第230話 冒険者になりたかったわけじゃない
「最初から、冒険者になりたかったわけじゃないよ」
ひなたの言葉に、蓮は少しだけ首を傾げた。
「なりたくなかった?」
「うん」
「でも、今は冒険者だよね」
「そうだね」
ひなたが小さく笑う。
「玲奈とは、たぶん正反対だったと思う」
「私?」
玲奈が自分を指差す。
「玲奈は最初からダンジョンに入りたかったんでしょ?」
「まあ……うん」
「私は全然」
「魔物と戦いたくなかった?」
蓮が聞く。
「怖かったから」
ひなたは迷わず答えた。
「ダンジョンも、魔物も、怪我するのも。ニュースで冒険者の事故を見るたびに、よく自分からあんな場所に入れるなって思ってた」
玲奈が何とも言えない顔をする。
「私、そういう場所に自分から入ってたんだけど」
「知ってるよ」
「今聞くと結構刺さるね」
「昔の話だから」
ひなたが少し笑った。
「だから、自分が冒険者になるなんて考えたこともなかった」
「じゃあ、なんでなったの?」
蓮が聞く。
ひなたは少しだけ考えてから答えた。
「きっかけはね、怪我をした冒険者を見たことだったの」
◆
その頃のひなたは、まだ何のスキルも持っていなかった。
ダンジョンが世界各地に現れ、魔物を倒した人間の一部が特殊な能力を得る。その事実はすでに広く知られるようになっていた。
身体能力を強くする力。感覚を鋭くする力。炎や風を操る力。そして、傷を治す力。
ニュースでは連日のように、新しく確認されたスキルや冒険者の活躍が報じられていた。
けれど、ひなたにとってはどれも自分とは関係のない話だった。
力を得るには、魔物と戦わなければならない。
その時点で答えは決まっていた。
「私には無理」
友人との会話で冒険者の話題が出ても、いつもそう答えていた。
「治癒魔法とかだったら、ひなたに向いてそうだけどね」
「治癒魔法を取るためにも魔物を倒さないといけないんでしょ?」
「たぶんね」
「じゃあ無理」
戦うことが嫌いというより、怖かった。
自分が魔物の前に立つところを想像するだけで、とても無理だと思えた。
冒険者は、自分とは違う人たち。
その頃のひなたは、本気でそう思っていた。
◆
その考えが少しだけ変わったのは、ある日だった。
ひなたが街を歩いていると、遠くから何台もの緊急車両が走ってくる音が聞こえた。
「……何?」
道の先に人が集まっている。
近くにいた人たちの話から、近隣のダンジョンで事故があったことが分かった。攻略中だった複数の冒険者が負傷し、地上へ運び出されているらしい。
ひなたがその近くを通りかかった頃には、ダンジョン入口から少し離れた場所に簡易的な救護スペースが作られていた。
一般人が自由に出入りできる場所ではない。
ひなたも離れたところから様子を見ていただけだった。
「こっち!」
「まだ一人来るぞ!」
「担架を空けて!」
次々と負傷者が運ばれてくる。
服を血で汚した冒険者。肩を借りなければ歩けない人。腕を押さえ、苦しそうに顔を歪めている人。
ひなたの足が止まった。
怖かった。
テレビ越しに見るのとは全然違う。血の色も、苦しそうな声も、慌ただしく動き回る人たちも、全部すぐ近くにあった。
「…………」
見ていられない。
そう思った。
その場を離れようとした時、救護スペースの中から声が上がった。
「こっち、治癒を頼む!」
「分かりました!」
一人の冒険者が負傷者のそばへ駆け寄る。
武器は持っていなかった。
負傷者の前へ膝をつき、傷口の近くへ手をかざす。
淡い光が広がった。
「…………」
ひなたの足が止まる。
さっきまで苦しそうに顔を歪めていた冒険者の表情が、少しずつ緩んでいく。
出血も弱まっていった。
「もう大丈夫。すぐ次の処置に移せるから」
「……助かった」
「まだ動かないでください」
治癒魔法を使った冒険者は、それだけ言うと、すぐに次の負傷者のもとへ向かった。
ひなたはその姿を目で追った。
魔物を倒しているわけではない。
剣を振っているわけでもない。
それでも、その人が来たことで誰かの苦しそうな顔が変わった。
「…………」
今まで、冒険者と聞けば魔物と戦う人だと思っていた。
強い人。
怖い場所へ自分から入っていく人。
自分とは違う人。
でも。
あんな人もいる。
誰かが怪我をした時、その傷を治す人も冒険者なのだ。
ひなたはしばらく、その場から動けなかった。
◆
その日の夜。
家に帰ってからも、昼間に見た光景が頭から離れなかった。
血を流していた冒険者。
苦しそうな顔。
そして、その人の前に座り、治癒魔法を使った人。
「…………」
怖かった。
今でもダンジョンに入りたいとは思わない。
魔物と戦いたいとも思わない。
もし自分があの場所にいたとしても、何もできなかった。
その事実も分かっている。
だからこそ、考えてしまった。
もし。
自分にも、あの魔法が使えたら。
あの場で苦しんでいた誰かに、少しでも何かできたのだろうか。
「……でも」
治癒魔法を手に入れるには、魔物を倒さなければならない。
それが今分かっている、スキルを得るための方法だった。
怖い。
やっぱり、ダンジョンには行きたくない。
その気持ちは何も変わっていなかった。
それでも。
冒険者という世界を、完全に自分とは関係のないものだと思うことは、もうできなくなっていた。




