第84話 10年ぶりの帰還
蓮の指先が、白い光へ触れた。
「……」
温かい。
けれど。
火のような熱さはない。
水に触れたときとも違う。
不思議な感覚だった。
蓮は目の前の光を見つめる。
この先に――
外がある。
十年間。
ずっと求めていた場所が。
あと一歩。
進めば届く。
「…………」
それなのに。
蓮はすぐには動かなかった。
十五歳で、このダンジョンへ入った。
そして。
二十五歳になった今まで。
ずっと、この場所で生きてきた。
魔物と戦った。
傷ついた。
逃げた。
食料を探した。
水を探した。
眠る場所を探した。
また戦った。
それを。
十年間。
繰り返してきた。
「……終わりか」
小さく呟く。
もう。
次の階層はない。
次に倒す魔物もいない。
生き残るためだけに進み続ける必要もない。
蓮は静かに息を吐いた。
「……行こう」
一歩。
光の中へ踏み出す。
白い光が身体を包んだ。
「っ……」
視界が真っ白に染まる。
上下も。
前後も。
何も分からなくなる。
けれど。
恐怖はなかった。
蓮はそのまま前へ進んだ。
一歩。
もう一歩。
そして――
次の瞬間。
◇
風が吹いた。
「……」
蓮の髪が揺れる。
頬を撫でる。
服がわずかになびく。
「……風?」
蓮はゆっくりと目を開いた。
最初に見えたのは。
緑だった。
木。
草。
揺れる葉。
そして。
耳に入ってきた。
鳥の声。
「…………」
蓮は動けなかった。
ゆっくりと。
顔を上げる。
木々の隙間から。
青い空が見えた。
「……」
空。
どこまでも広がる。
青い空。
白い雲。
太陽の光。
蓮はただ、それを見上げていた。
眩しい。
けれど。
目を逸らしたくなかった。
十年間。
一度も見ることのできなかった景色。
「……外だ」
声が震えた。
本当に。
外だ。
風が吹く。
木々が揺れる。
鳥が鳴く。
草の匂いがする。
太陽の光が身体を照らしている。
「…………」
そのとき。
頬を何かが伝った。
「……?」
蓮は手を伸ばす。
指先が濡れていた。
「……なんで」
もう一滴。
涙が流れる。
「……なんで、泣いてるんだ」
悲しいわけではない。
痛いわけでもない。
怖いわけでもない。
それでも。
涙は止まらなかった。
「…………」
蓮はもう一度。
空を見上げた。
「……帰ってきたんだな」
その言葉を口にした瞬間。
胸の奥に。
ようやく実感が広がっていった。
帰ってきた。
十年ぶりに。
自分は。
外へ帰ってきた。
◇
しばらくして。
蓮はようやく周囲へ目を向けた。
「……ここ」
山だった。
木々に囲まれている。
地面には草が生え。
ところどころに岩がある。
蓮はゆっくりと辺りを見渡した。
十年前。
十五歳だった蓮は。
家から逃げるように街を離れ。
気づけば山の中まで来ていた。
あの頃は。
まだ何も知らなかった。
ダンジョンの存在も。
その中で十年を過ごすことになることも。
そして。
生きるために戦い続けることになることも。
「……十年前か」
蓮は周囲を見る。
ここが。
十年前に歩いた山と同じなのか。
すぐには分からなかった。
当然だった。
十年も経っている。
木々は大きくなっている。
枝も伸び。
葉も増えている。
地面には草が生い茂り。
昔は歩けたはずの場所も、ところどころ植物に覆われていた。
「……変わってる」
蓮はゆっくりと歩き始めた。
周囲を確認しながら進む。
すると。
少し先で。
蓮の足が止まった。
「……あれ」
大きな岩壁。
「…………」
見覚えがある。
いや。
正確に覚えているわけではない。
それでも。
その岩壁を見た瞬間。
蓮の中に。
十年前の記憶が蘇った。
木々の向こう。
岩壁の中央。
そこに。
大きな穴が開いていた。
「……ここだ」
蓮は近づいていく。
だが。
岩壁には何もなかった。
「……」
穴はない。
ただ。
岩があるだけだった。
蓮は手を伸ばす。
岩壁へ触れる。
冷たい感触。
「……消えたんだな」
十年前。
ここにあったはずのダンジョン入口。
それは。
もうどこにもない。
蓮は振り返った。
先ほどまであったはずの白い光も。
すでに消えていた。
「…………」
これで。
本当に終わった。
蓮はもう一度。
岩壁を見る。
十五歳だった蓮は。
この場所から。
ダンジョンへ入った。
そして。
十年後。
二十五歳になった蓮は。
同じ場所へ戻ってきた。
「……十年」
長かった。
あまりにも。
長かった。
蓮は静かに目を閉じる。
これまでのことが。
一瞬。
頭をよぎった。
最初に出会った魔物。
初めて食べた肉。
水を探した日。
火を起こせるようになった日。
何度も死にかけた戦い。
階層を下り続けた日々。
そして。
最後に戦った古龍。
「…………」
全部。
終わった。
蓮は目を開けた。
これから。
どうするのか。
まだ分からない。
外の世界がどうなっているのかも知らない。
十年前と同じなのか。
それとも。
まったく変わっているのか。
自分を知っている人間が。
まだいるのかさえ。
分からない。
それでも。
今は。
帰ってきた。
それだけでよかった。
蓮は岩壁から手を離した。
そして。
山の下へ続いているはずの方向を見る。
「……行こう」
一歩。
足を踏み出す。
十年間。
生き残るためだけに歩き続けてきた。
でも。
これからは――
違う。
蓮は山を下り始めた。
十年ぶりの地上へ。
そして――
新しい人生へ。
◇
――第1部・完
ここまで第一部を読んでいただき、本当にありがとうございました。
今回が初めての作品ということもあり、テンポ感や物語の進め方など、「これで大丈夫かな?」と悩みながら書いてきました。
実際に読んでくださった皆さんがどう感じたのか、まだ自分では分からない部分も多いので、よければ感想を聞かせていただけると嬉しいです。
「ここが面白かった」「ここはもう少しこうしてほしい」など、どんな感想でも大歓迎です。
また、もし「続きも読んでみたい」と思っていただけましたら、ブックマークや評価・ポイントを入れていただけると、とても励みになります。
皆さんの応援が、これから書き続けるモチベーションになります。
第二部も引き続き楽しんでいただけるよう頑張りますので、これからも蓮の物語にお付き合いいただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。




