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世界の狭間で君を待つ 〜【すべてを失った私が、隠してきた闇の力で世界に抗う】〜  作者: Sou
セイクリッドルート編

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帰れぬ森

【報告書】


 帝都に戻って、三日が経った。


 黒翼の提出した報告書は、簡潔だった。


『失踪者三名、北西部禁足地内の谷にて死亡を確認。崩落事故と推定。遺体の回収は現地の事情により見送り』


『禁足地内に高齢男性一名が居住。敵対行為なし』


『資源調査団への襲撃は、リバースオーダー構成員一名によるもの。撃退』


 ――書かなかったことの方が、多かった。


 千年生きた男のこと。斬られた空間のこと。首の環のこと。


 掘られている山が、何を出すのかということ。


「……よく通ったな、これ」


 軍務省の面会室で、報告書の写しを読んだグレイが言った。


「上は、何も聞いてこなかったか」


「一度だけ」


 リヴィアは答えた。


「『高齢男性一名』について、詳細を、と」


「なんて答えた」


「『島の隠居です』と」


 グレイが、少しだけ笑った。


「……それで済んだのか」


「済んだわ。……いえ」


 彼女は、少し考えた。


「済んだように、見えた」


 ――誰かが、既に知っている。


 そんな気がしていた。


 報告書を出す前から、答えを持っている人間が、どこかにいる。二年前から、ずっとそうだ。




「――で。本題だ」


 グレイは、机の上に、一枚の任務書の草案を置いた。まだ印の押されていない、下書きだった。


『イルドレナ大森林における植生異常の調査』


「……なにこれ」


「俺が書いた」


「は?」


「これから、上に通す」


 彼は、事もなげに言った。


「西のイルドレナ大森林。この三年で、外縁部が二キロ以上、外へ広がってる。……これは、事実だ」


「事実なの?」


「事実だ。測量記録がある。……近隣の農村から、苦情も出ている」


 グレイは、指で草案を叩いた。


「異常繁茂による農地侵食。調査の必要性は、十分にある。……という体裁で、お前たちを送る」


 リヴィアは、彼の顔を見た。


「……あなた、そういうこと、するようになったのね」


「二年前からしてる」


「そう」


「悪いと思うか」


「思わない」


 彼女は、正直に答えた。


「……ただ、少し」


 言葉を探した。


「先月、面会を申し込んだの」


 グレイの指が、草案の上で止まった。


「秘書官から、返事が来た。……当面、時間が取れませんって」


「……ああ」


「その頃、何してたの」


 彼は、応じなかった。


 窓の外を見ているわけでもなく、書類を見ているわけでもなく、ただ、机の一点を見ていた。


「……いい。聞かない」


 リヴィアは、草案に目を落とした。


「――ただ、あなたが遠くなった気がする」


 グレイは、しばらく黙っていた。


「……そうかもな」


 それだけだった。


【西へ】


 出立は、四日後だった。装備の再編に、それだけかかった。


 ――主に、アシュのせいで。


「まだ届かねえのか、俺の銃!」


「工廠が『こんな切断面は見たことがない』って言ってるらしいわよ」


 リズが、笑いを堪えていた。


「『魔導兵器の破断面としては、あり得ない滑らかさ』だって。調査に回されてるの」


「返せよ!」


「無理じゃない?」


 結局、彼には代替の量産型が支給された。彼はそれを、あからさまに不服そうに眺めていた。


「……感度が悪い」


「贅沢言わないの」


 列車で西へ、三日。


 景色が、少しずつ変わっていった。帝都の煙突が消え、麦畑が広がり、やがてそれも途切れる。


 最後の駅を降りると、目の前に、緑の壁があった。




 イルドレナ大森林。


 ――壁、としか言いようがなかった。


 木々が、あまりに高い。


 シキナの杉も高かったが、あれは天を突く細さだった。ここのは、違う。太い。異様に、太い。


