炎と影の舞
【軍議】
敗戦の翌朝、合同軍議の天幕は湿った熱気で満ちていた。長机を挟んで、黒い軍服と、紅いマント。
「――まず、昨日の収穫からだ。ネロ、報告」
カラムに促され、ネロが端末を机の中央に置いた。青い光で、水の膜の観測波形が浮かび上がる。
「ヴェイルは、一枚の壁じゃありません。何千本もの水流を編んだ、その、織物みたいな構造です。それで……この織り目が、一定の周期で緩むんです。えぇっと、呼吸みたいに」
「バルドアのパルス砲と、同じだな」
カラムがぽつりと言い、ネロの手が止まった。
「……そう、なんです。似てるんです。妙なくらい」
誰も、それ以上は追わなかった。
「で、嬢ちゃん。あんたの目には、何が見えた」
リュウ・ファンが腕を組んだまま、リヴィアを見た。
「水流と水流の、結び目です。膜を編んでる糸の交点。……そこを断てば、膜は一時的にほどけます」
「一時的に、ね」
レイリンが脚を組み替えた。
「河の水は無限よ。裂いたそばから、編み直されるだけじゃないの」
「昨日、切っ先が膜の霧に触れました」
リヴィアは河の方を指した。
「……蒸発しませんでした。止まったんです。半秒だけ」
「止まった?」
「掌ぐらいの範囲で、水がそこだけ流れなくなりました。すぐ塞がりましたけど」
それまで一度も顔を上げなかったラン・ファが、目だけを動かした。
「……流れが、壁なら」
「止めた場所は、壁じゃなくなります」
天幕が、少しの間、静まった。
「だから、裂いた瞬間に――全部の火力を、傷口へ叩き込む」
リヴィアは机の上の地図に、指で一本の線を引いた。
「編み直す速さより、壊す速さが上回れば、膜は保てない」
リュウが、ふ、と鼻から息を吐いた。
「……いいだろう。乗った」
「ちょ、隊長、即決!?」
「筋は通ってる。あとは埋めるだけだ。――おい、全員。手の内を晒せ。何ができて、何ができんか。今ここで、全部だ」
最初に口を開いたのは、レイリンだった。
「うちは『飛ばす』のが仕事。火弾なら三百先まで外さない。数もいける。……そこの銃の兄さんと、同じ枠ね」
「一緒にすんな。俺の射程は四百だ」
「あら。じゃあ百分、あたしが火力で勝ってるってことね」
「……あ?」
「はいはい、次」
カラムが流し、ラン・ファが指を一本立てた。その指先から、細い糸がするりと伸びる。
「……火を、纏わせる。糸でも、矢でも、樽でも。それと――時限式」
「時限式?」
「火を置いてこられる。燃えるタイミングは、こちらで決める」
言いながら、彼女は机の端に糸をひと巻き置いた。
三秒後、糸がぽっ、と音もなく燃え上がり、灰も残さず消えた。
「ひ……」
ネロが小さく喉を鳴らし、それから眼鏡の奥の目をきらりと光らせた。
「あ、あの! ラン・ファさん! その糸って、水の上にも張れますか」
「……張れる」
「触れたものの位置、糸を通して分かりますか」
「……分かる」
「で、では! 河一面に張ってもらえたら、僕の計器と合わせて――機雷の位置、全部割り出せます!」
天幕の温度が、少し上がった。
「割り出して、どうすんのよ。一個ずつ潜って外す?」
「浮かせちゃえば?」
リズだった。
「風で。水ごと持ち上げれば、勝手に浮いてくるでしょ、機雷なんて」
「浮いたところを――」
レイリンとアシュが同時に顔を上げ、同時に相手を睨んだ。
「「――遠距離で、撃つ」」
「……声、揃ったわね」
「揃えてねえ」
「はい決まり! じゃあ機雷の掃除は、感知がネロとラン、釣り上げがリズ、爆破がレイリンとアシュってことで!」
ミン・シアが勝手にまとめ、勝手に拍手した。
「あたしは!? あたし何すればいい!?」
「お前はそのあとが出番だ」
「はーい……」
最後に、リュウの視線が部屋の隅の小柄な影に向いた。
「グイ。お前は」
前髪で片目を隠した女は、口を開かなかった。
代わりに、すっと立ち上がり、音もなくリヴィアの隣まで歩いてきて、そこに立った。
「……えっと」
「『先陣は、あたしとあんた』だって!」
ミン・シアが通訳する。
「グイは隊で一番速いの。火を纏って加速するから! 斬撃も飛ばせるよ、脚から!」
リヴィアは、隣の横顔を見た。
グイ・トンは前を向いたまま、小さくひとつ頷いた。
