↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界の狭間で君を待つ 〜【すべてを失った私が、隠してきた闇の力で世界に抗う】〜  作者: Sou
セイクリッドルート編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/53

山の翁

【鳥居をくぐる】


 朝の光が、灰色の鳥居を照らしていた。


 リヴィアは、その前に立った。


 太腿の傷は、まだ塞がっていない。ネロの回復魔法と包帯で固めただけだ。歩ける。走れば開く。それだけの状態だった。


「本当に、行くんですか」


 ミーナレイが、心配そうに聞いた。


「行く」


「でも、島の人は、入ったら帰ってこないって……」


「だから、三人が帰ってこないの」


 リヴィアは、鳥居を見上げた。


「あの人たちを見つけるのが、任務よ」


 彼女は、一歩を踏み出した。


 ――鳥居を、くぐる。


 その一歩で、全員が同じことを感じた。


 音が、消えた。


 背後の山道からは、確かに鳥の声が聞こえていた。なのに、鳥居を境に、それがぷつりと途切れる。


「……ひっ」


 ミーナレイが身を縮めた。


「な、なんですかこれ……耳が、変です……」


「気圧じゃない。……音が、届いてないんだ」


 アシュが、周囲を見回した。


「音が、切られてる」


【拒む山】


 杉の森は、深かった。


 樹齢数百年の木々が、空を覆っている。幹の太さは、大人が三人がかりで腕を回してようやく届くかというほどで、その根が地面を波打たせながら何メートルも這っていた。地面には何十年分の落ち葉が積もり、足を踏み出すたび、ずぶりと沈む。


