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天駆ける風夢  作者: 襟端俊一
第五章 私闘
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 翌朝。

 まな板を叩く包丁の音で秤は目を覚ました。

 眠い目を擦って音のする方に向かうと、そこにはとっくに起きて調理をしている華の姿が。


 今までも華が台所に立っている所を見る機会はあったが、どういう訳か中に入るのは許して貰えなかった。

 しかもオープンキッチンに黒い布を垂らして、遠目からも見られないようにする念の入れようである。

 そのため彼女のエプロン姿を見るのはこれが初めてのこと。

 手際よくフライパンを操る華がとても新鮮に映る。


「おはよう」

「!! 見ないでって、言った!」

 包丁片手にジリジリと距離を縮めてくる華。


「ご、ごめん! まさかそんなに怒るとは思わなくて! 起きたばかりで意識ハッキリしてなくて! ……エ、エプロン姿が可愛くて!」

「出て行って」

「……本当にごめん」


 肩を落として台所から退散する。

 その後ろ姿が余程哀愁を漂わせていたのだろう。

 華からこんな一言を頂戴した。


「ありがと」


 とってつけたような褒め言葉にわざわざ礼を言ってきたのは、「そこまで怒ってない」という彼女なりのアピールだ。

 少しずつ、ほんの少しずつではあるが前進していることに満足し、秤は今度こそ台所を後にした。


 その後は、体重を量ってから一緒に朝食を取った。

 白米に味噌汁、アジの開きという実にシンプルなメニューでとても嬉しかったが、先程忙しなくフライパンを振るっていた料理は何だったのだろうか。


「空で特訓!?」

「そう」

「いや、でも……楓の話だと、下手な人は低空飛行から少しずつ慣らしていくって話だったけど? そんな高いところから落ちたらレースどころじゃ」

「私より楓先輩の方が良いなら好きにすればいい」

 そう言って華は颯爽と黒テントの中に引きこもってしまった。


(えー……? 別に楓を可愛いとか言った訳じゃないのに……面ど――いやいや)


 心の中に生まれかけた感情を押し殺し、秤は華のご機嫌を取りつつ食卓に連れ戻した。


「落下の心配はしなくていい。私が見てるから」

「落ちた先にはベッドか。成る程」

「じゃあ出発」

「え、学校は?」

「………………、忘れてた」


 既に制服を着ていながらその台詞は信じられなかったが、華の表情から察するに素で忘れていたらしい。

 それだけ明後日のレースに向けて真剣に考えてくれているのだ。

 茶化す気なんて起きなかった。


「なら、昼休みに屋上で」

「了解」


 結局風夢は見せて貰えなかったが、ここまで焦らされたのだから昼休みまでの四時間弱くらいは我慢できる。

 頑なに侵入者を拒む黒テントに視線を送り、秤達は登校した。




 四時間目の途中、教室移動を装って屋上へと向かう。

 事前に屋上までの道程は把握しておいたし、女の子を待たせるのは是が非でも避けたかった。

 華はその辺の反応が読みにくいので、せめて先に行って待っておこうと思ったのだ。


「遅い」


 その結果がこれだ。

 何故か華は四時間目がまだ終わっていないにも拘らず屋上にいた。

 風で髪型が乱れまくっていることからも、四時間目より前からここで待っていたのは明白だ。

 華の後ろにある黒布で覆われた塊が恐らく秤の風夢なのだろうが、確かめておきたいことができた。


「華……授業は出た?」

「出てない」

「何時間目から?」

「六日前から」

「む……、むっ――!?」


 華から返ってきた答えは『六日前から』。

 それはつまり、身体測定の前も含めたほぼ一週間ずっと学校をサボっていたということになる。


「六日前……俺の風夢の改造をするために?」

「どんな手段を使ってでも勝ちたい。それは私も同じ」

「……」


 秤は毎朝華が登校するところを見ている。

 演技をしてまで隠されていたことが悲しかった。

 風夢の改造は秤が一緒になって授業をサボったとしても力にはなれないし、競技以外の成績を落とす訳にもいかない。

 だからわざわざ話す必要はないのかもしれないが、パートナーが自分のためにしてくれていることを知らないというのは辛いものがある。


「気持ちは嬉しいけど、今度からはちゃんと言ってほしい」

「……ごめんなさい」

「いや、俺のためにしてくれたんだから謝るようなことじゃ」


 華の素直すぎる謝罪の言葉につい狼狽えてしまう。

 別に責めているつもりはなかったのだが。


「よ、よし。これで益々負けられなくなったな。早速だけど華のサボタージュの成果を見せてくれないか? そのウォーターベッドの上にある黒布の中身がそうなんだよね」

「その前に、腹ごしらえ」

「えっ」


 一瞬にして黒い風呂敷が足下に広げられる。

 その上に置かれたのはお弁当だ。

 みんなでつつくような重箱ではなく、一人用の可愛い弁当箱である。


「もしかして、朝作ってたのは」


 小さく頷く華が可愛くて仕方ない。

 肝心の中身はというと、一口サイズのハンバーグやほうれん草のおひたし、卵焼きにそぼろご飯と、定番をかき集めたようなものだったが、秤の好きなものばかりだったので箸が止まることはなかった。

