第224話 うまく戦えただけでは
帰り道、玲奈はほとんど喋らなかった。
負傷した仲間を背負い、足元だけを見て歩く。途中で何度か交代すると言われたが、玲奈は首を振った。
「まだ大丈夫」
「無理するなよ」
「してない」
短く答えて、そのまま歩く。
背中から伝わってくる重さが、いつも以上に大きく感じた。仲間の呼吸は聞こえている。意識も完全には失っていない。
それでも、時折苦しそうな息が玲奈の耳に入るたび、胸の奥が強く締めつけられた。
「玲奈」
「何?」
「少し休むぞ」
「でも」
「負傷者を運んでるんだ。運ぶ側が倒れたら意味ないだろ」
「……うん」
言われて、玲奈はようやく足を止めた。
岩壁の近くへゆっくりと仲間を下ろす。男がすぐに傷の状態を確認した。
「出血は?」
「さっきより落ち着いてる」
「なら、このまま急いで戻ろう」
玲奈は黙ったまま頷く。
視線が、血の染みた服へ向かった。
また思い出す。
自分が魔物を追った。
数歩だけ。
倒して戻るつもりだった。
実際、すぐに倒せた。
なのに、その数歩の間に後ろへ抜けられた。
「…………」
玲奈は拳を握った。
「玲奈」
男がこちらを見る。
「今は考えるな」
「……でも」
「まず戻る。それが先だ」
玲奈は何も言えなかった。
「分かった」
それだけ答えて、再び立ち上がった。
◆
ダンジョンを出ると、入口の管理施設が一気に騒がしくなった。
「負傷者です!」
男が声を上げる。
職員がすぐに駆け寄り、簡易担架が用意された。玲奈の背中から仲間が移される。
「何があった?」
「戦闘中に攻撃を受けました。脇腹です。応急処置はしてあります」
「意識は?」
「あります」
職員たちは素早く負傷者を運んでいく。
玲奈はその場に残ったまま、遠ざかっていく担架を見ていた。
「玲奈」
呼ばれても、しばらく反応できなかった。
「玲奈」
「……何?」
「俺たちも行くぞ」
「うん」
歩き出す。
けれど、さっきまで背負っていた重さがなくなったせいで、逆に身体が落ち着かなかった。
◆
しばらくして、治療を担当した人間から説明を受けた。
「命に関わる状態ではありません」
その言葉を聞いた瞬間、玲奈の肩から少しだけ力が抜けた。
「本当に?」
「はい。ただ、傷は浅くありません。しばらく安静が必要です」
「治る?」
「時間はかかりますが、今のところ後遺症が残るような状態ではないと見ています」
「……よかった」
玲奈は小さく息を吐いた。
隣にいた仲間たちも、それぞれ安堵したような表情を浮かべる。
死ななかった。
取り返しのつかないことにもならなかった。
それなら、よかった。
そう思った。
けれど、胸の奥に残っているものは消えなかった。
「少し休んでいくか?」
男が聞く。
「ううん」
「大丈夫か?」
「うん」
「顔、大丈夫じゃないけどな」
玲奈は返事をしなかった。
男もそれ以上は何も言わなかった。
◆
ギルドへ戻り、事故の報告を終えたあとも、玲奈はすぐには帰れなかった。
気づけば、人気のなくなった訓練場に立っていた。
手には剣がある。
けれど、強くなるために振ろうとしているわけではなかった。
今日、自分が何をしたのか。
どこで何が変わったのか。
それを確かめるように、玲奈はゆっくりと同じ動きを再現する。
魔物の攻撃を流す。
一歩踏み込む。
斬る。
相手が下がる。
もう一歩。
さらに前へ。
そこで玲奈は足を止めた。
「……ここ」
あの時も、同じだった。
傷ついた魔物を追って、数歩だけ前へ出た。
動きそのものに失敗はなかった。
攻撃も受け流せた。
踏み込みも悪くなかった。
最後の一撃も狙った場所へ入った。
自分が担当した魔物は、ちゃんと倒した。
「……できてた」
玲奈が呟く。
今日の自分は、前よりうまく戦えていた。
それは間違いない。
なのに、仲間が怪我をした。
「なんで……」
玲奈は剣を下ろす。
自分の敵を早く倒せば、仲間を助けられる。
ずっと、そう思っていた。
強くなれば、もっと早く倒せる。
もっと早く倒せれば、その分みんなが楽になる。
だから強くなろうとしてきた。
それなのに。
「玲奈」
後ろから声がした。
振り返る。
今日一緒にダンジョンへ入っていた男が立っていた。
「まだいたのか」
「……うん」
「何してる?」
玲奈は少し迷ってから答えた。
「今日の動き、もう一回やってた」
「訓練か?」
「違う」
玲奈は首を振る。
「どこがおかしかったのか、分からなくて」
男は玲奈のそばまで歩いてくる。
「私、ちゃんと倒した」
「ああ」
「前よりうまく戦えてた」
「ああ」
「じゃあ、なんでああなったの?」
男はすぐには答えなかった。
「私がもっと早く倒してたらよかった?」
「違うと思う」
「もっと強かったら?」
「それだけでもない」
「じゃあ何?」
少しだけ、玲奈の声が強くなる。
男は玲奈を見る。
「玲奈」
「何?」
「お前、自分が何のために前にいたと思う?」
「何のためって……」
玲奈は答えようとして、少し止まる。
「魔物を倒すため」
男はすぐには何も言わなかった。
その沈黙が気になり、玲奈が顔を上げる。
「違うの?」
「……それだけか?」
「え?」
「今日はもう帰れ」
「でも」
「今ここで俺が答えを言っても、多分お前は納得しない」
「…………」
「次に誰かとダンジョンへ入る時、自分の前だけじゃなくて後ろも見てみろ」
「後ろ?」
「ああ」
男はそれ以上説明しなかった。
「お前が前に立った時、その後ろに誰がいるのか。それだけ覚えとけ」
玲奈は何も言えなかった。
男は少しだけ笑う。
「冒険者になった頃のお前なら苦戦してた相手を、今日はちゃんと倒せてた」
「……うん」
「だから、強くなってないわけじゃない」
「じゃあ」
「今日はもういい」
男が玲奈の剣を見る。
「答えは次に考えろ」
玲奈はしばらく黙っていた。
やがて、剣を下ろす。
「……分かった」
訓練場を出る前に、玲奈は一度だけ自分が再現した位置を振り返った。
魔物を追って踏み込んだ場所。
あの時、自分は前しか見ていなかった。
玲奈は初めて、剣を振る自分ではなく――その時、自分の後ろに誰がいたのかを思い返した。