 光は、ほとんど届かない。昼なのに、夕暮れのようだった。湿った土と、朽ちた葉と、樹脂の混ざった匂いが、服の布地に染み込んでくる。


「北北西へ。……失踪地点まで、直線で二キロです」


 ネロが、方位計を見ながら言った。


 十五分後。


「……あれ?」


 彼が、足を止めた。


「なに」


「……この倒木、さっきも見ました」


 全員が、振り返った。


 苔むした巨木が、道を斜めに塞いでいる。根元に、特徴的な裂け目がある。


 ――間違いなく、十分前に乗り越えたものだった。


「まっすぐ歩いてたわよね?」


「はい。……方位計も、狂ってません」


 ネロは、計器を見せた。針は、正確に北を指していた。


「狂ってないのに、戻ってる……?」


「……いえ」


 ネロの顔が青ざめた。


「戻ってるんじゃない。……戻されてるんです」




 それから一時間、五人は歩き続けた。


 同じ倒木を、四度越えた。


「くそっ! なんだよここは!」


 アシュが、木の幹を蹴った。


「幻術か!? あの仮面女みたいな!」


「違います」


 ネロが首を振った。


「幻術なら、僕の感知に引っかかります。……これは、幻じゃない」


「じゃあなんだよ」


「……物理的に、道が繋がっていないんです」


 誰も、意味が分からなかった。


 ミーナレイは、もう半泣きだった。


「あ、あの、あたし、水を撒いてみます……! 目印に……」


 彼女は水魔法で、木の幹に水の印をつけた。


 十分後、また同じ倒木に戻ってきた。


 ――幹には、水の印がついていた。


 六つ。


「六回目です……」


「うわああ、もう嫌ですぅ……!」


 ミーナレイが、その場にしゃがみ込んだ。


 リズが、彼女の背中をさすった。その顔も、さすがに引きつっている。


「……隊長。これ、どうする?」


 リヴィアは、応じなかった。


 彼女はその少し前から――地面を、見ていた。


 いや、地面ではない。地面から少し浮いた、空間そのものを。


「……ネロ」


「はい」


「魔素の流れ、視える?」


「い、いえ。振り切っていて、方向までは……」


「そう」


 彼女は、右手に魔力を灯した。


 手の甲に、四本の線が浮かぶ。


 剣を抜き、切っ先を地面に近づけて、前へ動かした。


 三歩。四歩。


 五歩目で、剣先が何かに触れた。


 空気ではない。――抵抗が、あった。


 金属でも、石でもない。水面に指を入れる時の、あの薄い張りに近かった。


「……あった」


「え?」


「線が、引いてある」


 リヴィアは、剣先でその「膜」をなぞった。


 目に見えるものは、何もない。だが確かに、そこに何かの境界があった。


「この森、区切られてる。……何本もの線で」


「線……?」


「私たちは、その線に沿って、勝手に曲げられてた」


 彼女は、剣を引いた。


「まっすぐ歩いてるつもりで、囲いの中をぐるぐる回されてたのよ」


 全員が沈黙した。


「……そんなの、誰が」


「――決まってるでしょう」


 リヴィアは、森の奥を見た。


「翁、っていう人が」


【斬られる】


 リヴィアは、剣を構えた。


「隊長?」


「線を、切る」


「え、そんなことできるんですか!?」


「やってみる」


 彼女は、息を整えた。


 ――術式の縫い目を断つのは、彼女の得意分野だ。エリックの三枚楯も、セルバの水幕も、そうやって破ってきた。


「黒閃」


 黒い線が、走った。


 膜に、触れる。


 ――何も、起きなかった。


「……え?」


 黒閃は、膜を通り抜けた。通り抜けて、向こうの杉の木を斬り倒した。


 膜は、そのままだった。


「……切れてない」


 リヴィアは、もう一度放った。


 斑。四つの陣から、四方向へ。


 全部、通り抜けた。膜には、傷ひとつつかなかった。


「そんな……」


 彼女は、青ざめた。


 術式なら、必ず「縫い目」がある。構築されたものは、構築を解ける。


 この膜には、縫い目がなかった。


 ――縫い目がないということは。


(……構築されてない?)


(構築されてないのに、そこに在る?)


 背筋が冷たくなった。


 彼女が知っているどの魔法の理屈にも、当てはまらなかった。


「――やめておけ」


 声が、した。


【翁】


 全員が、一斉に振り返った。


 いつからそこにいたのか。


 十歩ほど先の、太い杉の根元に。老人が、立っていた。


 背が低い。痩せている。質素な、灰色の着物。腰に、一振り。


 白い髪を後ろで結び、長い顎髭。深い皺の中で、目だけが動かなかった。


「……っ」


 アシュが、反射で銃を抜いた。二丁の銃口が、老人へ向く。


「動くな!」


 ――老人は、動かなかった。


 代わりに。


 カチン、と。


 小さな音がした。


 アシュの手の中で、二丁の銃が、それぞれ二つに分かれた。


 銃身がずるりと滑り落ちて、落ち葉の上に転がる。切断面は、鏡のように滑らかだった。


「……は?」


 誰も、抜刀を見ていなかった。


 老人の刀は、鞘に収まったままだった。


「アシュ! 下がって!」


 リヴィアが、前に出た。


 剣を構え――そして、すぐに理解した。


 勝てない。


 距離二十歩。この老人は、たぶん、いつでもこちらの首を落とせる。


(――位が、違いすぎる)


 二年前、聖都の広場で感じたのと、同じ種類の絶望だった。


「……皆、武器を下ろして」


「隊長!?」


「下ろして」


 彼女は、自分の剣を地面に置いた。


 そして、老人へ向かって深く頭を下げた。


「――ディナシア帝国軍、特務課黒翼分隊。指揮官、リヴィア・ノクスと申します」


 老人は、黙って聞いていた。


「私たちは、行方不明になった兵士三名を、捜索に来ました」


「…………」


「あなたを、討ちに来たのではありません」


 しばらく、沈黙が落ちた。


 風が、杉の梢を鳴らした。


 老人は、リヴィアの顔をじっと見ていた。


 見ていた、というより――視ていた。


 やがて、彼はぽつりと言った。


「……ふむ」


 それだけだった。


 彼は、背を向けた。


「――ついてこい」


「え?」


「茶でも飲め」


 老人は、歩き出した。


 その後ろを、五人は呆然とついていった。


【囲炉裏】


 小屋は、森の奥にあった。


 古い、小さな平屋だった。屋根の苔は厚く、板壁は雨と日で灰色に晒されている。周囲の畑には、大根と菜が几帳面な間隔で植わっていて、そこだけ杉の枝が払われて日が入るようになっていた。


 中に入ると、土間と、囲炉裏のある板間があった。壁際に、道具が並んでいる。鍬。鎌。砥石。どれも柄が手の形に磨り減っていて、何十年も同じ人間が握ってきたことが分かった。


