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世界の狭間で君を待つ 〜【すべてを失った私が、隠してきた闇の力で世界に抗う】〜  作者: Sou
ディナシア帝国編

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19/53

英雄の葬列

【止まった部屋】


 舟が河を下る間、リヴィアは高熱を出した。


 傷が膿んだのだ。紅蓮掌のラン・ファが持っていた薬で凌いだが、二日間、彼女はほとんど意識がなかった。


 ――その、二日目の夜。


 彼女は、白い部屋にいた。


 窓のない、天井の高い部屋。壁一面に時計が掛かっている。何百という時計が、全部、違う時刻を指したまま止まっていた。


 空中に、埃の粒が静止している。


「――ああ、来たか」


 声がした。


 部屋の中央に、椅子が一脚。白髪の交じった黒髪の男が、そこに座っていた。古びた学者風の外套。腰から下がる、いくつもの懐中時計。


「……あなた」


「初めまして、と言うべきかな。……いや、正確には少し違うが」


 男は、穏やかに笑った。


 リヴィアは剣を探した。腰に、なかった。


「警戒しなくていい。ここでは何もできん。……お互いにな」


「ここは、どこ」


「さて。夢と呼んでもいいし、そうでないと言ってもいい」


 男は肩をすくめた。


「時間がない。……あの街で、カラム君に話したことを、君にも話しておこうと思ってな」


「カラムさんに?」


「そうだ。……彼は、伝える前に死んだ。だから、私が代わりに言う」


 リヴィアの喉が鳴った。


「――君たちは、偵察に来たのではない。死にに、来させられたのだ」


 部屋の空気が凍りついた。


「……なに、それ」


「考えてみたまえ。革命軍の本拠と知れた街へ、たった五人。交戦回避、偵察のみ。……ご丁寧な命令書だ。誰も、君たちの生還を予定していない」


「そんな、はず……」


「私の見立てだ。信じる必要はない」


 男はそれから、指を三本立てた。


「三つ、言っておこう。……どれも、君がいずれ確かめられることだ」


 一本目の指が折られた。


「一つ。――英雄の死体が一つあれば、戦争は始められる」


「…………」


「新聞の見出しは、もう刷られているだろうよ。君たちが街を出るより前にな」


 二本目。


「二つ。――あの街に、市民の死体は一つもなかった」


「……え?」


「確かめてみるといい。君たちの軍が集めた記録の、どこを探しても、レムナスの民の死者は出てこない。……なぜだと思う?」


 答えられなかった。


 三本目の指が折られる。


「三つ。……これは、言うべきか迷ったのだがな」


 男の目が、初めて悲しげに細められた。


「――君の隊に、一人だけ、別の理由で眠れなくなる者が出る」


「……別の、理由?」


「近いうちにな。……気づいてやってくれ。あれは、君たちを守ろうとして間違える種類の人間だ」


「誰のこと!?」


 男は、口を開かなかった。


 代わりに、立ち上がった。


「時間だ。……最後に一つだけ」


 彼は、止まった時計の一つに手を伸ばした。


「君が本当に強くなりたいなら――人の軍隊の中には、答えはない」


「…………」


「いずれ、人の理を超えたものに会うだろう。……その時は、よく聞くといい。彼らは、嘘が下手だ」


 時計の針が、動き始めた。


 カチ、カチ、カチ。


 部屋中の時計が一斉に動き出し――


「――ああ、それと」


 男が、こちらを見た。


「私は、君の父上を知っている」


「……え」


「では、また」


 部屋が、崩れた。




「――リヴィア! リヴィア、大丈夫!?」


 目を開けると、リズの顔があった。


 舟の上だった。額に、濡れた布。周りには、心配そうな顔が並んでいる。


「……あれ」


「うなされてたわよ。何度も呼んだのに、起きなくて」


「……夢を、見てた」


「どんな?」


 リヴィアは口を開いて――閉じた。


 夢の内容は、驚くほど鮮明に残っていた。止まった時計。埃の粒。男の声。


 それを言葉にした瞬間、ただの熱にうなされた妄想になってしまう気がした。


「……忘れた」


「そう? ま、いいけど。ほら、水」


 リヴィアは水を飲みながら、川面を見た。


 ――君たちは、死にに来させられたのだ。


(……ただの夢よ)


