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世界の狭間で君を待つ 〜【すべてを失った私が、隠してきた闇の力で世界に抗う】〜  作者: Sou
ディナシア帝国編

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20/53

線を引く

【空席】


 葬儀の翌日から、黒翼分隊は「待機」になった。


 再編成が済むまで、任務は与えられない。朝の点呼と、体力維持の訓練と、あとは半年分の作戦報告書の整理。書式の決まった空欄を埋めては次の綴りに移るだけの、時間の長い仕事だった。


 作戦室の長机の上座は、空いたままだった。


 誰も、そこに座らなかった。書類を広げる時も、地図を囲む時も、四人は申し合わせたように下座の三席分へ寄って、狭いところで肘をぶつけ合いながら作業を続けた。


「……なあ」


 三日目の朝、アシュが言った。


「あの椅子、片付けねえ?」


「…………」


「見てるの、しんどいだろ」


「片付けたら、もっとしんどいわよ」


 リズが、書類から目を上げずに答えた。


「……そうかもな」


 椅子は、そのままになった。




 夜、リズは眠れていなかった。


 壁が薄いから、隣の部屋の物音は筒抜けだ。夜中に何度も寝返りを打つ音、水を飲みに立つ音、そして時々、押し殺した泣き声。


 朝になると、彼女はいつも通り笑っていた。目の下の隈を、化粧で隠して。


 アシュは、訓練場に籠もっていた。


 右腕がまだ吊れているのに、左手一本で銃を撃ち続けている。的の中心が抜けるまで。抜けても、まだ撃つ。


「……アシュ。休みなさい」


「うるせえ」


「腕が」


「――うるせえよ」


 彼は、振り向かなかった。


「あの時、俺の右腕が動いてりゃ。……あと一発、撃てたかもしれねえ」


 リヴィアは、返す言葉を持たなかった。


 同じことを、彼女も考えていたからだ。


 ――あと三十秒早く、あの銀髪との決着をつけていたら。


 答えの出ない「もし」が、隊全体に重く沈んでいた。


【監査官】


 その日、ネロは一人で呼び出された。


 場所は、軍施設の地下三階。彼が入ったことのない区画だった。番号だけが振られた同じ扉が廊下の両側に等間隔で並び、どこからも人の気配がしない。指定された部屋は窓がなく、天井の魔導灯が一つ、机の真上だけを白く照らしていた。


