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世界の狭間で君を待つ 〜【すべてを失った私が、隠してきた闇の力で世界に抗う】〜  作者: Sou
ディナシア帝国編

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白い都

【白い門】


 中央都の門は、見上げるほど高かった。


 白い石を積んだ双塔の間に、聖印を刻んだ大扉。その向こうから、鐘の音が絶え間なく降り続けている。


「……開いてる、わね」


 リズが門扉の隙間を見上げて言った。


 大扉は、人ひとり分だけ開いていた。


「正面から入る馬鹿はいねえ。リズ、頼む」


「はいよ。……掴まって」


 風が渦を巻き、四人の体がふわりと浮く。城壁の頂を越え、都の内側へ音もなく降り立った。


 白い都は、白いまま死んでいた。


 大理石の街路。聖印の旗。整然と並ぶ白亜の家々。噴水は水を上げ続け、露店には果物が積まれたまま、鐘は鳴り続けている。


 人間だけが、どこにもいなかった。


「オルセと、同じです……いえ、規模が……都まるごと……」


「散開はなしだ。固まって動く。目的は確認と記録――それだけ済ませて、離脱する」


 カラムの声は低く、硬かった。


 四人は大聖堂へ続く目抜き通りを、背中合わせの隊形で進み始めた。


 鐘の音だけが、頭上でずっと鳴り続けていた。


【止まった時間】


 異変は、大広場の手前で起きた。


 鐘が――止まった。


 余韻もなく、途中で断ち切られたように。


「……止まった? 鐘って、あんな止まり方――ネロ、方位と時刻の再確認……ネロ?」


 カラムが振り返った。


 ネロが、立っていた。端末を覗き込む姿勢のまま、微動だにせず。瞬きも、していない。呼吸の白い息が、口元で止まっている。


「お、おい、ネロ!?」


 アシュがネロの肩に手を伸ばし――その手が、途中で止まった。


 アシュの体が、伸ばした腕の形のまま彫像になった。


「アシュ!? ちょっと、二人ともどうし――」


 リズの声が途切れた。振り向いた姿勢のまま、ポニーテールの揺れまで空中で固まって、彼女も止まった。


 噴水を見れば、噴き上がった水が宙で静止している。舞っていた鳩が、翼を広げたまま空に貼りついている。


 世界で、カラムだけが動いていた。


「……なん、だ……これは……」


 背後で、靴音がした。止まった世界に、その音だけがやけに響いた。


「――久しいな」


 カラムは振り返った。


 広場の中央に、男が立っていた。


 白髪の交じった黒髪。古びた学者風の外套。腰から下がる、いくつもの懐中時計。疲れたような、穏やかな目。


 その顔を、カラムは知っていた。


 二十年以上前の記憶の底から、その顔が浮かび上がってくる。


「……あんた……まさか」


 帝都、第七研究棟。夜勤の詰所。衛兵の名前をひとりずつ覚えていて、寒い晩には茶を持ってきた、変わり者の研究主任。


「……カイゼン・アドラー……!」


「覚えていてくれたか」


 男は、少しだけ笑った。


「第七棟の、若い衛兵くん。……いい顔つきになった」


「……あんたが、リバースオーダーの……」


 カラムの記憶が、一気にあの夜へ飛ぶ。


 二十数年前。非常灯だけの廊下。書類鞄を抱えて裏口へ向かう白衣の背中。誰何しようとした若い自分と、振り返った男の目。


 ――見逃してくれとは言わん。ただ、五分だけ、目を瞑ってくれ。


 理由も聞かず、若いカラムは目を瞑った。翌朝、帝国最高の頭脳が消えたと、研究所は蜂の巣になった。


「……なぜだ」


 カラムの声が掠れた。


「なぜ、あの夜、逃げた。あんたは帝国の宝だったはずだ。何を見た。何を持ち出した」


 カイゼンは、止まった噴水の水を懐かしそうに見上げた。


「――いろんなものを、知りすぎてしまったんだよ」


 それだけだった。


 カラムの手が、腰の得物にかかる。


「……悪いが、あんたはこの国の最重要指名手配だ。二十年前の借りは借りとして――」


「そうか」


 カイゼンは踵を返した。


 そして、走った。


「待てッ!!」


【聖堂の遺言】


 追跡は、大聖堂まで続いた。


 六十を過ぎているはずの男の逃げ足は、異様に速かった。いや――速いのではない。カラムが曲がり角に達するたび、男の姿は「あり得ない先」にいた。時間の刻み方が、そもそも違う。