 老人は、鉄瓶を火にかけた。


「……座れ」


 五人は、恐る恐る腰を下ろした。


 湯が沸くまで、誰も口をきかなかった。


 やがて、欠けた湯呑みが五つ、配られた。中身は、緑の茶だった。


 ミーナレイが、一口飲んで――目を丸くした。


「あ。……美味しい」


「そうか」


 老人は、自分の湯呑みを啜った。


 それから、囲炉裏の網の上の餅をひっくり返した。


「……あの」


 ミーナレイが、恐る恐る手を挙げた。


「なんだ」


「その、お餅。……焦げてます」


 全員が、凍りついた。


 ――伝説の剣士に向かって、餅の焦げを指摘する新人。


 ムラサメは、餅を見た。


「……む」


 彼は、慌てて網からそれを取り上げた。


「これは、儂の分だ」


「あ、そうなんですね」


「客に焦げたものは出さん」


「ふふっ」


 ミーナレイが笑った。


 その笑い声で、部屋の空気が少しだけ緩んだ。


 老人は、渋い顔で焦げた餅を齧った。


 ――アシュが、小声でリズに言った。


「……なんだこれ」


「知らないわよ」


「伝説の剣士じゃねえのかよ」


「伝説の剣士も、餅を焦がすのよ」


「……あの」


 リズが、おずおずと聞いた。


「……あなたが、山の翁、ですか」


「翁と呼ばれるのは、島の連中が勝手に言うことだ」


 老人は、餅を見ながら言った。


「儂の名は、ムラサメという」


 ――その名前に、リヴィアの背筋が跳ねた。


(ムラサメ)