「――ネロ・フェイン准尉ですね」


 待っていたのは、痩せた男だった。


 濃い灰色の背広に、記章のない襟。年齢が読めない、のっぺりとした顔。


「特務課、監査部の者です。……お座りください」


「か、監査……?」


 ネロは、勧められた椅子におずおずと座った。


 男は、机の上に書類の束を置いた。


「先のレムナス潜入作戦について、いくつか確認を」


「は、はい」


「作戦中、貴官は独自に観測データを収集していましたね」


「……はい。障壁と、術式の解析を」


「そのデータは、どこに保管を?」


「僕の端末と、あとは……解析用の予備媒体に」


「なるほど」


 男は書類を一枚めくった。


「――では、これを」


 差し出されたのは、通信記録の写しだった。


 ネロはそれを見て、固まった。


 彼の端末の識別番号。そこから発信された、暗号化通信の記録。宛先不明。日時は、レムナス潜入の三日前。


「……こ、これ」


「貴官の端末から、外部へ送信された記録です」


「そんな、はず……! 僕、こんな通信、送ってません!」


「記録は、そう言っていません」


 男の声は平坦だった。


「そして――こちらが、革命組織の拠点から押収した資料の一部です」


 二枚目。


 そこには、ネロの手書きの記号があった。


 彼が独自に使っている、術式波形の略記法。誰にも教えたことのない、彼だけの書き方。


「……なんで」


 喉が渇いた。


「なんで、僕の記号が……」


「それを、伺いたいのです」


 男は身を乗り出した。


「レムナスにおいて、貴官らの潜入は完全に読まれていました。地下道の待ち伏せ。町の爆破。森の妨害。……なぜ、敵は貴官らの経路を正確に知っていたのか」


「…………」


「答えは、単純です。――内部から、漏れていた」


「ち、違います! 僕は、そんな……!」


「では、この記録は」


「知りません! 本当に、知らな――」


「カラム・ディート大尉は」


 男が遮った。


 その一言で、ネロの言葉が止まった。


「……大尉が、どうして」


「なぜ、あの広場で死んだと思いますか」


 ネロの息が詰まった。


「敵は、貴官らがあの街に入ることを知っていた。だから待ち構えていた。……つまり」


 男は指を組んだ。


「大尉を殺したのは、リバースオーダーの幹部ではない。――情報を漏らした、誰かです」


「……ちがう」


「貴官の記号が、敵の資料にありました」


「ちがう……!」


「貴官の端末から、通信が出ています」


「僕じゃない!!」


 ネロは叫んだ。


 叫んで、それから両手で顔を覆った。肩が震えていた。


「僕じゃ、ない……」


「……そうかもしれませんね」


 男は、あっさりと言った。


「え……?」


「私は、貴官が意図的に漏らしたとは思っていません。おそらく、端末の不備か、解析媒体の紛失か。……そういった、過失でしょう」


「そう、です……! 絶対、そうです……!」


「ですが」


 男は書類を揃えた。


「軍法会議は、そう見ません」


 ネロの顔から血の気が引いた。


「機密漏洩により、上官が戦死した。……この事実だけで、貴官は懲役では済まない」


「…………」


「そして」


 男は、少しだけ声を柔らかくした。


「これが公になれば――貴官の隊は、どうなるでしょうね」


 ネロの頭が、真っ白になった。


「英雄カラム・ディートを殺したのは、身内だった。……そんな記事が出れば、国葬は茶番になる。黒翼分隊は解体、隊員は全員、経歴に汚点が残ります」


「……やめ、て」


「リズ・カリード少尉。アシュ・バーン少尉。……そして、リヴィア・ノクス少尉」


「やめてください……!」


「全員が、貴官のせいで終わる」


 ネロは机に額を押しつけた。涙が、勝手に流れていた。


「……どうすれば」


 掠れた声だった。


「どうすれば、いいんですか……」


「――簡単なことです」


 男は書類を鞄に仕舞った。


「この記録は、私の手元にあります。上へは、まだ上げていない」


「…………」


「協力していただければ、このまま、私の引き出しで眠らせておきます」


「協力、って」


「時々、報告を。……貴官が見たもの、聞いたものを。それだけです」


 男は立ち上がった。椅子を引く音も、鞄の留め金を留める音も、この部屋では妙にはっきりと響いた。


「貴官は何も裏切りません。ただ、報告するだけだ。……軍人として、当然の職務でしょう」


 ネロは動けなかった。机の縁を掴んだ指の関節が、白くなっていた。


「隊を守れますよ。貴官の手で」


 その一言が、決定打だった。


 ネロは――頷いた。


 自分が今、何を選んだのか。その意味を彼が理解するまでには、まだ時間がかかった。




 部屋を出た男は、廊下の暗がりで小さく息を吐いた。


「……ちょろいものだ」


 彼は、鞄の中の書類を指で叩いた。


 ――全部、偽物だった。


 通信記録も、手書きの記号も。黒翼の隊内報告書から筆跡を拾って、作らせたものだ。


「善良な人間ほど、罪悪感で縛りやすい」


 男は、上へ続く階段を上がっていった。その足取りに、迷いはなかった。


【届かない】


 同じ頃、訓練場では。


 黒い閃光が、走り続けていた。


「……っ、はぁ……はぁ……」


 リヴィアは汗だくで肩を上下させていた。


 訓練場の的は、全部両断されている。石の壁には、無数の黒い裂傷が刻まれていた。


 黒閃。斑。全部、出せる。前より速く、正確に。十二の陣を組むのにかかる時間は、聖都の夜より二秒短くなっていた。


 ――でも。


(届かない)


 彼女は思い出す。


 空を埋めた、光の槍。黒葬の闇を喰い破って降り注いだ、あの物量。全力の斑が、盾に細い罅を一つ入れただけで消えた。


(足りない。全然、足りない)


