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世界の狭間で君を待つ 〜【すべてを失った私が、隠してきた闇の力で世界に抗う】〜  作者: Sou
ディナシア帝国編

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白の塔

【南下】


 軍用列車は、朝から南へ走り続けていた。


 北へ向かった時と、景色の変わり方が逆だった。白が茶になり、茶が緑になる。窓を細く開けると、湿った風が入ってきた。土と、草と、水の匂い。


 車両は黒翼の五人で貸し切りだ。カラムは新聞を顔に被せて寝ている。アシュは足を組んだまま銃を分解し、ネロは端末を抱えて船を漕いでいた。


「ねえ、リヴィア」


 向かいの席で、リズが窓に頬杖をついたまま言った。


「エルデナって、どんなとこだったの?」


 なんの気なしの質問だった。表彰の記録に「元エルデナの魔導士」と書かれている以上、いつか聞かれる質問でもあった。


 リヴィアは、窓の外を見た。


「……白かった」


「白い?」


「……白かったの」


 それ以上が、出てこなかった。十年、一度も口に出さずに来たものは、いざとなると形にならない。


「ふーん」


 リズはそれきり聞かず、鞄から菓子を出して齧り始めた。追及されなかったことに、少しほっとして、少しだけ、寂しかった。


 窓の外を、名前も知らない南の町が流れていく。線路脇の畑で、誰かが手を止めてこちらを見上げていた。


 目を閉じる。


 ――白かった。


 それは、間違いではなかった。


【聖リナリア孤児院】


 その日、リヴィアは井戸の裏で膝を抱えていた。


 聖リナリア孤児院。エルデナ王国首都の南の郊外。白い漆喰の壁に、蔦の絡んだ古い建物。裏庭には井戸と洗濯場と、痩せた林檎の木が一本だけ生えている。


 十一歳の彼女は、その木の根元が好きだった。ここなら、誰も来ない。


「――リヴィア! リヴィアはどこ!?」


 院長のマーサの、少し慌てた声が響いた。


 行きたくなかった。行かないともっと面倒になることも、この歳でもう知っていた。膝の埃を払って、リヴィアは玄関へ向かった。




 玄関の間には、見慣れない人が二人立っていた。


 一人は背の高い、白髪の混じった女性。深い緑のローブに、銀の縁飾り。もう一人は若い男性で、革の書類鞄を抱えて、しきりに眼鏡を押し上げている。


 女性の胸元で、銀の徽章が光っていた。白い樹と、その枝を囲む六つの星。エルデナの、国の紋。


「あなたが、リヴィア・ノクスさんね」


 女性は屈んで目線を合わせた。


「私はマーガレット。エルデナ王立魔法学院の者です。……六歳の時の、魔力適性検査を覚えているかしら」


 覚えていた。村の集会所に集められて、水晶玉みたいな装置に手を置かされた。あの時、装置の中で何かが弾ける音がして、大人たちが慌てて彼女を部屋から出したのだ。


「あの装置ね、壊れたの」


 マーガレットは、少し可笑しそうに言った。


「五年に一度あるかないかの故障よ。……原因を調べるのに、五年もかかってしまった。あの日、あなたが流し込んだ魔力が、測定域を超えていたの」


 リヴィアは意味がよく分からずに、黙っていた。


「王立学院には『特級課程』があります。国中から選ばれた子たちが、幼い頃から寮で共に暮らして学ぶための課程」


 女性は、まっすぐに彼女を見た。


「――あなたを、そこに迎えたい」


 背後で、マーサ院長が息を詰める音がした。


「学費も、寮費も、食費も、すべて国が持ちます。卒業後の進路も、国が支えます」


 書類鞄の男性が、慌てて分厚い書面を差し出す。マーサの手が震えていた。


「……リヴィア。あんた、すごいことなんだよ、これは」


 リヴィアは書面を見なかった。代わりに、自分の左手を見ていた。


 いつも通りの、何の変哲もない小さな手だ。時々――怖い夢を見た朝に、指先が黒い煙みたいなものを纏っていることがあった。誰にも言ったことはない。


「……なぜ、私なんですか」


 小さな声だった。


「私……うまく喋れません」


 マーガレットは、笑わなかった。


「そう。……それは、これから覚えればいいことね」


「魔法は、覚えられますか」


「――ええ。あなたなら、きっと」


 その夜、リヴィアは荷物をまとめた。小さな鞄ひとつで十分だった。着替えが二枚と、履き古した靴と、それから――胸元の、銀のペンダント。


 物心ついた時から、首にかかっていたもの。院に来た時からずっとあったのだと、マーサは言った。見たこともない紋様が刻まれている。院の誰も、近所の細工師も、その意味を知らなかった。