 一番手前の一本でさえ、五人が手を繋いでも囲めそうにない。


 そしてそれが、地平線の端から端まで、途切れずに続いている。


「……うわ」


 ミーナレイが、口を開けた。


「うわぁ……」


「語彙」


「だって! だって、こんなの……」


 森の縁には、木の柵が立っていた。柵、というより、警告だった。


 柵の内側の地面には、明らかに数年以内に伸びたばかりの若木が、びっしりと生えている。


 ――森が、こちらへ歩いてきている。


 そう見えた。


 柵の前に、一つの立て札があった。


『これより先 入るべからず』


『帰りたくば 入るべからず』


 インクは新しかった。誰かが、定期的に書き直している。




 近くの農村で、リヴィアたちは話を聞いた。


 村長は、七十過ぎの老人だった。


「……入るなよ、あんたら」


 開口一番、それだった。


「調査です。政府の」


「知っとる。だが、入るな」


「なぜですか」


「帰ってこんからだ」


 彼は、囲炉裏の灰を掻いた。


「三年で、十一人入った。……戻ったのは、二人だ」


「その二人は」


「一人は、三日で戻った。……ずっと同じ場所を歩いとったと言うとった」


「もう一人は」


 村長は、少し黙った。


「――四十年ぶりに、戻ってきた」


 部屋の空気が、重くなった。


「……四十年?」


「わしが子供の頃に入った男が、去年、戻ってきた」


 老人の声は、掠れていた。


「……年を、取っとらんかった」


 誰も、何も言えなかった。


「入った時のままの顔で、『腹が減った』と言うた。……女房はもう死んどるし、子は爺になっとる」


「その方は、今どちらに」


「死んだよ」


 村長は、短く言った。


「戻って、三日で。……老けて、死んだ。四十年分を、三日で」


【入る】


 森の入口で、リヴィアは全員を集めた。


「――方針を言う」


 彼女の手には、木札があった。ムラサメから受け取った、掠れた文字の板。


「隊列は詰める。互いに見える距離を保つ。ロープで繋ぐ」


「ロープ?」


「レムナスの時、リーダーがやった方法よ」


 リズが答えた。


「目と耳が信用できない時は、繋がってればバラバラにされない」


「……なるほど」


「そして」


 リヴィアは、木札を掲げた。


「これを、先頭の私が持つ。……ムラサメ殿は『これがなければ帰れない』と言った」


「つまり、それがあれば帰れるってことですか?」


「そう願うわ」


 彼女は、正直に言った。


「――行くわよ」


 五人は、柵を越えた。


【生きている森】


 最初の一時間は、何も起きなかった。


 いや、正確には――「何も起きない」ということが、既におかしかった。


 森が、静かすぎるのだ。


 シキナのように、音が消えているのではない。音は、ある。鳥が鳴き、虫が飛び、風が葉を鳴らす。


 ――だが、それが、全部「同じ」だった。


「……ねえ」


 リズが足を止めた。


「あの鳥の声、さっきから、同じ間隔で鳴いてない?」


 全員が、耳を澄ませた。


 ぴい。……ぴい。


 ちょうど、十二秒おき。狂いなく、十二秒おき。


「……ネロ」


「はい。計ってました」


 彼は、端末を見ていた。


「十二秒、誤差なし。……三十七回目です」


「三十七回……」


「七分二十四秒、同じ鳥が同じ間隔で鳴いています」


 ミーナレイが、両腕をさすった。


「な、なんか、気持ち悪いです……」


「同感だ」


 アシュが、周囲を見回した。


「なんつーか、これ……森じゃねえだろ」


「森よ」


 リヴィアは、木の幹に手を当てた。


 温かかった。


 ――木が、温かかった。


「……森なのよ。ただ」


 彼女は、手を離した。


「起きてるだけ」




 二時間目から、道が変わり始めた。


 シキナのように、同じ場所に戻されるのではない。


 ――道が、増えるのだ。


 通ってきたはずの背後に、来た時にはなかった分岐が現れる。右へ曲がったはずが、いつの間にか左へ進んでいる。地形そのものが、緩慢に、けれど確実に変形していた。


「隊長、方位計が」


「狂った?」


