↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界の狭間で君を待つ 〜【すべてを失った私が、隠してきた闇の力で世界に抗う】〜  作者: Sou
ディナシア帝国編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/53

北の門


【〇六〇〇】


 朝六時、黒翼隊舎・作戦室。石炭ストーブが部屋の隅で赤く唸っている。


 中央の長机には、白い布を被せられた何かと、封蝋つきの茶封筒がひとつ。黒い軍服の五人が、席に着いていた。


「時間だな」


 カラムが立ち上がり、封筒を手に取る。封蝋には、特務課の双翼印。全員に見えるように掲げてから、親指で割った。


 命令書の封は、現場指揮官が隊員の前で切る。黒翼の、決まりごとらしい。


「特務課直令。発令者、グレイ・アークライト少佐」


 思わず、扉の方を見た。


「……少佐は、来ないの?」


「来ねえよ」


 カラムは命令書から目を離さずに答えた。


「少佐は現場には出ねえ。命令書が少佐だ。……ま、うちの流儀ってやつだ」


 あっさりとした答えだった。その奥に、まだ何か畳まれている気がした。


 カラムが白い布を、ばさりと剥ぐ。現れたのは山岳地帯の立体模型で、深い渓谷が一本、斜めに裂いている。


「任務地は北西国境――バルドア鉱山国。ヴォルグ渓谷の戦線だ」


「バルドア……」


 リズが、珍しく声のトーンを落とした。


「半年前、バルドアの武装勢力が国境沿いの帝国採掘拠点を襲撃した。死者十九名。帝国は報復として開戦。ここまでが、新聞に載った話だ」


 カラムの指が、模型の渓谷をなぞる。


「戦線はこの半年、一歩も動いてない。理由はこいつだ」


 指が、渓谷を見下ろす稜線で止まった。


「鉄冠稜線。この尾根に、敵は『魔導無効化砲』の陣地を敷いてる」


 机の下で、リヴィアの指先が固く丸まった。


 無効化。魔法を、消す兵器。


「前線の連中は『沈黙砲』って呼んでる。射程内に周期的なパルスを撃ち込んで、一帯の魔法を数十秒、根こそぎ黙らせる」


「はっ、悪趣味な玩具だな」


 アシュが吐き捨てた。


「正規軍は何やってたんだよ。半年だぞ、半年」


「三回、総攻撃をやった。三回とも失敗だ」


 カラムは淡々と続ける。


「魔導部隊で攻めりゃ、突撃の途中でパルスを食らって、丸裸のところを撃たれる。魔法抜きで攻めりゃ、今度は敵さんの魔導砲と地形に磨り潰される。……絵に描いたような、袋小路だ」


