思った。
私は避けなかった。
拳が迫る。
鼻先。
あと数センチ。
その瞬間。
私の手が動いた。
ぱしっ。
乾いた音。
男の拳が止まる。
私の指は細いが、 男の手首を掴んでいた。
「……は?」
男が固まる。
私は首を傾げる。
「重いな」
次の瞬間。
ぐり、と。
私の指が、 男の手首を内側へ捻る。
「っ、ぁ!?」
関節が軋む音。
男の膝が地面に着く。
私はそのまま、 男の腕を引いた。
前へ。
引っ張る。
勢いのまま。
男の身体が前のめりになる。
そこへ。
私の足が、男の踵を払った。
ガッ。
重心が消える。
男の目が見開かれる。
「え」
次の瞬間。
――ドゴォッ!!
石畳に、背中から叩きつけられた。
空気が潰れる音。
男の口から変な声が漏れる。
私はまだ、 男の手首を離していなかった。
無表情ままで。
じっと見下ろす。
男が震える。
「い、っ……!」
私は男の腕を少し持ち上げる。
ぶらん。
不自然に揺れた。
「……(あれ?)折れてる」
確認するみたいに呟く。
周囲が静まり返る。
私は男を見る。
そして。
「ごめん」
とても普通に言った。
「そこまで脆いと思わなかった」
空気が凍った。
男の顔が引きつる。
町人たちが一歩下がる。
「悪魔……」 「やっぱり……」 「化け物……!」
私が視線を町の人へ向けると。
皆、怯えていた。
助けたのに。
まるで私の方が、 子供を傷つけたみたいに。
少年ですら、 私を見て固まっている。
その時。
「どうされましたか?」
柔らかな声。
人混みが割れる。
白い服。
金色の髪。
光が差し込んだみたいに、 空気が変わった。
聖女さん。
現れた瞬間。
町人たちの顔が明るくなる。
(私の時と大違い)
「あぁ、聖女様!」 「助けてください!」 「悪魔が子供を……!」
私は思う。
(……便利)
何も見ていないのに。
登場しただけで、 “正義”になる。
聖女は困ったように眉を下げ、 少年へ手を伸ばした。
「おいで、坊や。怖かったのでしょう?」
町人たちが安心した顔をする。
誰もが、 少年が聖女へ駆け寄ると思った。
けれど。
少年は。
代わる代わる。
聖女を見て。
私を見て。
(?)
それから。
怯えるように、 町人たちの方へ走っていった。
空気が、一瞬固まった。
「あ……」 「え?」
聖女の方に視線を向けると笑みが、 ほんの僅かだけ固まっていた。
でも次の瞬間には、 何事もなかったように微笑む。
「あらあら」
優しい声。
完璧みたいな声
(凄いな。)
「怖かったのですね」
町人たちは勝手に納得する。
「あぁ、聖女様は優しいな……」 「やっぱり本物だ……」
私は、その光景をぼんやり見ていた。
変だ。
すごく。
変だ。
と思っていると。
聖女が、私を見る。
そして。
「玲様?」
私の瞳が、僅かに揺れた。
(何でハテナ?)
「何でこんな場所にいるんです?」
柔らかな声。
けれど。
その次の言葉で。
私の思考が止まる。
「ミア様の所へ帰られては?」
静寂。
私の呼吸が、一瞬、止まった気がした。
町人たちは反応しない。
誰も。
“ミア”に引っかからない。
まるで、 聞こえていないみたいに。
私だけが。
その名前に、反応した。
聖女は微笑む。
何も知らない顔で。
「では、さようなら」
白い裾が揺れる。
去っていく。
私は動けなかった。
(……なんで)
屋敷の人間は忘れていた。
シオですら、 名前を認識できなかった。
なのに。
(なんで、彼女は知ってるの)
背筋が冷える。
世界が、 少しだけズレる音がした。
私は考えながらゆっくり歩き出す。
ミア。 聖女。 原作。 記憶。
全部が、 少しずつ噛み合わない。
それから約数分後。
「……ようやく一人になったか」
少し、低めの洒落た男の声。
(ん?誰?)
私は顔を上げる。
道のど真ん中。
そこに、 黒い外套を羽織った男が立っていた。
(真っ黒だ)
知らない顔。
……なのに。
私の背筋が、 ぞわり、と粟立つ。
まるで、前から私を知っていたみたいに。
そして。
男は笑いつつ、微笑みながら言う。
「なぁ、俺と手を組まないか?」
思ったより、だすのが深夜になってしまいすみません。
それと夜に最終確認と修正をやっていたので、変な所や話なんか噛み合ってないとか、ん?と思う所があったら、遠慮なく教えて下さい。




