第75話 十年の軌跡5
89階層を越えた蓮は、さらに下へ続く階段を下りていった。
そして――
90階層。
そこへ足を踏み入れた瞬間、蓮は足を止めた。
「……」
静かだった。
これまでの階層とは違い、魔物の気配すら感じない。
だが――
奥から、とてつもない魔力が伝わってくる。
「……いるな」
蓮は剣の柄に手をかけた。
ゆっくりと前へ進む。
やがて、巨大な空間へ出た。
その中央に、一体の魔物が立っている。
四本の太い脚。
巨大な身体。
全身を黒い鱗が覆っている。
背中には鋭い突起が並び、頭部には二本の巨大な角が生えていた。
体長は十メートルを超えている。
巨大な獣というより、大地そのものが動き出したような姿だった。
赤い瞳が、蓮を捉える。
蓮は《鑑定》を使った。
『名称:アース・ベヒーモス』
『種別:魔物』
『状態:良好』
『弱点:なし』
「……弱点、なしか」
アース・ベヒーモスが低く唸る。
次の瞬間――
巨体が動いた。
凄まじい速度で蓮へ突進してくる。
蓮は《気配察知》で動きを捉え、身体強化を使って横へ跳んだ。
巨大な爪が地面を抉る。
だが――
蓮はすでに、魔物の側面へ回り込んでいた。
「遅い」
魔剣を振る。
黒い鱗が大きく裂けた。
アース・ベヒーモスが身体を振る。
蓮は軽く後ろへ跳んだ。
巨大な尾が空を切る。
その動きも、蓮には捉えられていた。
魔物が再び突進する。
蓮は《魔力感知》で魔力の動きを読む。
攻撃の軌道を見極め、最小限の動きでかわす。
そして――
魔剣へ雷の魔力を纏わせた。
蓮が一歩踏み込む。
次の瞬間には、魔物の懐に入り込んでいた。
雷を纏った魔剣が走る。
黒い鱗を切り裂き、そのまま身体の奥まで刃が届いた。
アース・ベヒーモスが大きく身体を揺らす。
それでも倒れない。
だが、蓮は慌てなかった。
「……これで終わりだ」
蓮は魔剣へ魔力を集中させる。
今度は炎を纏わせる。
そして、魔物の傷口へ刃を叩き込んだ。
炎が傷口から内部へ広がる。
アース・ベヒーモスの身体が大きく震える。
そして――
巨体が地面へ崩れ落ちた。
「……終わったか」
蓮は剣を下ろした。
息もほとんど乱れていない。
弱点のない強敵。
それでも、今の蓮にとっては苦戦する相手ではなかった。
◇
ボス部屋の奥には、宝箱が置かれていた。
蓮はゆっくりと近づき、蓋を開ける。
中には、一つの指輪が入っていた。
「……指輪?」
蓮は手に取り、《鑑定》を使う。
『名称:身代わりの指輪』
『種別:魔道具』
『効果:装備者が受けた致命傷を一度だけ肩代わりする』
「……」
一度だけ、致命傷を防いでくれる。
蓮は指輪をしばらく眺めた。
「……これなら、少しは安心できるな」
蓮は指輪を身につけた。
そして、さらに深い階層へ向かった。
◇
91階層。
階段を下りた蓮の前に、魔物が現れた。
蓮は《鑑定》を使う。
弱点を確認する。
そして、剣を構えた。
魔物が襲いかかってくる。
蓮は身体強化を使い、攻撃をかわす。
そのまま剣を振る。
一撃。
魔物が倒れた。
「……」
蓮は倒れた魔物を見つめる。
「このままじゃ、鍛錬にならないな」
90階層のボスを倒したときにも感じていた。
自分の力が、ここまで来た魔物たちを大きく上回っている。
全力で戦えば、簡単に倒してしまう。
蓮は左手に視線を落とした。
そこには《封魔の手袋》がある。
「……少し落とすか」
蓮は魔力を流した。
身体から力が抜けていく。
筋力。
身体能力。
魔力。
それぞれが少しずつ弱くなる。
「このくらいか」
蓮は再び剣を構えた。
◇
92階層。
93階層。
魔物と戦うたびに、蓮は自分の力を調整していった。
余裕がありすぎれば、さらに弱体化を強くする。
逆に危険を感じれば、少しだけ弱体化を戻す。
そうして、自分が簡単には勝てない程度まで力を落とす。
その状態で戦う。
魔物の動きを読む。
攻撃をかわす。
剣を振る。
魔法を使う。
必要なら魔剣へ属性魔力を纏わせる。
弱体化した状態でも、戦い方そのものは変わらない。
ただ、今まで以上に一つ一つの動きを考える必要があった。
それでも戦いを重ねるうちに、少しずつ余裕が生まれてくる。
「……また強くなったか」
蓮は《封魔の手袋》へ魔力を流す。
さらに弱体化を強くした。
◇
94階層。
95階層。
96階層。
97階層。
98階層。
蓮は同じことを繰り返した。
自分の力を落とす。
その状態で戦う。
慣れてくれば、さらに力を落とす。
それでも勝てるようになれば、また弱体化を強める。
その繰り返しだった。
以前なら苦戦していたような相手でも、今では弱体化した状態で戦える。
そして、その状態でも戦いを重ねるたびに、蓮は成長していった。
◇
99階層。
蓮は最後の魔物を倒した。
最後の一撃を終え、ゆっくりと剣を下ろす。
「……99階層」
ここまで来た。
蓮は《魔力感知》を使う。
自分の魔力を周囲へ広げる。
壁。
通路。
その先にある空間。
少しずつ、周囲の構造を把握していく。
そして――
「……あった」
下へ続く階段を捉えた。
だが、その先から伝わってくるものがある。
強大な魔力。
これまで感じたどの魔物とも違う。
蓮は階段の前で立ち止まった。
「……この先か」
蓮は剣の柄を握る。
そして――
ゆっくりと階段を下りていった。
100階層へ。