「持っていきなさいね」


 出発の朝、マーサはリヴィアの襟元を直しながら言った。


「あんたが、どこの誰であっても。それだけは、あんたのものだから」


【白樹の都】


 馬車が丘を越えた時、リヴィアは思わず腰を浮かせた。


 首都エルデナが、眼下に広がっていた。


 白かった。白い石畳。白い壁。緩やかな丘に沿って重なる白い屋根。街のあちこちを澄んだ水路が銀の糸のように走り、水面が朝の光を跳ね返している。


 街の中心に、巨大な白い樹が立っていた。


「……なに、あれ」


「エルデ樹よ」


 向かいの席のマーガレットが微笑んだ。


「この国の名前の由来。千年前から、あそこに立っているの」


 白銀の幹は、街のどの建物より太かった。枝は都の空を覆うほど広がり、葉は淡い光を宿して、風に揺れるたび、光の粒がふわふわと舞い落ちている。


 街に入ると、リヴィアの目は忙しくなった。


 広場では辻魔術師が子供たちを集めて、光の蝶を飛ばしていた。パン屋の窯には火の魔石が仕込まれ、焼き上がりを知らせる鈴が鳴る。水路には小さな水の精が跳ね、洗濯物を干す女たちが風の初歩魔法で服を乾かしている。軒先の籠には、淡く光る花が積まれていた。


「あれは?」


「魔光花。灯りの代わりになるのよ。……夕方に摘むのが決まりね」


「朝じゃ、だめなんですか」


「朝の花は、まだ光を溜めてないの。日が傾く頃に摘むのが、一番長く光る」


 ――そういう知恵が、この街には当たり前に転がっていた。


 通りの角では、老人が石畳に膝をついて、割れた敷石を直していた。鏝で継ぎ目に泥を塗り、短い詠唱をひとつ。泥が硬化し、石が元の位置に収まる。


 誰も、それを見物しなかった。この街では、それは魔法ではなく、ただの左官仕事だった。


 馬車は、エルデ樹の袂を通った。


 樹の下は小さな広場になっていて、人々が枝に白い布切れを結んでいる。無数の布が、風に揺れていた。


「あれは、願いの布よ。年に一度、みんなが願い事を書いて結ぶの」


「……叶うんですか」


「さあ、どうかしら」


 マーガレットは樹を見上げた。


「でも千年、この国の人はずっと結んできた。……叶うかどうかより、願いを言葉にすることが大事なんでしょうね」


 やがて馬車は丘の上へ登っていった。


 そこに、それは立っていた。


 白の塔。王立魔法学院の本塔だ。白い石を積み上げた尖塔がいくつも空へ伸び、ステンドグラスの窓が朝日を虹に散らしている。


 ――ここが、これからの家になる。


 リヴィアは、鞄の紐をぎゅっと握りしめた。


【白翼学級】


 特級課程――通称、白翼学級。学院の東翼の、一番上の階。国中から選ばれた二十人ほどの子供たちが、六歳から寮で暮らし、学び続けている。


「――みんな、席に着いて。今日から新しい仲間が加わります」


 教室の扉が開いた時、リヴィアは全身が固まるのを感じた。二十対の目が、一斉にこちらを向く。


 教室は思っていたより明るかった。白い壁。大きな窓。天井には星座を模した魔導灯。壁一面の本棚に、ぎっしりと魔導書。生徒たちは全員、揃いの紺のブレザーを着ていた。胸に、白樹と六星の校章。


