第7話 生きる
翌朝。
蓮は寒さで目を覚ました。
「……寒い」
身体を起こす。
背中が痛い。
首も痛い。
まともな場所で寝ていないのだから当然だった。
昨日の夜は、ほとんど眠れなかった。
少し眠っては物音で目を覚ます。
周囲を確認する。
また眠る。
それを何度も繰り返した。
「……眠い」
蓮は目をこすった。
それでも、立ち上がる。
ここでじっとしていても何も変わらない。
食べ物を探さなければならない。
水も必要だ。
そして、出口も探さなければならない。
「……絶対に帰る」
蓮はそう呟いた。
その言葉だけを胸に、歩き始めた。
◇
最初の数日は、とにかく苦しかった。
食べられるものが分からない。
飲める水も分からない。
魔物がどこにいるのかも分からない。
何度も失敗した。
「……これ、食べられるかな」
壁際に生えていた植物。
蓮は恐る恐る、その一部を口に入れた。
「……苦っ」
すぐに吐き出す。
別の植物を見つける。
「……こっちは?」
今度は強烈な酸味だった。
「うわ……」
蓮は顔をしかめる。
それでも、試していくしかなかった。
空腹には勝てない。
少しだけ食べる。
体調に変化がないか確認する。
大丈夫なら、次から少しだけ量を増やす。
そうやって、一つずつ覚えていった。
◇
魔物との遭遇も増えた。
最初は逃げるしかなかった。
小さな魔物なら石を使う。
大きな魔物なら逃げる。
それでも、逃げ切れないこともある。
「……っ!」
狼の爪が腕をかすめた。
血が出る。
「痛っ!」
蓮は転がるように逃げた。
岩陰へ飛び込む。
魔物が追ってくる。
蓮は息を殺した。
しばらくすると、足音が遠ざかっていった。
「……はぁ……」
蓮は腕を見る。
傷は深くない。
それでも痛い。
蓮は服の裾を破り、傷口を縛った。
病院なんてない。
薬もない。
だから、自分で何とかするしかない。
数日後。
傷は少しずつ塞がっていった。
「……前より早い?」
蓮は傷口を見つめる。
気のせいかもしれない。
けれど。
昨日より身体が動く。
昨日より長く歩ける。
昨日より少しだけ寒さに耐えられる。
ほんのわずかな変化だった。
それは《生存適応》によるものだった。
けれど、蓮自身はまだそのことを理解していなかった。
◇
一か月。
二か月。
三か月。
時間が過ぎていった。
蓮は少しずつ、この場所で生きる方法を覚えていった。
水場を覚えた。
安全な場所を覚えた。
危険な場所を覚えた。
魔物の鳴き声を覚えた。
足跡を見れば、近くに何がいるのかも少しずつ分かるようになった。
眠る前には必ず周囲を確認する。
食料は見つけたら少しずつ確保する。
危険な場所には近づかない。
そして――
魔物から逃げるだけではなくなった。
「……来る」
遠くから足音が聞こえた。
蓮は岩陰に身を隠す。
魔物が近づいてくる。
以前なら、ただ震えていた。
今は違う。
足音。
速度。
大きさ。
気配。
それらを少しずつ感じ取れるようになっていた。
「……小さい」
蓮は石を握った。
魔物が近づいてくる。
そして――
「今!」
石を投げる。
魔物が怯んだ。
蓮は一気に距離を詰める。
石を振り下ろす。
――ドンッ。
魔物が倒れる。
蓮は息を切らしながら、その場に立っていた。
「……倒せた」
以前より、ずっと楽だった。
自分でも分かる。
身体が少しずつ強くなっている。
そして何より――
魔物の動きが見えるようになってきていた。
◇
半年。
一年。
蓮はもう、最初の頃の少年ではなくなっていた。
もちろん、まだ強くはない。
強力な魔物には逃げる。
危険な場所には近づかない。
傷を負えば苦しむ。
空腹にもなる。
寒さにも震える。
それでも。
最初の頃とは明らかに違っていた。
蓮は一人で生きられるようになっていた。
安全な寝床を作る。
水を確保する。
食料を探す。
魔物を避ける。
必要なら戦う。
それが少しずつ日常になっていった。
◇
ある夜。
蓮は岩陰に座っていた。
周囲は暗い。
ただ、近くの壁に生えている淡く光る苔が、ぼんやりと周囲を照らしている。
最初にこの場所へ来た頃なら、その光だけでも不気味に感じただろう。
今では違う。
蓮にとって、この光は夜を知らせるものの一つになっていた。
蓮は苔の光を見つめながら、膝を抱える。
「……」
静かな時間。
魔物の気配はない。
今日は安全だ。
蓮はゆっくり息を吐いた。
そして、ふと両親のことを思い出す。
父親の声。
母親の笑顔。
学校へ向かう朝。
美月との会話。
全部、遠い昔のことのように感じる。
「……父さん」
返事はない。
「……母さん」
静かな洞窟。
当然、誰も答えない。
蓮は少しだけ俯いた。
そして、胸の中で呟く。
――俺、生きてるよ。
誰にも届かない言葉。
それでも。
蓮は毎日、生き続けた。
帰るために。
そしていつか。
必ず外へ出るために。
そのためなら。
今日も生きる。
明日も生きる。
何年かかっても――
絶対に、生きて帰る。
十五歳だった少年の「生きる」という戦いは、まだ始まったばかりだった。




