第229話 ひなたがいる場所
昼を過ぎても、ギルドから連絡は来なかった。
「今日は来ないかもしれないね」
美月がそう言うと、玲奈がソファにもたれる。
「昨日報告したばっかりだし、そんなにすぐ決まらないか」
「調べることもあるだろうしね」
「じゃあ今日は解散する?」
玲奈が聞く。
美月は少し考えたあと、ひなたを見る。
「ひなた、さっき回復関係を確認するって言ってたよね?」
「うん。次も同じダンジョンに入るなら、少し見直しておきたいかな」
「じゃあ、それだけやっておこうか」
「分かった」
追加調査が決まったわけではない。それでも、必要になった時に慌てないよう、今のうちに準備だけ確認しておくことになった。
ひなたは持ってきていた鞄を開き、中から小さな手帳を取り出す。蓮が隣から覗き込むと、回復薬だけではなく、包帯や止血剤、状態異常に備える薬まで細かく書かれていた。
「いっぱいあるね」
「全部使うわけじゃないけどね」
「使わないならいらないんじゃない?」
「必要になった時にない方が困るでしょ?」
「そっか」
ひなたは当然のように答え、残っている数を一つずつ確認していく。
「前衛用は少し多めにしておこうかな」
「それ、ほぼ私用じゃない?」
離れたところから玲奈が反応した。
「玲奈だけとは言ってないよ」
「でも一番使いそうなの私でしょ」
「自覚あるんだ」
「昨日あれだけ言われたからね」
玲奈が苦笑する。
「でも、次は気をつけるから」
「うん。それでも準備はしておく」
「信用されてない?」
「信用してるよ。それと準備は別」
「……それもそうか」
玲奈は納得したように頷いた。
蓮はそのやり取りを聞きながら、ひなたの手元を見る。玲奈が前にいるから、その分も考えて準備する。ひなたにとっては、それもいつものことらしい。
◆
必要な物のうち足りないものだけを確認し、近くの店で補充して戻ってくると、ひなたは購入した物を種類ごとに分け始めた。
蓮もその隣に座る。
「これは?」
「止血剤」
「治癒魔法があるのに?」
「いつでもすぐ使えるとは限らないから」
「魔力がなくなった時?」
「それもあるし、私が怪我してるかもしれないでしょ」
蓮の手が止まる。
「ひなたが?」
「うん」
「ひなたが怪我したら、誰が治すの?」
「自分で使えるなら自分で治すよ。それが無理なら、こういうのを使う」
ひなたは止血剤を蓮から受け取り、他の物と一緒に並べた。
蓮はその手元を見る。
今まで、ひなたは怪我をした人を治す側だと思っていた。けれど当然、ひなた自身が怪我をすることもある。
「何が起きるか分からないから、使わなくても持っておきたいの」
「使わなかったら?」
「その方がいいよ」
「そうなの?」
「うん。何もなくて、結局使わなかったなら、それが一番だから」
ひなたは何でもないことのように言う。
蓮にも、その考え方自体は分かった。
原初ダンジョンにいた頃、自分も必要になるかもしれない物はできる限り残していた。薬も食料も、すぐに使わなくてもアイテムボックスへ入れておいた。いつ必要になるか分からなかったからだ。
ただ、ひなたが準備している物は少し違う。
自分が使うためだけではない。
玲奈が怪我をするかもしれない。美月が必要とするかもしれない。自分自身が動けなくなった時、誰かが使うかもしれない。
誰が必要とするかも分からない物を、それでも用意しておく。そして、誰も使わずに済んだなら、それが一番だとひなたは言う。
蓮は並べられた道具をもう一度見た。
◆
しばらくして、美月と玲奈は昨日の調査地図をもう一度確認し始めた。
ひなたは最後の回復薬を片付ける。
「ひなた」
「ん?」
「こういう準備、いつもしてるの?」
「毎回全部じゃないよ。でも回復関係はだいたい私が見るかな」
「嫌じゃない?」
「嫌?」
「面倒じゃない?」
ひなたは少し考える。
「面倒な時はあるよ」
「あるんだ」
「そりゃあるよ」
ひなたが笑った。
「でも、確認しないで困るよりいいから」
「誰が困るの?」
「誰って……」
ひなたは少し不思議そうに蓮を見る。
「必要になった人?」
「玲奈かもしれない?」
「うん」
「美月かもしれない?」
「そうだね」
「俺かもしれない?」
「蓮は使う機会なさそうだけど」
「ないの?」
「少なくとも私たちよりは少ないでしょ」
「たぶん」
「でも、必要なら使うよ」
ひなたはそう言って、最後の道具を鞄へ戻した。
その答えも、ごく当たり前のものとして返ってきた。
蓮はひなたを見る。
昨日までなら、治癒魔法が得意だからこういうことをするのだと思っていた。
けれど玲奈も、剣が得意だから前に立っているだけではなかった。
そこには、今の玲奈になるまでの理由があった。
なら、ひなたにもあるのかもしれない。
「ひなた」
「ん?」
ひなたが顔を上げる。
蓮は少しだけ迷ってから聞いた。
「ひなたは、どうして冒険者になったの?」
ひなたの手が止まった。
「……私?」
「うん」
美月と玲奈も、地図から顔を上げる。
ひなたは蓮を見たまま、少し驚いたように瞬きをした。
「どうしてって……」
すぐには答えなかった。
蓮は待つ。
やがて、ひなたは自分の鞄へ視線を落とした。
「私はね」
少しだけ間を置く。
「最初から、冒険者になりたかったわけじゃないよ」
その言葉は、蓮が思っていた答えとは少し違っていた。