 男は大聖堂の扉を開け、中へ消えた。カラムは飛び込んだ。


 ステンドグラスの光が、無人の礼拝堂に色を落としている。


 男は祭壇の前に立っていた。もう、逃げる素振りはなかった。


「……観念したか」


「元より、逃げる気はない。……君と二人で話すために、他の三人には少し止まってもらっただけだ」


「……なに?」


「時間がない。一度だけ言う。よく聞け、衛兵くん」


 カイゼンの声から、穏やかさが消えた。


「――君たちは、偵察に来たのではない。死にに、来させられたのだ」


「……何を」


「考えてみろ。交戦回避、偵察のみ。ご丁寧な命令書だ。革命軍の本拠と知れた街へ、たった五人。……帝国は、君たちの生還を、最初から予定に入れていない」


 カラムの背筋が凍った。


 発令印の違和感。判の欠けた決裁欄。特務課の頭越し。グレイの警告。


 全部が、一本の線で繋がっていく。


 ステンドグラスの光の中で、老人の目が悲しげに細められた。


「英雄の死体がひとつあれば、戦争は始められる。『聖都でテロ組織に殺された、河の英雄たち』――新聞の見出しは、もう刷られているだろうよ」


「……民は」


「全員、逃した。この街で死ぬのは、招かれた客だけだ。……そして」


 カイゼンは、天井を――その遥か上の空を見上げた。


「私の手を離れたものが、この空にいる。あれだけは、もう、私にも止められん」


「――あの夜の、五分の借りを返す。今すぐ隊を連れて、西の水路から出ろ。地下墓所を抜ければ河に出る。振り返るな。走れ」


「あんたは、どうする気だ」


 カイゼンは応じなかった。


 代わりに、初めて心底から柔らかく笑った。


「……あの夜、目を瞑ってくれた若者が、部下に慕われるいい男になった。それが見られただけで、この街に来た甲斐はあった」


「――さらばだ、衛兵くん。時間は、誰の味方もせん」


 男の輪郭が揺れた。蝋燭の煙が逆さに流れるように、その姿は薄れ――消えた。


「……っ、おい!!」


 カラムは祭壇に駆け寄り、聖具室を、地下への階段を、柱の陰を、くまなく検めた。


 どこにも、いなかった。足跡ひとつ、温もりひとつ、残っていなかった。


 ――西の水路。地下墓所。


 カラムは身を翻し、全力で広場へ駆け戻った。


【天哭】


 広場に戻ると、時間は動き出していた。


「――ロ! ネロ、しっかりしなさい!」


「え、あ、あれ……ぼ、僕、今……」


「三人とも無事か!!」


 カラムの怒鳴り声に、三人が振り向く。


「リーダー!? どこ行って……」


「話は後だ! 西の水路へ走る! 今すぐ――」


 言い終わらなかった。


 空が、白くなった。


 夕闇のはずの空全体が、真昼を超えた光量で発光し――


 落ちてきた。


 光の雨。光の柱。光の洪水。


 広場が、白に呑まれた。


「――張りますッッ!!」


 ネロの絶叫と同時に、光の天蓋が展開する。


 カラムはリズとネロをまとめて抱え、噴水の縁の陰へ跳んだ。アシュが石像の陰へ転がる。


 天蓋が、光の雨を受けた。


 一秒。二秒。


 三秒目に、砕けた。


 残った光が、広場を薙いだ。


 ……。


 …………。


 光が、引いた。


 白亜の広場は、黒く焼け爛れていた。石畳は溶けて硝子になり、露店は炭になり、噴水の水は蒸発して、彫像は半ばから熔け落ちている。


 その焼け跡に、四人は辛うじて転がっていた。


「げほ……っ、う……」


 リズの左脚に、裂傷。アシュの右腕が力なく垂れている。ネロは天蓋の反動で血を吐き、カラムの背は、庇った分だけ黒く焼けていた。