「そこで、うちの出番ってわけね」


 リズがリヴィアの方へ体を傾けて、小声で補足した。


「黒翼はね、こういう時に呼ばれるの。動かなくなった戦線をこじ開ける部隊。先陣切って、扉を蹴破る係」


「扉を、蹴破る」


「そ。だから黒い軍服は前線じゃ有名なのよ。『黒翼が来た戦線は動く』って」


「任務内容――鉄冠稜線に浸透し、無効化砲陣地を沈黙させること。俺たちが黙らせりゃ、後ろで待ってる正規軍一万が、半年ぶりに前へ進める」


 カラムが命令書から顔を上げた。


「ネロ、現地の情報は」


「え、ええと……っ」


 ネロが端末を叩くと、机の上に青い光の資料が浮かんだ。


「無効化パルスの有効半径は推定六百……観測記録がバラバラで、正確な数値が出ません。発動周期も不明。げ、現地で実測させてください。それと――」


 ネロは眼鏡を押し上げた。


「この規模の無効化を、半年間、一度も止めずに維持してるんです。……逆算すると、必要な魔素量が、バルドア一国の年間産出量を、たぶん超えます」


 部屋が、少しだけ静まった。


「たぶん、ってのは」


「桁がおかしいので、僕の計算違いだと思ってました。三回やり直しました。……同じでした」


「動力の記載は」


「資料のどこにも、書いてないんです」


 カラムは、命令書を畳んだ。折り目に沿って、一度。それから、もう一度。同じ場所を、指の腹でなぞるように。


「ネロ。その計算、他所で喋ったか」


「え? ……いえ、まだ」


「そうか」


 それ以上は続かなかった。カラムは畳んだ紙を胸ポケットに入れ、手を叩いた。


「以上だ。〇八〇〇、ヘリで発つ。朝飯はしっかり食っとけよ――北は、スープが五分で凍る」


 椅子を引く音が重なる中で、リヴィアはその胸ポケットを見ていた。


【北へ】


「うちの子は世界一だぜぇ!!」


 轟音の中、操縦席のジンが叫んだ。


 黒塗りの輸送ヘリが、帝都の空を切り裂いて北へ向かう。機体は古いが、ローターの音に濁りひとつない。


「揺れるぞー! 北の風は気まぐれだからな!」


「揺らすなよ!」


 アシュが怒鳴り返す。座席で足を組み、二丁の魔導拳銃を分解しては組み直していた。薬室に込められた魔素カートリッジが、橙色に淡く脈打っている。


 その向かいで、ネロが真っ青な顔をして端末を抱えていた。


「う……ぐ……」


「ネロ、あんた飛ぶたびにそれね」


 リズが飴を放ってやる。


「な、なんで平気なんですか、みんな……」


「慣れよ、慣れ。――あ、リヴィア、見て見て!」


 リズが窓を指差した。


 眼下に、街が流れていた。継ぎ接ぎの畑。銀の糸みたいな川。広場には市場の天幕がひしめいて、豆粒のような人々が行き交っている。荷馬車が一台、橋の手前で止まったまま動かないのは、たぶん向こうから来る誰かと立ち話でもしているのだろう。学校らしき建物の屋上では、子供たちがこちらに向かって手を振っていた。


 リズが、大きく振り返す。


「……あの子たち、私たちがどこに行くのか、知らないのよね」


 振りながら、リズがぽつりと言った。


「知らねえだろうな」


 カラムが腕を組んだまま答える。


「バルドアの戦争なんざ、新聞の三面の隅の三行だ。半年やってて、それだ。……帝国はデカすぎる。北の端の戦争は、この国じゃ『遠い天気の話』なのさ」


 窓の外を見つめる。市場。洗濯物。手を振る子供。


 十年前のエルデナにも、こんな朝があった。空が船で埋まる、その前日まで。


(……遠い天気の話、か)