「自己紹介、できるかしら」


 マーガレットに促されて、リヴィアは口を開いた。声が、うまく出なかった。


「……リヴィア・ノクスです」


 それだけ言って、下を向いた。


「ノクス? どこの家?」


「聞いたことないわ」


「孤児院から来たって」


「うそ、この課程に?」


 囁きは、悪意というより純粋な戸惑いだった。この教室の子供たちは全員、六歳から一緒に育ってきた。そこへ十一歳の見知らぬ子が、途中から入ってくる。


 それだけのことだ。それだけのことが、リヴィアにはとてつもなく高い壁に見えた。


「席は、あの窓際が空いてるわ。……ルーカス、案内をお願いね」


「はい、先生」


 立ち上がったのは、きっちりと制服を着た、生真面目そうな少年だった。


「ルーカス・グレンだ。学級委員長をしている。時間割と寮の規則は、あとで書き写して渡す。……質問があれば、遠慮なく」


 事務的で、けれど親切だった。リヴィアは頷いて、窓際の席に座った。


 その日一日、彼女は誰とも喋らなかった。昼食も一人だった。午後の実技も組む相手が見つからず、結局教官の補助についた。


 寮は塔の北棟にあった。二人部屋が基本だが、途中入学のリヴィアには空いていた一人部屋があてがわれた。寝台と、机と、書棚がひとつ。孤児院で八人と分け合っていた部屋より、ずっと広い。


 廊下では消灯前の子供たちが騒いでいた。誰かが風呂の順番で揉め、誰かが明日の課題を写させろと交渉し、誰かが飼っている魔法生物が逃げたと言って走り回っている。その全部が、扉一枚の向こう側の出来事だった。


 夕方、寮の自室の窓から、リヴィアは白い都を見下ろした。街には灯りがともり始めている。魔光花の柔らかな橙が、家々の窓に一つ、また一つ。


(……間違えたかもしれない)


 あの孤児院の井戸の裏の方が、まだ息がしやすかった。


【太陽】


 三日目の昼休みだった。


 リヴィアはいつも通り本を抱えて、中庭の隅の階段に座っていた。教室の喧騒から一番遠い場所。この学院に来て、彼女が見つけた「井戸の裏」だった。


「なあ!」


 真上から、声が降ってきた。


 顔を上げると、階段の上から少年が身を乗り出してこちらを覗き込んでいた。淡い金色の髪。びっくりするほど青い目。ブレザーのボタンは半分外れていて、ネクタイは緩んでいる。