 彼女は、そう自分に言い聞かせた。


【号外】


 帝都に着いたのは、四日後の朝だった。


 中央駅のホームに、担架が降ろされる。軍の衛生兵が待機していて、負傷者を次々と運んでいく。


 リヴィアは、自分の足で歩けるまで回復していた。


 ――駅の構内に出た瞬間。


 声が、耳を打った。


「号外ォ! 号外だよォ!」


「聖都で凶行! 英雄カラム・ディート、テロリストに殺害さる!」


「祈りの国が、悪魔を匿った!」


 新聞売りの少年たちが、束を抱えて走り回っていた。構内の人々が我先にとそれを買い、立ったまま読み耽っている。


「……嘘」


 リズの声が震えた。


 リヴィアは、一部を買った。


 黒い見出しが、目に飛び込んでくる。


『聖都レムナスにて我が軍将校、革命組織リバースオーダーにより殺害』


『河の英雄カラム・ディート大尉(四十)、部下を庇い壮絶な最期』


『祈りの国、テロリストを庇護か』


 記事の中央に、カラムの写真が載っていた。


 軍服姿の、笑っていない証明写真。


 ――募兵ポスターに使われていた、あの写真だった。


「……なんで」


 リヴィアの指が震えた。


「なんで、もう記事になってるの。……遺体は、まだ届いてもいないのに」


 記事には、詳細が書かれていた。


 彼が最後まで部下を庇ったこと。複数の敵に囲まれたこと。最期の言葉まで、書かれていた。


 ――誰も、そこにいなかったのに。


「……取材、されてない」


 アシュが掠れた声で言った。


「俺たち、誰も、何も喋ってねえぞ」


 ネロが、号外を凝視したまま動かなくなっていた。


「ネロ?」


「……この、号外」


 彼の声は、ほとんど聞き取れないほど小さかった。


「印刷所の識別記号が、隅に入ってるんです。組版した日付と、時刻が分かる形式で」


「……それが?」


 ネロは顔を上げた。その顔は、紙のように白かった。


「――組まれたの、六日前です」


 沈黙が落ちた。


「六日前って……」


 リズが指を折る。


「私たち、まだ、あの街に……」


「はい」


 ネロの唇が震えていた。


「僕たちが、まだ生きて戦ってる時に。……この記事は、もう印刷所にありました」


 構内の喧騒が、遠くなった。


 ――英雄の死体が一つあれば、戦争は始められる。


 ――新聞の見出しは、もう刷られているだろうよ。


 夢の中の声が、耳の奥で鮮明に蘇った。


 リヴィアは号外を握りしめた。紙が、手の中でくしゃりと歪んだ。


【葬列】


 国葬は、三日後に行われた。


 軍が決めた。黒翼に意見を求められることは、なかった。


「英雄の死は、国民のものです」


 葬儀の段取りを説明しに来た軍の広報官は、そう告げた。


「大尉のご遺族は?」


 リヴィアが聞くと、広報官は書類をめくった。


「……独身で、ご両親は他界。近親者は、確認できておりません」


「じゃあ、誰が決めたんですか」


「軍です」


 当たり前のように、彼は答えた。


「彼はもう、軍と国家の英雄ですから」




 当日は、皮肉なほどの快晴だった。


 グランドアーカム前広場。白亜の塔の足元に、数万人の市民が集まっていた。


 中央に、黒い絨毯の道。その上を、六頭立ての砲車が進んでくる。棺には、帝国旗が掛けられていた。


 軍楽隊の葬送曲。整列した儀仗兵。捧げられる無数の白い花。


 黒い絨毯の両脇には、葬送の灯明が並んでいた。魔石を仕込んだ背の高い燭台が、五十本。


 半年前、この塔の大広間で見たシャンデリアより、明らかに弱い光だった。昼だから、ではない気がした。


