第95話 魔石の価値
翌朝。
美月は出かける準備をしていた。今日は《アストラ》の依頼を受けるため、冒険者ギルドへ向かう。
「蓮、今日はギルドに行ってくるね」
「……ギルド?」
蓮がスマートフォンから顔を上げる。
「うん。昨日話した冒険者ギルド。今日は《アストラ》で依頼を受ける日だから」
「……そうか」
蓮は少しだけ美月を見る。
「……どのくらい?」
「え?」
「……帰ってくるまで」
「ああ」
美月は少し考える。
「たぶん、夕方くらいかな」
「……夕方」
「うん」
蓮は小さく頷く。
「……分かった」
美月は玄関へ向かう。その背中を、蓮はしばらく見ていた。
十年間。蓮には、誰かが出かけていって、また帰ってくるという生活がなかった。
だからなのか。美月が家を出ていくことが、少しだけ気になった。
「じゃあ、行ってくるね」
美月が振り返る。
「……うん」
「ゲーム、楽しんでていいからね」
「……分かった」
「夕方には帰ってくるから」
「……うん」
美月が笑う。
「じゃあ、行ってくるね」
「……いってらっしゃい」
扉が閉まる。
蓮はしばらく玄関を見つめていた。
「……夕方」
小さく呟く。そして、ソファへ戻る。
スマートフォンを手に取った。画面には、昨日から遊んでいるゲームが表示されている。
「……もう一回」
蓮はゲームを始めた。
◇
一方。
美月は冒険者ギルドへ向かっていた。今日は《アストラ》として依頼を受ける日。
ギルドに到着すると、いつものように多くの冒険者が行き交っていた。
「おはようございます」
「おはようございます、神崎さん」
受付の職員が笑顔で挨拶する。
「今日も依頼を受けに?」
「はい。アストラで受ける分を探そうと思って」
「分かりました」
受付の職員が依頼一覧を確認する。美月も掲示されている依頼へ目を向けた。
討伐。護衛。素材採取。ダンジョン攻略。
今日も様々な依頼が並んでいる。
いくつか確認したあと、美月は《アストラ》に合いそうな依頼を選んだ。
「こちらでお願いします」
「はい。承りました」
依頼の手続きを終える。
そして――
美月はポケットへ手を入れた。指先に、硬い感触が触れる。
「…………」
取り出したのは、昨日蓮から預かった魔石だった。
昨日。大量の魔石を見せられた。その中から、美月が一つだけ選んで持ってきたもの。
「……これも、確認してもらおう」
美月は受付へ向き直った。
「すみません」
「はい」
「この魔石、買い取ってもらえますか?」
美月が魔石を差し出す。
「はい。もちろんです」
職員が受け取る。
そして――
「…………」
職員の表情が止まった。
「どうしました?」
「……少々、お待ちください」
職員は魔石を持ったまま、奥へ向かった。美月はその後ろ姿を見送る。
しばらくして。一人の職員が戻ってきた。
「こちらの魔石を確認したいのですが」
「お願いします」
専門の鑑定担当らしい。職員は専用の鑑定器具を取り出した。
魔石を台座へ置く。
「…………」
魔力を測定する。表示された結果を確認する。
そして――
「……え?」
鑑定担当の眉が動いた。
「どうしました?」
「魔力含有量の数値が……」
画面を見つめる。しかし、そこに表示されているはずの数値がない。
「……表示されません」
「え?」
もう一度、鑑定を行う。
「…………」
結果は同じだった。
「魔力純度も……」
表示されない。
鑑定担当は、別の方法で確認する。
それでも――
「…………」
何も表示されない。
「鑑定レベルが不足しています」
機械に表示された文字。
「…………」
職員の顔が強張る。
「こんなこと……」
「何か問題が?」
「……いえ」
職員は魔石を見つめる。
「これは……おかしいです」
「おかしい?」
「はい」
職員はもう一度、鑑定器具を確認する。
「通常なら、魔力含有量も魔力純度も確認できます」
「…………」
「ですが、この魔石は……」
言葉が続かない。
美月は黙って魔石を見る。
昨日。自分自身が感じていた異常。
それが今、ギルドの専門家によって証明されようとしていた。
「……もう一度、別の鑑定器で確認します」
「はい」
別の器具が用意される。再び鑑定が行われる。
しかし――
「…………」
結果は変わらない。
「……同じです」
鑑定担当が呟く。
「魔力含有量……測定不能」
「魔力純度も……測定不能」
「鑑定レベル不足……」
職員たちの間に、ざわめきが広がる。
「こんなこと……今までありましたか?」
「ありません」
「私も見たことがない」
「そもそも、鑑定レベル不足なんて……」
その声を聞きながら、美月は静かに立っていた。
やがて。一人の職員が美月へ向き直る。
「神崎さん」
「はい」
「この魔石、どこで手に入れたんですか?」
美月は一瞬だけ黙る。
そして――
「……知人から預かったものです」
「知人の方から?」
「はい。本人に頼まれて、買い取りに来ました」
「入手した場所は分かりますか?」
「……詳しくは聞いていません」
「そうですか……」
職員はそれ以上、追及しなかった。
ただ――
魔石から目を離せない。
その後も鑑定は続いた。何人もの職員が確認する。
けれど。誰一人として、正常な数値を出すことができない。
そして――
「何があった?」
低い声が響いた。ギルド内の空気が変わる。
「支部長……」
一人の男が歩いてくる。支部長だった。
「この魔石か?」
「はい」
鑑定担当が魔石を差し出す。支部長は魔石を受け取る。
「…………」
しばらく黙って見る。
そして――
「《鑑定》」
自身の鑑定スキルを発動させた。
支部長の鑑定スキルは――
レベル5。
一般的には、一流と呼ばれるレベルだ。
