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世界の狭間で君を待つ 〜【すべてを失った私が、隠してきた闇の力で世界に抗う】〜  作者: Sou
セイクリッドルート編

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26/53

銀と黒、再び

【夜襲】


 三日目の夜、それは始まった。


 最初の報せは、音だった。宿の窓が、遠い衝撃で微かに震えた。


 リヴィアは、寝台から跳ね起きた。


「――全員、起きて!」


 廊下を走る足音。障子が次々と開く。


「な、なんですか!?」


「北西! 調査団の宿営地です!」


 ネロが、寝間着のまま端末を掲げていた。


「爆発反応、三……いえ、五! 掘削設備の方向です!」


「装備、五分で。……ミーナレイ、遅れないで」


「はいっ!」




 宿営地に着いた時、そこは既に混乱の底にあった。


 掘削櫓が根本から折れて倒れている。発電設備が燃え、白い煙が夜空へ立ち上っていた。


「……死体が、ない」


 アシュが、周囲を見回して言った。


 護衛の兵たちは、あちこちに倒れている。


 ――全員、生きていた。


 凍りついていた。


 膝から下を氷に固められ、身動きが取れずにいる者。装備だけを凍らされ、武器を持てずにいる者。


 誰一人、殺されていなかった。


「これって……」


 リズの声が、途中で止まった。


 ミーナレイが、氷の一つに触れる。


「うわ、冷たっ……あの、これ、魔法ですよね? こんな綺麗な氷……」


「……ええ」


 リヴィアは答えた。声が、少し掠れた。


 知っている。この冷気の質を、知っている。


 二年前、地の底の聖堂で。――そして、あの雨の日、焼けた広場で。


「隊長!」


 ネロが駆けてきた。


「北東へ、単独の魔力反応が移動中です! 速度……速い! 港の方向!」


「……港?」


「はい。……旧市街の、倉庫区です」


 リヴィアの息が止まった。


 旧市街の倉庫区。三年前の大火で焼け落ちて以来、放棄された区画。誰も住んでいない。夜警すら入らない。


 ――誘っている。


 彼女は、レイピアの柄に手をかけた。


「……全員、ここに残って。負傷者の救護を」


「え!? 隊長、一人でですか!?」


 ミーナレイの顔が跳ね上がった。


「危険です! あたしも――」


「――ミーナレイ」


 リズが、彼女の肩を掴んだ。その顔は、いつになく真剣だった。


「行っちゃ駄目」


「でも!」


「あんたじゃ、死ぬ」


 言葉が、あまりに直截だった。


 ミーナレイが、息を詰める。


「あれは……あの氷は、そういう相手なの」


 リズは、リヴィアを見た。


「……隊長。無茶しないでよ」


「する気はないわ」


「嘘つき」


 リヴィアは、応じなかった。


 彼女は、闇の中へ駆け出した。



【旧市街】


 旧市街は、黒い骨格だった。


 三年前の火事で焼けた倉庫が、屋根も窓もないまま格子状に並んでいる。石畳には割れた瓦礫が散り、雑草が伸びていた。


 人の気配は、ない。


 月が、雲間から出ていた。


 ――リヴィアは、大通りの中央で足を止めた。


 二十歩先。瓦礫の上に、それは立っていた。


 白銀のマント。月光を弾いて、銀の髪が揺れている。


 二年前より、少しだけ背が伸びた。少しだけ、体つきが女らしくなった。


 薄氷色の瞳は、変わっていなかった。


「……カリン・ユエル」


 リヴィアが、名を呼んだ。二年前、雨の中で聞いた名前だった。


 銀髪の少女が、目を細めた。


「……名前」


「知ってる」


「そう」


 カリンは、白銀のレイピアを抜いた。鞘走りの音が、廃墟に響く。


「あなたも、知ってる。……リヴィア・ノクス」


 二人は、しばらく動かなかった。


 風が、焼け跡の灰を巻き上げた。


「……止めても、無駄よね」


「無駄」


「あの掘削が、何を掘り出すか知ってる?」


「知ってる。……あなたより、たぶん詳しく」