 やがて畑の緑は褪せ、地面は茶に、やがて白に変わっていった。窓の縁に、霜の花が咲き始める。


「――初陣の顔だな」


 いつの間にか、カラムが隣に座っていた。


「……顔に、出てますか」


「出てる出てる。ガチガチだ」


 カラムは笑って、それから少しだけ声を落とした。


「いいか、嬢ちゃん。緊張は消そうとするな。緊張してる奴の方が、生き残る。戦場で一番先に死ぬのは、慣れた気になった奴だ」


「……はい」


「ちなみにアシュなんてね」


 リズが身を乗り出してきた。


「初陣の朝、緊張しすぎて、コーヒーに塩と砂糖まちがえて入れたのよ。しかも全部飲んだの。顔真っ青にして『こういう味だ』って」


「おいリズ!! それは言わねえ約束だろうが!!」


「ぶふっ……」


 ネロが酔いも忘れて吹き出し、パイドが通信機の向こうで珍しく肩を揺らした。


「うるせえ! 全員降りたら模擬戦だからな!!」


 笑い声が、ローターの轟音に混ざって流れていく。


 リヴィアは、口の端で小さく笑った。窓の外は、もう一面の白だった。


【前線基地】


 扉が開いた瞬間、世界が牙を剥いた。


 寒い、ではない。痛い。吸い込んだ空気が喉の奥で凍りつき、鼻の奥がツンと軋む。吐いた息は白い塊になって、千切れて飛んでいった。


 ヴォルグ渓谷前線基地。雪と泥を固めた土嚢の壁。半分埋まった塹壕の列。鉄条網の向こうに灰色の渓谷が口を開け、その奥に、白く霞む稜線が見えた。


 鉄冠稜線。あそこに、魔法を消す砲が並んでいる。


「黒い軍服……おい、特務課だ」


「黒翼だ。黒翼が来たぞ」


 基地のあちこちから視線が集まってくる。二種類の色があった。半分は、すがるような光。もう半分は、燻ったような暗さ。


「……へっ。お偉方の切り札サマの、ご到着かよ」


 通りすがりの兵が、聞こえよがしに吐き捨てた。その右手には、指が三本しかない。凍傷の痕だ。


 アシュが眉を跳ね上げかけたのを、カラムが目だけで制した。


「怒るな。……半年、ここで削られてきた連中だ」


 基地の中は、疲労でできていた。医療テントの垂れ幕をくぐるまでもなく、消毒液と膿の匂いが風に乗って流れてくる。担架の上の兵は、運ばれながら天井の帆布の一点だけを見つめていた。焚き火を囲む十人ばかりは誰も喋らず、順番に手を炙っては、また膝の間に戻すという動作をひたすら繰り返している。


 足を止めそうになった。


(……あの目)


 生きているのに、どこも見ていない目。十年前、帝都に流れ着いたエルデナ難民たちが、みんなあの目をしていた。彼女自身も、鏡の中で、長いこと。


 案内されたのは、基地司令の掩蔽壕だった。司令のドルン大佐は頬のこけた男で、黒翼の到着を「ようやくか」の一言で迎えた。状況説明は作戦室で聞いた通り――というより、それより悪かった。


「パルスの間隔は不規則だ。二時間空くこともあれば、十分で来ることもある。凍傷より、あれで頭をやられる兵の方が多い」


「頭を?」


「魔導兵ってのはな、嬢ちゃん」


 大佐は乾いた声で言った。


「物心ついた時から、体の中に火があるんだ。それが、前触れもなく消える。真っ暗になる。……三度も食らえば、銃を握る手が戻らなくなる奴もいる」



 夕刻。配給の列で、年配の曹長と隣り合った。バロウ曹長。顔の右半分に、古い凍傷の痕がある古参兵だ。


「黒翼さんよ。あんたら、明日には稜線に取りつくんだろ」


「……ええ」


「なら、ひとつだけ、聞いとくか」


 曹長はスープの湯気の向こうから声を落とした。


「――あの山、何が埋まってるか、知ってるか」


「……鉄では、ないの?」


「鉄なら、半年も殺し合わねえよ」


 曹長は渓谷の奥を顎で示した。


「俺の同期が後方の輸送部隊にいる。そいつが見たとよ。……後方の集積場に、もう削岩機がずらっと並んでるんだ。山ひとつ、まだ落としてもいねえのにだぜ」


 スプーンを持つ手が、止まった。


 十年、鉱石の帳簿をつけてきた。第七魔鉄鉱精錬工場では、掘る量が決まってから機械が発注され、発注から現場に届くまで、早くて四十日。順番が逆になったことは、一度もない。