「いえ。……正確です」


 ネロが、青い顔で言った。


「正確に北を指しています。……ただ、僕たちが北へ進むと、目的地が南へ移動しています」


「……なんて?」


「森が、動いてるんです」


 彼は、端末の記録を見せた。


「僕たちじゃなく、森の方が」


【三時間目】


 三時間目に、最初の異変が起きた。


 ミーナレイが、立ち止まった。


「……あれ」


「どうした」


「今、母の声が」


 全員が身構えた。


「幻術か!?」


「いえ……違うと思います。だって、声じゃないんです」


 彼女は、混乱した顔で言った。


「匂いです。……母が作ってた、味噌汁の匂いが、して」


 リヴィアは、鼻をひくつかせた。


 ――確かに、匂いがあった。


 彼女には、別の匂いだった。


 埃と、古い紙と、蝋の匂い。――白の塔の、図書塔の匂いだった。


「……これ」


 リズが、掠れた声で言った。


「あたし、実家の匂いがする。……干し草と、牛の」


「俺は、火薬だ」


 アシュが、顔をしかめた。


「初任務の前の日の、整備室の匂い」


 ネロだけが、布を巻く手を止めていた。顔色が、一段悪くなっていた。


「……全員、鼻を塞いで」


 リヴィアは、指示を出した。


「布を巻いて。匂いを、遮断する」


「え、でも、いい匂いですよ?」


「だから、駄目なの」


 彼女は、鋭く言った。


「――懐かしいと思ったら、そっちへ足が向く」


【判断】


 四時間目。


 道が、二つに分かれた。


 右は、明るい。木々の間隔が広く、光が差している。地面に、人の踏み跡らしきものまである。


 左は、暗い。倒木が道を塞ぎ、藪が深い。


 ――そして、右の道の先に、光が見えた。


 森の切れ目のような、明るい光。


「隊長! あっちです、あっち!」


 ミーナレイが指差した。


「開けてます! あそこ、出口じゃないですか!?」


「……隊長」


 ネロだった。彼は、端末を見ていた。


「あの光、方位が動いていません」


「動いてない?」


「はい。三分前と、同じ角度です。……森が動いているのに、あれだけ動かない」


 リヴィアは、右の道を見た。


 明るい。歩きやすい。


 左を見た。倒木。藪。四時間歩き通した隊に、あと何時間かかるか分からない道。


 ――隊を、見た。


 ミーナレイの足が、さっきから半歩ずつ遅れている。リズの呼吸が浅い。アシュは口を開かないが、水筒を持ち上げる時に肘が震えていた。


 三十分でいい。


 どこか開けた場所で、一度、座らせたかった。


「……三十分だけ、右を見る」


 口に出しながら、それが言い訳だと自分で分かっていた。


「了解!」


 五人は、右の道へ入った。


 三十分歩いた。光は、近づかなかった。


 一時間歩いた。光は、まだ同じ距離にあった。


「……隊長」


「……ええ」


 リヴィアの背中に、冷たい汗が伝った。


 ――誘われた。


 あの光は、出口ではない。自分たちが「出口だと思いたいもの」を、森が見せていただけだ。


「戻る」


 彼女は、言った。


「今すぐ、分岐まで戻る」


 ――だが。


 振り返った先に、道は、なかった。


 来た道が、藪に埋もれていた。数時間前に踏み荒らしたはずの下草が、青々と立ち上がっている。


「そん、な……」


 ミーナレイの声が震えた。


「道が……道が、ないです……」




 リヴィアは、動けなかった。


 ――自分の判断だった。


 明るい方を選んだ。楽な方を選んだ。疲れた隊を、早く休ませたかった。


 その結果が、これだ。


(――カラムさんなら)


 あの人なら、左を選んだ。


 暗くて、歩きにくくて、誰も行きたがらない方を。森が「こっちへ来い」と言っている方が、罠だからだ。


 当たり前のことだった。


 ――当たり前のことが、疲れると見えなくなる。


 いや。


 見えていた。ネロが言った。数字も出ていた。角度が動かないという事実を、彼女はこの耳で聞いた。


 聞いた上で、選んだ。


 みんなを、休ませたかったから。


(……守ろうとして、間違えた)