 早く風夢を見たいのと弁当の美味しさからものの数分で全てを平らげた秤は、すぐに立ち上がって黒布に近付いた。


「今度こそ、見ていい?」

「どうぞ」


 ようやく許しを貰え、華のベッド型風夢に近づき黒布に手を掛ける。

 直後に二人を包み込んだのは、除幕式のような緊張感だった。

 華は純粋に、改造を施した風夢を喜んで貰えるかどうかが気になるのだろう。

 秤はというと、ここに来て別の悩みを抱えていた。


(元がアレだし、どんな風になってても喜べる自信はある。けど……それがわざとらしく映ったら華を傷付けてしまうかも)


 子供の頃であれば、いらない誕生日プレゼントを貰って素直な気持ちを吐露しても許されたが、今回ばかりは勝手が違う。

 言わずもがな、秤は女の子にプレゼントを貰った経験などない。


「と、取るよ?」


 控えめに頷く華の返事を見て、秤は意を決した。

 秤の風夢の全貌を覆い隠している黒布を思い切って引っぺがす。



「カッケー!!」



「……どういう意味」

「ご、ごめん。格好いいって言ったんだ」


 秤の目の前に姿を現した風夢は、見違えるほどに姿形を変えていた。

 辛うじて踏み台部分にかつての体重計の面影があるが、それ以外は全取っ替えといって良い。

 一番注目すべき箇所は型の違いだろう。

 秤のアナログ体重計を見た活生はバイク型と言っていたが、この風夢は恐らくサーフボードのように体を横にして乗るボード型だ。

 以前のように目盛りに抱きついて飛ぶような情けない格好から完全に卒業できる。

 足下には蹴りで押せるようなスイッチが前と後ろに複数付いており、これの用途は分からない。

 ボード型と言ったが、通常のボード型の風夢のように平べったくはない。

 ボブスレーのそりに立って乗るようなイメージだ。

 特にフロントは新幹線の先端車両のように尖っている。

 偶然にもそのフォルムは、秤がスタートダッシュ時にイメージした銃弾に似ていた。

 そして秤自身が一番気になっているのは、踏み台部分に置かれたVRヘッドセットのような端末だ。

 試しに装着して色々弄ってみると、


(これは……消えたはずの目盛り!? いや違う。メーターか! 左下には地図、右上にはタイム表示。何かよく分からないマークもあるけど……完全にレースゲームだこれ。しかもワイヤレスとか。凄ぇ!!)


 ここまで凝っていてただの玩具なんてことはないだろう。

 恐らくこのヘッドセットは風夢と連動する。

 風夢が一気に馴染みやすいゲーム端末へと姿を変えた。

 興奮気味にヘッドセットを外して改めて風夢を見る。

 黒と白で統一された波を打つようなデザインが、秤のテンションを更に盛り上げてくれた。


「本当に文句なしだ。感服しました」

「でも重要なのは見た目じゃない」

「そ、そうだった」


 ただの古ぼけた体重計がまさかの変貌を遂げたので舞い上がってしまったが、一番気にするべきなのは性能が向上しているか否かだ。

 秤は再びヘッドセットを装着し、風夢をベッドから降ろして乗ってみることにした。


「おぉ……前よりも反応が良い気がする。バランスの取り方も全然違うはずなのに、このヘッドセットのお陰か滅茶苦茶安定してるな」



『お褒めにあずかり光栄です。御主人様』



「……、」


 異様なまでにクリアな音声が秤の耳に届いた。

 それが風夢の声だと認識できたのは、華が気まずそうに視線を逸らしているのを見たからだ。


『何か至らないことがありましたら、遠慮なく仰って下さい』

「全然大丈夫、だけど」

『優しい御主人様に仕えられて、わたくしはとても幸せです』

「はは、は」


 アンチエイジングもびっくりの若返りっぷりと風夢の言葉遣いに、秤は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 御主人様というワードを使用する職業は、秤の知りうる限りではメイド喫茶の店員くらいしかない。

 そしてメイド服は基本、黒と白のデザインが多い。


(まさか、この色ってメイドデザインか!? いや、そうとは限らない……よくよく見てみると、チョコレートとミルクのお菓子的なイメージもあるし。それどころか乳牛にも見えてきたぞ)