 全員――生きていた。生きているだけだった。


 白い光の残滓が漂う空から、それは降りてきた。


 カーキ色のフードジャケット。背の双剣。淡い金の髪が、燃える街の色を映している。


 男は、焼けた石畳に音もなく着地した。


 その真っ青な瞳には、何の色もなかった。


【光】


「……て、敵――」


「散れェ!!」


 カラムの号令で、四人は反射だけで動いた。


 満身創痍の体で、黒翼は型を組んだ。


 ネロの感知が男の位置を全員に灯し、リズが折れかけの脚で風を練り、退路を絞る。アシュが左手一本で銃を構え、最後のカートリッジを薬室へ送った。


「三番――行くぞ!!」


 風が吹き、火が奔り、カラムの波動弾が男の死角を突く。


 磨き上げた連携。ヴェイルを砕いた型。


 男は、避けなかった。


 その体の周りに、光の翼のようなものが幾枚も展開した。


 風は翼に散らされ、火弾は光の膜の上で音もなく消え、波動弾は翼の一枚に触れた瞬間、粒子に分解された。


 男が双剣の柄に手をかけ――消えた。


 消えた、としか見えなかった。


 リズの眼前に男がいて、光を纏った剣の腹が、彼女を薙いでいた。


「――かっ……」


 リズの体が石畳を三度跳ね、動かなくなる。


「リズ!! テメエ……!!」


 アシュの最後の火弾は、放たれる前に銃ごと蹴り上げられていた。返す肘が鳩尾に入り、アシュは声もなく崩れ落ちる。


「ひ……っ、ぼ、僕の、障壁……!」


 ネロが張った最後の光の壁は、男が通り過ぎた後に砕けた。斬られたことにすら気づけない速さだった。ネロは壁の破片の中に、糸が切れたように倒れた。


 十秒。


 黒翼が積み上げてきたすべてが、十秒で地に伏した。


【三刻の男】


 焼けた広場に、二人だけが立っていた。


 カラム・ディートと、金髪の男。


 カラムの足は震えていた。背中の火傷が、意識を白く濁らせようとしてくる。


 彼は、倒れた三人と男の間から動かなかった。


「……あんたが」


 カラムは、口の端の血を拭った。


「セリウス・クレイド、か。……手配書の写真より、ひでえ顔してんな」


 男の唇は動かなかった。


 カラムは構えを取り、波動弾を撃った。


 顔面へ一発。それを囮に、膝へ本命。着弾の瞬間に距離を詰め、肘、掌底、足払い――二十年分の技術のすべてを、一息に注ぎ込む。


 男は、その全てを最小の動きで流した。


 流しながら、その青い瞳が初めて微かに揺れた。


 目の前の男の動きが、あまりに必死だったからだ。勝つための動きではない。一秒でも長く、背後の三人から敵の意識を引き剥がすための動きだった。


 鍔迫り――拳と剣が噛み合った、その至近で。


 カラムは、男の目をまっすぐに見た。


「……若いの」


 血の混じった、掠れ声だった。


「あんた……ほんとは、こんな顔で人を殺す奴じゃ、ねえだろ」


 男の瞳が、大きく揺れた。


 その揺れを振り払うように――


 男の左手に、光が凝った。


「――光槍・穿」


 一条の光が、カラムの胸を貫いた。


 ……。


 カラムの膝が、折れる。


「リーダー……?」


 意識を取り戻しかけていたリズの声が震えた。


「……リーダー?? うそ、でしょ……リーダー!!!」


 カラムは、焼けた石畳に仰向けに倒れた。


 霞んでいく視界に、駆け寄ろうともがく三人の姿が映る。


(……ああ、くそ)


 二十年締めてきたベルトが、妙に、軽い。


(西の水路……間に、合わなかった、か……)