 黒翼の五人は、最前列に並ばされていた。


 新品の礼装。磨かれた靴。傷はまだ癒えておらず、リズは杖をついていた。


 周囲には記者たちがいた。絶えず焚かれる閃光。カメラのレンズ。


「もう少し悲しそうな顔を」と、誰かが小声で指示している。


「……くそが」


 アシュが歯を食いしばった。


「なんで、こいつら」


「アシュ」


「なんで、俺らの顔を撮ってんだよ! あの人は、あんな……」


「アシュ!」


 リズが彼の腕を掴んだ。その手も震えていた。


「……我慢して。お願いだから」


 アシュは礼装の膝の布を掴んで、俯いた。


 棺が壇の前に据えられ、弔辞が始まった。


【弔辞】


 最初に登壇したのは、軍務省の高官だった。次に、参謀本部の将官。


 どちらも、カラム・ディートという男を知らないことが、話し方で分かった。


 ――三人目。


「――空挺部総括隊長、レイリット・バンス中将」


 名前が呼ばれた瞬間、リヴィアの背筋に冷たいものが走った。


 壇上に上がってきたのは、あの初老の男だった。勲章だらけの胸。前頭部の薄い頭。


 その手には――黒い革の鞄が、握られていた。


 弔辞を読む場に、なぜ鞄を持ってくるのか。誰も、疑問に思っていないようだった。


 レイリットは壇の中央に立ち、原稿を開く前に、一度だけ壇の下へ目をやった。


 最前列。白い花に埋もれた棺の、そのさらに手前。金モールの並ぶ席がある。


 リヴィアの位置からは、後頭部しか見えなかった。きっちりと分けられた、金の七三。


 式次第に、その席の名前はなかった。


 レイリットは視線を戻し、それから読み始めた。


「――諸君」


 声が、拡声魔導具を通して広場に響き渡った。


「本日、我々は一人の英雄を送る」


 群衆が静まり返る。


「カラム・ディート大尉は、いかなる特別な血筋の出でもない。……諸君らの多くと、同じだ」


 巧い、とリヴィアは思った。


 その一言で、数万人が自分と彼を重ねた。


「彼は、才能ではなく、努力と勇気で英雄になった。そして最期の瞬間まで、部下を庇い続けた」


 群衆の中から、啜り泣きが聞こえ始める。


「――では、問おう」


 レイリットの声が変わった。


「そのような男を、誰が殺した」


 沈黙。


「テロリストである。……そして、そのテロリストを、いったい誰が匿っていたのか」


 彼は、間を置いた。完璧な間だった。


「――祈りの国、レムナスである」


 どよめきが広場を走った。


「彼らは言う。我らは戦争を放棄した、と。彼らは言う。我らは祈るのみだ、と」


 レイリットの声が大きくなる。


「その祈りの陰で、彼らは悪魔を養っていた! 我が国の民を五百人殺した列車爆破の首謀者を! 諸君の隣人を殺した者たちを!」


 群衆の熱が上がっていく。


「そして今、我らの英雄を殺した!」


「――そうだ!!」


 誰かが叫んだ。


「許すな!!」


「英雄の仇を!!」


 声が広がっていく。数万人の声が、うねりになっていく。


「彼の死を、無駄にしてはならない!」


 レイリットが拳を掲げた。


「我々は、問わねばならない! 祈りとは何か! 正義とは何か! ――そして、我々は何をすべきなのか!」


「戦争を!!」


「聖都を討て!!」


「英雄の仇を討て!!」


 広場が爆発した。


 白い花に埋もれた棺の前で。数万人が、開戦を叫んでいた。


 リヴィアは動けなかった。最前列で、その全部を聞かされていた。


(……違う)


 喉の奥で、彼女は叫んだ。


(あの人は、そんなことのために死んだんじゃない)