魔石の魔力含有量。魔力純度。素材の品質。
通常なら、かなり詳細な情報まで読み取ることができる。
しかし――
「…………」
何も見えない。
「……?」
支部長の眉が僅かに動く。もう一度、魔石へ意識を集中させる。
「《鑑定》」
それでも――
結果は変わらない。
「…………」
支部長の表情が変わった。
「……見えない」
「はい」
鑑定担当が頷く。
「私もです。魔力含有量も、魔力純度も表示されません」
「…………」
支部長は魔石を見つめる。
鑑定スキルLv.5。それは、決して低いレベルではない。一般的には、一流と呼ばれるほどの鑑定能力だ。
それでも。この魔石の情報を読み取ることができない。
「……私の鑑定でも見えないのか」
その呟きに、周囲の職員たちが息を呑む。
支部長ですら――
この魔石を鑑定できない。
「……これは」
支部長は、しばらく魔石を見つめていた。
「通常の魔石として扱うものではないな」
「…………」
「通常の基準では、価値を決められない」
美月は黙って聞いていた。
「上に報告する」
「はい」
「もっと高い鑑定スキルを持つ者を集めろ」
「分かりました」
「それで、改めて調べる」
支部長は美月を見る。
「神崎さん」
「はい」
「申し訳ありませんが、この魔石の買い取りは少し待っていただけますか」
「……分かりました」
「通常の査定では判断できません」
「はい」
「詳しく調べた上で、改めて買い取りについて相談させてください」
「分かりました」
美月は静かに頷いた。
◇
ギルドを出たあと。
美月は一人、歩いていた。
「…………」
昨日。蓮が取り出した大量の魔石。その一つ。
それだけでも、ギルドの専門家が鑑定できない。
魔力含有量。魔力純度。
どちらも――
測定不能。
鑑定レベルが足りない。
そんなことは、今まで一度もなかった。
そして――
美月の頭に浮かぶのは、一人だけだった。
「……蓮」
昨日まで。美月は思っていた。
もしかしたら。蓮がUnknownなのではないか。
けれど――
今は違う。
あの魔石。そして、古龍の魔石。十年間、ダンジョンにいたという蓮。
その蓮が――
あれだけの魔石を、何でもないもののように持っている。
「…………」
美月は目を閉じる。
「……やっぱり」
胸の中で、確信が強くなっていく。
蓮が――
Unknown。
けれど。それを誰かに話すつもりはない。
蓮はようやく帰ってきた。十年間、戦い続けた。
だからこそ。
これからは――
普通に生きてほしい。
「……誰にも言わない」
美月は小さく呟いた。
◇
その頃。
蓮は家にいた。
「…………」
ソファに座り、スマートフォンを両手で持っている。画面の中では、キャラクターが激しい戦闘を繰り広げていた。
「…………」
蓮の目は真剣だった。
敵が現れる。攻撃する。避ける。
そして――
「……よし」
勝利。
「……もう一回」
次のステージへ進む。
しばらくして――
時計を見る。
「…………?」
「……もう昼か」
気づけば、かなり時間が経っていた。
昼食を簡単に済ませる。
そして――
「……もう一回」
またゲームを始める。
◇
午後。
蓮は、ずっとゲームをしていた。
十年間。娯楽というものから、ほとんど遠ざかっていた。
だから――
ただゲームをする。それだけのことが、純粋に楽しかった。
「……面白い」
小さく呟く。そして、また画面を見る。
時間は、あっという間に過ぎていった。
◇
夕方。
玄関の扉が開く。
「ただいま」
「……おかえり」
美月が部屋へ入る。
すると――
「…………」
蓮は朝とほとんど変わらない姿勢で、ソファに座っていた。スマートフォンを握っている。
「……ずっとやってたの?」
「……うん」
美月は苦笑する。
「朝から?」
「……うん」
「お昼は?」
「……食べた」
「そっか」
美月は荷物を置く。
「楽しかった?」
「……うん」
蓮は画面から目を離さない。
「……面白かった」
「よかった」
美月は笑った。
「今日一日どうだった?」
蓮は少し考える。
朝。美月を見送った。それからゲームを始めた。
気づけば昼になっていた。昼食を食べて。またゲームをした。
そして――
美月が帰ってきた。
「……一日、早かった」
「え?」
「……ゲームしてたら、あっという間だった」
美月は目を細める。
「そっか」
「……うん」
蓮はスマートフォンを見る。
「……楽しかった」
「それならよかった」
美月は笑う。
そして――
「……そういえば」
「……?」
「昨日の魔石なんだけど」
「……売れた?」
「それがね」
美月は少し困ったように笑う。
「まだ、買い取ってもらえてないの」
「……そうなの?」
「うん」
「魔石の質が良すぎて、普通の鑑定じゃ調べられなかったみたい」
「…………」
「今、ギルドの上層部で詳しく調べることになってるの」
「……上層部?」
「うん」
「もっと高い鑑定レベルを持ってる人を集めて、詳しく調べる必要があるんだって」
「…………」
「だから、もう少しだけ買取は待ってほしいって」
「……分かった」
蓮は特に気にした様子もなく頷いた。
「……うん」
美月はそんな蓮を見る。
これほどの魔石を。蓮は――何でもないもののように渡してきた。
そして今も。自分の魔石がどれほどのものなのか、気にしていない。
美月は小さく息を吐く。
「……本当に、すごいんだね」
「……?」
「ううん。なんでもない」
「……そうか」
蓮はまたスマートフォンへ視線を戻す。
「……もう一回」
美月はそんな蓮を見て、笑った。
十年間。戦うことしか知らなかった蓮。
そんな蓮が今は――
ゲームに夢中になっている。
それだけで。美月には、十分だった。