 機械は、掘ると決まってから、届く。


「それによ。集積場の一角に、妙な幌つきの貨物があってな。護衛が、俺らと違う軍服なんだ。近づいたら銃を向けられたって、同期が青くなってた」


「……違う軍服」


「バルドアの連中はな、山を神様だと思ってる。掘られるくらいなら死ぬ、って民族だ。……で、帝国様は、落としてもいない山の削岩機を、もう並べてる」


 曹長は、スープを一口すすった。


「……なんの戦争なんだろうな、こいつは」


 リヴィアは、答えの代わりに列の先を見た。配給の鍋から立つ湯気が、すぐに凍って消えていく。


 背後に、カラムが立っていた。いつから聞いていたのか、彼は一言だけ言った。


「――曹長。その話、よそでするなよ」


 声は穏やかだった。目は、笑っていなかった。


【消える魔法】


 夜。眠れずに、外の空気を吸いに掩蔽壕を出た。


 雪はやみ、恐ろしいほど星が近い。北の地平が、薄い光の帯でぼんやりと明るんでいた。


 美しい、と思いかけた。


 ジリリリリ、と警鐘が鳴った。


「パルス来るぞォ!! 沈黙警報!!」


 見張り台の声。基地の兵たちは、慌てなかった。慣れきった動きで火から離れ、壁に背を預け、目を閉じる。


「新入りは動くな! じっとしてりゃ終わる!」


 稜線が、光った。


 爆発の光ではない。白い波紋が、音もなく、夜を渡ってくる。


 それが基地に届いた。


 世界から、色がひとつ消えた。


 魔導灯が、蝋燭を吹き消すように次々と落ちる。空気の底で常に鳴っていた魔素の微かな唸り――生まれてからずっと聞いてきたはずのその音が、ぷつりと途切れた。


 右手に魔力を灯そうとした。


 ――灯らない。


 手の甲に線は浮かばない。体の奥へ手を伸ばしても、そこには何もなかった。空っぽの、暗い井戸。


「……っ、あ」


 膝が、雪に落ちた。


 耳の奥で、十年前の音が蘇る。詠唱が霧散する音。白いローブが倒れる音。ティナの三つ編みがほどける音。黒い箱。降ってくる砲弾。届かない手。


(息が――)


 吸えない。吐けない。雪の冷たさも、感じない。世界があの日の色に塗り替わっていく。


「――おい」


 肩に、重くて大きな手が置かれた。


「息を吐け。……吸うんじゃねえ、先に吐くんだ」


 カラムだった。彼はリヴィアの隣にどっかりと膝をついて、自分の水筒を差し出した。


「白湯だ。飲め」


 震える手で受け取り、一口。ぬるい熱が喉から胸に落ちて、ようやく雪の冷たさが戻ってきた。


 パルスが抜けていく。魔導灯がひとつ、またひとつと灯り直す。空気の底に、魔素の唸りが帰ってくる。


 三十秒。たったそれだけの、永遠だった。


「……すみま、せん」


「謝るな」


 カラムは星空を見上げたまま言った。


「……エルデナ、だったな。お前さん」


 水筒を握ったまま、小さく頷いた。


「あの音の中で……みんな、死んだんです。魔法が消えて、ただの人間に戻されて、それから」


「そうか」


 カラムはそれ以上聞かなかった。代わりに、ぽつりと言った。


「無理に慣れようとするな、あれには。……あれに『慣れた』気になった奴から、死ぬ」


「怖いって感覚は、捨てるな。持ったまま、動く方法を覚えろ。――それが、明日お前を生かす」


 昼間、ヘリで言われた言葉の続きだった。


「……リーダーは、怖くないんですか」


「怖えよ」


 あっさりと、カラムは言った。


「俺は三刻だ。ガキの頃から、魔力なんざ大してアテにしてこなかった。……だからああいう夜は、皮肉なもんでな。魔法をアテにしてない俺が、この基地で一番まともに動ける」


