第225話 後ろを見る
事故からしばらく経った。
怪我をした仲間は順調に回復していた。すぐにダンジョンへ戻れる状態ではなかったが、命に別状はなく、後遺症が残る可能性も低いと聞いている。そのことに安心しても、玲奈の中に残ったものは消えなかった。
再び依頼を受ける日。玲奈はギルドで剣を握りながら、以前言われた言葉を思い出していた。
――自分の前だけじゃなくて、後ろも見てみろ。
「玲奈」
「ん?」
「大丈夫か?」
以前一緒にダンジョンへ入った男が、玲奈の顔を見る。
「大丈夫」
「今日は無理するなよ」
「うん」
玲奈は短く答えた。
今回も複数人での依頼だった。ただし、怪我をした仲間は当然いない。別の冒険者が加わり、四人でダンジョンへ向かう。
玲奈は以前と同じように前寄りの位置に入った。けれど、気持ちは以前とは違っていた。
◆
最初の戦闘は、ダンジョンへ入ってそれほど経たないうちに起きた。
「前に二体」
後ろから声が飛ぶ。
玲奈は剣を抜いた。
一体が正面から近づいてくる。いつもなら、その魔物だけを見ていた。どう受けるか、どこへ斬るか、何回で倒せるか。
けれど今日は、玲奈の視線が一度だけ後ろへ向いた。少し離れた場所に仲間がいる。中央を担当する男。その後ろに二人。
「……いる」
「何が?」
「何でもない」
玲奈は前を向く。
魔物が飛び込んできた。玲奈は爪を剣で受け流す。反撃できる距離だったが、いつものようには踏み込まず、一度その場に止まった。
魔物が後ろへ下がる。
追えば倒せる。
ほんの数歩。
事故の日と同じだった。
玲奈は追わず、その場で構えた。
「玲奈?」
仲間の声が聞こえる。
「来るの待つ」
「分かった」
魔物がもう一度飛び込んでくる。今度は玲奈のいる位置まで自分から戻ってきた。
玲奈は攻撃を流し、そのまま剣を振る。魔物が倒れると、すぐに周囲へ視線を向けた。
後ろにいる仲間たち。
全員いる。
「……よし」
小さく呟いた。
◆
その後も、玲奈は以前とは少し違う戦い方を続けていた。
自分の相手だけではなく、仲間がどこにいるのか、自分が一歩動けばどこが空くのか、敵が横へ回れば誰のところへ行くのか。今まで意識していなかったものまで、急に目に入るようになった。
そのせいで、最初は動きが遅れた。
「玲奈、右!」
「分かってる!」
反応が一瞬遅れる。剣で攻撃を受け止めることはできたが、以前のように気持ちよく身体が動かない。
「……やりにくい」
戦闘が終わったあと、玲奈が呟いた。
「何が?」
「全部見るの」
男が少し笑う。
「最初からできるわけないだろ」
「でも、前より下手になった気がする」
「そう見えるか?」
「うん」
「俺にはそう見えないけどな」
玲奈が男を見る。
「さっき、倒せそうだったのに追わなかった」
「それで?」
「前なら追ってた」
「でも今日は残った」
「……うん」
「それで後ろには抜かれてない」
玲奈は少し黙った。
「でも、倒せたと思う」
「かもしれないな」
「じゃあ追った方がよかった?」
「そこを自分で考えるんだよ」
「またそれ?」
「またそれ」
男が笑う。
「今日は前より周り見えてるぞ」
「動き遅いけど」
「そのうち両方できるようになる」
玲奈は少し不満そうな顔をした。
「簡単に言うね」
「簡単じゃないから言ってる」
玲奈は返事をしなかった。
◆
さらに奥へ進んだところで、三体の魔物と遭遇した。
一体が玲奈、一体が中央。もう一体が少し離れた場所を動いている。事故の日と似た形だった。
玲奈の身体が一瞬固くなる。
「玲奈」
「……大丈夫」
剣を構える。
一体目が飛び込んでくる。玲奈は攻撃を受け流して反撃し、魔物を後ろへ下がらせた。
追えば届く距離だったが、玲奈はその場に残った。
中央を見る。問題ない。後ろにいる二人も見える。
その時、三体目が右側へ動いた。
「来る!」
玲奈が声を上げる。
三体目が後方へ回り込もうとしていた。
「玲奈、そっちは任せろ!」
中央にいた男がすぐに位置をずらした。自分が相手をしていた魔物を押し返しながら、玲奈の正面にいた魔物の進路も塞げる位置へ入る。
「行け!」
「うん!」
玲奈は男が入ったことを確認してから横へ走った。
自分がいた場所は空いていない。そこには今、仲間がいる。
三体目が後方へ抜ける前に、玲奈はその進路へ入った。
「こっちは通さない!」
剣で攻撃を受ける。衝撃が腕へ伝わった。
魔物が横へ回ろうとすると、玲奈もそれに合わせて位置を変える。倒しに行くのではなく、後ろへ抜ける道を塞ぐ。
「玲奈、そのまま!」
「うん!」
後ろから仲間の攻撃が入る。
魔物が怯んだ。
玲奈はそこで初めて踏み込み、一撃を入れる。魔物が倒れると、すぐに中央へ振り返った。
男は二体を相手にしながら位置を保っている。
「戻る!」
「頼む!」
玲奈はすぐに駆け戻った。
今度は二人で前へ並ぶ。一体を男が受け、もう一体を玲奈が止める。後ろから支援が入り、しばらくして一体が倒れ、最後の魔物も四人で仕留めた。
◆
戦闘が終わる。
「怪我ない?」
玲奈が振り返った。
三人が少し驚いたように玲奈を見る。
「何?」
「いや」
男が笑った。
「玲奈から最初にそれ聞かれると思わなかった」
「……悪い?」
「悪くない」
後ろにいた一人が腕や身体を確認する。
「大丈夫。誰も怪我してないよ」
「そっか」
玲奈は小さく息を吐いた。
今日の戦いは、以前ほど気持ちよくなかった。倒せそうな敵を追わなかったし、周囲を意識したせいで動きが遅れた場面もある。自分だけを見れば、前より下手になったようにも感じる。
それでも、少なくとも今度は誰も後ろへ抜かせなかった。三人とも、自分の後ろに立っている。
玲奈は仲間たちを見る。
まだ分かったとは言えない。これが正しい戦い方なのか、自信もない。
けれど、事故の日には見えていなかったものが、今日は少しだけ見えた気がした。自分が立っている場所だけではない。自分が動いたあとに何が残り、その後ろに誰がいるのか。
玲奈はもう一度前を向き、剣を握り直した。




