虫けらの一言
見張り役がロメからネリネに代わり、さらにセテに引き継がれて、少し経った頃だった。
「みんな、起きて…!」
声をひそめながら、セテが全員の肩を叩いて行く。
「ふにゃあ、まだ夜じゃねぇのぉ。」
「精霊のくせに寝ぼけてないで、ほら、あっちよ。」
岩陰から身長順に顔を突き出すと、いくつもの光水晶が飛竜の着陸地点に向かって行くのが見えた。
『ギュゥオ!』
警戒感にあふれた飛竜の鳴き声が響くと、リアネスが頭を抱えてうずくまった。
「リアネス、判るか?」
「…ええ。敵だ。そう言ってるわね。」
「では、私たちにとっては味方ということでしょうか。」
「わからない。でも、行くなら、今。」
新手が敵ならば、合流して体制を整えられる前に叩く。
新手が味方ならば、個別に撃破される前に共闘する。
いずれにしても、岩陰に隠れて眺めているのは得策では無い。東の空に滲んだ茜で浮かび上がった山肌を、一行は全力で駆け始めた。ティックの起こした弱い向かい風は、仲間の足音を隠し、目的地の音を運んでくる。
『…なんてことを。あなたは、大義を完全に失ってしまった。』
運ばれて来た震える声には、聞き覚えがあった。
「シェマーニだわ!なんで彼が、ここに!?」
「新体制を立ち上げてすぐ、坑道に入ったんだ。エルドーを討つためか、あるいは…」
風が震えて、イルアンは声を抑えた。
『ざっと二十人、か。お前たちには恨みは無い。それどころか、ここまで支えてくれた恩は、忘れてはおらん。』
地平線から暁光が射す。同時に、エルドーの横に控えていた飛竜がグラァと声を上げて翼を広げた。一瞬露わになったその足元には、いくつもの赤黒い塊が転がっている。
『シェマーニ、お前は気骨のある男だ。ここで見たことを踏まえてなお、俺を支えようなどとは思うまい。ああ、惜しいな。俺はお前のような副官が居たから、ここまで来られたというのに。』
『…俺も残念だ。あんたは今、ここに居る全員を消すことしか考えていない。その飛竜…中央大陸からの工作員だったというのは、本当だったんだな。』
エルドーは天を見つめて嘆息すると、無感動にシェマーニの方へ右手を向けた。
「死ね。」
飛竜は音もなく浮かび上がったと思うと、翼を大きく羽ばたかせてシェマーニの直上へと移動した。
「井戸まで走れ!一人でも生き残るんだ!」
叫びながら、シェマーニ自身は一歩も動かない。飛竜を、できるだけこの場に足止めするのだ。
急降下と共に踏みつけられれば、既に肉塊と化しているエルドー隊と同じ未来が待っている。シェマーニは身を固くして、じっと足に力を溜めた。飛竜が着地する瞬間、横跳びで転がって逃げるしかない。
そう思ったところで、背後から悲鳴が上がった。
「う、うぁああ!」
「何!?」
思わず振り返った先では、上空に居るはずの飛竜が仲間たちを蹂躙している。
まさか、二体居るのか!?
「はっ!」
耳元で聞こえた風切音に、シェマーニは自らの迂闊さを呪った。視線を逸らした一瞬を、飛竜は見逃してくれなかった。
(間に合わない、か。)
慌てて振り返りながらも、不思議なほど冷静に諦観する。願わくば、一瞬で絶命したいものだ。
そのとき。
「あらよっと!」
全身に衝撃を受けて、シェマーニは体何個分もの距離を吹っ飛ばされた。一瞬前まで彼が居た場所を飛竜の鉤爪が抉り、獲物を逃した恨めしげな鳴き声が上がる。
「本当に悪運の強い男だ、シェマーニ!」
イルアン――その後ろに並んだ心強い面々に、シェマーニは破顔して叫んだ。
「お前と違って、朝晩、水晶に礼拝しているからな!」
「それだけ軽口が叩けているなら、大丈夫そうだ。」
「それより、皆を…」
シェマーニが振り返ると、ティックの風に乗ったロメが飛竜の背に着陸するのが見えた。重さを増して動きが鈍くなった飛竜を尻目に、シェマーニ隊の生き残りたちはひたすらに坂を下って行く。
「井戸までは、半刻ほどだ。飛竜に脅かされながらでは、到底辿り着ける距離では無かった。」
先ほどシェマーニを襲った飛竜に視線を戻せば、その横でリアネスとネリネが平然と佇んでいる。
「…なぜ、君たちは襲われないんだ?」
「例えば、踏み潰そうと思った虫が突然人間の言葉を喋りだしたら、思いとどまるだろう?つまり、そういうことさ。」
目を丸くしたシェマーニの前で、茶髪の少女が『グラァ』と鳴いた。