 カリンの声は、抑えられていた。


「あれは、魔法を殺す石。……人の命を、道具にする石」


「…………」


「私の国も、それで死んだ」


 リヴィアの喉が動いた。


「――アルジェンナ」


 銀髪の少女の目が、初めて揺れた。


「……知ってるの」


「調べた。二年、かけて」


 リヴィアは、レイピアを抜いた。


「十一年前。雪の小国。……住民の四割が死んだ」


「四割じゃない」


 カリンが、訂正した。


「――六割。記録に載らなかった村が、二つある」


 言葉が、途切れた。


 二人の間に、月光だけが降っていた。


「……ねえ」


 リヴィアは、剣を構えながら言った。


「あなたと私、たぶん、同じものを憎んでる」


「そうね」


「なら――」


「でも」


 カリンが、切っ先を上げた。


「あなたは、その軍服を着てる」


 その一言で、全部が終わった。


 ――二年前と、同じ言葉だった。


 あの人が言ったのと、同じ。


「……そうね」


 リヴィアは、構えを深くした。


「じゃあ、話は終わり」


 二つの影が、同時に地を蹴った。



【第一合】


 銀と黒が、噛み合った。


 ――重い。


 最初の一合で、リヴィアの腕が痺れた。二年前より、明らかに重い。


 カリンの刺突は、突きというより「打ち込み」に近くなっていた。剣速だけでなく、体重の乗せ方が変わっている。


(……技を、練り直してる)


 二合目。三合目。


 ――この形を、彼女は知っている。


 白の塔の実技棟で、教官が何百回も同じ言葉で直させた形。あの人が、この子に教えた形。


 知っているのに、読み切れない。この二年で、この子はそこから先を、自分で作っている。


 カリンの剣は、常にリヴィアの右――利き手側を狙ってきた。


 受ければ剣を弾かれ、避ければ体勢が左へ流れる。左へ流れれば、そこには氷がある。


 ――誘導されている。


 リヴィアは四合目で、あえて受けなかった。


 半歩、前へ踏み込む。突きの軌道の内側へ入り、カリンの肘を左肘で押した。


「――っ」


 銀の刺突が、頬のすぐ横を通り過ぎる。冷気が、耳を裂いた。


 リヴィアは、返しの一閃を放った。


 カリンが跳んだ。


 いや――滑った。


 着地の瞬間、足元に氷が生まれ、彼女はその上を滑走して後方へ抜けた。その滑走の軌跡が、そのまま氷の道になる。


「――白牢・帯」


 氷の道が、二本、三本と分岐した。


 廃墟の大通りに、氷の網が張られていく。リヴィアの足元にも、氷が這ってきた。


(――足を、取る気ね)


 彼女は跳んで、瓦礫の上に着地した。そこにも、氷が追ってきた。


 カリンは、地面を「支配」していた。


 二年前の白牢が空間を一瞬で凍らせる爆発的な技だったのに対し、これは持続的で、範囲を選べる。


 ――効率が、上がっている。


「――氷槍・簇雨」


 氷の道から、無数の氷柱が生えた。


 二年前と同じ技。数と速度が、違う。百を超える氷の槍が、リヴィアを四方から刺しにきた。


「……っ」


 彼女は、身を沈めた。


 右手の指が、宙に走る。


 闇色の陣が、周囲に――四つ、展開した。


「黒閃・斑」


 四つの陣から、黒い線が放たれる。


 氷槍が、空中で断たれた。


 ――四つだけで。


 二年前は十二の陣を展開しなければ、氷の壁一枚割れなかった。今は、四つで百の槍を落とせる。


 カリンの眉が動いた。


「……陣が、減った」


「無駄が減っただけ」


 リヴィアは、砕けた氷の雨の中を駆けた。


 ――が、その足が途中で止まった。


 砕けた氷が、落ちなかった。


 空中で、砕けた欠片が向きを変え、再び刃の形に凝った。


「――簇雨・還」


 二度目の雨が、至近距離から降ってきた。


「……っ!」


 リヴィアは、剣を跳ね上げた。黒閃を三本、扇状に。


 全ては落とせない。


 左の二の腕。右の脇腹。頬。氷の破片が、皮膚を裂いていく。


 彼女は構わず、前へ出た。傷を数えるより、距離を詰める方が早い。


(……この子、術を「使い捨てて」ない)