「……よろしく」
それで、話は決まった。
「決行は明後日、新月の晩だ。――散会。飯を食ったら、岸で合わせるぞ」
【岸辺の稽古】
午後の河岸に、空の樽が二十、浮かべられた。機雷に見立てた的だ。
「感知線、展開します……ラン・ファさん、お願いします!」
ラン・ファの指先から、無数の細い糸が河面へ滑り出す。水面すれすれに張られた糸は、陽の光の下ではほとんど見えなかった。
「接触……三、七、十二……全部で二十、取れてます! 共有します!」
ネロの付与で、全員の視界に樽の位置が光点で浮かぶ。
「リズ、頼んます!」
「はいよっと!」
風が唸り、河面が渦を巻く。樽が三つまとめて、水柱ごと宙に持ち上がった。
「――撃て!」
レイリンの火弾と、アシュの強化射撃がほぼ同時に飛んだ。空中で、樽が三つ続けざまに爆ぜる。
「十七」
「……十八だ」
互いに落とした数を、言い合う。
「は? 今の右端、あたしの」
「寝言は的に当ててから言え」
「あんたねえ……!」
二人の口喧嘩は、的が尽きるまで続いた。その間、二人の射線は一度も交錯せず、一発も無駄にならなかった。
口は最悪で、手は完璧だった。
その横では、ミン・シアとリズが妙な遊びを始めていた。
「ねーリズ! 風の道に火ぃ流したら、どうなるかな!」
「やってみる? ほら、通すわよ――」
リズの風が細い回廊を作り、ミン・シアの拳から放たれた火が、その中を吸い込まれるように奔った。
火は散らず、痩せず、風の道の出口で倍の勢いで弾けた。
「「…………」」
二人は顔を見合わせ、それからカラムとリュウの方をばっと振り返った。
「「今の、本番で使えない!?」」
指揮官二人は、顔を見合わせた。
「……使えるな」
「……使えるだろうな」
【酒と線香】
決行前夜。
焚き火のそばで、リュウとカラムが酒を酌み交わしていた。通りかかったリヴィアは、リュウの手招きで輪に加えられた。
「飲めるのか、嬢ちゃん」
「……少しなら」
注がれたのは、焔華の強い酒だった。喉が焼けた。
他愛のない話が、しばらく続いた。カラムの若い頃の失敗談。リュウの隊の、昔の悪童たち。
その流れで、リヴィアは聞いてしまった。
「……グレイは、どんな隊員だったんですか」
リュウは杯を止めた。
「……よく食い、よく吠え、よく強くなった。五年で、俺の右腕になった」
「じゃあ、なぜ」
「そこから先は」
リュウは杯を干した。
「あいつの口から聞け。……人の傷は、人の口から語らせるもんだ」
それきり、その話は終わった。
帰り際、リヴィアはひとつだけ、別のことを聞いた。
「リュウ隊長は……なぜ、帝国のために戦うんですか。あなたの国を、滅ぼした国のために」
リュウは焚き火を見たまま、少し黙った。
「……同胞が、まだその帝国の中で生きてるからだ」
低い声だった。
「俺たちが武勲を立てるほど、焔華の民の扱いがましになる。……それだけの話だ」
それだけの話、と言うには、あまりに重い声だった。
【夜間渡河】
新月の晩。
河は墨を流したように黒かった。岸に伏せた舟艇の列。機関は全艇停止。合図は無線と、ネロの付与視界だけ。
『――感知線、展開します』
闇の河面へ、ラン・ファの糸が音もなく滑り出していく。ごくかすかな橙の燐光が、何十本、水面すれすれを走った。
『接触……四、九、十五……二十三。全部で二十三です! 位置、共有します!』
全員の視界に、赤い光点が散る。渡河路のど真ん中に、屍伸が二十三匹眠っていた。
『リズ』
『はーい。……起こすわよ、伸ども』
風が唸った。
黒い河面が渦を巻き、水柱が次々と立ち上がる。その頂で、濡れた鋼の影がずるり、ずるりと夜気の中へ引きずり出された。
『――今ッ!!』
夜が、爆ぜた。
レイリンの火弾と、アシュの強化射撃。二筋の火線が交互に走り、宙吊りの機雷を片端から撃ち抜いていく。河の上に、二十三個の火球が連なって咲いた。
「十九!」
「……二十だ!」
「まだ言うか!」
爆炎の残光の下、掃き清められた水路が一本、黒々と口を開けていた。
『先陣、出ます』
高速艇が岸を蹴った。舳先に、リヴィアとグイ・トン。機関を全開にした艇が、機雷の消えた回廊を矢のように奔る。
