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「この際何で勝負を受けたのかは聞かないけど。こっちの条件おかしくないか? スピカに付きまとわれて迷惑してたのは華であって俺じゃないんだからさ」
「……」
「俺達が勝ってスピカが俺に近寄らなくなっても、華に付きまとうのはきっと止めないよ? それで良いのか?」
「……」
華は頑なに喋ろうとしない。
部屋に戻ってテーブルに座った二人は先程のやりとりを振り返っていたのだが、おかしな点を秤が追及する度にこんな調子で華が黙りを決め込むのだ。
スピカのことを華が嫌いになりきれていないことは秤にも分かっている。
だがそれならそれでもっと別の条件を提示すれば良かった。
過剰なスキンシップが嫌なら、直接触れることを禁止するとか。
少なくとも、秤限定で近寄らせないようにしても華には何のメリットもない。
一応秤には華のことで色々言われなくなるというメリットがあるが、負けた場合の条件を考えると彼女の望みを最優先にするのは必然だ。
「華?」
「……」
心なしか華の表情は曇っているようにも見える。
机上に視線を落とすばかりで一向に目も合わせてくれない。
秤は次第に罪悪感に苛まれ始めた。
(会話が成立しなくなっちゃったぞ。この前風呂場で話したときはあれだけ流暢に話せたのに……、)
風呂場で話したときの状況を思い出す。
「華、ちょっと良いかな。黒テントの中に入ってくれない? で、そのまま俺の話を聞いて欲しいんだけど」
「……分かった」
聞きようによっては邪魔だから追いやるようなニュアンスにも受け取れる発言。
勿論秤にそんな意図はない。
華は特に気にすることなく受け入れてくれた。
黒テントの中に入った華から「どうぞ」と合図があり、早速会話を再開する。
「えっと……さっきの話。本当にあの条件で良いのか? 勝てば俺は退学することもないし華ともパートナーでいられるんだから、華のためになる条件の方が良いと思うんだ。華が言えば今からでも条件の変更はできると思うし」
「そんなにあの子が気に入ったの」
「何故そうなる!?」
予想外の質問を返されて秤の動揺はピークに達した。
「あの子を追っていった。私を置いて」
「そ、それは……あの子を突き放したこと、少し後悔してたみたいだからさ。このままにしておけないと思って」
「本当にそれだけ」
「それだけだよ。まあ女の子としてスピカは可愛いと思うけど……そんなに単純じゃないって。容姿だけで好きになるなら……少なくとも四人に恋してる計算になっちゃうぞ」
「…………………………そう」
何だかこのまま話が終わってしまいそうだったので、秤は慌てて話を戻した。まだ質問に答えて貰っていない。
「俺がした質問の答えは?」
「秤先輩に近寄ってほしくない。正真正銘、これが私の望み」
「……そっか。分かった」
ここまで言われては納得せざるを得ない。
華は嫉妬していたのだ。
それが恋愛感情から来るものなのかと考えると流石に疑わしいが、気にかけられていた事実だけで秤にとっては充分過ぎる。
「じゃあ、ここからは明後日のレースに向けて話し合いをしたい。とりあえず、今俺の中で一番不透明なのが風夢の改造なんだけど。調子はどう?」
「順調。明日の朝には終わる」
「本当か! それなら明日は練習できそうだな」
ワクワクが止まらない。
クリスマスイブの夜、或いは誕生日プレゼントの包装を開ける直前のような、そんな子供じみた高揚感が秤を包み込んでいる。
「私からも、いい」
「うん」
「どんな手段を使ってでも、勝つ気はある」
「勿論だ」
退学だけでなく、華そのものまでが賭けの対象となってしまった以上、正々堂々なんて言っていられる状況じゃない。
勝つためなら反則ギリギリの行為も辞さない覚悟はある。
「なら、スタート直前にやってもらいたいことが――」
「……んー、それはちょっと気が引けるな。反則ではないんだろうけど、良心が痛むというか何というか……特に、楓達には世話にもなってるし」
「やり方は先輩に任せる」
どんな手段でも、と前置きされていたのは、彼女自身もこの作戦には抵抗があるということだ。
それでも尚勝つための策を講じてくれた華の気持ちは無駄にしたくない。
「考えてみるよ。後、最後にこれだけは聞かせてほしい」
「何」
「仮にスピカのパートナーになったとして……どうするんだ?」
「始まる前から負けることを考えるのは」
「負けることを考えてるんじゃない。華がスピカをパートナーにしたときのことを考えてるだけだよ」
「……パートナーとしての仕事はする。けど口は一切きかない。ご飯も一緒に食べない」
「ははっ。それはきついな」
華が淡々と述べた内容を今の生活に当てはめてみれば、それがどれだけ息苦しいか想像が付くだろう。
大事なのは大切な人が身近に居ることじゃない。
心の距離だ。
そんな状況になれば、スピカも自分の態度を改めざるを得まい。
安心した秤はどさくさに紛れてこんなお願いをしてみた。
「風夢がどんな風になってるのか、ちょっとだけ見せてくれない?」
すると華は亀のようにニョキッと顔だけ出し、「明日見せる」とだけ言って再び黒テントに首を引っ込めた。
続けて中から、
「明日の朝まで、この中は決して見ては駄目」
鶴の恩返しのような台詞が聞こえてきた。
好奇心に負けまいと、今一度自分に活を入れて自分のスペースに戻る秤。
「……」
秤の視線の先には、モゾモゾと動く黒いテント。
あの中では一体どんな作業が繰り広げられているのだろうか。
本当に機を織っていてもおかしくないくらいの隠密性に少し笑ってしまう。
(ま、気にしても仕方ないか。一晩寝れば分かるんだし。それよりも、華とまともに話す方法が分かったのは収穫だな)
華は面と向かって話すのが苦手なのだ。
良くて一言二言しか話してくれない。
しかし二人の間に障害物を挟むと、まるで魔法のように饒舌になる。
とにかくコミュニケーションを取りたい秤にとってこれは大きな進展だ。
と楽天的に考えられたのは一瞬だけだった。
(もしかしてこれ……パートナーとしてはむしろ後退してる?)