 放った氷を、回収して、再利用している。二年前にはなかった発想だった。


 ――こちらと、同じことを考えている。


 闇が喰うように、氷が戻る。


 互いに、自分の属性の性質を、深く理解し直してきたのだ。


【第二合】


 距離が、詰まる。


 カリンが、滑走で後退しながら迎撃した。銀の刺突が、四連。


 リヴィアは、二本を弾き、一本を逸らし――四本目を、避けなかった。


 肩を掠らせた。布が裂け、皮膚が凍りつく。


 その一瞬で、カリンの剣は伸びきった。


(もらった)


 リヴィアの左手が、彼女の手首を掴んだ。


「――っ!」


「近い方が、私が有利よ」


 密着距離。レイピアの間合いではない。


 リヴィアは剣を短く持ち替え、柄頭をカリンの胸元へ叩き込んだ。


 ――が。


 当たる寸前で、カリンの体が下へ落ちた。


 彼女は、自分の足元の氷を瞬時に融かしたのだ。


 支えを失った体が沈み、リヴィアの柄頭が空を切る。


 落下しながら、カリンの左手が地面に触れた。


「――氷牙」


 リヴィアの足元が、爆ぜた。


 氷の牙が、地面から生え上がる。串刺しにされる寸前、彼女は跳んだ。


 左の太腿を、氷の先端が抉った。


「……っ、あ……!」


 血が、氷を赤く染めた。


 着地したリヴィアは、片膝をついた。カリンが、滑走で距離を取る。


 二十歩。互いに、荒い息をついていた。


「……近接を、捨てたのね」


 リヴィアが、傷を押さえながら言った。


「二年前のあなたは、鍔迫りから逃げなかった」


「…………」


「今のあなたは、床ごと逃げる」


「――逃げてない」


 カリンの声が、少しだけ強くなった。


「あなたと組み合えば、私が負ける。……それを、知っただけ」


 リヴィアは、少し驚いた。


 自分の弱点を、正確に認めている。そして、それを補う戦い方を組み上げてきた。


 ――この二年、この子も、ずっと戦い続けてきたのだ。誰かのために。


「……あなた」


 リヴィアは、立ち上がった。


「セリウスのために、戦ってるの」


 空気が、凍った。


 物理的に、凍った。周囲の湿気が一斉に霜になり、廃墟の柱が白く覆われる。


「――あなたに」


 カリンの声が、初めて明確な感情を帯びた。


「――あなたに、その名前を呼ばれるのが、一番腹立たしい」


 彼女の周囲に、氷が渦を巻いた。


「あなたがあの人と六年一緒にいた間、私はまだ字も読めなかった」


 剣先が、上がる。


「でも――あの人が一番苦しかった十年間、隣にいたのは私」


 リヴィアの心臓が跳ねた。


「あなたじゃない」


 言葉が、止まらなかった。


「あの人が、夜中に飛び起きるのを見たことある?」


「…………」


「自分の光で人を焼いた日に、手が震えて食器を持てないのを見たことある?」


 カリンの声が震えていた。


「『リヴィア』って寝言で呼ぶのを――何度も、何度も聞かされたのは、私」


 リヴィアの息が止まった。


「……なんで、そんなこと」


「言いたかったからよ」


 銀髪の少女は、正直に言った。


「二年間、ずっと。……あなたに会ったら、言ってやろうと思ってた」


 彼女の目に、月光が反射している。その光が、涙のようにも見えた。


「……あの人を、返して」


 ほとんど囁くような声だった。


「あなたが生きてるだけで、あの人は、まだ十年前にいる」


 ――リヴィアは、言い返せなかった。


 言い返す言葉を、持っていなかった。


 あの人が、どんな十年を過ごしたのか。自分は、知らない。


 知らないまま、二年前、「関わるな」と言われて、なお追いかけた。追いかけて、殴られて、また追いかけようとしている。


 ――それは、この子から見れば。


(……ただの、身勝手か)