 グレイが見せた、十四年前の警告文。その宛先の一つに、あった名前だ。


『そして、六つの理の御方々へ』


「……セイクリッドルート」


 彼女が呟くと、老人の眉が動いた。


「……ほう」


「あなたが、斬の理」


「そう呼ぶ者もおる」


 彼は、餅をひっくり返した。


「儂は、ただの偏屈な爺だがな」


 ――生ける伝説は、囲炉裏で餅を焼いていた。


 誰も、次に何を言えばいいのか分からなかった。


 ――その沈黙を破ったのは、また、ミーナレイだった。


「あの、ムラサメさん」


「なんだ」


「その刀、シキナの拵えですよね」


 老人の目が、少し動いた。


「……ほう」


「あたしの刀も、そうなんです」


 彼女は、腰の刀を膝の前に置いた。


「母が、シキナの人で。……家は、もうないんですけど」


 ムラサメは、その刀を見た。


 しばらく、じっと見ていた。


「……抜いてみろ」


「え?」


「抜け」


 ミーナレイは、戸惑いながらも少しだけ刀を抜いた。


 刃が、囲炉裏の火を映した。


 老人は、それを一瞥して――目を細めた。


「……タチバナか」


 ミーナレイの手が、止まった。


「え」


「その反りの付け方は、タチバナの流れだ。……島の北の、剣術の家だな」


「な、なんで分かるんですか!?」


「儂は、この島に六十年おる」


 彼は、当たり前のように言った。


「六十年前、まだ子供だった頃のタチバナの当主に、稽古をつけたことがある」


 部屋が、静まり返った。


「……六十年前」


 リズが、掠れた声で言った。


「あの、ムラサメさん、おいくつで」


「さあな」


 老人は、餅を齧った。


「数えるのをやめて久しい」


【三人の兵】


「――お主らの探し人だがな」


 しばらくして、ムラサメが言った。


 全員の背筋が伸びた。


「死んでおる」


 部屋の空気が、重くなった。


「……あなたが」


「儂ではない」


 老人は、あっさりと否定した。


「あの者らは、山を掘っておった」


「掘って……?」


「北の谷だ。……三人がかりで、穴を掘っておった。何日もな」


 彼は、茶を啜った。


「儂は、やめろと言った。あの谷は、脆い。……聞かなんだ」


「……崩落したんですか」


「そうだ」


 彼は、囲炉裏の火を見た。


「掘り出そうとしたが、間に合わなんだ。……三人とも、土の下だった」


 しばらく、誰も喋らなかった。


「……埋めましたか」


「谷の東に、三つ。……印は立ててある」


 ムラサメは、それからリヴィアを見た。


「一つ、妙なことがある」


「妙なこと」


「あの者らは、命じられておった」


 老人の声が、少しだけ低くなった。


「掘るように、と。……誰にとは、言わなんだが」


「……言わなかった?」


「一人だけ、掘り出した時、まだ息があってな」


 彼は、湯呑みを置いた。


「儂が『誰に命じられた』と聞くと、こう答えた。――『知らない』と」


「……知らない?」


「『命令書には、名前がなかった』」


 リヴィアの喉が鳴った。


 ――名前のない命令書。


 二年前、レムナスへ送られた時と、同じだった。


【環】


「遺品は、これだ」


 ムラサメは、奥から布包みを持ってきた。


 開くと、認識票が三つ。腕時計。財布。手紙。


 そして――金属の、環が一つ。


「……なんですか、これ」


 リズが手に取った。


 リヴィアは、それを受け取って灯りにかざした。


 駐留司令部の遺留品箱で見た三つと、同じものだった。首輪ほどの大きさ。鈍い灰色。内側に、細かい術式の刻印。


 違うのは、一箇所だけだった。


 ――切れていた。


 断面が、鏡のように滑らかだった。


「……これ、切ってあります」


「儂が斬った」


 ムラサメは、当たり前のように言った。


「息のあった一人が、それを外そうとしておった。……指が、留め具を探しておった」


 彼は、火を見た。


「留め具は、ない」


 部屋が、静まり返った。


「……ムラサメ殿。これは、どこに」


「首に、な」


「――つけられて、いたのですか」


「そう見えた」


 老人は、湯呑みを取った。


「あれは、人が自分でつけるものではない」


 リヴィアは、切れた環を布の上に置いた。


「司令部の遺留品箱に、同じものが三つありました」


「ほう」


「荷物の底に入っていました。……閉じたまま。使った跡が、ない」


「予備であろうよ」


 ムラサメは、短く言った。


「四つ持たせて、三つ余った。……そういう数え方をする者が、どこかにおる」


 誰も、それに続けられなかった。


「……ネロ?」


 リヴィアが呼んだ。


 ――彼は、環を見つめたまま動かなかった。


「ネロ」


「……あ」


 彼は顔を上げた。


「……すみません。何ですか」


「これ、分かる?」


 彼は、環を受け取った。しばらく、術式を目で追った。


 その指が、少しだけ震えた。


「……分かりません」


「本当に?」


「……はい」


 彼は、環を布に戻した。


「解析には、設備が要ります。帝都に戻ってから、正式に照会します」


 平坦な声だった。


 リヴィアは、その顔を見た。


 ――何かがおかしい、と思った。


 だが、それが何なのか、掴めなかった。


【名前のない墓】


 その日の夕方、五人は北の谷へ案内された。


 崩落の跡は、まだ生々しかった。斜面が幅二十メートルほど大きく抉れ、その下に赤茶けた土砂が扇形に堆積している。抉れた面から、掘りかけの横穴の口が半分だけ覗いていた。人が三人、腹這いで並べるかどうかという狭さだった。


 東の端に――三つの、木の墓標が立っていた。杉の枝を削って十字に組んだだけの、素朴なものだった。土に挿さった部分がまだ白く、切り口の樹脂が乾ききっていない。


 名前は、彫られていなかった。


「……名前は」


「知らん」


 ムラサメは、短く答えた。


「認識票は、そこの布に包んである。……お主らが持ち帰れ」


 リヴィアは、三つの墓標の前に膝をついた。


 二十代前半だった、と記録にはあった。三人とも、半年前にこの島へ配属された。それ以前の経歴は、記録にない。


 名前のない命令書で、名前のない山を掘らされて、名前のない墓に埋まっている。


(……誰も、あなたたちを探さないのね)


 彼女は、しばらく動かなかった。


 背後で、ミーナレイが手を合わせていた。


 シキナの作法だった。母から教わったのだろう。


 その手つきがあまりに自然だったので――アシュも、リズも、真似をした。


 最後に、ネロも。


 彼だけが、手を合わせたまま長く動かなかった。


【昔話】


 その夜、五人は小屋に泊まることになった。


 外は、真の闇だった。障子を開けても、庭の輪郭さえ見えない。街の灯りが一つもない山奥の夜は、こんなにも暗いのかと、リヴィアは思った。帝都では、下層区の一番暗い路地でも、どこかしらから光が漏れていた。