「……わり、ぃ……」


 血の泡と一緒に、言葉が漏れた。


「全員で……帰るって……言ったのに、な……」


 伸ばしかけた指が、石畳に落ちた。


 三刻の男は、それきり動かなかった。


「あ……ああ……リーダー……リーダーァァァ!!!」


 リズの絶叫が、死んだ都に響いた。


 金髪の男は、倒れたカラムをしばらく見下ろしていた。


 それから、感情の消えた顔のまま、泣き崩れるリズの方へ歩を進めた。


 双剣の切っ先が、持ち上がる。


 黒い閃光が、男とリズの間の石畳を裂いた。


【再会】


 土煙の中に、黒い軍服が降り立った。


 長い黒髪。銀のレイピア。肩で息をして、それでも切っ先は寸分も揺れていない。


「……リヴィア、さん……」


 リズが、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。


 リヴィアは、視界の全てを一瞬で焼き付けた。


 倒れた仲間たち。焼けた広場。


 そして――石畳に仰向けの、カラム。その胸の、光の貫通痕。


 息が、止まった。


 目の前が白くなりかけるのを、奥歯を噛んで繋ぎ止める。


 視線を上げる。


 双剣の男が、そこに立っていた。


 十年前より痩せて、あの列車の夜よりもやつれて、間違えようのない、その顔が。


「……関わるなと、言ったのに」


 抑揚のない声だった。


 その抑揚のなさが、リヴィアの中の何かを引き千切った。


「――どういう、意味!?」


 声が震えた。


「関わるなって、どういう意味よ!! なんで……なんで、こんな事をしてるの!?」


 剣を構えたまま、言葉が堰を切って溢れる。


「列車で、五百人が死んだ! この人は……カラムさんは、私に、生きて帰ることを教えてくれた人よ!! あなた、一体、何人の人を……!!」


「……質問が、多いな」


 セリウスは双剣を構え直した。


 その構えの奥で、青い瞳が――ほんの一瞬だけ、彼女の襟元の双翼章を見た。


「一つだけ、言えるのは」


 声から、温度が消える。


「――その国の軍服を着ているということは。俺の、敵だ」


「……っ、セリウス……!」


「来ないなら、こちらから行く」


 光が、爆ぜた。


【黒葬】


 双剣とレイピアが噛み合った。


 一合目で、石畳が割れた。二合目で、噴水の残骸が吹き飛んだ。三合目の衝撃波は、広場に面した建物の壁をまとめて剥がした。


 速い。重い。そして――底が、見えない。


 その三合の間に、リヴィアは気づいてしまった。


 突きの返し。半身の切り方。鍔迫りからの押し返し。


 地下の氷の聖堂で、あの銀髪の少女が見せた形が、そのまま目の前で動いている。


(……ああ)


 誰に習ったのか、という問いに、答えが出た。出てほしくない形で。


「……昔のあなたなら」


 鍔迫りの至近で、リヴィアは絞り出した。


「絶対に、こんなこと――」


「昔の話は、するな」


 初めて、セリウスの声が乱れた。


「昔の俺は――あの日、死んだ」


 弾き合い、跳び離れる。


 セリウスの足元で光が渦を巻いた。その体が、ふわりと宙に浮く。


 燃える都の上空。夕闇の空を背に、彼の周囲に光の槍が生まれ始めた。


 十。二十。五十。


 百を超えて、なお増え続ける光槍が、空を埋めていく。


「……嘘、でしょ」


 地上のリヴィアの肌が、その総量に粟立った。


 躱せる数じゃない。防げる密度じゃない。


 なら――喰らうしかない。


 リヴィアはレイピアを両手で握り、切っ先を真下へ向けた。


(溜めが大きい。撃ち終わるまで、動けなくなる。……分かってる)


(でも、あれを凌ぐには――これしか、ない)