 ――全員で、帰るぞ。


 それだけを言い続けた男だった。誰かを討つためではなく、誰も死なせないために、二十年戦ってきた男だった。


 その男の死が、今。何万人もの人間を戦争へ押し出すための、燃料になっている。


 リヴィアの視界が歪んだ。


 閃光が、焚かれた。


 彼女の泣き顔が、翌日の一面に載った。


『英雄の部下、無言の涙』


 ――その涙の理由を書いた記者は、一人もいなかった。



【格納庫】


 その夜。


 黒翼の隊舎の格納庫に、灯りがついていた。


 中央に、木箱を並べただけの簡素な卓。その上に、二つのものが置かれている。


 一つは、二十年物の擦り切れた革のベルト。もう一つは、封蝋の押し型。特務課の双翼印。


 国葬に出せなかった、彼の私物だった。


 七人が、その周りに座っていた。黒翼の五人と、ジンとパイド。


 誰も、正装はしていなかった。みんな、いつもの作業着と、いつもの軍服だった。


「……ほら、リーダー。安いやつしかなくて悪いな」


 ジンが酒瓶の栓を抜いて、木箱の上に一つ注いだ。


「あんた、いつも隠し持ってた砂糖、俺が没収してたの、バレてたろ? ……ごめんな」


 誰も、笑わなかった。笑おうとして、失敗した。


「……あたし」


 リズが口を開いた。


「初任務の前の日、めちゃくちゃ怖くて。……眠れなくて、廊下うろうろしてたら、リーダーが出てきて」


 声が震えた。


「『眠れねえのは正常だ』って。『眠れる奴の方が心配だ』って言われて。……それで、なんか、眠れたんです」


「……俺は」


 アシュが俯いたまま言った。


「入隊した時、四刻だってだけで調子乗ってて。あの人に模擬戦で、二十秒で四回転がされた」


「……二十秒で四回?」


「四回だ。……悔しくて、その夜、一人で訓練場行ったら、あの人がいて」


 彼は拳を握った。


「『来ると思ってたぞ』って、缶詰放ってきやがった」


「……ぼ、僕は」


 ネロの声が掠れた。


「僕は、戦えないから、いつも足手まといで……」


 彼の肩が震え始める。


「入隊した日に、辞めますって言ったんです。僕なんかいても、迷惑だから、って」


 誰も、それを聞いたことがなかった。


「そしたら、あの人……」


 ネロは顔を覆った。


「『お前の目が、俺の隊の命綱だ』って……」


 彼はそこで、言葉を切った。


 嗚咽が、格納庫に響いた。


「……ぼくの、せいで」


「ネロ?」


「なんでも、ないです……」


 彼はそれ以上、口を開かなかった。


 リヴィアは、その様子を見ていた。


 ――君の隊に、一人だけ、別の理由で眠れなくなる者が出る。


 夢の中の声が、蘇りかけて。


(……気のせいよ)


 彼女は、その考えを頭から追い出した。




 扉が開いて、グレイが入ってきた。


 彼は無言で卓に歩み寄り、酒を一つ注いで、下がった。


 しばらく、誰も喋らなかった。


「……グレイ」


 リヴィアが口を開いた。


「聞きたいことがある」


「……ああ」


「あの命令書。発令元を、調べた?」


 格納庫の空気が張り詰めた。


「調べた」


 グレイは答えた。


「特務課の記録には、通過履歴がない。参謀本部の起案書にも、該当する番号がない」


「……じゃあ、どこから」


「――さらに、上だ」


 その一言に、全員が凍りついた。


 参謀本部の、さらに上。この国でそこに立てる人間は、数えるほどしかいない。


「……なあ、少佐」


 アシュが低い声で言った。


「あの任務は、なんだったんですか」


 グレイは、木箱の上のベルトを見たまま動かなかった。


「……私、知ってるかもしれない」


 リヴィアが言った。


 全員が、彼女を見る。


「帰りの舟で、眠ってる間に、変な夢を見たの」


「夢?」


「たぶん、熱のせいの、ただの夢。……でも」


 彼女は、木箱の上のベルトを見た。


「その夢の中で、誰かがこう言った。――君たちは、偵察に来たんじゃない。死にに来させられた、と」


 沈黙。


「……そして、こうも。英雄の死体が一つあれば、戦争は始められる。新聞の見出しは、もう刷られている、と」


 リズの唇が、微かに開いた。


「それ……」


「六日前の、号外」


 ネロが震える声で言った。


「僕が調べた、あの……」


「ただの夢よ」


 リヴィアは言った。


「熱で見た、夢。……でも」


 彼女は顔を上げた。


「もし、あの夢が本当なら」


 ――あの街に、市民の死体は一つもなかった。


「グレイ。レムナスの戦闘記録に、市民の死者は何人と記録されてた?」


 グレイの目が細くなった。


「……なぜ、それを」


「答えて」


 彼はしばらく黙ってから、言った。


「――ゼロだ」


 格納庫が静まり返った。


「あれだけの街が、無人だった。焼けた町も、住民の死者はゼロ。……報告を上げた将校が、あり得ないと注記を付けている」


 リヴィアの背中を、氷が伝った。


 夢が、二つ、当たった。


(……なにあれ)


 あれは、なんだったのか。誰の声だったのか。


 ――そして、三つ目の予言は。


 彼女は思わず、ネロの方を見た。


 彼は俯いて、震えていた。


(……いいえ)


 リヴィアは目を逸らした。


(考えすぎよ。ただの、夢)




 解散の間際。


 グレイが、木箱の上のベルトを手に取った。


 そして、リヴィアの前に差し出した。


「……え」


「カラムさんの遺品だ。……国は、これを英雄の遺品として展示したがってる」


 グレイの声は低かった。


「だが、これは、カラムさんが二十年締めてきたベルトだ。……展示品じゃない」


 リヴィアは、それを受け取った。


 重かった。


 革は擦り切れ、留め具は変色し、内側には無数の傷がある。二十年分の重さだった。


「……いいの。私が」


「他に誰がいる」


 グレイはそれだけ言って、背を向けた。


「……三日後、正式な辞令が出る。心づもりを」


 扉が閉まった。


 残された六人は、しばらくそのベルトを見ていた。


 リヴィアは、それを胸に抱いた。


 窓の外で、帝都の灯りがいつも通りに瞬いている。この街は、明日も戦争の話で持ちきりだろう。


(……あの人の名前は、渡さない)


 彼女はベルトを強く抱きしめた。


(あなたが何のために生きて、何のために死んだかは、私たちが覚えてる)


 格納庫の灯りが、消えた。



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