 腹の底が、鈍く痛んだ。


「……そうかもしれない」


 彼女は、正直に答えた。


 カリンの動きが止まった。


「私は、あの人の十年を知らない。……知らないまま、名前を呼んでる」


「…………」


「でも」


 リヴィアは、剣を握り直した。


「知らないから、聞きたいの。……本人から」


「――そんな機会、来ない」


 カリンの声が鋭くなった。


「あなたは帝国の犬で、あの人は組織の長。……次に会う時は、どちらかが死ぬ時よ」


「そんなの、知らない」


「……っ」


「私は、まだ聞いてない」


 リヴィアは、言った。


「十年前の朝、あの人が言いかけた言葉を、まだ聞いてないの」


 その一言に――カリンの表情が崩れた。


 怒りでも、憎しみでもなかった。もっと、痛いものだった。


「…………ずるい」


 彼女は、掠れた声で言った。


「そんなの、私が入れる隙、どこにもないじゃない」



【絶空】


 氷が、来た。


 白牢の帯が、廃墟の大通り全体を覆い尽くしていく。柱が凍り、瓦礫が凍り、空気中の水分すべてが刃に変わる。


 その中央から、氷の津波がリヴィアへ向かって走った。


 ――躱せない。範囲が、広すぎる。


 リヴィアは、レイピアを両手で握った。


 息を、深く吸う。


(……足りない、って言ったのは、二年前)


 あの日、聖都の焼けた広場で、光の雨に沈められた。


 黒閃は速い。ただし、線でしかない。斑は広い。ただし、一本一本は細い。


 ――面が、要る。あの光の雨を切り裂けるだけの、圧倒的な面が。


 三度、試した。三度とも、溜めきる前に刃の先が破けた。減衰装置を焼き、左手の感覚を七秒失った。


 当然だった。


 溜めるものが、自分の中にしかなかったからだ。


 ――今は、目の前に、津波がある。


 切っ先を、天へ。


 闇が、刃に集まり始めた。


 黒閃のように細く鋭くではない。斑のように分散させるのでもない。


 ――溜める。


 刃の先端に、闇が凝縮していく。黒い塊が剣先で膨れ、脈打つ。心臓の鼓動と同じ律動だった。


 周囲の空気が、剣先へ吸い寄せられていく。落ちていた灰が、瓦礫の粉が、渦を巻いて剣先へ吸い込まれ、闇に呑まれて消えた。


 空気が軋んだ。


 押し寄せる氷の津波が、その闇に触れる寸前で――速度を、落とした。


 落ちたのではない。減っていた。


 津波の先端が、削られていく。溶けるのでも砕けるのでもなく、そこに在ったはずの量が、剣先の一点へ吸われていく。


 刃の闇が、飲んだ分だけ膨れた。


 カリンの目が、初めて大きく見開かれた。


「――なに、それ」


 リヴィアの口は動かなかった。答える息が、惜しかった。


 両腕が、悲鳴を上げている。剣が重い。溜めた闇が、自重で刃を引きずり下ろそうとする。


 ――今。


 彼女は、両手で握った剣を振り下ろした。


「――絶空」


 闇が、解き放たれた。


 それは、線ではなかった。


 剣先から放たれた漆黒の斬撃が、扇状に広がり、大通りを横薙ぎに奔った。


 幅、二十メートル。


 氷の津波が、真っ二つに割れた。


 割れただけではない。


 斬撃が通過した後、そこには何も残らなかった。氷も、瓦礫も、石畳も。


 ――斬られた面が、鏡のように滑らかだった。


 黒い斬撃はそのまま奔り続け、大通りの左右の廃倉庫を、根本から水平に断ち切った。


 一秒の静寂。


 ――崩落が、始まった。


 断たれた倉庫が、地響きとともに沈む。一棟。二棟。三棟。


 支えを失った建物が隣の建物を巻き込み、崩落が連鎖していく。粉塵が、月光を遮って立ち上った。


「――っ!」


 カリンは、辛うじて跳んでいた。


 斬撃の縁が、彼女の白銀のマントを、腰から下を丸ごと断ち切っていた。


 瓦礫の山に着地した彼女の頬に、一筋の血。


 彼女は、自分の頬に触れた。指先に、赤。


 それから、真っ二つになったマントを見た。


「…………」


 彼女は、しばらく動かなかった。


 粉塵の向こうから、黒い影が歩いてくる。剣を下げ、片脚を引きずりながら。


「……二年」


 リヴィアは、荒い息の中で言った。


「二年、あなたに勝てるように、練った」


「…………」


「あなたが強かったから」


 カリンの唇が、微かに動いた。何かを言おうとして、言えなかった。


 ――彼女は、理解していた。


 今の一撃は、避けられなかった。跳んだのは反射で、生きているのは運だ。


 あの技を放った後も、この女はまだ立っている。


 二年前、聖堂で相打ちだった相手が。


(……追い抜かれた)