 笑っていた。


「お前、リヴィアだろ!」


「……えっ」


「三日も一人でメシ食ってるだろ。見てたぞ」


 少年は返事を待たずに階段を駆け下りてきて、彼女の隣にどすんと座った。距離が、近い。


「セリウス・クレイド! よろしくな!」


「……あの」


「なあ、なんで一人なんだ?」


 あまりに直球で、リヴィアは言葉に詰まった。


「……みんな、六歳から、一緒だから」


「うん」


「私だけ、後から来たから。……話す、こと、ないし」


「あー」


 セリウスは、なるほどなあ、という顔で頷いて、けろりと言った。


「じゃあ、これから作ればいいじゃん」


「……え?」


「話すこと。これから作ればいいだろ」


 少年は、当たり前のことみたいに言った。


「六歳から一緒だって、毎日新しい話してんだぞ。昨日の飯がまずかったとか、ルーカスの説教が長いとか。お前も明日から入ってこいよ」


「……そんな、簡単に」


「簡単だって」


 セリウスは立ち上がり、彼女に手を差し出した。


「まず、飯だ。うちのテーブル、一つ空いてる」


 リヴィアは、その手を見つめた。


 誰かに手を差し出されるのが、いつ以来なのか、思い出せなかった。


「――おい、セリウス!! 実技の課題どうした! お前まだ提出してないだろ!」


 中庭の向こうから、別の声が飛んできた。黒髪の少年が書類の束を抱えて、呆れ顔で歩いてくる。


「うわ、グレイだ。逃げるぞ」


「逃げるな。……ああ、君が、リヴィアか」


 黒髪の少年はリヴィアの前で足を止めた。灰色の、落ち着いた目だった。


「グレイ・アークライト。……こいつがうるさくして悪いな」


「うるさくねえよ! 誘ってんだよ!」


「誘い方が下手だと言ってるんだ」


 二人のやりとりを、リヴィアはぽかんと見上げていた。


 グレイが、ふと彼女の方を見た。


「……ノクス。座学の教科書、まだ揃ってないだろう。俺の予備を貸す。あとで寮に届ける」


「え、あ……」


「返さなくていい。どうせ二冊ある」


 素っ気ない声だった。その手には既に、彼女の分の教科書が抱えられていた。


 この二人は、たぶん最初から気づいていた。教室の隅で、一人でいる子のことに。


「……ほら、行くぞリヴィア! 昼休み終わっちゃうだろ!」


 セリウスの手が、まだ差し出されたままだった。


 リヴィアは、おそるおそる、その手を取った。


 引き上げられた瞬間、少年が太陽みたいに笑った。


【教室】


 その日から、リヴィアの世界には音が増えた。


「あんた、あのセリウスに捕まったのね。ご愁傷様」


 昼食の席で真っ先に口を開いたのは、赤毛を三つ編みにした少女だった。


「ティナ・ヴェルミリア。……ま、悪い奴じゃないわよ。うるさいだけで」


「聞こえてるぞティナ!」


「聞こえるように言ってるの」


 隣で、大人しそうな少女がくすくすと笑った。


「ウィノナ・アシュフィールドです。……リヴィアさん、座学で分からないところがあったら、いつでも聞いてね」


「私の講義の方が分かりやすいわよ」


「ティナは説明が雑だから駄目です」


「ちょっと」


 テーブルの向かいでは、赤茶の髪の少年がパンを頬張りながら手を振っていた。


「カイル・ドレイク! セリウスの親友な!」


「悪友だろ」


「同じだろ!」


 少し離れた席では、黒髪をきっちり結った少女が優雅にスープを飲んでいた。


「……セラフィナ・ロウよ」


 彼女はリヴィアを一瞥した。


「あなた、ノクスって家名、聞いたことがないのだけど。どちらの領地のお生まれ?」


 テーブルの音が、少し止まった。


「――孤児院だ」


 答えたのは、セリウスだった。


「それが?」


「……別に。ただ聞いただけよ」


 セラフィナは、つんと顔を背けた。


 その隣で、寡黙な少年が黙々と食事をしている。


「あれはトバイアス・フェン。実技の化け物。喋らないけど、いい奴」


「……よろしく」


 トバイアスはそれだけ言って、また食事に戻った。


 医務室から遅れてやってきた細身の少女が、息を切らして席に着く。


「ごめんなさい、遅れました……リゼル・サーシャです。治癒の担当をしています。怪我をしたら、いつでも来てくださいね」


 その他にも、名前と顔が次々と流れ込んできた。実技バカのダリオ。図書委員で内気なエルナ。食堂の献立を毎日暗記しているコリン。


 うるさい。情報が多すぎて、頭が追いつかない。


 その夜、寮の自室で、リヴィアは初めて机に向かい、名前を書き出してみた。


 ティナ。ウィノナ。カイル。ルーカス。セラフィナ。トバイアス。リゼル。グレイ。


 一番上に、セリウス。


 書き終えて、彼女はしばらくその紙を眺めていた。


(……覚えなきゃ)


 明日、話しかけられた時に、名前を呼べるように。


【学びの国】


 白翼学級の一日は長かった。


 朝六時、起床の鐘。午前は座学――魔法理論、古代語、歴史、算術、天文。午後は実技――魔力操作、詠唱、実戦形式の演習。夕方に自習、夜に課題。


「――魔法は、力ではありません」


 初日の座学。若い女性教師のアイリーン・メイフィールドは、教壇に着くなり生徒たちを見渡した。


「魔法は、学問です。世界の理を読み解き、言葉にし、他人に伝えられる形にする。それがエルデナの魔法です」


 彼女は黒板に、一文を書いた。


『力は一代で失われる。理は千年、受け継がれる』


「……これが、我が国の礎です」


 エルデナは千年、戦争をしていない国だった。永世中立。どの国とも同盟を結ばず、どの国とも敵対しない。その代わりに魔法の知を世界へ開き、諸国の学者を受け入れ、書物を贈り続けてきた。


「……戦わないで、大丈夫なんですか」


 休み時間、リヴィアはウィノナに聞いてみた。


「大丈夫、というより……戦わないことが、この国の武器なの」


 ウィノナは少し得意げに眼鏡を直した。


「エルデナの魔導書は、世界中の学院で使われてるのよ。ディナシア帝国の軍学校でも、レムナスの神学校でもね。……この国を潰したら、世界中が困るの。だから、誰も手を出さない」