 息を深く落とす。


 刃が、石畳に突き立てられた。


「――黒葬」


 剣を中心に、闇が零れた。


 零れた闇は水のように石畳を這い、瞬く間に半径数十メートルへ広がって、広場を黒い沼に変えた。沼の表面で、無数の闇が生き物のように蠢いている。


 空の光槍が、一斉に降った。


 光の雨が、黒い沼に降り注ぐ。


 ――爆発は、起きなかった。


 闇が、光を呑んだのだ。


 突き立った光槍は蠢く闇に絡め取られ、輝きを喰われ、黒に溶けていく。


 沼の底から、黒い波動が噴き上がった。


 喰った光の魔力を闇に転じた奔流が、幾本もの黒い柱となって、空のセリウスへ逆巻く。


「……っ」


 セリウスの周囲で、光の翼が盾の形に編み直される。


 黒い波動が、光の盾に次々と激突した。


 一本。二本。五本。


 盾は、割れなかった。


 波動を受けるたび、光の層が一枚燃え尽き、その内側から新しい層が咲く。喰った分を撃ち返しても、彼の光は汲めども尽きない泉のように湧き続けていた。


(……届かない)


 リヴィアの額を、汗が伝う。


 黒葬は、彼女を地に縫い付ける。剣を抜けば闇の沼ごと消える。抜かなければ、動けない。


 なら、沼の上から――最大火力を。


「――黒閃・斑ッ!!」


 彼女を囲んで、十二の漆黒の陣が展開した。


 あらゆる角度から、黒閃の雨が空の一点へ殺到する。氷の壁を砕いた、必殺の多重射。


 光の盾は、それすら受け止めた。


 十二本の黒閃が、盾の表層で燃え尽きていく。最後の一本が、盾の最奥の層に細い罅をひとつ走らせて――消えた。


 罅の向こうで、青い瞳が彼女を見下ろしていた。


「……もう、いい」


 空の光槍が、倍に増えた。


 二百。三百。数えることに意味がなくなる。


 降った。


 黒い沼が、光の雨を喰い続ける。喰って、返す。返した波動が、盾に散る。


 喰う速さより、降る速さが上回った。


 沼の際が、白く灼け始める。闇が、光に押し返されていく。


 沼が薄れた縁から、防ぎきれない光槍が地を走った。


 一本目が、リヴィアの左肩を掠め、焼いた。


「……っ、ぐ……」


 二本目が脇腹を。三本目が右腿を。


 致命の一撃は、来ない。来ないまま、確実に彼女は削られていく。


 膝が、落ちた。


 剣が石畳から抜け――黒い沼が霧散した。


 支えを失った体が、焼けた石畳に崩れる。


 空から、光槍の残りが音もなく消えていった。


【墜ちる】


 夕闇の広場に、足音が降りてきた。


 リヴィアは、動けなかった。


 指先だけが、数歩先に転がったレイピアへ石畳を掻く。


 グレイのくれた剣は、刃こぼれひとつなく、夕陽を映して光っていた。


 届かない。


 その手前に、影が落ちた。


 セリウスが、彼女を見下ろしていた。双剣の切っ先が、力なく下がっている。


 長い、長い沈黙だった。


「……なぜ」


 やがて、掠れた声が落ちてきた。さっきまでの、温度のない声ではなかった。


「なぜ、来た。……なぜ、よりにもよって、お前が……その軍服を……」


 リヴィアは霞む目で、彼を見上げた。


 逆光の中の、その顔。


 冷たい仮面に、罅が入っていた。


 罅の奥にあるのは――十年前と同じ、泣き出す寸前の子供の目だった。


(……ほら)


(やっぱり、あなた……)


 言葉は、声にならなかった。


 意識の縁が黒く崩れていく。


 遠ざかる聴覚の最後で、彼が何かを言った。とても小さく。祈るみたいに。


「――……死ぬな」


 足音が離れていく。


 落ちていく意識の、いちばん深い暗がりで。


 その声が――十年前の、あの声と重なった。


 ――先に行っててくれ、リヴィア!


 ――あとで、絶対追いつくから。


 白い塔。緑の芝生。魔光花の光の粒。眩しい太陽みたいに笑う少年の顔が、闇の底から浮かび上がってくる。


 その向こうで、鐘が鳴り始めた。


 朝六時の鐘では、なかった。



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