 その事実を、彼女は正確に認識した。


 認識して――剣を、構え直した。


「……それでも」


 彼女の周囲に、これまでで最大の冷気が渦を巻き始める。


「引けない」


【雷】


 二人が同時に踏み込もうとした、そこへ。


 空が、白く光った。


 ――落雷。


 二人の間の地面に、青白い柱が突き刺さった。石畳が爆ぜ、衝撃波が両者を弾き飛ばす。


「――なっ!?」


 リヴィアが体勢を立て直した時、廃墟の屋根の上に影が並んでいた。


 五つ。濃紺の軍服。銀の双翼章。特務課の意匠だった。


「――特務課第三特殊部隊、雷牙隊」


 先頭の影が、跳び降りた。着地の衝撃で、周囲の瓦礫が浮き上がる。


 女だった。三十代前半。短く切り揃えた黒髪。感情の読めない、灰色の目。


「隊長、イグナ・ヴェルド」


 彼女は名乗った。


「駐留司令部の要請により、出動した」


 カリンの表情が変わった。


 ――五人。しかも、リヴィアがまだ立っている。


「……ちっ」


 初めて、彼女が舌を打った。


「逃げるつもりか」


 イグナが、右手を上げた。


「無駄だ。……私の雷は、魔力を追う」


 彼女の指先から、青白い線が奔った。


 それは真っ直ぐ飛ばなかった。空中で折れ曲がり、カリンの纏う冷気の魔力を辿って追尾する。


「――っ!」


 カリンが、氷の壁を張った。


 雷は、壁を回り込んだ。


 彼女の左肩を、青白い光が貫いた。


「あ――」


 白銀のマントの残骸が、焦げた。


 彼女は膝をつき――もう一度、立ち上がった。


「まだ動くか」


 イグナが、二撃目を構える。


 カリンの足元から、爆発的に霧が噴き上がった。自分の氷を、一瞬で気化させたのだ。


 視界が、真っ白に染まる。


「――撃て!」


 雷牙隊の四人が、霧の中へ雷撃を放った。


 何も、当たらなかった。


 霧が晴れた時、そこには誰もいなかった。


 白銀のマントの切れ端だけが、瓦礫の上に落ちていた。




 イグナ・ヴェルドは、しばらく霧の消えた方角を見ていた。


 それから、振り返った。


 リヴィアが、片膝をついている。太腿からの出血。肩の凍傷。全身の擦過傷。


 その周囲に広がる、破壊の跡。


 水平に断たれた倉庫群。崩落した区画。鏡のように滑らかな、斬撃の断面。


 イグナは、その断面をしばらく見つめた。


「……これは、あなたが?」


「……ええ」


「一撃で」


「……ええ」


 彼女は、少しだけ黙った。


「――リヴィア・ノクス大尉。噂は聞いている」


 彼女は、リヴィアの前に立った。値踏みするような、冷たい目だった。


「二年前、要塞ロデルの水幕を裂いた黒い閃光。……ずいぶん、腕を上げたようだ」


「……どうも」


「一つ、忠告しておく」


 イグナは、崩れた倉庫を顎で示した。


「あなたのそれは、闇属性だな」


「……そうです」


「私の雷は、放てば消える。火も、風も、水もそうだ。……放った端から、術者の手を離れる」


 彼女の目が細くなった。


「だが闇は違う。……闇は、戻ってくる」


 リヴィアの背筋が冷たくなった。


「――扱いを間違えれば、焼かれるより酷い」


 イグナはそれだけ言って、背を向けた。


「収容班を呼ぶ。動けるか」


「……はい」


「そのまま動くな。血が多い」


 彼女は、部下に手信号を送った。


 その背中を見ながら、リヴィアは自分の右手を見下ろした。


 黒い手袋。その下で、指先がまだ微かに冷たい。


 ――闇は、戻ってくる。


 二年前、ネロが見せた黒閃の波形の逆流。黒葬が敵の魔法を喰う感触。


 そして今、津波を削って剣先が膨れた、あの感触。


(……戻ってきてる?)


