第26話 災厄の使徒
神殿の床に走った亀裂から、黒い魔力が噴き上がる。
空気が重くなり、息をするだけで胸が苦しくなった。
「何だ、この魔力……」
クロードが思わず一歩後ずさる。
リリアも剣を握る手に力を込めた。
今まで戦ってきた魔物や教団員とは、比べものにならない威圧感だった。
黒い霧はゆっくりと人の形を作り始める。
二メートルを超える長身。
漆黒の鎧。
顔は仮面のような黒い兜に覆われ、赤い瞳だけが暗闇の中で光っていた。
その背中には、まるで翼のような黒い魔力が揺らめいている。
「これが……」
レインは息を呑む。
「災厄の使徒。」
セレスが震える声で言った。
「千年前、魔王に仕えた四人の使徒の一人です。」
部屋が静まり返る。
ゼノスでさえ、その姿を見つめたまま動かなかった。
⸻
「……久しい。」
災厄の使徒がゆっくりと口を開く。
低く響く声が神殿全体に反響する。
「我を封じた人間は、もういないか。」
その赤い瞳が周囲を見回す。
そしてレインの持つ《始原の魔導書》で止まった。
「ほう……。」
「継承者か。」
レインは一歩前へ出る。
「お前は誰だ。」
使徒は静かに答えた。
「我が名はヴァルグ。」
「魔王軍四使徒が一人。」
その名を聞いた瞬間、《始原の魔導書》が激しく震えた。
ページが勝手にめくられ、古代文字が青白く光る。
レインの頭の中へ警告が流れ込む。
『単独での交戦は推奨されない。』
思わず息をのむ。
魔導書がここまで強く警告するのは初めてだった。
⸻
ヴァルグはゆっくりと周囲を見渡す。
「面白い。」
「継承者と、我を目覚めさせた愚かな者たち。」
その視線がゼノスへ向く。
ゼノスは冷静な表情を崩さない。
「予定外ではありましたが……。」
「あなたも利用させてもらいます。」
ヴァルグは数秒間黙っていた。
そして、小さく笑った。
「人間ごときが。」
次の瞬間。
姿が消えた。
「えっ!?」
クロードが反応する間もない。
ヴァルグはゼノスの目の前に立っていた。
速すぎる。
誰も見えなかった。
「ぐっ!」
ゼノスは咄嗟に黒い障壁を展開する。
しかし。
バキン!
障壁は一撃で砕け散った。
衝撃でゼノスの身体が吹き飛び、柱へ激突する。
神殿の柱に大きなひびが入った。
「幹部が一撃で……。」
リリアの表情が険しくなる。
今まで圧倒的な強さを見せていたゼノスですら、この差だった。
⸻
ヴァルグは何事もなかったように歩き出す。
「退屈だ。」
「千年眠っていた身体を動かすには、お前たちでは物足りん。」
その瞬間。
神殿全体が震えた。
ヴァルグの魔力だけで建物が悲鳴を上げている。
セレスが叫ぶ。
「このままでは神殿が崩壊します!」
レインは歯を食いしばる。
「どうすれば止められる?」
「今のあなたでは倒せません。」
「ですが……。」
セレスは迷った末に続けた。
「天空の腕輪には、封印を補強する力があります。」
「完全には倒せなくても、再び眠らせることはできるかもしれません。」
「その方法は?」
「ヴァルグを祭壇まで誘導してください。」
「そこで私が封印術式を起動します。」
レインは頷いた。
「分かった。」
⸻
その様子を見ていたゼノスが、ゆっくり立ち上がる。
口元から血が流れていた。
「継承者。」
レインは驚いて振り向く。
ゼノスは黒い剣を拾い上げる。
「勘違いするな。」
「お前と手を組むつもりはない。」
「だが。」
彼はヴァルグを見据えた。
「今は、あれを放置できない。」
レインも静かに頷く。
敵同士。
それは変わらない。
それでも今だけは、目的が一致していた。
リリアが剣を構える。
クロードも短剣を握り直す。
ゼノスの後ろでは、黒翼教団の生き残った教団員たちも魔法陣を展開していた。
ヴァルグはその光景を見て笑う。
「面白い。」
「ならば全員まとめて相手をしてやろう。」
神殿を揺らす咆哮とともに、災厄の使徒ヴァルグが一歩踏み出す。
レインとゼノス。
本来なら決して並ぶことのない二人が、同じ敵へ向かって駆け出した。
第27話 共闘 へ続く。