「なるほど」


「王様も言ってるわ。『我が国の城壁は、書物でできている』って」


 教室の窓から、エルデ樹の白い枝が見えた。


 その日の午後、実技の教官が生徒たちを塔の外へ連れ出した。主任教官のヴァレンスは、白髪を短く刈った厳しい顔の男だった。


 街を抜け、丘を越えると、そこは光の海だった。夕暮れの草原一面に、淡く光る花が風に揺れている。摘み取る村人たちが、籠を背負って歩いていた。


「――なぜ、夕方に摘むか分かるか」


 ヴァレンスの問いに、セリウスが真っ先に手を挙げた。


「はい! 朝の花はまだ光を溜めてないからです!」


「正解だ。……ではノクス。なぜ、溜まるのか」


 突然の指名に、リヴィアは固まった。


「え……」


「答えなくていい。誰も知らんからだ。千年、誰も解明しておらん」


 教官は光る草原を見渡した。


「魔法とは、そういうものだ。我々は世界の理を、まだ一割も知らん。……知らんから、学ぶ。それだけのことだ」


 その夜、寮の窓辺で、リヴィアは摘んできた魔光花を一輪、瓶に挿した。部屋がぼんやりと明るくなる。


 孤児院の部屋は、いつも暗かった。油が高いから、日が暮れたら寝るのが決まりだったから。


 光る花を眺めながら、彼女は思った。


(……もう少し、頑張ってみようかな)


【測定】


 入学から二週間後、魔力適性の測定が行われた。特級課程では年に二度、全員の魔力量を測る。成長期の変化を記録するためだ。


「――順番に並べ。台座に手を置き、力を流せ。無理に絞り出すな」


 実技棟の測定室。中央に、大きな水晶の台座。生徒たちが順に手を置いていく。水晶が青く光り、傍らの記録板に数値が浮かぶ。


「グレン、六八。……安定しているな」


「アシュフィールド、五九」


「ドレイク、七一。伸びたな」


「ロウ、七四」


「フェン、九二」


 どよめきが起きた。


「トバイアスすげえ!」


「今年も実技首席か……」


「クレイド、九六」


「よっしゃあ!」


 セリウスが拳を突き上げた。教室のあちこちから歓声と、ため息が漏れる。


「アークライト、八八。……座学首席が実技もこれか。器用な奴だ」


「まだ足りません」


 グレイは淡々と台座を降りた。


「――ノクス」


 リヴィアの番だった。


 台座の前に立つ。冷たい水晶に、手を置く。


(……力を、流す)