 改造を施した張本人に無言のプレッシャーを掛けていると、


「何も聞かないで」

「メイド服に憧れてたりとかする? もしくは、島外に売ってる有名なお菓子が恋しくなったとか」

「聞かないで!」

「わ、分かった。というか、別に気にしてないよ。格段に乗りやすくなってるし」


 秤のイメージ通りに風夢が動くのは感動だった。

 前の状態ではジャンプをしても秤の目算より高く飛んでしまったりしていたのだが、今はそんな煩わしさは皆無である。


「秤先輩の身体データに適した改造を施したから」

「ってことは俺が成長したらまた微調整が必要だったり?」

「そのためのパートナー」


 華は誇らしげにそう言ってくれた。

 三日前から華の言われた通りの体重調整メニューをこなしているからか、風夢の乗り心地はすこぶる快適だ。

 このまま空の旅へと洒落込みたいくらいに秤の気持ちは昂ぶっていたが、踏み台に付いているスイッチの謎を解く必要がある。

 秤はゆっくりと華の前に風夢を寄せた。


「このスイッチって何の意味があるんだ? 前と後ろに何かが収納されてたり?」

「一番のスイッチは煙幕。二番は粘着ネット。三番はロー」

「ちょっと待った! そんな機能付けてどうしろと!?」

「明日のレースは妨害もあり。そう聞いたはず」

「そりゃ聞いたけど」


 確かに校長先生は妨害ありと明言していたが、それはあくまでせめぎ合い――進路を阻んだり機体をぶつけたりする程度だと思っていた。


「いくらなんでも、そういうのは反則なんじゃないか?」

「楓先輩もあの子も色んなことをしてくる。秤先輩だけ何の装備も無しで行くの」

「それは……」

「負けてほしくない」

「!」


 華の真っ直ぐな瞳に見つめられて秤は思い直した。

 今更正攻法で挑む必要などない。

 女の子相手に姑息な手段を使って勝っても胸を張って喜べないし、後ろ指をさされるかもしれないが、そんなことは秤が我慢すれば良いだけのこと。

 負けたらアアル島で手に入れた宝物を全て失うのだ。

 悩むこと自体間違っている。


「詳しい説明を頼む。それぞれの機能とヘッドセットの使い方。楓とスピカがやって来そうなことも全部。出し惜しみは無しだ」

「最初からそのつもり」


 開き直った秤に満足したのか、華は少しだけ表情を緩めて応えてくれた。

 それから小一時間、風夢に装備された機能を一つ一つ確認した後、二人は雲の上まで昇って練習を開始した。

 秤の風夢に搭載された機能は全部で七つ。

 一つ目は煙幕。

 これは競争相手が遙か後方にいる場合のみ有効な目眩ましだ。

 二つ目は粘着性のネット。

 非常に細かい編み目になっていて、主に後方へ向けて放つ。

 三つ目は鉤付きロープ。

 これは後ろではなく前方に付いていて、先端から射出できるようになっている。

 攻撃目的ではなく、大きな差を付けられないようにするためのものだ。

 四つ目はイカスミ霧。

 これはちょっとまろやかな目つぶしだ。

 煙幕とは違い、背後に楓達が迫った場合のみに使う。

 五つ目は水鉄砲。

 これは秤が手に持って使用する。水量は限られているが、普通のものより遙かに水圧が強く意外に攻撃力がある。

 元々、市販されているものは風夢用の水鉄砲らしく、更に改良を加えてあるらしい。

 六つ目は切り札。

 出し惜しみは無しと言ったのに、何故かこれだけは教えてくれなかった。

 どうしようもなくなったときにだけ使うことを許可されたのだが、一体どんな装備が搭載されているのだろうか。

 七つ目はパラシュート。

 これはそのまま緊急時に身の安全を守るためのものだ。万が一先生達のサポートが追いつかない場合の、本当に最後の手段。


 以上の一つ目から七つ目までの装備は、足下にある一番から七番のスイッチでそれぞれ発動する。

 これらの機能はヘッドセットを通した視界にマークとして常時表示されており、使用するとマークが薄くなる。

 秤がこれらの機能を全て把握し、ボード型のバランスの取り方に四苦八苦しながらコースの下見までした頃にはすっかり日が暮れていた。

 当然、午後の授業は二人してすっぽかした。

 今まではこんな切迫した状況の中でも真面目に授業を受けていたのだから、今日くらいは許されるはずだ。

 思いの外秤が体力を消耗してしまったため、夕飯は随分とスタミナが付きそうなメニューになった。

 お肉満載だが、これも体重調整の一貫だ。

 レース前の最後の風呂に入る前、秤は華にこう宣言した。


「絶対に勝つ。だから……これからもよろしくな」

「はい」


 恥ずかしさのあまり卒倒しかけたが、何とか伝えることができた。

 これで後は、明日のレースを待つばかりだ。


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