(何が?)


 答えは、まだ出なかった。




 三十分後、黒翼の四人が駆けつけた。


「――隊長!!」


 リズが真っ先に走り寄り、リヴィアの傷を見て息を詰めた。


「なにこれ、太腿……氷でやられたの!? 止血、止血! ネロ!」


「……はい」


 ネロが膝をつき、回復魔法をかけ始める。その手つきは、二年前より遥かに正確だった。


「……深いですね。動脈は逸れています。……三日は走れません」


「三日で治す」


「無理です」


「治す」


「…………」


 ネロは、それ以上言わなかった。


 ――アシュとミーナレイは、別のものを見ていた。


「……おい」


 アシュが、廃墟の断面を見上げていた。


 水平に断たれた三棟の倉庫。鏡のように滑らかな切断面。その向こうまで、まっすぐに続く破壊の帯。


「これ、あんたか」


「……ええ」


「……一撃で?」


「……ええ」


 アシュは、しばらく黙っていた。


 それから、短く息を吐いた。


「……ちくしょう。また、離された」


「アシュ」


「なんでもねえよ」


 彼は、そっぽを向いた。


 その隣で、ミーナレイが口を開けたまま立ち尽くしていた。


「……すごい」


 小さな声だった。


「隊長……すごいです。あたし、こんなの、見たことない」


 その目に、純粋な憧れが灯っていた。


 リヴィアは、それを見て――目を逸らした。


 なぜか、その目を、まっすぐ受け止められなかった。



【翌朝の新聞】


 三日後。


 帝都で、朝刊が配られた。


 一面に、大きな見出しが躍っていた。


『シキナ諸島にて大規模破壊 テロ組織の犯行』


『帝国資源調査団を襲撃 市街地一区画が壊滅』


『現地政府、治安維持能力の欠如を露呈』


 記事には、崩落した倉庫街の写真が載っていた。水平に断たれた建物の断面が、はっきりと写っている。


 ――誰が断ったかは、書かれていなかった。


 記事の末尾には、こうあった。


『帝国政府は、シキナ諸島における治安の抜本的改善が急務であるとし、駐留規模の拡大と、現地行政への直接関与を検討している』


 シキナの宿で、その新聞を読んだリヴィアは、しばらく動けなかった。


 崩したのは、自分だ。


 人は、誰も死んでいない。放棄された区画だった。


 ――そして、明日から掘る理由になる。


 三日前、倉庫街の窓の下で、彼女は考えた。


 バルドアでは「襲撃事件」だった。セルバでは「商船の拿捕」だった。シキナでは、何になるのか。


 答えを、自分で作った。


 新聞を持つ手が、震えた。


(また、使われた)


 二年前のカラムと、同じだった。自分がやったことが、自分の意図と関係なく、誰かの階段になっていく。


 ――違う。


 カラムは、殺された。自分は、自分で斬った。


「……隊長?」


 ミーナレイが、心配そうに覗き込んできた。


「大丈夫ですか? 顔色が」


「……大丈夫」


 リヴィアは、新聞を畳んだ。


「……ミーナレイ」


「はい」


「明日、禁足地に入る」


「え、でも、隊長の怪我が――」


「入る」


 彼女は、立ち上がった。


 失踪した三名。掘られる山。翁と呼ばれる何か。


 この島で起きていることの全部を、知らなければならない。


 ――その前に、誰かがまた勝手に、話を進めてしまう前に。


 部屋を出る間際、彼女はもう一度、崩れた倉庫街の方角を見た。


 昨夜、自分が断ち切った街の骨組みが、朝の光に晒されている。


 ――闇は、戻ってくる。


 あの女の言葉が、頭から離れなかった。


 絶空を放った瞬間、確かに感じた。


 力を「使った」のではない。斬った空間から、何かが自分の中へ流れ込んできた感覚。


 あれが何なのか、まだ分からない。


 分からないまま、明日、彼女はあの鳥居をくぐる。



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