 もう一度、剣を構えた。


 その手が震えている。疲労ではなかった。いや、疲労もあるが、それだけではない。


「……無理をするな」


 背後から声がした。


 振り返ると、グレイが立っていた。


「傷が、まだ塞がってない」


「……塞がってから始めたら、遅い」


「遅くない」


「遅いのよ」


 リヴィアは、剣を下ろさなかった。


「あの人が、また誰かを殺す前に。……私が止めないと」


「リヴィア」


「私が止められなかったから、カラムさんが」


「――リヴィア」


 グレイの声が強くなった。


 リヴィアは、そこでようやく剣を下ろした。肩が震えている。


「……グレイ」


「ああ」


「私、どうすれば強くなれるの」


 彼女は顔を上げた。その目は赤かった。


「少しは前より強くなった気がしてたの。でも全然、届かなかった」


「…………」


「あなたは、届く?」


 グレイは、少し黙った。


「……セリウスにか」


「うん」


「――分からん」


 正直な答えだった。


「あいつは、十年前から異常だった。……そして今は、もっと異常だ。あの光は、人の魔法の在り方をしていない」


「じゃあ、どうすれば」


「……座れ」


 グレイは、訓練場の隅の階段を指した。


 二人は、並んで腰を下ろした。



【理】


「……五年前」


 グレイは、前を向いたまま話し始めた。


「俺は、現場を降りた」


 リヴィアは、黙って聞いていた。


「理由は、まだ言えない。……だが、あの時、俺も同じことを考えた。届かない、と」


「…………」


「軍の中でどれだけ登っても、この国の腐り方には届かない。強くなっても、階級が上がっても、届かない場所がある。……それに気づいて、俺は前線から離れた」


 彼は、そこで一度、言葉を切った。


「それから五年、机の上でやれることを全部やってきた。……その過程で、妙なものを拾った」


「妙なもの?」


 グレイは懐から、古い紙を一枚取り出した。黄ばんだ、手紙の写しだった。


「十四年前。世界中の主要国の要人と、いくつかの『個人』宛てに、同じ内容の警告文が届いている」


「……個人?」


「読め」


 リヴィアは、それを受け取った。


 几帳面な筆跡で、こう書かれていた。


『――貴殿へ。


 やがて、この世界に大きな戦が起こる。


 それは偶発ではなく、五百年前から準備されたものである。


 その中心にいる者は、人の姿をしているが、人ではない。


 どうか備えられたい。


 そして、六つの理の御方々へ。


 貴殿らの誰かが、既に一人、失われていることを、お忘れなきよう』


「……六つの理」


「セイクリッドルート、と呼ばれている」


 グレイは言った。


「風、雷、土、斬、木、光。……世界の理に触れた、六人の人間。伝説や神話の類だと思われてる」


「実在するの?」


「少なくとも、この手紙を書いた奴は、実在すると思って書いてる。……そして」


 彼はリヴィアを見た。


「宛先の一部が、実在の人物だ。二十年前に隠棲した剣豪。北の山に住むという巨人。南東の砂漠に国を作った女王。……全部、記録がある」


 リヴィアの背筋が粟立った。


 ――いずれ、人の理を超えたものに会うだろう。


(……あの夢)