 囲炉裏の火だけが、六人の顔を照らしている。火の向きが変わるたび、天井の梁に映る影が、部屋の中を大きく動いた。


「――ムラサメ殿」


 リヴィアが、口を開いた。


「一つ、伺ってもいいですか」


「言うてみろ」


「……あなたは、何者ですか」


 老人は、しばらく火を見ていた。


「昔話をしよう」


 鉄瓶の湯が、ことこと鳴っていた。


「千年前の話だ」


 全員が、姿勢を正した。


「昔――天と、地と、魔の、三つがあった」


 ムラサメの声は、低かった。


「天には翼を持つ者が、魔には角を持つ者が住んでおった。……そして、その真ん中に、我々がおった」


「……神話、ですか」


 ミーナレイが、小さく聞いた。


「今は、そう呼ばれておるな」


 老人は頷いた。


「だが、あれは戦だ。実際にあった戦だ」


 彼は、火に薪をくべた。


「儂の師の、そのまた師の代の話だがな。……口伝で残っておる」


「口伝……」


「空が割れて、光を纏った者らが降りてきたそうだ。……美しかったと」


 彼は、火を見た。


「地が割れて、角の者らが這い上がってきた。……こちらは、醜かったと」


「…………」


「どちらも同じことをした。人を殺した」


 薪が、爆ぜた。


「美しかろうが醜かろうが、殺されれば同じだ。……人にとってはな」


 リヴィアは、思わず自分の胸元に触れた。


 銀のペンダント。誰も知らない紋様。


 ――角の者。


 なぜか、その言葉が妙に耳に残った。


「三つが、一度だけ、本気で殺し合った。……その時、神が死んだ」


「か、神様が、死んだ……?」


「そうだ」


 ムラサメは、あっさりと言った。


「創造神アルセリウス。……三つの界を作った者だ。その者が、三界の戦の中で死んだ」


 誰も、口を挟めなかった。


「神が死ぬとな。……その神が握っておった『理』が、宙に浮く」


「理」


「世界の決まりごとだ。……火が熱い理由。水が流れる理由。物が斬れる理由」


 彼は、自分の腰の刀を軽く叩いた。


「その、宙に浮いた欠片を――拾った者がおる」


 リヴィアの息が止まった。


「人間が、ですか」


「そうだ。六人」


 老人は、火を見つめた。


「風。雷。土。斬。木。……そして、光」


 六つ。


 ――その背後で、ひそひそと囁き声がした。


「……ねえ、アシュ」


「なんだ」


「今の、分かった?」


「……分かるかよ」


 リズとアシュが、額を寄せていた。


「神様が死んで、決まりごとが浮いて、それを拾った? ……なに、落とし物?」


「知るか。……俺は『三つが殺し合った』あたりまでは、まだついていけた」


「あたしはもっと前。……『天と地と魔の三つがあった』の時点で、もう」


「早すぎるだろ」


「だって、なんか、御伽噺の始まりみたいなんだもの」


 二人が、こそこそと言い合う。


「爺さん、たぶんすごいこと言ってるのよ。たぶん」


「たぶん、な」


「でも、言い方がねえ……」


「あれだ。年寄りの話が長いってやつだ」


「しっ、聞こえるって」


「――聞こえておる」


 ムラサメの声が飛んだ。


 二人が飛び上がった。


「す、すみません!!」


「よい」


 老人は、茶を啜った。


「儂の話は、分かりにくいと、昔からよく言われる」


「あ、自覚あるんですね」


「リズ!」


「あっ」


 ムラサメは、少し笑った。


「――では、簡単に言おう」


 彼は、囲炉裏の火を指した。


「この火は、なぜ熱い」


「え? ……えっと、燃えてるから?」


「では、なぜ燃えると熱い」


「……なぜって」


 リズが、詰まった。


「決まっとるからだ」


 老人は、言った。


「誰かが、そう決めた。……その『決めた者』が、神だ」


「……はあ」


「神が死ぬとな。決めごとだけが、宙に残る」


 彼は、指を折った。


「その決めごとを、拾った人間が、六人おる」


「……つまり」


 アシュが、恐る恐る言った。


「『なんで火が熱いか』を、知ってる人間が六人いるってことか?」


「知っておるのではない」


 ムラサメは、首を振った。


「――決められる、ということだ」


 部屋が、静まり返った。


「……あ」


 リズの顔が青ざめた。


「え、ちょっと待って。それって」


「そういうことだ」


「……やば」


 彼女は、それだけ言って口を押さえた。


「拾った者は、その理の中では、神に近くなる。……ただし、それだけだ」