 まだ、うまくやり方が分からない。体の中の何かを、手のひらへ押し出す感覚。


 水晶が青く光った。記録板の数値が上がっていく。


 五十。六十。七十。


 教室が静かになった。


 八十。九十。


 九十六を、超えた。


「……なっ」


 ヴァレンス教官の眉が跳ね上がる。


 百。


 水晶の光が、青から――白へ変わった。


「――止めろ、ノクス!!」


 教官の声が飛んだ。


 パキン、と。


 台座の水晶の表面に、細い罅が走った。


 リヴィアは弾かれたように手を離した。


「……あ、あの、私」


 測定室は、しんと静まり返っていた。記録板の数値は罅と同時に消えて、空白になっている。


 ヴァレンスが水晶に近づいて、罅を指でなぞった。それから、リヴィアを見た。


 その目には、生徒を見る目とは少し違う色があった。


「……測定、中止だ。ノクスの記録は、保留とする」


 教室に、囁きが戻ってきた。


「今の、なに……」


「水晶が割れるなんて聞いたことない」


「あの子、孤児院から来たんじゃなかった?」


 リヴィアは自分の手を見下ろした。震えていた。


 自分の体の中に、自分でも底が見えない何かがあることを――彼女はこの日、初めて自覚した。




 その日の放課後。


 リヴィアはまた中庭の階段に座っていた。みんなの顔を、見られなかった。


「――おい」


 声が降ってきた。


 振り向くと、セリウスとグレイが立っていた。セリウスの手には、なぜかパンが二つ握られている。


「なんで一人なんだよ」


「……だって」


「水晶割ったから?」


 あっけらかんとした声だった。


「すげえじゃん」


「……すごく、ないよ。壊しただけ」


「壊せるやつ、他にいないだろ」


 セリウスはパンを一つ押しつけてきた。


「機械の方が悪いんだよ。お前を測れないなんて、欠陥品だ」


「……そんな言い方」


「事実だろ」


 グレイが隣に腰を下ろした。


「教官も言ってた。あの型の測定器は、上限が百二十だと」


「……つまり」


「つまり、お前は少なくとも百二十以上だ。数字が出なかったのは、お前のせいじゃない」


 グレイはそこで一度、言葉を切った。


「……ただし。制御を覚えないと、いずれお前自身を壊すぞ」


「グレイ、そこは黙っとけよ」


「事実だ」


「お前も事実ばっか言うな!」


 二人の言い合いを聞きながら、リヴィアはパンを一口齧った。冷めていて、少し硬かった。


 喉の奥が、熱くなった。


 誰も、逃げなかった。水晶を割った子の隣に、当たり前みたいに二人が座っている。


「……あの」


「ん?」


「……ありがとう」


 小さな声だった。


 セリウスは一瞬きょとんとして、それから笑った。


「なあリヴィア。俺、決めたぞ」


「なにを」


「お前を、この学校で一番の魔法使いにする」


 あまりに突然で、脈絡がなかった。


「……なんで、あなたが決めるの」


「なんとなく!」


「なんとなくって」


「あ、笑った」


 セリウスが嬉しそうに指を差した。


「お前、初めて笑ったな」


 リヴィアは慌てて口元を押さえた。


 夕陽が、白い塔の壁を橙色に染めていた。


【願いの布】


 その週末、学級の全員でエルデ樹の広場へ行くことになった。


 年に一度の、願いの日。白い布切れを買い、思い思いの願いを書いて、枝に結ぶ。


「私は『座学首席』!」


「ティナ、あんた去年もそれ書いてたわよね」


「今年こそはよ!」


「僕は……『家族が健康でありますように』」


「ウィノナが真面目すぎる」


「俺は『毎日肉が食える食堂になりますように』」


「カイル、あんたそれ願いに使うの?」


 わいわいと騒ぎながら、生徒たちが枝に布を結んでいく。


 セリウスは何やら真剣な顔で、長々と書いていた。


「お前、何書いてんだよ」


「秘密」


「見せろ」


「やだ!」


 グレイは短く一行だけ書いて、さっさと結んでいた。リヴィアが覗こうとすると、さりげなく手で隠された。


「……リヴィアは、書かないの?」


 ティナに聞かれて、リヴィアは白い布を握ったまま迷っていた。


 願い事なんて、これまで考えたこともなかった。孤児院では、願う前に諦めるのが賢い生き方だったから。


 彼女は白樹を見上げた。千年、この街を見下ろしてきた樹。無数の願いの布が、枝で風に揺れている。


 少し考えて、リヴィアは短く書いた。


『ずっと、みんなといられますように』


 背伸びをして、届く限りの高さの枝に結ぶ。


 振り返ると、セリウスがこちらを見ていた。


「なんて書いた?」


「……秘密」


「ずるい!」


「あなたも秘密でしょう」


「あ」


 夕暮れの風が吹いて、白い布がいっせいに揺れた。光の粒が、樹の枝から舞い落ちてくる。


【南へ】


 列車の揺れで、目が覚めた。


 窓の外は、もう夕方だった。北の白ではなく、南の緑。水を張った田が地平まで続いて、傾いた日を鏡のように返している。


 向かいの席では、リズが窓に頬杖をついたまま、菓子の袋を膝に載せて眠っていた。アシュは組み直した銃を膝に置いて腕を組み、ネロは端末を抱えたまま口を半分開けている。カラムの新聞は、床に落ちていた。


 リヴィアは、その四人をしばらく眺めていた。


「……ん、起きた?」


 リズが薄目を開けた。


「よだれ出てるわよ」


「出てない」


「あ、ちぇ」


 しばらく、車輪の音だけが続いた。


「リズ」


「んー?」


「……水路が、あったの。街じゅうに。銀の糸みたいに」


 リズは目をぱちくりさせて、それから笑った。


「なにそれ。すごい綺麗じゃない」


「……うん」


 それだけの会話だった。それだけを言うのに、十年かかった。


 リヴィアは窓の外へ視線を戻した。


 ――ずっと、みんなといられますように。


 十一歳の字で書いた布は、あの樹ごと燃えた。


 同じことを、また願いそうになって、やめた。


 列車は南へ走り続けていた。


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