要塞が、目を覚ました。城壁に灯りが走り、弩と魔導砲が水路へ火を吹き始める。
『通しませんよ……っ!』
艇の頭上に、ネロの光の天蓋。岸からはカラムの小さな防壁が斜めに、斜めに、着弾を河へ逸らし続ける。上空ではリズが風を纏って併走し、逸れた矢をまとめて薙ぎ払った。
水の膜が、近づいてくる。
夜目にもなお、それは巨大だった。流れ続ける水の聖堂。星のない夜を鈍く映して。
『脈動、読みます! 息継ぎまで、八……七……』
ネロのカウントが走る。
『……え?』
カウントが、止まった。
『パターンが……変わった!? 昨日までの周期と、違う……こ、これ、誰かが中で、手動で弄って――』
膜の呼吸が、乱数になった。予測が、死んだ。
艇は、もう止まれない距離まで来ている。
「……いい」
リヴィアは、舳先で膝を沈めた。
「予測はいらない。――直接、視る」
目を開く。
流れる水。うねる光。幾千の水流の編み目。乱されたリズムの奥で、結び目は結び目のまま、そこにある。
隣で、グイ・トンが低く身を沈めた。その右脚に、炎が細く、刃の形に凝っていく。
言葉は、なかった。呼吸だけが重なった。
吸って――
「――今」
二つの刃が、同時に走った。
リヴィアの黒閃が、縦に。グイの蹴撃から放たれた炎の斬撃が、横に。
黒と紅の十字が、水の膜を裂いた。
膜が、悲鳴のような水音を上げる。十字の傷口から水が崩れ、要塞の壁がひと月ぶりに夜気へ晒された。
傷口の縁で、水流が渦を巻き始めた。千切れた糸が互いを探し、編み直しが始まる。
『閉じます! 再生、来てます!!』
『――全火力ッ!! 今だ、叩き込めェ!!』
カラムとリュウの声が、同時に飛んだ。
夜が、真昼になった。
リュウ・ファンの炎帝拳。紅蓮の龍が、十字の傷のど真ん中へ喰らいついた。その脇を、レイリンの火弾の雨とアシュの残弾すべてが、傷口の縁を叩き続ける。
「風の道、通すわよ――ミン!!」
「まっかせて!!」
リズの風の回廊が傷口までまっすぐに貫通し、ミン・シアの連打から放たれた火が、その道を倍速で駆け抜けて膜の内側で弾けた。
編み直そうとする水流の結び目を、カラムの波動弾が一つ、また一つ、正確に潰していく。
壊す速さが――編む速さを、追い越した。
水の聖堂が、震えた。
膜の全面に、蜘蛛の巣のような亀裂が走り――
要塞ロデルを包んでいた水のすべてが、支えを失って崩れ落ちた。
それは、豪雨だった。河の上に一夜分の雨がまとめて降り、波が立ち、飛沫が霧になった。
霧の向こうに、裸の要塞が立っていた。
『……ヴェイル、消失! 障壁、完全に消失!!』
『全隊――渡河ァ!!』
後方で待機していた舟艇の群れが、一斉に岸を蹴った。
【グロリア】
水門は、一時間で落ちた。
膜を失った要塞の抵抗は激しかったが、もう、届かない場所はなかった。
外郭を制圧した黒翼は、要塞の腹――河に面した巨大な格納区画へと踏み込んだ。
松明の光が、闇の中のそれを浮かび上がらせる。
「……船?」
リズが呟いた。
ドックの中央に、半ば焼け焦げた商船が横たわっていた。船体は砲撃で裂け、マストは折れている。
その船首に、煤に汚れた銘板が、まだ残っていた。
『グロリア』
「……拿捕された、帝国の商船」
リヴィアの声が、格納庫に響いた。
「なんで……拿捕したはずの船が、こんな、沈められたみたいな姿で……」
アシュが裂けた船腹を覗き込む。
船倉には木箱が積まれたままだった。半分は焼け、半分は原形を留めている。
リヴィアは灯りを近づけ、木箱の側面に顔を寄せた。
輸送用のステンシル。品名。数量。発送元。
その三行目を、彼女は雪の中で読んだことがあった。
「……帝都、第四工廠」
ネロが顔を上げた。
「……ぼ、僕、そこの出荷台帳を照会したことがあります。バルドアの、削岩機の時に」
彼は震える手で、箱の隅の刻印に灯りを向けた。
「この管理番号……輸出記録の、ない番号です」
格納庫の闇の中で、五人はしばらく誰も動けなかった。
拿捕されたはずの帝国の船が。記録にない帝国の兵器を積んで。セルバの要塞の腹の中で、沈められた姿で眠っている。
――この戦争は、何を隠すために始まったのか。
遠くで、勝鬨の声が上がっていた。