 彼は自分の右手に、ほんの少しだけ魔力を灯した。三本の線が、雪明かりの中に浮かぶ。


「四刻や五刻の天才サマたちが火を消される夜に、三刻の凡人が隊を運ぶ。……だから俺が、隊長やってんのさ」


 三本の線が、ふっと消えた。


 その手を見つめる。線の数で人を測らない部隊。その意味が、今夜、初めて骨まで届いた気がした。


「――り、リーダー! リヴィアさん!!」


 雪を蹴って、ネロが駆けてきた。真っ青な顔で、眼鏡の奥の目だけが爛々と光っている。


「い、今のパルス、計測できました! 波形、取れました……! それでですね、あの、これ、僕の仮説なんですけど……っ」


「落ち着け。深呼吸」


「はいっ、すぅ――……あのパルス、完全な連続照射じゃ、ないんです。無効化の波が、ごく短い間隔で明滅してる。つまり……い、息継ぎを、してるんです」


「息継ぎ?」


「呼吸みたいに、です。ま、まだ一回分のデータしかないので、周期の特定にはもっとサンプルが……で、でも、もし『息継ぎ』の瞬間が読めたら――」


 ネロは、ごくりと唾を飲んだ。


「――その一瞬だけは、魔法が、通ります」


 カラムと顔を見合わせた。


 少し離れた土嚢の陰で、ゴッ、と鈍い音がした。アシュが土嚢に拳を叩きつけて、俯いている。


「……クソが。二度と食らうかよ、あんなもん」


 焚き火のそばでは、リズが膝を抱えて座っていた。いつもの笑顔が消えている。


 歩み寄ると、リズは顔も上げずにぽつりと言った。


「……ね。魔法が消えるとさ」


「うん」


「自分が、空っぽになった気がするのよね。私って、風を取ったら、何が残るんだろって」


 神童と呼ばれた少女の、素顔だった。


 隣の雪を払って、腰を下ろす。


「……残ってたわよ」


「え?」


「さっき、パルスの中で。あなた、真っ先にネロを庇う位置に動いてた。……風がなくても、体が勝手に」


「…………見てたの?」


「見てた」


 リズはしばらく黙って、それから、ふにゃりといつもの顔で笑った。


「……あーもう。新人のくせに、生意気」


【夜明け前】


 〇四〇〇。


 起床の合図はない。時間になれば、各自が闇の中で起きる。それが黒翼だった。


 掩蔽壕の中、小さなランプの明かりで、五つの影が支度を整えていく。留め具の音。革帯を締める音。カチン、カチン、と乾いた音が、暗がりのあちこちで規則正しく重なっていった。誰も余計なことを言わない。手順が体に染みついた人間だけが出せる静けさだった。


 アシュが魔素カートリッジを一本ずつ薬室に送り込んでいる。橙の光が、彼の横顔を下から照らした。


「……さっさと黙らせて、あったけえ飯、食うぞ」


 誰にともなく、彼は言った。


 リズは鏡も見ずにポニーテールを結い直していた。結び終えると、両手で自分の頬をぱちんと張る。


「――よし。行きますか!」


 いつもの声。いつもの笑顔。それが彼女の鎧なのだと、もう知っていた。


 ネロは端末の点検を三度繰り返している。その頭に、カラムの大きな手がぽんと乗った。


「ネロ。今日はお前の目が、全員の命綱だ」


「……っ、は、はいっ」


 カラムは全員を見回して、短く言った。


「作戦は単純だ。俺たちが稜線の砲を黙らせる。そうすりゃ、後ろの一万人が半年ぶりに前へ進める。……それだけだ」


「派手な演説はしねえ。ひとつだけだ――全員で、帰るぞ」


「「了解」」


 声が、重なった。


 外へ出る。夜と朝の境目の、藍色の世界。東の稜線の縁だけが、刃物のように細く白み始めていた。


 塹壕には正規軍の兵たちが息を殺して並んでいる。その中に、昨日の三本指の兵もいた。彼はリヴィアと目が合うと、小さく顎を引いた。


 腰のレイピアに手を添える。指が震えていた。寒さのせいではない。


(……いいのよ、震えて)


 怖いって感覚は、捨てるな。持ったまま、動け。


 柄を握り直す。魔鉄鉱の刃が、鞘の中で応えるように小さく鳴った。


(十年前――私は、消される側だった)


 空を埋める船。降る砲弾。消えていく魔法。何もできずに、ただ守られて逃げるだけだった十八歳。


(今日は、違う)


 東の空で、光がひとつ高く昇った。突撃を告げる、照明弾。


 藍色の世界が、一瞬、真昼のように白く染まる。


 渓谷の底で、一万人が息を吸う音が聞こえた気がした。


 北の門が、開く。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。