「差出人は」


「不明だ。署名がない。……ただ、この筆跡は、帝国の公文書のどこかで見た気がする」


 グレイは手紙を仕舞った。


「リヴィア。お前が本当に強くなりたいなら」


 彼は、まっすぐに言った。


「――人の軍隊の中には、答えはない」


 リヴィアの心臓が跳ねた。


 一言一句、同じだった。夢の中で、あの老人が言った言葉と。


「……グレイ」


「なんだ」


「……ううん。なんでもない」


 彼女は首を振った。


 言えなかった。言えば、頭がおかしくなったと思われる。


 喉の奥で、何かが引っかかったままだった。


【エレナ】


 その夜、廊下でエレナ・ファルネと擦れ違った。


 いつも通り、書類を抱えて、隙のない歩き方で。その腕には、あの薄い綴りも挟まっていた。


「……ノクス少尉」


 彼女の方から、足を止めた。


「はい」


「傷の具合は」


「……大丈夫です」


「そう」


 エレナは眼鏡を押し上げた。それから、少しだけ視線を落とした。


「――少佐が、現場に出たのは」


「……え?」


「五年ぶりでした」


 リヴィアは、言葉を失った。


「あの方は、五年間、一度も前線に立たなかった。どんな作戦でも、どんな損害が出ても。……机の上で、全部処理してきた」


 エレナの声は、いつも通り冷静だった。冷静すぎて、かえって何かを押し殺しているのが分かった。


「三日前、あの方は二十四時間で南部へ飛び、紅蓮掌を動かし、単独で聖都に入りました」


「…………」


「――誰のためだと思いますか」


 リヴィアは、答えられなかった。


 エレナは、それ以上続けなかった。ただ、書類を抱え直して頭を下げた。


「……失礼します」


 立ち去る背中を、リヴィアは見送った。


 彼女が何を言いたかったのか。責められたのか、教えられたのか、それとも――


 分からないまま、廊下の灯りが揺れていた。


【辞令】


 三日後の朝。


 黒翼の四人は、作戦室に集められた。


 長机の上座には、あの空席がある。


 グレイが、一枚の書面を持って入ってきた。


「――辞令を伝える」


 彼は書面を開いた。


「特務課直令。黒翼分隊、指揮官職の後任について」


 四人の背筋が伸びた。


「リヴィア・ノクス少尉。……本日付をもって、黒翼分隊の現場指揮官を命ずる」


「……っ」


 リヴィアの手が震えた。


「……待って」


 彼女は首を振った。


「……無理よ」


「リヴィア」


「私は、カラムさんみたいにできない」


 声が震えた。


「あの人は、二十年やってきた人よ。全員を帰すって、それだけを考えて、実際にやってきた人よ。……私は、聖都で何もできなかった。遅れて、着いた時にはもう」


「――だから、やるんでしょ」


 リズだった。


「……リズ」


「リヴィア、悔しいんでしょ。あたしもよ」


 彼女は、まっすぐにリヴィアを見た。


「悔しくて、眠れなくて、それでも朝には起きるんでしょ。……なら、それが理由でいいじゃない」


「でも、私は」


「あのさ」


 アシュが、吊った腕のまま口を挟んだ。


「俺、次はあんたに勝つって、七回言った」


「……八回よ」


「八回か。……八回言って、八回負けた」


 彼は天井を見上げた。


「俺は、俺が認めたやつの下以外では動く気にならねえ。……それだけだ」


 リヴィアは俯いた。視界が滲んだ。


「……ネロは」


 部屋の隅で、ネロは俯いていた。その顔は青白かった。


「……ネロ?」


「……あ」


 彼は、はっとしたように顔を上げた。


「す、すみません。……あの」


 彼は深く頭を下げた。


「よろしく、お願いします」


 その声が、なぜか少し震えていた。


 リヴィアは、それを緊張のせいだと思った。


 ――思うことに、した。


「……分かりました」


 彼女は顔を上げた。


「引き受けます」


 グレイが頷いた。


「では、これを」


 彼は机の上に、小さな箱を置いた。


 開けると、中には封蝋の押し型が入っていた。


 特務課の双翼印。カラムが毎回、隊員の前で割っていた、あの封の。


「これからは、お前が封を切る側だ」


 リヴィアはそれを手に取った。冷たい、金属の重み。


 握りしめて、それから腰に手をやった。


 二十年物の、革のベルト。サイズを詰めて、彼女はそれを毎日締めている。


「……ひとつ、いいですか」


「なんだ」


「隊の方針を、決めます」


 三人が顔を上げた。


 リヴィアは、一度深く息を吸った。


「――全員で、帰ります」


 空席の椅子が、朝の光を浴びていた。


「今までと、同じ。……何も、変えません」


「……了解」


 三人の声が、揃った。


【線を引く】


 その夜。


 リヴィアは自室の窓辺に座っていた。


 机の上には、三つのもの。蜂蜜色の飴の缶。封蝋の押し型。そして、擦り切れた革のベルト。


 壁には、写真が二枚。朝の食堂で撮ったひどい一枚撮りと、セルバの岸辺で撮った黒と紅の十人。その二枚とも、カラムが写っている。


 窓辺の鉢植えは、また少し背が伸びていた。


 リヴィアは、自分の右手に魔力を灯した。


 手の甲に、四本の光の線が浮かぶ。


 その奥に、まだ扉がある。あの日、内側から押し返した扉が。


(……そろそろ、開けないと)


 自分の中に、底の見えない何かがある。水晶を割った十一歳の日から、ずっと。


 黒閃の波形が逆流するという、ネロの言葉。黒葬を使った時、体の奥で何かが応えた感触。そして――無効化の波の中でだけ、なぜか温かかったペンダント。


 全部、繋がっている気がする。答えは、まだない。


(……人の軍隊の中には、答えはない)


 グレイの言葉。そして、夢の中の声。


 リヴィアは魔力を解いた。線が、すうっと消える。


 窓の外では、帝都の灯りがいつも通りに瞬いていた。下層区の低い屋根の連なりの向こうで、グランドアーカムの白い塔だけが、雲の底を舐めるように光っている。


 新聞は毎日、開戦を叫んでいる。街には募兵ポスターが増え、徴募事務所の前には朝から若者の列ができていると、リズが呆れ顔で報告していた。


 この国は、もうすぐ大きな戦争を始める。それを止められる者は、たぶん、まだ誰もいない。


 リヴィアはベルトを手に取った。


(カラムさん)


 二十年分の傷が刻まれた革を、指でなぞる。


(私、まだ、あなたみたいにできません)


 でも。


(――やります)


 彼女はそれを、机の上に置いた。


 窓の外の空に、細い月がかかっていた。


 その光が、白い刃みたいに、夜を一本、線で切っていた。




 三日後、帝国はレムナス神光国へ宣戦を布告した。


 新しい指揮官が初めて割った封蝋の中身は、作戦命令ではなかった。


 式典への、出席通達だった。



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