 拳を握った。爪が、掌に食い込んだ。


 水筒の残りが、頭をよぎった。一日で戻る想定で組んだ荷だ。二時間、無駄に歩いた。


「――隊長」


 リズだった。


「顔、上げて」


「…………」


「みんな見てるから」


 その一言で、リヴィアは息を吸った。


 そうだ。今は、落ち込んでいる場合ではない。


「……全員、聞いて」


 彼女は、顔を上げた。


「私の判断ミスよ。楽な道を選んだ。……ごめんなさい」


 四人は、彼女を見ていた。誰も、口を開かなかった。


「水は、今から一人一日分に絞る。……ここから先は、必ず、嫌な方の道を選ぶ。歩きにくい方、暗い方、行きたくない方を」


「……マジかよ」


「マジよ」


 彼女は、一番藪が深く、暗い方角を指した。


「あっちへ行く」


【夜】


 森の中の夜は、深かった。


 五人は、大木の根元に背を預けて座っていた。


 火は、焚かなかった。焚いていいものか、判断がつかなかったからだ。


 携行食を分け合い、水筒を回す。一口ずつ。回ってきた水筒の軽さで、全員が状況を理解していた。


「……隊長」


 ミーナレイの声が、暗闇から聞こえた。


「なに」


「あたしたち、帰れますか」


 その声が震えていた。初めて聞く、弱い声だった。


「……大丈夫よ」


「本当ですか」


「…………」


「四十年の人、いたじゃないですか」


 彼女の声が詰まった。


「入った時のままの顔で戻ってきて、三日で死んだって。……あたし、あれ、ずっと考えてて」


「ミーナレイ」


「もし、あたしがそうなったら」


 彼女は膝を抱えた。


「祖母、たぶんもう、死んでます」


 誰も、何も言えなかった。


「せっかく、いつか会おうって思ったのに。……いつかが、なくなったら」


 闇の中で、鼻をすする音がした。


 ――そして。


「……ばか」


 リズの声だった。


「え」


「ばかって言ったの」


 彼女は、ミーナレイの隣に移動した。闇の中で、腕を回す気配がした。


「あんた、うちの隊の決まり、覚えてる?」


「……全員で、帰る」


「そう」


 リズの声は、いつも通りだった。いつも通りにしようと努力している声だった。


「決まりなの。決まりは、守るのよ」


「……はい」


「泣きなさい」


「……えっ」


「今のうちに泣いときなさい。明日は歩くんだから」


 闇の中で、ミーナレイが声を上げて泣き始めた。


 その音を、四人が黙って聞いていた。


 リヴィアは、その音を聞きながら、木の幹に頭を預けていた。


(……あの子は、まだ泣ける)


 自分は、いつからか泣けなくなった。


 いや――二年前、一度だけ泣いた。まだ聞いていない言葉を、思い出した時に。


(帰さなきゃ)


 彼女は、目を閉じた。


(この子は、絶対に)




 少し離れた場所で、ネロが端末を開いていた。


 画面の光が、彼の顔を下から照らす。


 ――通信は、圏外だった。


 当然だ。この森の中で、電波が届くはずがない。


 彼は、それでも一度、送信を試みた。


 失敗。もう一度。失敗。


 三度目で、彼は端末を閉じた。


(……届かない)


 なぜか、少しだけ、息が楽になった。


 この森の中にいる間だけは、報告しなくていい。報告できない。


 ――そこまで考えて、彼は自分の考えに気づいた。指先が、冷たくなった。


(……僕は今、何を安心してる)


 彼は、両手で顔を覆った。


 闇の中で、その姿は誰にも見えなかった。


【道が開く】


 二日目。


 五人は、嫌な方角へ歩き続けた。


 藪を掻き分け、倒木を越え、沢を渡り、また藪を掻き分けた。


 沢の水は、飲まなかった。この森のものを口に入れる気には、誰もなれなかった。


 誰も、文句を言わなかった。ミーナレイも、泣かなかった。


 昼過ぎ、リヴィアは足を止めた。


「……止まって」


 全員が、止まった。


 目の前には、また分岐があった。


 どちらも、同じくらい暗い。同じくらい歩きにくい。


 ――初めて、「嫌な方」が選べなかった。


「……どうするの?」


「…………」


 リヴィアは、木札を握りしめた。


 ムラサメの言葉が蘇る。


 ――西の森の婆に見せろ。儂の名で入れる。


 見せろ、と言った。


 誰に。


 ――婆に、ではなく。


(……森に?)


 彼女は、木札を両手で持った。


 森の奥へ向かって、それを掲げた。


「――ムラサメ殿の紹介で、参りました!」


 声が、森に吸い込まれた。


 五人が、息を詰める。


「リヴィア・ノクスと申します! 特務課、黒翼分隊!」


 沈黙。


「ミラ殿に、お会いしたい!」


 ――風が、吹いた。


 真上から、下へ向かって。


 木々が、一斉に鳴った。


 二つの道のうち、右の方の藪が――音を立てて、開いた。


 枝が持ち上がり、蔓がほどけ、下草が左右へ分かれていく。まっすぐな一本の道が、森の奥へ向かって伸びていった。


 道の両側の木々が、こちらへ向かって、少しずつ撓んでいる。


「……うそ」


 リズが呟いた。


「森が……お辞儀してる……?」


「……行くわよ」


 リヴィアは、木札を懐に戻した。


 五人は、開いた道を歩き出した。


 三十分ほど歩いた。道は、まっすぐだった。もう、増えも減りもしなかった。


 やがて――視界が、開けた。


 森の中の、小さな窪地。中央に、湧き水の泉。


 その傍らに、蔦の絡んだ小さな庵が一つ。煙突から、細い煙が上がっていた。


 庵の前に、人影があった。


 黒髪に銀の混ざった、長い髪。薄茶の麻の衣を、何枚も重ねて着ている。背は低く、痩せていた。


 その手には、蔦の絡んだ杖。


 彼女は、五人が来る方向を、最初から見ていた。何時に着くかを知っていた者の待ち方だった。


「――遅かったね」


 穏やかな声だった。


「お茶が、冷めてしまったよ」



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