「それだけ、って」


「不死ではない。全能でもない。……ただ、その一つのことだけが、異常に上手くなる」


 彼は、少し笑った。


「儂の場合は、斬ることだ。……刀で斬るのではない。この世のあらゆる『繋がり』を、斬れる」


 リヴィアは、森の膜を思い出した。


 黒閃が通り抜けた、あの縫い目のない境界。


「……あの森の線は」


「儂が、引いた」


 ムラサメは、頷いた。


「道と道の繋がりを斬った。斬った先を、別の場所に繋ぎ直した。……それだけだ」


「それだけって……」


「言うたろう。一つのことだけが、異常に上手いのだ」


 背後で、また囁き声がした。


「……ねえ、今の分かった?」


「今のは分かった」


 アシュが、小声で答えた。


「道を斬って、別の場所に繋いだ。……だから、まっすぐ歩いても元に戻る」


「あー! なるほど!」


 リズが、ぽんと手を打った。


「つまり、廊下の途中で扉をすり替えたみたいな?」


「そうそう。……そういうことだろ、たぶん」


「そういうことでいいんですか、爺さん」


「よい」


 ムラサメは、頷いた。


「その方が分かりやすいなら、それでよい」


「よかった!」


 リズが、心底ほっとした顔をした。


「あたし、最初『空間を斬る』って聞いた時、空気を斬るのかと思って」


「それは、ただの素振りだ」


「ですよね」


 アシュが、頭を抱えた。


「……お前、たまに本気で心配になるわ」


 ムラサメは、茶を啜った。


「――そして、それが、恐ろしいのだ」



【一行目】


 夜半、リヴィアがふと目を覚ますと、囲炉裏の脇に人影があった。


 ミーナレイだった。膝の上に紙を置いて、鉛筆を握っている。


「……何してるの」


「あ、隊長。すみません、起こしました?」


「ううん。……手紙?」


「……はい」


 彼女は、少し照れくさそうに紙を伏せた。


「祖母に、書こうと思って。……会えなかったので、せめて」


「そう」


「でも」


 彼女は、鉛筆を置いた。


「一行目が、書けないんです。……『はじめまして』は変ですし、『おばあさま』も、なんか違うし」


「…………」


「あと、書いたところで、渡しに行けないですし」


 彼女は笑った。


「明日、帝都に帰りますから」


「……書けたか」


 囲炉裏の向こうから、老人の声がした。まだ火の番をしていたらしい。


「……いえ。まだ」


「そうか」


 ムラサメは、火に薪をくべた。


「急ぐな。……相手が生きておるうちに出せば、それでよい」


 ミーナレイの手が、止まった。


 彼女は、しばらく紙を見ていた。


 それから、四つに折って、鞄の一番底に入れた。




 ミーナレイが寝息を立て始めても、リヴィアは眠れなかった。


 板間に横になったまま、天井の梁を見上げていた。


「……眠れんか」


 囲炉裏の向こうで、老人の声がした。


「……はい」


「若いのは、そうだ」


 しばらく、火の爆ぜる音だけがした。


「……ムラサメ殿」


「うむ」


「六人のうち、一人は」


 リヴィアは、慎重に言葉を選んだ。


「……道を、違えたと聞きました」


 老人の手が、止まった。


「……誰から聞いた」


「十四年前、あなた方に届いたはずの手紙の、写しからです」


 ムラサメは、火から目を離さなかった。


「……あの手紙か」


「ご存じなんですね」


「読んだ。……差出人は、名乗らなんだ」


 彼は、火箸で薪を突いた。


「儂は、信じなかった」


「……なぜ」


「五百年前、あれは封じた。六人がかりで、な。……封が解けるはずがない」


 老人の声が、低くなった。


「そう、思うておった」


 リヴィアは、体を起こした。


「思っていた、というのは」


「――近ごろ、風が騒がしい」


 ムラサメは、火を見たまま言った。


「儂の理は、繋がりを視る。……五百年、あの席は空いておった。誰も座っておらんかった」


 彼の目が細くなった。


「――近ごろ、そこに、何かが座っておる気配がする」


 リヴィアの背筋が凍った。


「一人足りん椅子が、埋まりかけておる。……そういう、気配がするのでな」


 薪が、爆ぜた。火の粉が、天井へ舞い上がって消えた。


「……その席の名は」


 リヴィアは、掠れた声で聞いた。


 ムラサメは、答えた。


「――光だ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。